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「リングのパロディに見せかけた貞子らしき山村さんと中村くんが暮らすそうです」

作者: 日本産甘蕉

※注意 ご覧の作品に複雑な伏線や納得のいく設定は存在しません。(主に、山村さんの話)

 

 あと、作者がパロディの線引きがいまいちわかっていないのでもし「これはダメじゃないか?」と思われましたら教えてください

「ああ、やっぱVHSのビデオだよなぁ」

 俺以外には誰もいない自室。そこでテレビを観賞しながら、時折コメントを呟く俺。暇人だなとか突っ込むな。悲しくなるから。

「今じゃ世間だとDVDばっかで、だんだん数も減ってきたし、そろそろ本格的にお別れかもしれねぇな」

 まぁ、この世からVHSが消えたとしても自分のだけは死守するだろうけどな。なんて、一人どうでもいい決心を固めたところでビデオの映像が終わってしまった。終わった後の砂嵐もいいもんで、ビデオが切れるまで再生を続ける、なんてこともよくやっている。ついついビデオ流しっぱなしで眠ってしまっていることも多々あるがそれはまぁ気にしないことにしている。

 同僚から「そんなんだから彼女いないんですよ」とか言われたが、毎月女をとっかえひっかえしているような奴には言われたくねぇ。まぁ、実際正論なんだろうが。

「――と、もうビデオが終わっちまったし、次のでも見るか」

 さて、ここまでで俺の趣味はよくわかるだろうが、ビデオ鑑賞だ。VHSのビデオ限定だが。ただし、残念ながらそのほとんどはレンタル品だ。流石にアナログ放送が終了してからはいちいちVHSのビデオにするのも労力がいるのでしていないし、元々そこまでビデオを持っていたわけでもない。

 だから、大体二週間に一度レンタルビデオ店に行って数本借りてはそれを見る、というのが俺のお決まりの行動になっている。誤解しないでほしいのが、俺は別にDVDが嫌いとか、最近の映像が面白くないとかそういうことでビデオが好きなんじゃない。とりわけVHSのビデオの映像が好きなだけだ。

 まぁ、昔の方が性に合ってるといえば確かにそうなんだが。ちなみに特に嫌いなジャンルもないのでビデオであるなら大体片っ端から借りているぞ。流石に優先順位くらいはあるがな。

 そんなどうでもいいことをいまさら頭の中で考えながら俺はビデオデッキからカセットテープを取り出して別のカセットテープと入れ替えた。

「さてと、これで確か借りたのは全部だったかな、と言ってもまた見直すけど」

 前述の通り俺は大のビデオ好きなので(暇とか言うな)借りたビデオを数日後にもう一回見る、なんていうことは当たり前のことだ。

 ビデオデッキのリモコンを手にとって、再生ボタンを押す。

「そういや、何借りたんだったかな。 確かホラー物からゴソっと取ってきたんだが」

 再生ボタンが押されたことで、ビデオデッキからテープを流す音が聞こえる。それと同時に、今まで真っ暗だったテレビ画面はビデオの映像を流し始める。そう、それが普通のことだ。そんなことはDVDですら変わらないことだ。

 今の場合、レンタルビデオであれば当然、著作権を含めた取り扱いの注意が映ることだろう。

 テレビ画面は、なぜか砂嵐から始まっていた。

「ああ? 戻し忘れか……?」

 個人経営のレンタルビデオ店だと時々そんなことも起こったりするものだが、ビデオデッキに表示されているビデオ残量はきちんと始まったばかりであることを示している。

 そんな風に俺が戸惑っていると、映像に変化があった。砂嵐から、暗闇になった。真ん中にはぽっかりと穴が開いていて、そこから光がこちらに向かって入り込んでいるようだった。

「なんだ……?」

 俺が疑問に思う間に映像は切り替わる。時々妙な人影が写りこみながら意味不明な映像は尚も続いていく。頭の中ではちょっとした焦りと困惑ばかりが充満し、リモコンの停止ボタンを押すという簡単なことさえ思い浮かばず。ただ淡々と映像が流れる。

 そうしていると、突如映像が固定された。それはどうやら鬱蒼とした林の中で、奥の方には小さな井戸がぽつんとあるだけの寂しい風景だ。と同時に、俺の中で決定的とも言える予測が浮かび上がった。

「もしかしてこれ、リングじゃないか?」

 リング――1998年に公開されたジャパニーズホラーブームの火付け役とも言われる映画で、「見たら一週間で死ぬ」と言われる呪いのビデオを見てしまった主人公がどうにかして死なない方法を探る、そんな映画だ。

 その映画では、作中における「呪いのビデオ」の映像が流れるわけだが、その内容が先ほどの映像とだいたい一緒だった気がする。最後には貞子と呼ばれる女性の幽霊が井戸から上ってくるはずだが。

「しかし、そんな冒頭で流れるものだったかな……とりあえず、一回出してみるか」

 と、俺がビデオのタイトルを確認するためにテレビに近づいた、まさにそのときだった。

 映像が勝手に途切れたのだ。

「……消えた?」

 不審に思うが、今はとりあえずビデオのタイトルを確認しよう。

 デッキからビデオを取り出して、俺はそのタイトルを見た。

 タイトルは、何もなかった。

「……ラベルが貼ってない?」

 いくらなんでも、ラベルの貼ってないビデオがレンタルビデオ店で貸し出されているわけがない。じゃあ、俺が今見たこのビデオはどっから来たんだ。そこで俺は、ビデオを借りたときのレシートの存在に思い当たった。

「そ、そうだレシートだ! レシートなら俺が何を借りたか分かる!」

 まず、レンタルしたビデオが何本あるのか確認するためベッドの側に積んであった視聴済みの奴を引っ張ってくる。ちょうど五本ある。ということは持ってるのと合わせて俺は六本借りた、ということになる。

 次に俺はレシートを見た。上から順に、一本、二本、三本、四本と見ていく。

 レシートは、五本で終わっていた。

「……嘘だろ?」

 だが、紛れもなくレシートにはビデオタイトルは五本しかない。値段も五本分で間違いない。ではそれなら。

「存在しない、六本目――?」

 

 それからの一週間は、よく覚えていない。

 俺は生気のない顔をしながら淡々と業務をこなすだけの、そんな七日を過ごした。

 


 そして、七日目。

 もしもあのビデオが本物なら、俺は今日、テレビから貞子が出てきて殺される。

 俺は一人きりで、そのときを待ち構えていた。というより、何をする気にもなれないからぼーっとしていた、の方が正しい気がする。

「そろそろ、時間か」

 その時が来たとわかるのはとても簡単だった。テレビが、勝手に映像を映し出したからだ。

 映し出されたのは鬱蒼とした林。中央には小さな古い井戸。

「とうとう、映っちまったな……」

 記憶が正しければ、この後白い服を来た髪の長い女が井戸を上ってきて、こちらにゆっくりと歩み寄ってきて。最終的にテレビから出てきて、俺は死ぬ。

 まさか、呪いのビデオで死んじまうとはな。まぁビデオが好きだった俺にはある意味ぴったりなのかもしれないな。

 自分の心臓が、まるで井戸の中に引きずり込まれるような、そんな絶望を抱きながら、俺はただ画面を見つめている。

 そのときだった。

 テレビの中の井戸から、白い服の女がすごい勢いで上ってきたかと思うと、ボルトもビックリするほどの足の早さで走り出し、って、ちょっとまていくら記憶が曖昧だったとしても映画でそんな高速で走ってきた貞子みたことねぇってちょおま。

「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

 30インチのテレビの画面に白い服の女がドアップになったかと思えば、次の瞬間には俺の視界いっぱいに広がって、そして。

「……家のテレビ、3Dだったかな」

 そんなわけがないのは家主である俺が良く知ってることだ。じゃあ、それなら今の不可思議光景はどう説明すりゃいいんだよ。

 俺は、今起こっている現実を認めたくないと思いながらも、背後にあるであろう怪奇を確かめるために、振り向かざるを得なかった。だから、首を、ゆっくりと、後ろに回した。

 そこには、ボロい白い服の女がうずくまって、じっとしていた。なるほど、確かに俺の思い描いていたものに似ているといえば似ている。例の、貞子という幽霊に。信じがたいが、俺が夢や幻を見ているのではなければ間違いなく、コイツは……

「……や」

 やばい、貞子(と思わしき幽霊)が何か言葉を発したぞ。つか、「や」ってなんだよ。「や」ってなんなんだよ!?俺はこれから何言われるんだ?

