ドゥー・イット・アワーセルヴス
「ネクスッ…」
里美はマイクをスタンドに差込むと同時に呟いた。
間髪入れず、円代が頭打ちのリズムを叩き、今度は低めのポジションでアニーがリードのメロを弾き始めた。
Hi-STANDARD「STAY GOLD」のイントロが流れた瞬間、ピカチュウの着ぐるみを着た女子生徒が前方へダイブした。学食のボルテージは一気に沸点に達し、モッシュの洪水が起こる。
当時、全国の高校生をユニティーでひとつにさせたモンスターアンセム。関東平野のヘソに位置するここ西部橙高校も、決して例外ではなかった。
普通の奴も、バンドやってる奴も、サッカー部の奴も、帰宅部のヤンキーも、音楽の先生も、童貞ヤリチンサゲマンビッチ誰かれ構わず「Hi-STANDARDが好き」という会話が起これば、その中に世界が一つになるきっかけがあった。
Hi-STANDARDのアルバムを持っている奴は必ず「次、私にも貸して」とそのCDをクラスの三分の一くらいの奴らにドンドンたらい回しにされ、誰に貸してるか行方不明になりつつも最終的には盤面傷だらけ、音飛びしまくりのジャンク品として返ってきたりしていた…ってそれ、俺の実話だって。
まぁ、大体の奴は「俺が借りた時はもう傷付いてたよ」なんてぶっこいてたっけ。そんな風に犠牲になったCDは結構あったりするんだよなコレが…と、ハイスタ聴く度に思い出す!わけない。
里美は思いっきりハンドマイクでパフォーマンスしていた。
「そもそもハイスタって三人でしょ…?しかもベースボーカルだし…???」と、後方で腕を組んで見ていた偏差値六十の進学クラスにいた評論メガネ野郎(簡潔にまとめて言うとクソリスナー)は、見てそう感じた様である。
こういう奴らによって、当時四人でスリーピースのバンドをコピーしたりするバンドは「卑怯者」と罵られていた。んじゃX JAPANをスリーピースでコピーしたら英雄かよ、ってな話である。突っ込むところはそりゃあるが、笑い話で済ませりゃいいじゃんよーこのくらい。
相次ぐダイブに鷹瀬はヒヤヒヤしながらも、倒れた女子を引き起こす男子、セキュリティとしてテキパキとダイバーを処理していくバカボン達。激しさを増す学食内だったが、そこにはDo it yourselfならぬDo it ourselvesが生まれていた。これこそが朝野の言った「誰かにやらされる祭り」ではない、「自分達で楽しむ祭り」を象徴していた。
十六小節のギターソロ後ブレイクタイムで、アニーとシンディはジャンプを決め、里美はステージ上からパンツ丸出しでダイブした。「おれたち、こんな事を望んでたんじゃねぇ」という虐げられた高校生活の共通したフラストレーションが学食内で宇宙となり、もみくちゃになる里美とオーディエンス。
最後の大サビでは皆で拳を突き上げシンガロングし、里美は曲の終わりと同時に汗まみれのままフロアに転げ落ちた。
「ありがとう!サンクス!みんなケガすんなよー!」里美はフロアでMCをする。拍手喝采のオーディエンス。皆、楽しそうに笑っている。
宇宙の恍惚を感じながら、里美は死にもの狂いでリフレインと戦っていた。
「まだまだよ!まだまだ楽しい事は終わらないよ!幸せが欲しい?エンジョイが欲しい?そんなアナタ達にピッタシの楽しい事用意してきました!ハッピーエンジェル!福の神!カモーーーーンッ!!!」
三曲目はテディ・ペンダーグラスの「DO ME」。
誰?その曲?と一瞬思うだろうが、学食内でそのメロディーを耳にし、その旋律に聞き覚えが無い者はひとりとて存在しなかった。
里美のいるフロアは丸いドーナツ状となり、里美が指したステージ上には付け髭をあしらったハッピーちゃんとメロンちゃんが「例のダンス」を踊りながら登場した。
そう。「DO ME」は「ヒゲダンス」のバックで流れているソウル・ミュージックの原曲である。
「レディースアンドジェントルメーン!ウィーアー!キスミーベイベー!ア~ンド!ハッピー!メローン!フロムナインスパーイク!!!」
里美は舞台袖に戻り、シンディからエアベースを受け取る。そしてシンディがヴォーカルにパートチェンジ。ガイコツマイクを包み込むような持ち方でシンディは歌い始めた。
アニーはソウル・ミュージックのカッティングもお手の物、とばかりに肩をすぼめながら小気味良くリードを弾く。
ハッピーちゃんが踊りながら剣を取り出し、メロンちゃんは剣に狙いを定めてグレープフルーツを投げる。ティーンには馴染みが薄いパフォーマンスだったが、そのコミカルな風体もあり「もっとやれー」の声がチラホラあがっていた。
メロンちゃんがおもむろに舞台から降り、フロアに居る女子生徒にグレープフルーツを手渡した。女子生徒はハッピーちゃんの剣めがけ、笑いながらアンダースローでグレープフルーツを投げる。投げられた瞬間、ハッピーちゃんは口でキャッチした。この手のショーテクはナインスパイクで培ったものもあってか、まさに本領発揮。フロアから大きな拍手が起きると同時に、相乗効果でエアバンドの演奏熱もどんどん上がっていった。
落語で言う「枕」、クッションの役割を果たしていたこのパフォーマンスは、緊張と緩和のパターンを旨く突き、フロアの心を操作する事に成功していた。
それは、ステージでもフロアでもない、管理責任者である鷹瀬もこのパフォーマンスにはぐいぐいと引き込まれていた。
「そういえば、親に全員集合連れてってもらえてないの、クラスで俺だけだったなぁ…」
鷹瀬が小三の時、土曜夜八時に一筋の光明を求めていた郷愁。その感情を許してくれるようなkiss me babyのパフォーマンスに鷹瀬は感情移入していた。
皆と同じものを共有出来ないという迫害感。共通の情報を知るか知らないかによって生まれる免罪符。鷹瀬は当時の「学級」という強制的に仕切られた世界で味わった苦しみを、長い年月を経た現在の西部橙高校で浄化された様な気がしていた。
「あの時、こいつらが近くにいてくれていたら俺の学生生活はどんな風になっていただろう」
フロアで巻き起こる笑顔の応酬に直面し、鷹瀬はリフレインに敗北を喫していた。
鷹瀬が我に返った時は、ハッピーちゃんが水の入ったバケツを思いっきり振り回していた。
「DO ME」というショーの終わりに相応しく、フェードアウトで終わる楽曲。エアバンドの演奏する音も合わせて小さくなる。シンディが感謝の意を込め、フロアに投げキッスをした。
「サンクス!シンディ!ハッピー!メロン!三人にもう一度大きな拍手を!クラプハン!!!」
里美の煽りにフロアからは冗談交じりの歓声が上がる。
「矢継ぎ早に演奏したけど…みんな、ありがとう。私達、kiss me babyっていいます。ほんとうに、ありがとう。最後にチャっとやって終わります。」
円代が叩き出す十六分のエアスネアフィルから入る楽曲。
スピーカーから流れ出した曲は、チープ・トリックの「サレンダー」であった。
半年余りの夢でも見ていたかのような感覚に陥る。
外の大雨と対照的な橙祭の裏フィナーレが学食で幕を閉じようとしていた。