テル・ミー・ホワイ・ディド・ユー・セイ
「里美、お疲れ様。俺…言いにくいけど…あの時、ゴメン。」
「あの時って?」
「卒業式の時…。俺も考え直してみたんだ。俺が小っさいせいで面倒な事にしちまって…もう一度、今なら、里美と旨い事やれるかもしれないって。今日のライブ見て思ったよ…。」
「やだ…嘘。勇太、そんな事言われたら私…私だって卒業式からずっと……あ、ダメだって……ぁ、むふぅっっ」
勇太は里美の両肩を抱き、息を止め軽く唇を重ね合わせた。
「…ぷはぁ。…んもぅ………勇太のエッチ。」
「あ…、ゴメン。ガッついちゃって…ホントにごめん…。」
「………ううん。気にしてない。ったくもう。こうなるんだったら卒業式にあんなこと言うなよ…。」
里美は額を勇太の胸元に預け、しな垂れた。
「里美、ごめん…。」
「勇太、さっきから謝ってばっかじゃん。もういいの。昔の事なんてもういい。なんか私やっぱり、勇太とこうなるのを望んでたみたい。…嬉しい。」
「ほんと!?」
「うん…。ヤダ、恥ずかしいって、あんま顔見ないで。勇太…。」
「んじゃさ、今すぐ俺と結婚して、かーちゃんと一緒に暮らしてくれる?」
「は?へ?か、かーちゃん???」
「里美、アタシ三十代でオバーちゃんなんて嫌だから子作りは勘弁してよね。」
「んぁあ!!!円代ちゃん!!!何でこんなところに!!!」
「今日からお義母さんって呼んでいいよ~ん♪ さ・と・う・さ・と・み・さん♪」
「うあぁぁぁぁぁぁ!元ヤン小姑にファミリーハラスメントされるー!!!たすけてー!!!『ど~なってるの?』で菊ちゃんにハガキ読まれるのだけは嫌ぁぁぁぁ!!!!……
…ふ…ふがっ」
里美が暴れながら目を覚ましたのは国道十六号沿いのサイゼリヤであった。
「あー!みんなー!!!やっと里美が目ぇ覚ましたー!!!」アニーが大声を上げる。
「んあー…あにぃ…アニー?!なんであんたまでこんなところに?」
「何を寝惚けてんのよ里美!打ち上げでみんな居るよホラ!里美、メロンさんのハイエースで爆睡してたじゃん!」
kiss me babyのメンバーはもちろん、ハッピーちゃん、メロンちゃん、理沙子をはじめとした里美のクラスメイト達が居た。
「え……?状況が把握しきれない……ここどこ?アイツは…?あ!元ヤン小姑っ!!!」
「はァ?何よいきなり!まさか某元カレとチューした夢でも見てたー?頼むからアタシの息子弄ばないでくれる?アンタの姑なんてゴメンだね!ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」円代がビールを片手に下品な笑い声を立てた。
うわぁ…どうやら、勇太が円代の息子だったという事までが現実だったようだぜ…なんてこったいトホホ。それがいちばん夢であってほしかったのに…という里美の心中だけは察するに余りある。
これまで夢を見ていたという事より、その欲求不満痴女の様な内容の夢で、里美は酷くダウナーになっていた。せっかく良かったライブの雰囲気もアイツのせいでぶち壊しじゃねぇか…と、怒りをあらわにし、ドリンクバーの麦茶をドンドンおかわりしていく。
「あら、子猫ちゃん!あの時と同じ麦茶ね~!アンタ日本一麦茶が似合うわぁ~!なんてね。お疲れ様!かっこよかったわよ!」
「…あ、福の神さん…ありがとう。今日色々と手伝ってもらっちゃって…福の神さんも、ヒゲダンスのパフォーマンス最高でしたって!!!」
「メロンも褒めてたわよ!アナタにオチンチンついてたらナインスパイクにスカウトしたいくらいだわって!ん~ぃやぁだぁ~んもうぉ~っ!今からでも遅くないわ!誰かのもらって付けてみる?」
「あは…あはは……申し訳ないっすけど、物々交換は全力でお断りします…。でも、福の神さん…。私、女に生まれてきた事を時々イヤになっちゃう時があって。」
「あら。そんな事思っちゃうなんて勿体無いわね。私なんて女にもなれないし若さだって無いのよ?」