「やったーーーーー!! やったやったやったわーーーーー!!」

 えー、全国のオカルトマニアおよび霊媒師の類の連中よ教えてくれ。

 突如現れた幽霊が恨み言を俺に振り掛けるわけでもなく小躍りしながら喜んだときはどういう対処をすりゃいいんだ。

「やったわ私……長らくあの中だったけどとうとう外に出られる日が来たわ! ほんともうあの井戸の中とか退屈を通り越してただただ異臭がするわすることがないわ誰もビデオ見てくれないわ臭いわでほんとウンザリ!!フフフフ……どうしましょう私、これから私ほんとどうしましょう、フフ、ウフフ、アハハハハ!」

 いや、どうしましょうは、こっちなんだが。

 とにかく、この幽霊らしからぬテンションで高らかに笑っているこの貞子(仮)をどうにかしなきゃならん。というか、コイツ、本当に人を呪い殺すような存在なんだろうか。近所にもいるぞこういう痛々しいの。

「おい、そこの。 そこのおそらくは幽霊さんよ」

「フフフフ……外に出れたんだしこのまましばらく外をさまようのも悪くないかもしれないわぁ……いえ、そもそもまずはここを調べるのが先かしら。 ええそうね、大体どれくらいの時間がたったのかそれもわからないわけだしやっぱりそれも調べないとだめよねぇ……」

 聞いてないぞコイツ……というか、幽霊ならまず目の前の俺を驚かすなりなんなりしろよ。何一人考えにふけってるんだよ。触れるなら思いっきり殴ってやりたいくらいだが、そこは流石に幽霊。さっきから右手で触ろうとしてるんだが一向に触れる気配がない。空気とまったく同じみたいだ。見えてるはずなのにちっとも触れない。

「おい、マジでそこの。 そこの幽霊らしき痛い奴! おい!」

「むぅ……何よ、人がせっかく久しぶりの外を満喫しながら考えているっていうの、に……」

 ようやくこっちを見てくれた――そもそも幽霊に見てほしいっていうのも意味がわからんが――幽霊は、俺の姿を確認すると、明らかに「あ……」と言いかねない表情で見つめている。

 さて、ここで幽霊がどれだけ恐ろしい顔をしているんだろうかと期待と恐怖の混じった気持ちで覚悟していたわけなんんだが、はっきり言ってこりゃ拍子抜けだ。そこに恐ろしさは微塵もない。ただの、普通の女と変わらないじゃないか。

「い、いきなりスーパーマンみてぇに飛び出してきやがって、なんなんだお前は?」

 試しに幽霊に突っかかってみる。だが、答えることはしないで、ただ「うう……」と唸ってるだけだ。

「おい、なんとか言えよ……」

 正直こっちだって微妙にビビってるんだぞ。

 しかし、目の前の幽霊らしくない幽霊にそれを言うのも癪だ。どうにかその言葉は喉元で抑え込んで相手を睨んでやる。

「う……」

「……う?」

「うらめしや……」

「それ言うの数分くらい遅いから」

「う、うぅ……」

 というか、うらめしやって……ここ最近聞いたことないぞホラー映画で。センスが古すぎないか。

「と、とりあえず聞くぞ。 お前、ゆ、幽霊、なのか?」

「……うらめし」

「話通じないフリすんじゃねぇ! さっきまで盛大に独り言喋ってただろうが!」

「――うらめし」

「顔を怖くしても素がバレてるからな」

 怖くするのに白目になるのはマジでやめろ。地味に心臓に来る。

「じゃあどうしろっていうのよ!」

「幽霊に逆切れされた!?」

「やっと外に出られたと思ったらぁ! いきなり怒られるし訳わかんないもん! うぇええん!!」

「さらに泣かれた!? いや、待て、頼むから泣くな。 そういうときの対処わからんし!」

「助けてぇええ!!」

「こっちが言いたいわ!」

 それから数十分の間、俺はこの貞子らしき幽霊を宥める羽目になった。

 普通、慰められる幽霊なんていないと思うんだが。



「泣き止んでもらったところで、聞きたいことがあるんだがいいか?」

「えぅ、ひっぐ、い、いいけど……」

 幽霊でも、泣いたら目が赤くなるんだな。そもそも、幽霊から涙が出てることの方が怪奇現象な気がするが無視するか。

「まず、幽霊、なんだよな?」

「そ、そうだけど……」

「まぁ、そうだろうな。 で、結局のところなんだが……お前は、あの"貞子"なのか?」

「……そうよ?」

「なんで疑問符付いてんだよ!」

「ひぃっ! いやぁ、怒らないで……」

 俺が突っ込むために叫んだだけで怯えているんだが、幽霊がトラウマ植えつけられてどうするんだよ。

「……あのなぁ、お前が貞子であるなら素直に肯定して、違うなら否定してくれれば……」

「わ、私はその、さ、貞子なの!」

 少し挙動不審で怪しいけれども、本人がそうだと言う以上こちらからはどうともできないからなぁ。まぁ信じるしかないだろう。

「あー、お前が貞子であるとしてだな。 ということは俺が見ていたビデオ。 あれは呪いのビデオだった、っていうことでいいのか?」

「……そ、そうよ」

「つまり俺は死ぬ、ってか? ハハハ……お先、真っ暗ってか?」 

 井戸から浮き上がってきた心臓が、再び底に叩き付けられた感じだった。

 まぁ、そうだろうな。貞子が実在するのであれば、呪いのビデオも当然ホンモノということになる。つまり俺は、もう死んでしまう……?

 いや、ちょっと待て。それなら俺は。

「なぁ、おい。 一つ聞くぞ」

「な、なによ」

「呪いが本当なら、俺は"どうやって"死ぬ? というより、お前が呪い殺すんだろ?」

「……?」

「いや、ハテナって顔されてもだな。 呪い殺すのはお前だろ?」

「あ、ああ! えーっと、それは……」

「それは……?」

「…………まぁ、置いといていいんじゃない?」

「いいわけねぇだろッ!!」

「ひひゃあぁ!?」

 貞子(仮)が驚いてすくんだ。その際俺は、壁に掛けてある簡素な時計にふと目が行った。

 俺が呪い殺されるであろう時間から、すでに十五分は経過していた。



 まぶしい。

 太陽光からの熱烈な視線を回避するため枕に蹲ってみる。

「ねぇ、朝なんだけど」

 うるさい。

 耳元から聞こえてくる生温かい吐息を回避するため毛布を被ってみる。

「いくら休日だからって、お昼まで眠るのはどうなんだろうって私は……」

 ストレスに耐えるには、無理だった。

「幽霊の癖に健康論を俺に吹っかけてくるんじゃねぇ!」

「……だって、暇だもの」

「暇だからって理由で俺の貴重な休息の時間を邪魔しないでもらいたいんだが?」

「私だって貴重な活動時間を邪魔されたくないもの」

「暇なら外でも行ってこい。 少なくとも今よりは暇じゃなくなるぞ」

「い、イヤよ。 だいたい、私の格好を見てよ。 こ、こんな薄汚れた格好じゃ恥ずかしくって表歩けないわ!」

「そもそもお前は他人から見えないだろうがッ!!」

「見えなくても私的に恥ずかしいからイヤよ」

「コイツ……」

 相変わらず殴り飛ばしてやりたいくらいだが、コイツは幽霊。殴りたくても永久に殴れない。仕方ないので話を無理やりぶった切って台所に向かうことにする。

 俺が移動している間も貞子(仮)は暇だ、暇だと俺にささやき続けるからたまったものではない。何が悲しくて幽霊の暇潰しに付き合ってやらなくてはならないのか。一日中砂嵐の音を聴いてるほうがマシな気がしてくる。

 ともかく、起きてしまったものは仕方がないので、簡素な朝食を作ることにした。まぁ、惣菜のサラダボウルにドレッシングをかけて、トーストにチーズをのっけて焼いただけのものだが。

