オールシーズ・オールライト
「アンタの言う事は正しいけど、俺は俺なりの考えがあるのさ」
「サレンダー」を選曲したのはシンディであった。
シンディはこのステージを降りた瞬間から、最低半年は鎌田利明の将来を見据えた戦争に身を預ける事となってしまう。その刹那も十二分に承知していたつもりだったが、開演前に里美が放った言葉に決心は揺らぐ。
「男は度胸。女は愛嬌。オカマは両方持ってるんでしょ?アタシ達女だけでは見えない景色、今日くらいは見たいんだよシンディ!よろしく!」
そういえば里美と出会ったのはこの演奏している学食だった。その時とはまるで別人の様な背中をしている。なぜ、こんなにも落ち着きの無い十六歳の女子供に信用を寄せる様になったのであろうか。
答えは明確だった。
お互いの全てを疑い、お互いの全てを否定しなかったのである。
懐疑的になろうとも、里美とシンディはお互いのスタンスを認め合う仲になっていた。
「アンタの言う事は正しいけど、俺は俺なりの考えがあるのさ」
サレンダーのサビが皆で大合唱となって返って来る。もしかしたら、学食に集まって来ている生徒達は皆kiss me babyに自らを投影していたのかもしれない。
アニーも我を忘れ、時折エアギターから両手を離し、手拍子をしている。
俺も、私も、何かやってみたい。このままじゃいられない。言葉では陳腐になってしまう共通した蒼い衝動で学食の床はぬかるんでいた。
エンディングで曲が終わり切らない内に、里美は深々と頭を下げた。シンディが里美の肩を抱き、右手を掴んで掲げた。
ふと里美が顔を上げると、後方で満面の笑みを浮かべ、拍手をしている勇太の姿が見えた。
その時まで丈夫だったシャボン玉が地面に落ちて弾けてしまう感覚に襲われ、里美はその場にへたり込んでしまった。今まで支えてきたリフレインの大洪水が里美の全てを飲み込んでいく。
「今までずっと我慢してきたけど、もうダメだ。やっとわかったよ…。」
里美は勇太を驚かせてやりたいと一泡吹かせるつもりもあったのだが、喜びに満ち溢れほころぶその顔こそが、私の気付かない目標だったのだと確信した。
曲が終わり、気付いたら里美は肉声で叫んでいた。
「ありがとう!…みんな、ありがとう!!!ほんとうに…一時はどうなることかと思ったけど…無事にエアライブが出来て、鷹瀬先生をはじめ、案内してくれた理沙子達、セキュリティしてくれたバカボンさん達、ハッピーちゃん、メロンちゃん、kiss me babyのメンバー、そして何より集まってきてくれたみんな、本当にどうもありがと…うっ…うう……」
里美はグズグズに泣き崩れていた。
後方で理沙子はBPM=60のテンポで手拍子を煽った。その御囃子は瞬く間に津波となり、学食全体からのアンコールをkiss me babyは全身で感じ取った。
「ホラね。事前準備で曲用意しといて良かったろ?」円代がそれ見た事か、といった表情でアニーと意思疎通を交わす。アニーはアンコール準備でエアチューニングを再度繰り返した。
泣きはらした顔で懸命に涙をこらえる里美は、凛とした姿勢でマイクを持った。
「うーんと…私はココに入学してくる前、中学の卒業式で同い年のクソガキ男にこう言われた挙句フラれました…。『大海に出て世界を知れ』と…。めちゃくちゃ悔しかったし、アタシは必ずそいつを見返して、目ン玉引っこ抜けるくらい驚かしてやりたいと思いました…。」
いきなり言い放った里美のMCに、オーディエンスは面食らった表情で聞き入った。
「…でも大海の入り口は想像以上に広く、逆に驚かされるばっかりでした。そしてこの学食という大海の入り口でこうやってエアライブやれて、みんなの反応や偶然来てたソイツの笑顔を見て、なんかこう…うまく言えないけど……これこそが世界っていうのかなと…。いけ好かない奴が別れ際に吐いた世界っつーものを…私はこれからもっと知りたいと素直に思いました!」
一斉に拍手が巻き起こった。「誰ー?元カレ何処に居るのー?」という野次を笑って無視し、里美は畳み掛ける。
「今ならソイツに胸張って言えるよ。『お前こそ大海に出た方がいいんじゃね?』って。…なんてね。感謝してるよ。ありがとう。本当にソイツ含め、今ココに居るみんなまとめて愛してるよ!アンコールどうもありがとう!!最後の最後!もう一曲やります!みんな!家帰るまでが橙祭だぜ!!!ウィーアーキスミーベイベー!!!ありがとうううう!!!!!」
沸き起こる大歓声。理沙子は里美のMCに感化され、顔を抑え涙を流していた。
カモン円代!と里美は曲の入りを煽った。
流れてきたイントロは、里美が数日前に皆を驚かせた曲、斉藤和義の「歩いて帰ろう」であった。
数ヶ月前まで、復讐の念を持ち続けながら校門をくぐっていた里美は、思いもかけない形でその復讐を達成する事となる。