「私は色々と言葉では突っぱねた事言っちゃうけど、全部ハリボテなんです。結局勢いに流されやすいし、優しさにだって弱いもの。」
「里美ちゃん、だったね。私の娘も君と同じくらいの年齢で、同じような事を悩んでいるんだ…」
周囲はガヤガヤとした笑い声や話で包まれていたが、里美にはハッキリと聞こえる音量で、ハッピーちゃんこと幸男は急に声色を男にシフトチェンジして語りはじめた。
「人間というのは、世の中の役に立つ事ばかりを悩める様には出来ていないんだよ。恋愛だ、夢だ、友達だ、志だ、学校の授業に組み込まれていない事ばかりこそが若さの砦なんだ。つまらない大人が覚えるのは無い物ねだりの回顧主義ばかりだ。いつだって世の中の役に立たない事をしなければ、いつの日か君は何かを達成出来なかった理由を自分以外の何かに擦り付けるようになる。」
「あ…。」
「私の今の姿は、世の中からしてみれば居ても居なくても変わらない、つまはじきの種族だろう。しかし自分の役に立つ事を続けていれば、不思議な事に今日みたいな再会や、観客の笑顔にふと出会えるものだよ。結果オーライだ。だから君も、今のうち意味の無い悩み事でたくさんの時間を費やすんだな。結果は今日のライブでひとつ知っただろ?」
「福の神さん…。お父さんの顔になってますね。娘さん、かわいいですか?」
「あぁ。生意気だが、時々家内とナインスパイクに来てくれるんだ。理解のある娘で感謝しているよ。」
「そのうち彼氏とか連れてきますよ。きっと。」
「あぁ。彼女の父親がオカマじゃ彼氏もバツが悪過ぎるな。あはは。」
「あ…円代ちゃんがまた酔っ払ってメロンさんにヘッドロックかけてる…いくらなんでも円代ちゃん、役立たな過ぎっ…!」
「どうするんだい?あの円代さんとやらの息子さんとは?」
「へへ。色々フラフラしながらでも、自分の中ではもう答え決まってるんすよ。福の神さん。私は、いっつも一人じゃ決められないのよ。」
「そうか。君が出した答えならきっと、間違いは無さそうだな。」
「今、ササっと抜け出して電話してきます。あと、それから福の神さん…」
「なんだい?」
「すっかり幸男さんから戻るタイミング失ってますよ…?私が帰ってくる頃には、文字通り、ハッピーでちゃんで迎えてね!」
「あはっ…もちろんよ!シーッ!今の内に行って来なさい!コムスメちゃん…!」
里美はトイレに行くふりをしてサイゼリヤの裏廊下に移動し、勇太の携帯に電話した。
「あ…もしもし。私。」
「もしもし…あ…。お疲れ。」
「帰っちゃってた?掃除してくれてさんきゅ。」
「俺がそこ居てもおかしいだろ。かーちゃんいるし、気まずいから。」
「そーだよね。…今日はかーちゃん見に来てたってわけだ?」
「何が言いてーんだよ。」
「いや、どんな理由でも見てくれただけでいいや。嬉しかったよ。ありがとう。」
「いや…あらたまって言われてもどうもとしか…ま、いいや。どういたしまして。」
「いきなりだけど、勇太に一応言っておきたい事があるの。真剣に聞いて。」
「おう。ほんとにお前はいつもいきなりだな…。んで、なに?」
里美は、心臓に右手をあて深呼吸をする。今度こそ現実。夢ではない。
「私…、まだ勇太の事が好き。大好き。」
「………………あ、あぁ。」
「でもね、」
「………ん?」
「私、どんな事があっても絶対に、勇太とやり直して付き合ったりはしないから。…グスッ。」
「………。」
「勇太に振られた原因も理由もどうだっていい。私は今でも好き。その理由もどうだっていい。でも、このまま勇太にとらわれてばっかじゃダメだと思ったんだ。ごめん。こんな言い方して。ごめん…グスッ。」
「いや…俺の方だって…」
「正直くやしいけど、絶対にヨリなんて戻さないから!アンタよりすげぇ好きな事や大事な事、山ほど見つけなきゃいけない旅で私は忙しいの!だから…ひぃっく、だからぁ……。」
「里美…ごめ……」
「本当にごんな奴に…やざじぐしで…くれで…うぅ…あでぃがどう……うう…グスッ……うう……」
「………里美……。」