「なんか、質素なのね」

「当たり前だ。 一人暮らしの男はこれくらいでいいんだよ」

「でも、惣菜の野菜って食べてて空しくなったりしないの? どうせならスーパーの特売でキュウリとかまとめて買ってきてそれを野菜スティックにしたらどう?」

「……貞子から現実的な話を聞く日が来るとは思わなかったな」

 俺がそういうと、貞子(仮)は少し悲しそうにしながら黙った。流石に皮肉が堪えたのだろうか。こちらとしては、静かになるからちょうどいいんだが。

 俺が朝食を食べ終わるのに、十分くらい経った。貞子(仮)はその間、テーブルに肘を立てて、手に頬を乗せる形で寂しそうに窓を眺め続けていた。

 使った食器を片付けるため、俺は流し台に食器を運び、そのまま水を流して洗い始める。

「ねぇ」

 洗剤をスポンジに付けていると、ちら、と視線を横に流すように俺を見ながら、貞子(仮)が話しかけてくる。その姿はどっか、俺に何かを遠慮しているように見えた。

「なんだよ」

 洗い物してるんだから黙ってろ、と一瞬言いたくなったが、流石にそこまで辛辣にしなくてもいいだろうと自分で思い、それは心に留めておいた。

「あの、私のことなんだけど」

「お前が、なんだ?」

「私のこと、山村さんって呼んでほしい」

「……はあ?」

 何を言うかと思えば、突然の苗字呼びを要求とは、どういう心理状態なんだ。まぁ、確かに貞子のフルネームは山村貞子なんだが、なんでここに来て苗字で呼んでほしいなどと。

「……お願い」

 物寂しそうに、そう俺に願う貞子(仮)の姿に、その願いを無碍にすることはできなかった。

「OK、分かったよ。 そう呼べばいいんだろう? 山村さん」

 山村さんと呼んで、それを聞いたときの彼女の少しだけ安堵した表情を、俺は忘れられなかった。

「そういえば、私あなたの名前聞いてないわね。 なんて呼んだらいい?」

 そもそも、これからこの家にいるのは確定事項なんだろうか。そんなことを気にしながらも、半ば惰性的に、その質問に答えている俺がいるのであった。

「あー、なら苗字で。 中村でいい」

「そう、中村……じゃあ私、中村くんって呼ぶ」

 なんで君付けなんだよ。俺はさん付けなのになんで君付けなんだよ。

 そんな不条理を突きつけたかったが、この不合理の塊の存在の幽霊に道理も何もないような気がして、突っ込むのすら諦めてしまった。

「あーはいはい。 それでいいよもう」

「これからよろしく、中村くん」

「……はいはい」

 どうやらこの幽霊がこの家に棲み付くのは完全に決定事項のようだった。

 まぁ、俺が死んでしまう呪いのような危険性はほぼ零のようだし、別にいいか。

 そうして、俺と山村さんは一緒に暮らすことになった。

「あ、中村くん。 あとでブラシ買ってきて。 髪を解かしたいから」

「いきなりパシリかッ!? つか幽霊なのにするのかよッ!?」

 どうやら、まだまだ意味不明なことは続きそうだ。かったるい。



 それからまた数日後。

 幽霊と過ごす生活にも慣れが生じている辺り、人間のすばらしさを垣間見た。

 毎日一度は衝撃怪奇現象を見ているのだから流石にそろそろ慣れないと俺の心臓が持たない。

「あ、中村くん。 おはよ」

 まず目撃する怪奇現象その一。

 洗面台で空中に浮くブラシ。と、髪を解く幽霊。こちら現場、目の前には当たり前のようにブラシで髪を解いている山村さんの姿がある。

「はぁ、おはよう」

 ちなみに、鏡には山村さんの姿は映っていない。鏡にはただ空中に独りでに浮かんで動いているブラシしか映っていないのである。そのことが余計にシュールさを感じさせる。

 まぁしかしこの程度のこと、既にここまで毎日行われていることである。これぐらいで飛び跳ねていては幽霊との暮らしは続けていけない。

 次に大体目撃する怪奇現象その二。

 トイレに侵入する生首。いやまぁ、誰かと言えば山村さんしかいないわけだが。どうも、幽霊の習慣である壁を勝手に通り抜けてしまうっていうことと、人間の生理的現象であるトイレに行くという習慣がごっちゃになった結果、時々俺がいるにもかかわらずトイレに入ってしまうようで。

 ああ、見られたとも。色々と。あげく部屋の中のものを投げ散らかされましたとも。

 俺のせいじゃないだろうよ……

「今日はトイレに入らないでくださいよ、山村さん」

「は、入るわけないじゃないの! 好きで入ってるわけないじゃない!」

 真っ赤になって恥ずかしがる姿はかわいいんだよな。悔しいけども。代償として色々と大切なものを失うが。

「まぁ、今日は出勤しますし、いくらでも間違えてトイレに入ってもらってもかまいませんがね」

「う、うん……」

 俺は会社員だ。それすなわち基本的に週末以外は出勤するわけで。平日は山村さんをほったらかしてしまうことになるわけだが、山村さんは幽霊なのでペットとは違って(こういうとなんか酷い気もするが)何も面倒を見る必要はない。

 とはいえ、一人にするのは流石にかわいそうだよな。暇なわけだし。そして何より、俺が玄関から出るときに彼女が見せる切なそうな顔は反則だろうと思う。これがいわゆる、女の武器なんだろうか。クソ、こういう経験は全くと言っていいほどなかったからな残念なことに。

 朝食も済ませて、身支度を整えて、玄関で靴を履く。その間、山村さんはただじっとこちらを見つめているだけだった。

「あーと……行ってきます」

「……うん」

 後ろ髪引かれる思いで、俺は出勤した。



 


「せんぱーい、なんか最近あったんですか?」

「ねぇよ、ねぇから用もなく来んな」

「うっわー、相変わらずっすねほんと……」

「そもそも、俺とお前は同僚の関係だろうが」

「いやー、いっこ上の人はやっぱ先輩ですよー。 あくまでも俺的にですけど」

 オフィスで適当な事務処理をしていると、同僚から声を掛けられた。毎月のように女をとっかえひっかえしている奴とはコイツのことだ。正直、馴れ馴れしいのが俺には苦手だ。しかも、俺のことを勝手に先輩と呼んでくる。出身校が一緒ならまだしも、俺とコイツはこの会社で知り合ったわけで。呼ばれる筋合いもない。

「とはいえ先輩、わりとマジでなんか浮かない顔してますよ? ほんとになんもないんすか?」

「……お前が心配するようなことは何もねぇよ」

「あ、もしやアレですか。 最近オカズが見つからなくて嘆いているとか」

「OK、今すぐお前を早退させてやるよ」

「ちょ、冗談っすよ! 先輩ほんと殺気込めた目で睨んで来ますよねぇ……」

 そうだろうな。本気で殺気込めてるし。

「まぁいいですよ。 なんもないならそれでいいですよ。 気晴らしになるかわかんないけどガム置いていきますから、そんじゃ」

 俺のデスクの上にミント味のガムを置いていくと、そのままさっさと離れていった。なんだったんだアイツは。大体、俺はミント味は好きじゃないっつの。

 ミント特有のスッとする感覚を舌に感じながら、俺はガムをかみ締める。それと同時に俺は家で待っているであろう山村さんのことを考えていた。

 あの人は、生きているときは何が好きだったんだろうか。



 会社の業務を終え、俺は自宅に帰ってきた。片手には会社のカバンを、もう一方にはレジ袋を二つ携えて。

 そんなわけで本日三度目の大体目撃する怪奇現象その三である。

「あ、中村くん。 遅かったのね」

「ああ、うん、ただいま」

「おかえりなさい」

 その三。自宅の玄関でぶら下がっている幽霊。もちろん言うまでもなく山村さんであるが。玄関から逆さにぶら下がっている幽霊を目撃するのは流石に肝が冷える。初めて見たときは思わず悲鳴を上げてしまったほどだ。黒く長い髪と白い肌が月明かりによってうっすらと光るのもこれまた恐怖演出をプラスしている。

「あの、毎回言ってるけど、やめてくれないかぶら下がるの。 誰かに見られるかもわからないし、第一に怖い」

「別に、私がどこでどうしていようといいでしょう? それに、私のことが見える人なんてそうそういやしないわよ」

 やめてもらえるようにお願いしてみても、全て一蹴されてしまう始末だ。まぁ、こうやって待っているのもやっぱり彼女が一人でいるのが寂しいことによるものなんじゃないだろうか。

 山村さんがぶら下がっている玄関を通り抜けて、リビングのテーブルに二つのレジ袋を置いた。一つは今夜の俺の晩飯だが、もう一つは違う。そもそも普段俺は晩飯以外に買ってくるのは食材くらいしかないから、二つ買ってくること自体が珍しいのだ。そのことに山村さんも気が付いたようで、俺に質問を投げかけてくる。

「珍しい。 ご飯以外に買ってくるなんて。 ビデオかしら?」

「いや、流石に新しいビデオを買ってはこないな」

「んー他に中村くんが買ってくるようなのって何かなー」

「これは、まぁ、なんというか……」

「えい」

「有無を言わさず開けやがったよ!」

 山村さんがレジ袋を開けとそこには、小さな陶器に入った観葉植物がちょこんと顔を覗かせていた。

「観葉植物?」

「そうだな。 名前はペペロミアだとか」

「いやそういうことよりも、どうして観葉植物を? 中村くんそんな趣味なかったと思うんだけど、もしかしてこれから始めるとか?」

「それは、その」

 ああ、言い辛い。何より恥ずかしい。

「山村さんが家で一人だと暇そうだったから、何か良いのはないものか、と……」

 襲ってきたのは、静寂と硬直だった。

 一言も発さず、表情も変えずに山村さんはその状態で完全に固まっている。そんな時間が果たして何秒続いているんだろう。俺にはまるで数分のように感じられるくらい、恥ずかしい。というか、頼むから一言でいいから何か言ってくれ。何だこの凄まじい恥ずかしさは。

「その、ビデオでも借りてくるっていう選択もあったけどずっとビデオばっかりっていうのもアレだと思って、だな」

 空気の読めない発言をして場が固まってるのと同じくらい恥ずかしいぞ。俺は、何かまずいことでもしたのか。それか何か失敗したのか。もしやとは思うがまさか山村さんは植物が好きでないとか植物に嫌な思い出があったりとかするのか。ああ、考えれば考えるほどに気持ちが落ち着かねぇ。

「ぷっ」

「ぷっ……?」

「あっははははははははは!!」

 腹を抱えて笑われた。大口を開けて、それはもう盛大に。

 なんだこの、クイズに正解だと思うものを答えたら全然違うために笑われているみたいな気分は。

「わ、笑うなよ! 帰りに花屋でこれ選ぶのに店先でめちゃくちゃ迷ったんだからな!?」

「いやーやめて! それ聞いたらなおさら、おかし、ぶっ、あっははははははははは!! やーおなかいたい!」

 爆笑された。それはもう、涙が出るくらいに。

 そもそもあんたに抱える腹も痛がる腹もないわけだが、俺にはそれを言い返す気力は残されていなかった。

 山村さんの大笑いが収まるのに数分を要した。俺はその間、部屋の角のところでただ座り込んでいた。そして現在は。

「あの、中村くん……元気出して、ね?」

「ハハ……そうだよなぁ、柄に合わないことをしたらそりゃそうなるよな……ハハハ……」

「その、贈り物自体は嬉しかったの! けど、それを照れながら中村くんが言ってるのが、面白くて……ぷっ……」

「いいんだいいんだ。 どうせ生まれてこの方一度だって女に何かをあげたことのない奴が、贈り物だなんて不釣合い・不似合い・不相応の極まりねーからな……」

「ああ! ごめんなさい! 笑っちゃったのは謝るから、お願いだからやさぐれないでぇぇぇ!」

 もう、イヤだ。

 俺に立ち上がる気力は、もう既に残されているはずがなかったのであった。



 数日が経って、俺の家には新たな怪奇現象が生まれていた。

 時折ミニサイズのジョウロが独りでに浮いて観葉植物に水を与えるという、そんな現象が。

 この調子だと、一年経つころには俺の家には百個の怪談話が生まれそうな勢いだが、仮に生まれたなら同僚にでも話してやればいい。もっとも、向こうには変な笑い話にしかならないだろうが。

「それじゃいってきますよ、山村さん」

「うん、いってらっしゃい中村くん」

 この挨拶も、やっぱり何度言ってもいまだに慣れない。いってくる、もそうだが、なにより人の名前をつけてなど、そうそう言うことがない。

 俺が玄関を出て結構遠ざかった頃に、一度振り返ってみる。距離のせいで小さかったが、山村さんはまだ玄関から俺のことを見ている。そんな彼女の様子を見ると、無性に胸に来るものがある。あるが、出勤前にそんなもの抱えても仕方がない。俺はほんのちょっとばかしの早足をもって、俺自身への挑戦とした。

 結果から言えば。当然のように出勤時間より早めに来すぎた上に足が午前にして乳酸漬けになった哀れな会社員がいたがそれがどうかしたかよ畜生。

 はぁ、しかしこうも早く来るとな。「あれ、中村さん早くから珍しいですね」などと多くの連中に言われかねんし。なにより同僚に言われるのが一番嫌だ。うざってぇ。この間なんか俺が珍しく残業なしで帰れたときには「うわ先輩、この時間に帰宅できるのいつぶりでしたっけ。 俺はだいたい残業ないんで楽ですけど、先輩いつも大変そうですよねー」と皮肉めいたことを言いやがるわけで。

 と、朝から同僚のことを思い出すとストレスが溜まって仕方がない。とにかく、落ち着ける場所が今の俺には必要だ。どっかり座り込んで適当に時間のつぶせる。そんな場所が必要だろう。

 そんなわけで、俺は会社近くの喫茶店に足を運んだ。時間的にはだいたい徒歩五分の場所にある裏路地のなんとも地味な喫茶店だ。最近見つけた、いわゆる隠れ店というやつだろうか。店の色の大多数が黒や灰色のもので、照明は天井にひとつだけ。太陽光もロクに差し込まないここはまさしく地味な喫茶店だ。ファッションとか流行に疎い俺でもわかるぐらい、ここは地味だし流行ってもいない。

 そんな喫茶店のマスターは三十、四十くらいの男で、俺がここに来るときには大抵客はおらずカップをただ磨いている。そんな印象の男だ。口下手なのかはしらんが、俺と同じくらい人と喋らない。彼から聞く言葉は唯一つ。「まいど」のその一言くらいだ。しかも帰る時しか言わない。

「あー、コーヒー頼む」

 俺がそう注文すると、磨いていたカップを置いてポットを手に掴む。ポットには既にお湯ができていたようであとはコーヒーを入れる一連の流れが行われる。実に、いつもどおりで無表情な作業である。

 まぁ相手が無表情であっても、珍しいですねとか言われないならそっちのほうが気が楽だ。適当に携帯でも弄って時間を潰させてもらうさ。

「え、っと、もしかして、先輩、ですか?」

 どういうことだよおい。なんで避けるためにきたところで会わなきゃならないんだよおい。しかも、言い方が完全に「なんでここにいるんですか?」と言いたげだしよ。

「先輩……目があった直後に眉間にしわ寄せなくたっていいじゃないですか」

「うるせぇよ。 お前の方こそなんでここにいるんだみたいに言いやがって」

「ま、まぁそうなんですけど。 あ、俺はカフェオレお願いします」

 同僚の急な注文にも、慌てた様子のないマスターは追加のカップを用意しつつ、俺の目の前にコーヒーを差し出してくれた。

「それにしても先輩がこんな時間に、ここにいるのはやっぱ珍しいと思いますよ。 早起きしたところで適当に時間潰して出勤時間に合わせるような人間の先輩が早く来すぎるなんて。 うん」

「……いつ、どこに行こうが俺の勝手だろうが」

「まぁそりゃそうなんすけど。 この時間の、ましてやここにいるの見たことないんで、気になったっていうか」

 この時間のここに、ねえ。とすると、同僚はここの常連なのだろうか。 

「俺は最近ここを見つけたんだよ。 その言い方、お前、ここの常連か?」

「え? まぁ、そうですかね。 朝はだいたいここで一杯飲んでから会社に行くんで」

「ふーん」

 なんか、こいつのキャラじゃねぇなと思った。普段女を取っ替えひっかえしてるような奴なら、流行りのモーニングダブルセットとかそんなもん食ってそうな気がしたんだが。なんというか、そう、地味だ。おまけに、真面目に感じる。確かにいつも俺より先に勤務してるなとは思ってたが、まさかなぁ。

「で、常連のお前に聞くんだが」

「なんですか?」

「……ここって客全然いないよな?」

「……まぁ、そうですね」

「よく潰れないもんだ」

「……そういうモノには理由があるってことですよ、先輩」

 なんだ、同僚にしてはやけに頭の良さそうなこと言いやがる。まぁ確かにそうじゃなきゃ潰れてるわけだしな。

「……で、先輩」

 コーヒーを飲み始めてだいたい半分以上飲んだ頃。同僚は一度言葉を置いてから話を変えた。

「なんだ」

「ほんとに、なんというか、らしくないですよ。 マジで。 本当に大丈夫なんですか」

「だから、お前にはカンケー……」

 いつもの調子で、答えようと思った俺はその言葉を思わず止めてしまった。というのも、真面目な顔で俺を見る同僚が、そこにいたからなんだが。

「体調とかは悪くねえ。 だから、別に、気にする必要はないと思うがな」

「……そっすか」

 それだけ答えると、同僚はもう何も聞いては来なかった。

 代わりに、珍しくあいつが言いだしたのが、俺が会社へ出勤しようと店を出ようとしたとき。

「今度、先輩の家に遊びに行っていいですかね。 酒とか、買っていきますから」

 妙なところで、俺にこだわる奴だと思った。というか、ここ最近のコイツはなんかしらんが俺に構ってくることが多い。いや、普段も結構絡んでくるが、こんな真剣に言ってくる奴だったか?