最後に、里美は勇太の言葉を遮る様にハッキリとした言葉で言い放った。
「…勇太も広い大海に船出して、世界の大きさを知るべきって事だよ。」
「………さと…み…。」
かつて勇太が里美との別れ際に言った言葉を、里美はそのまま勇太に言ってのけた。
「…グスッ。…あーあ。やっと言えた。なんかすっきりした!あ、あまり遅くならない内に円代ちゃんタクシーブッこんで帰すから。ほいじゃーね。チャオー。うんこー。」
里美は一方的に電話を切った。
泣いた事がばれない様に、目を手で仰ぎ、「疲れちゃうし眠いしでアクビ止まらないわ、あー大変」的な空気をムンムンに作る作戦で席に戻ろうとした。
ところが裏廊下を戻り、エントランスの席に向かうと、廊下の角で全員が集まり、聞き耳を立てていた。
「は…?あんたら全員でなにやってんの…?」
「あーっ!いやいや!注文したシナモンフォッカチオがいつまでたってもこないから、皆で厨房にクレーム言いに来たのよ!」
「は?なにそれ?なんで皆でクレームすんのよ…?そもそも厨房逆方向だし…。さてはみんな…盗み聞きしてたの…?まじうんこなんだけど……。あ、ごめん。言い過ぎた。訂正するわ。うんこ以下だった。ちーん。」
「最初はアニーが行こうって言い出したんだからね!」鎌田が責任をアニーに押し付けた。
「あー!鎌田ずっりー!ゾロゾロ付いて来たのはみんな一緒じゃん!理沙子ちゃんなんてノリノリだったよ!」アニーも思わず理沙子にまで火の粉を飛ばした。
「あ…、ごめん里美…。クラスであんだけ男キライキライ言ってたから珍しくてさ…。」ごもっともである。理沙子に座布団二枚。
「もう!いい加減にしてよ!みんなどうせ最後まで聞いてたんでしょ?だったら包み隠さず結果はその通り!…ねぇ、円代ちゃん。」
「…何よ。里美。」
「円代ちゃんの息子、幸せに出来なかった。本当にごめんなさい。」
「なにそれ。謝られる意味がわかんないよ…いい?よく聞いて。あんたと親戚になるつもりなんかハゲの毛ほども持ち合わせちゃいないよ!あまり勇太をナメないでくれる?アタシの子供だぜ?半端な育て方なんてしてねーから余計な心配すんなよ。ダメ彼女。サゲマン。バカガキおんな。うん子。」
「ちょっと、円代ちゃん言い過ぎっ…!」アニーが止めに入る。酔っているのか定かではないが、円代は里美に絡んでいった。
「でもね、その代わり出来の悪いカワイイ息子を傷付けてくれた罪は重いわ。約束して欲しい事がある。」
「なに…?円代ちゃん…?」
「そんなクソ生意気女のおかげで最高に楽しかったんだよ…私はアンタが好きだから、親戚には向いてない。私…いや、私達とずっと友達よ。マブ。里美大好きだよ。さ、主役の交えて飲み直そうか!!!」
「円代ちゃん…。グスッ…」
「アンタ、本当に泣き過ぎ。どこまでもひたすら『りぼん』だな。その部分はいつまでたってもヤダ。ったく女々しい!…大丈夫。里美。今夜くらい私達一緒に居るから…。ね。さ、みんな戻ろ!」
宴会部長円代は手を叩きながら皆を席に戻し、打ち上げのリセットを始めた。
「よっしゃー!!!ゼリヤの店員!デキャンタ、ビール、麦茶、なんでもジャンジャン持ってこいやオラー!!!!!……あ、すいませーん。さっき頼んだシナモンフォッカチオ、フォッカチオ抜きでお願いしまーす。」
「…円代ちゃん、それただのシナモンじゃん。…ひっく。」
里美は涙を我慢し過ぎて、剥きたての甘栗くらいしわくちゃな顔をしていた。
福の神、幸男は里美との約束通りハッピーちゃんとして切り替え、遠くで里美にウィンクをしている。
悩むべき世の中の役に立つ事柄など、一体誰が決めて、そして理解し、実行できるものなのだろう。里美どころかまだ誰一人として判別が出来ないままであったが、ただひとつ、涙と仲間によってめちゃくちゃになっている今夜の喧騒こそが、長い旅の理由であったのかもしれない。
里美は、これからの長い人生、この旅の記憶が甦る麦茶の味が、いつまでもほろ苦く残る事となった。