「ああ、頭に入れとく」

 ただそう言って、俺はそのまま店から出ていった。

 同僚の態度に、ちょっとした違和感を抱きながら。



「ねぇ、中村くん。 たまねぎってどこにあるかしら」

「それなら、たぶん冷蔵庫の一番下にあるんじゃないか、ほら、そこの、キャベツのわきに……」

「あ、あった! これで材料は揃ったとして……」

 俺のそばで慌ただしく動き回る山村さんは、一体何をしようとしているのかと言うと、まぁ料理である。話は俺が帰宅した今から十分前。開口一番に山村さんが「中村くん、カレー作りましょうカレー!」とやってきたので。

「包丁も鍋も用意できた、が……ほんとにやるんですか?」

「当たり前でしょう。 ここまで準備したんだし」

 そういう問題じゃなくて、料理がちゃんとできるのか、という意味でだな。

「つーか、なんで突然……」

「テレビ見てたら、なんかおいしそうなカレーのつくり方とか出てきたの。 それで私もなんだか食べたくなって」

「幽霊は食べないだろ……」

「え? あ」

 言われるまで気づかないのが、なんともこの人らしいというか。馬鹿だなというか。

「で、でも、ほら、中村くんのごはんになるじゃない。 うん」

「ご飯って……俺のはもうすでに買ってきたんだが……」

「そ、それなら明日の朝ごはんにすればいいわ! ね、そうしましょ? そうするよね? はい決まり!」

 と、なんとも強引に決定づけられてしまった。別に、明日の朝食がカレーになるのは構わないが。それより台所が大惨事にならないかどうかの方が心配でならない。

「俺は着替えてきますけど、本当に、一人で大丈夫なのか……」

「いいの。 中村くんは会社で疲れてるんだから私が一人でやる。 ほら、早く行って?」

「はぁ……」

 そんな調子で、ほいほいと流されるままに俺は自室で着替え始めるのだ。最近、言われるままになっている気がするのがなんかよくないように思うのだが。山村さんにいちいち反抗すると主に俺の精神がすり減るだけなのに気づくと、どうも従っている方がいいようにも感じる。

 そんな今の自分が置かれている、なんとも奇妙にも情けない状況に内心ため息を吐きつつ、自室のある二階から降りる途中でトン、トンという包丁の切る音が聞こえてきた。多少、リズムにばらつきがあり、そのことは俺に料理への不慣れさを感じさせた。とは言えど、そのリズムが途切れることがないことから、一応の経験はあるのだろう。

 俺はあまり山村さんの方は見ないようにそそくさとテーブルの方へと向かう。見てしまえばあれやこれと、口を出してしまいかねない。そしてそのことをおそらく山村さんが望んでいないであろうことは俺でも察せられる。

 この頃、ダイニングキッチンであるこの部屋が若干物寂しく感じるようになった。というのも、テレビ等一台で十分と息巻いていた俺であったが、山村さんと過ごしているとどうも、この部屋にもテレビがあったほうが話題にもしやすいし、何かと必要なんじゃないかと思い始めてきている。というか、話すことがなかなか見つからないというのが本音なのだが。

 と、俺がテーブルの上のを見つめながら思いに耽っていたときだった

「きゃああああああああああああああっ!」

 明らかにやばい雰囲気を感じる叫び声。何が起こったのかはわからん。それゆえに俺は咄嗟に台所へとその身を乗り出す。

「どうした!?」

「えーっと」

 何か致命的にやらかしたのかと思い色々目線を動かしてみたが、別段何かが爆発したり四散してる様子はないみたいだ。火事の元があるわけでもない。それでは一体何が原因で?

「一体、どうしたんですか」

「あの、それがね。 指をね……」

「……指?」

「えっと、指をね、切っちゃったと思って叫んじゃって、その、だから……」

 困ったような、恥ずかしがるようななんとも中途半端な表情で。その様子はさながらミスをした部下がどうにか上司に言い繕うと頑張ろうとする姿を思い起こさせる。しかし悲しいかな。その場面において上司というものは事情を分かった上で相手の話を聞いているものである。

 俺はただ、そのことに対して取り立てて大きい反応はせずに山村さんに近づく。

「てっきり、何か事故でも起きたんじゃないかと思いましたが、事故が起こってないならそれでいいですよ」

「中村くん……」

「失敗したわけじゃないんだ。 だから、気にしないで続ければいいさ」

 まな板の上に置かれていた包丁を握りしめて、俺は言葉を続ける。

「俺だってできないわけじゃないし……手伝わせてくれないかな、山村さん」

 一人でやりたい、と言った手前、俺に手伝って欲しいとは頼みにくいだろうと。だから俺からたのみこむ形にすれば山村さんもそれで譲歩してくれるだろうと期待しての言葉だが。言われた当人は、ちょっと口をもごもごさせて、「でも」だとか「だけど」だとかをブツブツと口にしていた。

「カレーは、作って煮込んで、明日になってりゃうまくなるんだ。 だから、さっさと作りましょう、ね」

「……リベンジするから」

「え?」

「絶対、カレー作りリベンジしてみせるんだから」

 この人、頑固だな。まぁ、この家に姿を見せたときから結構固いところがあったし、今更ではあるんだが。そのことを気づかされた俺は、自然に顔がにやけて仕方がなかった。

「りょうかい」

 気長に楽しみにしてるさ。幽霊のカレーをな。



 このあと二人でカレーを作ったのわけだが包丁を握るのが数カ月ぶりだったとか人参を切るのに手間取ったとか切っている間に二回指を切ったとか山村さんから絆創膏貼ってもらったとかそんなことは決してなかった。

 決してなかった。断じてなかった。いいんだよ、最終的にそこにカレーさえ出来上がってりゃなんでもいいわけで過程がどうとかそんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃないんだ。指痛いわちくしょう。

 



「あ、先輩、今日遊びに行ってもいいですか」

 同僚から、突然の来訪を告げられたのはカレー三食が三日目に突入したその日だった。そろそろカレーに飽き始めている。というか「リベンジするんだから」と言った次の日にリベンジするとか俺は聞いてなかったんだがどういうことなんだ……

「あ? なんだ、急に」

「いや、別に、なんとなくですけど。 お互い明日休みだし、それにどうせ定時で帰りますよね」

「まぁ、そうだがなぁ」

 同僚に言われた通りだが、休みの前日は必ず提示で帰っている。俺に近しい奴なら誰でも知ってることだが(手で数える程しかいないが)ビデオ視聴という俺の趣味のためにさっさと帰っている。最近は山村さんのこともあってどうにか早めに帰る努力をしてはいるが。

「酒奢りますから家に行かせてくださいよー」

「来るのはいいとしてだなぁ、どうしてまた俺の家なんだ。 この間は駅前のバーだったろうが」

 まぁそこでも女と話してたわけだが。コイツは何人の女と話してるんだろうか。

「えーと、ああ、あれっすよ。 ビデオ見たくなったんすよ。 なんか懐かしくなって」

「お前、彼女できないとか俺に言ったような気がすんだがな」

「いーじゃないすか見たくなったんですから。 たまにならなんでもOKですって」

「お前の女遊びはたまになら許されんのか?」

「そんじゃ適当に見繕ってきますんでよろしくお願いしますねー」

「聞けよ、おいてめぇ」

 呆れかえるほどのスルー能力でものの見事に去っていった。約束を取り付けられちまった。くそ。まぁ仕方がねぇ。アイツが来るのはそこまで珍しいことでもない。ただ、タイミングが気になるだけだ。出来すぎた、都合の良さが。

「まぁ、いいか……」

 それに、俺の方もある意味好都合だ。ちょっと、やってみたいことがあったからな。



「ひ、人の前に出ろって、ええええええええ!?」

 定時でまっすぐ、ビデオ屋にも寄らずに帰った俺は出迎えをしてくれた山村さんに早速打ち明けた。すなわち。

「まぁ、落ち着け。だいたい、あんたは幽霊だから見えないだろ」

「そ、それはそうだけども……だからって人の前になんて……それに、中村くんに見えてるんですもの、他の人が見えないとは限らないじゃない!」

「そう、そこですよ、問題は」

「へ?」

「山村さんは普通の幽霊みたいに墓場でぽわーっと出てくる幽霊じゃない。 ビデオから出てきた幽霊だ。 これだと、ビデオを見た人間だけ見えるのか、それとも誰にでも見えるのか、条件がわからないんだ。 そもそも、俺以外の人間の前に姿を現したことがないっていう話だけども」

「……だ、だって恥ずかしいし……それに人に姿を見せたくないというか……」

 やはり、山村さんに外に関する話をすると、いつも浮かない顔が帰ってくる。

 俺が思うに、たぶん単に恥ずかしいからというそんな理由じゃなくて、彼女自身が抱えてる事情に鍵があるのだろうと思ってはいるが……そのことを聞く勇気は今のところ俺にはない。

「そこで、なんですが。 俺の同僚が一人やってくる。 ソイツが気付くか気付かないか程度にこそこそしてもらいます」

「えー……気付かれたらどうするのよ……」

「大丈夫。 あらかじめ酒を飲ませる。 気付かれても変なのが見える程度のはずだ。 聞かれても俺がごまかす」

「結局見えたら私の今の格好が相手に分かるんでしょ? やだぁ、中村くんならいいけどどこの誰とも知らない人にこんなボロっちい格好見せられないわよぉ!」

「ええーい! それなりに酔っ払わせるから! 酔っ払わせるから!」

「酒飲みなんてみんな嫌いよぉ!」

「なぜ酒飲みを否定し始めたんだよ!?」

「どうしてお酒飲むとみんな絡んでくるのよ……お願いだから一人にしてえええええええええ!!」

「ええいとにかく落ち着いてくれぇ!?」

 その後、同僚が来る三十分前まで説得が続き、どうにか納得させることができた。どうやら、何らかのトラウマに触れてしまったようだが、まぁ今は同僚の話だ。

 同僚についてだが、それから家にやってきて、俺の部屋で数年前の映画を見ながら持ってきた缶ビールのうち数本を空けるところまで、特に言うまでもないことなので詳細は省略させてもらう。

 さて、数本も飲み始めると流石に俺の意識もちょっと混濁とし始めてきた。しかし、俺より同僚の方が酒に酔いやすいということを知っているので、問題はない。現に目の前にいる奴は、笑いどころでもない場所でアホみたいに爆笑している。

「 やっぱこれあれだよなーあれ、あれなんだよぉ。 あー……あれ! あれっすよ、あのー……なんだっけ。 そうそう、ぐわーんって感じの! そう! それっす!」

 おまけに、俺に向かって言ってるのか独り言なのか見当つかないことを言っているし、そろそろ計画を開始してもいいだろう。同僚に新しいビールを持ってくることを告げてから(最も聞いちゃいない様子だったが)山村さんを呼ぶために階段を下りる。

「山村さん、山村さん。 そろそろやろうと思うんだが……」

 下まで降りてきたものの、姿はどこにもなく。呼ぶまで隠れていろとは言っといたからそれでいいんだが、さてどこに隠れているのやら。

「本当にやるの……?」

「うおぁ!?」

 くそぅ、情けない声が出てしまった。俺が思うに幽霊がいきなり背後に現れるのは反則だと言いたい。そのことを愚痴ったところで仕方がないのはわかっているが。

「何のためにアイツを無駄に酔わせたと……とにかく、最初はドアと俺の後ろにでもいてくれ」

「わかった……」

 そういうと、元気なさげに俺の後ろを付いて回る山村さん。まぁ幽霊なのに元気がないというのも変だが。緊張でもしているのかその移動は少々ぎこちない。まぁいくらぎこちなかろうが階段の数には限りがあるから直ぐに俺の部屋の前には来るのだが。ちなみに一三段ではない。

「おい、替えの持って来たぞ」

「あ、こりゃーどーもすいませんせんぱーい」

 変わらず軽いノリだった。とはいえべろんべろんに酔ってるというわけでもなく、いわゆる気持ちよくなってる感じだろう。ここから缶ビール三本位飲ませたらたぶん潰れるだろうが。

 同僚とテーブルを囲んで新しい缶を開けたところで俺は山村さんを手振りで俺の後ろに呼び寄せた。テーブルで向かい合っている今の状態なら俺の後ろにいる山村さんは身を縮こませてさえいれば見えない。

「ん、どしたんですかー?」

「いや、なんでも、ない。 それより映画どうなった」

「あー、あれならなんか終わりました。 あの映画爆発オチだったんっすねぇ……ずいぶん昔のこととは言え覚えてないもんですね」

 俺も久しく見てない奴だったが、あんまり興味なかったので適当に相槌打って特に見てなかった。爆破オチか、通りでさっきぼがーんだったかどかーんだったか言ってたわけか。

「ふーん、そんなもんか」

「いやーやっぱどっかんどっかん派手にやってくれたほうが面白いでしょ! 先輩!」

「私としては爆発するより元通りの生活に戻りました、みたいな感じが好きなんだけど」

 おい、何さらっと会話に混ざってんだ。さっきまで乗り気じゃなかっただろ。っていうかいきなりハードルが高いにも程があることしてんじゃねぇよ!

「ま、まぁ平穏な話もいいと思うぞ俺は」

「……そーすかねぇ。 だから俺この年でも特撮とか好きなんですかねぇ」

「特撮、ってたしか、おっきくなってぼっかんぼっかん殴ってるやつかしら?」

「まぁ特撮も当時の人間にとっちゃアニメ、映画と同レベル、いやそれ以上の娯楽だったような気もするし」

 そこの幽霊さん。一部ことだけ取り上げるのはやめろ。というかおっきくなって、って一部にも程があるだろーがおい。ちくしょう突っ込めないのがここまで腹立つものだとは思わなかったぞ。

「やっぱ爆発最高っすよ。 どかんどかーんって、派手なのはいいっすよー」

「とはいえなぁ、全部が全部爆発されても困るだろーがよ」

「そうよねぇ、どうせなら爆発よりもお空からふわふわーって天使でも来てくれた方がいいわ」

 アンタの趣味は聞いてねぇよ! というか天使がふわふわ降りてくる話ってどんな話なんだよ! どっかのラストでお空に連れて行かれた少年と犬の話じゃあるまいし。 そこまで多くないだろそんな話!

 いかん、いかん。山村さんのツッコミに集中しすぎて肝心なことを考えてないじゃないか。今、この場で大事なのは同僚が山村さんを見つけてるかってことなんだが。

「だって、おもしろいじゃないですかー! どかどか爆発するとだいたいコメディっぽくなりますしー!」

 この様子だと気づいてるわけがないよな。というか会話に一人増えてるのにスルーできる奴がいるわけがない。

「あ、同僚さん、だったかしら。 お酒なくなってる……っと、はいどーぞ」

 おい、おい、なに勝手に缶開けてんだおい。ざけんなおい。つーかそれ俺の分だよ。

「あーすいませーん……っと……っかーやっぱビール最高!」

 しかもさらっと同僚受け取ってるしよぉ!? 少しはおかしいと思わないのか。というか思ってくれ。思えよ。目の前でビール缶が浮いてきたら普通突っ込むだろ。

 普段から馬鹿だ浮気性だ気の抜けた野郎だと思っていたがそこまでとは思ってなかったんだぞおい。

「……そいつは……よかったなぁ」

 もう、しらん。



 翌朝、そこにはいびきをかいて床に潰れている同僚の姿と。俺のベッドの上ですやすやとお眠りになっている山村さんの姿があった。

 おかしいな。なんか予定通りな気もするし違うような気がする。 ていうか。

「流石に同じベッドで寝るのはどうなんだ山村さん……」

 いやまぁ添い寝とか言っても相手は幽霊だし。幽体だし。透けてるし。触れないし。断じて山村さんの体をべたべた触ってなんかいません。俺からは。

 何とも言えない気だるさを脳が訴えてくるがこのまま寝てると色々駄目な気がしてくる。俺は起きる。起きるったら起きる。誰がなんと言おうと起きるからな。

「あー。 よっく寝た」

 腹筋を使い大げさな動きで上半身を起き上がらせベッドの上でスプリングさせる。反動を利用して立ち上がってそのまま洗面台へとGOだ。ここまで来れば二度寝の危機は回避したも同然だ。まずは、歯を磨く。これによってある程度の眠気を払うことができるわけだがさらに続けて洗顔だ。この水の冷たさによって俺はさらなる起床への道を。

「中村くん」

「うおあぁ!?」

「……呼びかけたなんだからそこまで驚かないでほしいんだけど」

「寝てたはずの幽霊が背後から声かけたら誰だってビビるわ! あー、目が覚めちまった」

「なら、ちょうどよかったってことでいいのよね?」

「……そーですねー」

 俺のそんなイラつきを若干込めた返しも、山村さんは相変わらず気に止めないで自分の話を続けることに夢中であり。ときどき俺は壁か何かに一人で話してるんじゃないかと思うときがある。実は今までのやりとりはみんな俺の頭の中の絵空事で、とっくの昔に俺は病気にでもなって――

「ねぇ、中村くん」

「え、あ、はい」

「私、バレてないわよね……?」

 ああうんやっぱり前言撤回。どんな病気でもこんな間抜けな幽霊作れるわけないし。どこの世界に昨日自分がやった過ちを思い出してぷるぷる震えてこっちを見る幽霊がいるんだよ。あーその眼はやめろ。やめて、やめてください。涙目とか見たくないんです俺は。

「大丈夫ですからバレてないですからバレてたら当の昔に叫ぶなり驚くなり普通してるでしょうですから泣かないでください泣かないでマジで泣くなよ!?」

「うう、ほんと? ほんとにバレてない? 見えてないのね?」

「ええい大丈夫だと俺が言ってるんだから安心しろ! 宙に浮いた缶ビール普通に受け取るくらいの馬鹿だから気づくわけないって」

「中村くん。 それってお友達に言う言葉じゃないわよね……」

「正直、俺としても友達とは思ってない」

「あ、そうなの……」

 その言葉を区切りとして。

 慌ただしい休日の一コマが、ようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。あくまでも、俺の表面上では。

「中村くん」

「だから、大丈夫ですって――」

「違うの。 そういうことじゃなくてその」

「じゃあ、一体またなんの話だ」

「あの、そのね。 私――私が言いたいのはね――ほんとは、ほんとはね私は――――」

 一瞬の凝縮とはこういうことを言うのかもしれない。

 どんなホラー映画よりも、今の場面の方が何倍も心臓が止まりそうだと。

 正直俺はそう思った。



「朝から楽しそうですねぇ――先輩」



「きゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁああああ!!?」

「うおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああ!?」

「えええええええええええええええええええええええええ!?」

 山村さんと俺はいきなりのことに腰を抜かし、倒れこんだ。山村さんに至ってはこの後に及んで洗面台の下に隠れようとしていたが。

 一方で同僚も俺たちの叫びにつられてか声を上げていた。

「そ、そんなに驚かなくてもいいじゃないですか先輩。 こっちがびっくりしたじゃないですか」

「驚いたのはこっちだアホ!! 見ろ、お前のせいで山村さんが洗面台の下に隠れて涙目でぶるぶる震えてるじゃねぇか! ただでさえ幽霊のくせにビビリの奴にそんなことしたらこうなるに決まってるだろ!」

「ううううう……」

「はぁ……なんか、すいません」

「言っておくがな俺は山村さんの声に驚いただけであってお前がいたことに関しては無関係であって叫んだことについては特にこれといったアレとかはないんであってだな」

「先輩、ビビってないなら何も言わなくていいと思うんですけども」

「ぐほぉ!」

 ちくしょう……同僚からまともなツッコミでカウンターされる日が来るとは……というか予想外にも程があるだろうが。くそう……これが映画なら脚本家は相当なへその穴の曲がった野郎だろ……

「で、先輩。 そろそろぶっちゃけてもいいですかね」

「な、なんだよ……」

 これ以上何を言うつもりだってんだよ。あれか。「毎日女の人といちゃいちゃできて羨ましいっすね」とかそんなとこだろどうせ。ああ、そうだともこんな女好きでいつも取っ替えひっかえしてるような奴だ。それ以外に言うわけがないに決まって――

「いつまで生霊と共同生活送るつもりなんですか?」

「は?」

「いや、だから、その生霊といつまで生活するつもりで……」

「いやいやいやいやいやいや!! ちょ、お前、待て、待て待て一回落ち着けというか意味がわからんというか生霊っていうかお前!?」

「先輩。 とりあえずもう一回顔洗ったほうがいいっすよ。 そのあと俺の説明聞けばいいですから」

「あ、ああ……」

 結局俺は二回ほど顔面を洗って、それから一分ほど鏡の中の俺を見つめ続けた。不自然なほど眉を歪ませて、相手を睨みつける俺はどれほど相手に不安感を与えるんだろうと思った。とりあえず、俺はこんな顔見たくない。

「そろそろ説明させてもらうんですけど、いいですよね」

 この「いいですよね」はただの前置きに過ぎず、俺の返事など聞くこともなく同僚は話し始めた。

 とてもじゃないが、山村さんの一件があっても信じがたい話であったが。

「実は俺、霊媒師なんですよね」

「霊媒師、だと……?」

「正確には口寄せすることができないのでどちらかといえば除霊師とか霊能力者とかそっちの方面なんでしょうけど。 ともかく俺はそういう方面の人間です。 実家もお寺なんですよこれでも」

 いろいろ信じがたい、というかあまりにも唐突すぎる。確かに同僚の実家の話は聞いたこともなかったしこれまで気にもしたことがなかったわけだが。

「お、お前のような毎月に一人は女を変えるような奴がれ、霊媒師だとぉ!?」

「あの、もしかしてそれって依頼人のことっすか」

「はぁん!?」

「や、適当なカフェテリアに依頼人を呼んではそこで相談を受けてたもんですんで。 先輩がいちいちこの間の女はどうしただのなんだの言ってくるんで話を合わせてたんですけどね。 だいたい、俺がそういうとこで話をしてる相手はほとんど依頼人ですよ。 男と話してるのだってたまに見てるでしょうよ」

「え、あ、あー……」

 いや、そりゃ、まぁ見てるけど。そんなの取引先か何かだと思ってたから気にもとめてないわけで。今まで疑問にも思ってなかったぞ。

「一応、俺も隠せる限りは隠す気でいたんで先輩がわからないのも無理はないとは思いますが。 今回に限っては話が別だったんですよ、その人がいるせいでね」

「ってーと、つまりだ? それって……」

「私、なのよね」

 今までだまりっぱなしだった山村さんが、ひょこっと洗面台の下から頭を飛び出させた。その眼は今まで話の主導権を握っていた同僚にではなく、むしろ俺に向けられていて。

「あのね、中村くん。 さっき言えなかったんだけど……」

「な、なんなんですか」

「私、私はね――」

 彼女がその次の言葉を出すのに大体三十秒くらい口をもごもごさせるという準備期間が必要だった。そして、そんな時間を要してまで彼女が言いたかったことというのは。

「――ないの」

「え?」

「私!! 貞子じゃないの!!」

「はい?」

「だから、私! 貞子じゃなくて全然関係ないただの幽霊でしかなくて……!」

 まさか山村さん、あんた、今まで気にしていた大事なことって。

「今まで、言いたかった大事なことって、まさか、それか?」

「そう! だって、初めて会った時から中村くん勘違いしてるみたいだったし早く誤解を解こうと私」

「初めから知ってるわこの大馬鹿幽霊がああああああああああああああ!!!」

「うひひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!??」


 腰砕け。肩透かし。

 俺の休日は物の見事に全身粉砕疲労骨折する羽目になった。

 あととりあえず同僚は殴っておいた。




 俺は今、市内の医療施設にいる。同僚と、山村さんとの三人で。

 目の前には面会謝絶の札が貼られた一つの病室。同僚はその扉を気負いもせずにガラッと開けると俺を中へと促した。中にはたった一つのベッドがあって、そこには一人の女性が横たわっていた。

 それは、俺の隣にいる女性とほぼ変わりがない瓜二つの顔だった。

「本当に、この人が……」

「そう、間違いなく、その人ですよ、先輩」

 そう、このベッドで眠っているこの人こそ。山村さんその人なのだ。 

 同僚から聞いた話をまとめよう。

 同僚は山村さんの両親から依頼を受けたのだという。曰く、二年前に交通事故にあって植物状態となった娘の意識を取り戻して欲しいと。もちろん通常ならそんな頼みなぞ滑稽でありまともな考えを持ってればありえない話だ。腕のいい医者に頼むのが普通だ。だがそこはプロ(らしい)として、まずは相手の状態を見てからその依頼を受けるか決めたのだそうだ。まぁ、九割九分断る気だったらしいが。

 結論から言えば、山村さんは生霊だ。

 同僚によれば、事故や病気によって幽体離脱を果たした魂が自分は死んだと勘違いしたまま彷徨うことが稀にあるそうだ。多くはそのまま元の肉体が亡くなり浮遊霊になるというのが一般的なのだという。

 だが、山村さんは違った。そもそも事の始まりは交通事故だったが、奇跡的に肉体面で言えば軽い症状で済んでいたのだ。頭を軽く打ち付ける程度で、それ以外はほぼかすり傷。だが、それを本人は死んだと思い込んだ。いかに肉体が軽傷であっても、魂がないことで目覚めることができないでいたのだ。

 この辺の話を聞いているときの山村さんは本当に驚いていた。口は開きっぱなしで目は皿以上に丸く大きく広がって白目になっててぶっちゃけ怖いからやめて。

 ふと、隣にいる山村さんを覗いてみた。

 涙を流していた。大粒の涙を、これでもかと。

「私、もう行くところなんてどこにもないんだって、あのビデオにとり憑く前に、そう思ってた。 けど、これ、夢じゃないのよね? ほんとのほんとに、私、生きてるのね?」

「ああ、夢じゃない。 幻でもない。 山村さんは間違いなくそこに生きてるよ」

「あう……中村くん、わた、し……涙、とまんない、よぉ……」

 俺は、背中でも使えばいいと言おうと思い口を開こうとした。まさにそのときに、山村さんの頭が背中に触れるのが伝わった。

 ただ何も言わずに、時間が過ぎるのを待つことにした。どうやらそれは同僚も同じようだった。ニヤリと笑っているのが若干腹が立つが、今ばかりは山村さんに免じて許してやろうと思った。

 しばらくして山村さんが俺の背中から離れた。

「ありがとう中村くん……本当にありがとう」

「いや、俺は大したことはしてないというか、なんというか」

「あの、ね。 め、閉じてて」

「目をですか、はぁ」

 まぶたを閉じる。当然視界は閉ざされ何も見えなくなる。

 というか、女性から目を閉じろって言うとこれはまさかあれなのではなかろうか。

 いやまさかっていうかそもそも隣には同僚がいるわけで流石に人の前でそんなことはどうなのだろうかっていうかちょっとまってくれ心の準備っていうのが。

「先輩、もういいみたいですよ」

「あぁ?」

 言われるがまま目を開けてみると、そこに山村さんの姿はどこにもなかった。

「おい山村さんは……」

「体の中に戻りましたよ。 たぶん恥ずかしかったんでしょうね」

「はぁ? 別に見ても特に何が起こるわけでもあるまいしそんなことしなくても……」

「先輩」

 肩に手を置かれて、

「だから彼女いないんですよ」

 腹立つ言葉を投げかけられた。

「お前に言われる筋合いはねぇ!」

「まぁでも、安心しましたよ俺も。 これで先輩にも春が来ると思うと」

「お前は何を言ってるんだ……」

「別に、ただ事実を述べたまでですよ」

「お前のは事実じゃなくて妄想だ!」

 そんなふざけた会話をしていた時だった。ベッドからもぞもぞと音が聞こえた。 

「や、山村、さん、だよな?」

 なんでそんな聞き方をしたのか、自分でもよくわからなかった。ベッドの上にいる彼女が、本当にあの山村さんと同じなのか迷ったから。

 点滴によって栄養を与えられていると言っても目の前の人間は二年間動いていないのだから。

「そぅ――」

 声を出すのも二年ぶり。当然その声はたどたどしかった。

 でも。

 一筋の涙と笑顔はとても自然なものだと、俺はそう感じた。



「先輩、寝ちゃったからって帰って良かったんですか?」

「いいんだよ。 大体お前、目が覚めたからってどうするんだよ」

「どうするって……はぁ」

 またため息をつかれた。なんだって言うんだよちくしょう。

「今回のこと、明日、俺の方から彼女の両親に話そうと思ってるんですけど、先輩のことも一応話しますけどいいですよね」

「ああ、適当な協力者とでもしておいてくれ」

 とにかく、今は家に帰りたかった。

 憑き物が落ちたように、と聞くことがあるが、言葉通りになるとは思わなかった。俺の顔は、むしろ沈んでいる気がするがな。

「それじゃ、先輩。 また明日会社で。 わかってると思いますが俺のことは他言無用でお願いします」

「わかってる。 それじゃあな」


 それからの一週間を俺はよく覚えていない。

 俺は生気のない顔をしながら淡々と業務をこなすだけの何の面白みもない七日を。




「中村くん、この間のカレールーってどこやったんだったかしら?」

「おい待てやあんたああああああああああああああああああああ!!」

「うひゃあ!? な、ななななに中村くん、いきなり叫ばないでよ」

「叫ばずにいられるか! 明らかにお別れの雰囲気だったろうが!」

「中村くんが何を言ってるかよくわからないんだけど……」

「だ、大体、体の中に戻ったんだろ! それがなんでまたここにいるんだよ!?」

「だって、よくよく考えたらリハビリの間って私は退屈になるわけじゃない。 それだったら空いてる時間は中村くんの家で過ごそうかな、って」

「理由じゃねぇよ!? 俺が聞いてるのは手段だよ!」

「手段もなにも、また幽体離脱したに決まってるでしょ?」

「決まってるでしょ、じゃねぇよ! そんな簡単に幽体離脱できるわけが……」

「そんなこと言われても、やってみたらできたんだからそれでいいじゃない」

「良いわけあるかああああああああああああ!!」



 過ごせなかった。




 山村さんがリハビリを開始してひと月が経った。

 ようやく施設内をうろつくことができるようになったが、まだまだ外を出歩くのは難しいらしい。あくまでも、肉体面の上でだが。

「中村くん、リングごっこしない?」

「山村さんが一人でやるならいいですよ」

「それじゃ意味ないじゃない!?」

「そもそもリングごっこに何の意味があるんですか……」

「それは、暇つぶしよ」

「山村さんの暇つぶしで俺の休日潰さないでください」

「えー、だって暇だもんー」

「新作のビデオ借りてきましたから、それでも見てくださいよ」

「一緒に見てくれる?」

「……ポテチ持っていくから先に行っててくれ」

「はぁい」

 なんというか、より俺に絡んでくるようになった。

 まぁ別に、絡んでくれるのはいいんだが、以前より方向性が違うというかなんというか。俺のそばにいることが多い気がする。

 流石にビデオを見ているときはそっちに集中してるからそんなこともないけども。なんというか接触回数が多いと精神の安定に危機が迫るっていうかだな。

「ねぇ中村くん」

「なんですか」

「このままここに住んでもいいかしら」

 食ってたポテチが喉に張り付いた。おい待てそこの元生霊、いや、幽体離脱って生霊のことだったか。

「だって、いちいち幽体離脱してここまで来るの面倒なんだもの。 それだったらここに住んじゃえばいいかなーって」

「あんたリハビリ中だろうが!」

「じゃあリハビリが終わったらいいの?」

「ぐ……と、というか俺の家に住むってなんでまた……」

「――に、決まってるじゃない……」

「な、何が決まってるって?」

 そのときの、彼女の赤らめた横顔は。


 今でも心に焼きついて離れない。



 ――す、好きだからに決まってるじゃない!! 中村くんのばかぁ!!




       


                      完









「ところで中村くん」

「なんですか」

「中村くんが最近行ってるっていう喫茶店行ってみたんだけど、あそことっくの昔に潰れてたんだけど……」

「えっ」

「なんでも、そこのマスターが店先の交差点で交通事故にあったらしくて……」

「えっ、いや、でも俺確かにあそこで……っていうか同僚も飲んでたはずだし」

「それで同僚さんに私聞いてみたんだけど、そしたら……"え、先輩まだ気づいてなかったんですか? あそこ典型的な幽霊喫茶ですよ"……って」

「なにそれこわい」


「ところで山村さん」

「なぁに?」

「……山村さんの名前って結局何なんだ?」

「えっ、いや、それは、山村さんでいいでしょ?」

「苗字は確かに山村だった、とはいえ下の名前が貞子なわけないしなぁ、と思って、気になるんだが」

「……言わないとだめ?」

「ダメ」

「ううう、中村くんがいじめる……」

「ほらほら、早く早く」

「……笑わない?」

「なんで人の名前で笑うんですか。 はい、どうぞ」

「……さちこ」

「えっ」

「山村幸子……」

「……サッちゃん?」

「だから言いたくなかったのー! みんな名前言うとさっちゃんさっちゃんって、音楽の時間が時にひどかったんだもん! 中村くんまで言うなんてもう一生名前言わないもん許さないもん!! うわああああああああああん!!」

「……でも、なんか奇妙だな」

「うっく、ひく、何が?」

「作詞者と名前がかぶってるなぁと思って。 俺の名前、寛雄だから」

「……ほんと?」

「ええ。 まぁだからなんだって感じですけど」

「……やっぱり許してあげる」

「はぁ、なんかわかりませんけど、ありがとうございます」



「ところで、中村くんのこと寛雄くんって呼んでも」

「じゃあサッちゃんって呼んでも」

「やめてぇええええええええええええええええ!!」






本当に終わり

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