エアプレイ・イット・ラウド
学食のカーテンは締め切られ、普段から天井に付いているオレンジ色の暖灯は照明代わりとなり、フロアを静かに染めていた。
未だに何が起こるのか見当も付かず、流れるままに学食に行き着いた生徒は事件の始まりを待っているかの様であった。
「よし…。時間だ。」
鷹瀬が頃合を見計らい、開演の合図を出す。ステージ下の前方に並ぶバカボン達数名。後方に陣取った理沙子達。万一の事態に備えてのセキュリティも万全だ。
「SE…っ!」
メロンがエア楽屋から手を上げてPAに指示を出した。大音量でアル・クーパーの「Jolie」が流れ始めた。
まばらな拍手の中、円代とアニーがステージ上に昇り立つ。
円代はエアドラムセットの前に座り、上着のパーカーを脱いだ。「¥E$」と描かれたTシャツで胸元はパツパツになっている。
アニーはふてぶてしく客席に背を向け、エアタバコを吸う仕草をしながら、エアギターのエアチューニングを念入りに行う。
そして鎌田ことシンディが現れ、妖艶なSEに合わせステージ上を一周しながらエアベースを肩に掛け、エアアンプの前でエア出音を確かめる。パフォーマンスでエアジャックが抜けない様に、エアシールドをエアベースのエアエンドピンに巻き付けた。
まだ里美は出て来ない。
まさにバンドのライブ開始直前!…の様な描き方とは裏腹に、見てくれはただ何も持ってない派手なオカマと女子高生が二人立ち、真ん中にやたら胸が大きい女が椅子に座っているだけである。それ以外、ステージには何も無い。
SEが止んだ。
一瞬の沈黙の中、密かに円代はバックにセットしてあるMDラジカセの「PLAY」ボタンを押す。
TIME00:03になってからの4カウント、イントロのエアスネア八分ロールがジャストで入る。同時にアニーは下を向いたまま高い位置で人力フランジャーが掛かったエアギターを鳴らす。段々と二人の音が大きくなるにつれ、シンディも高い位置でのエアベースをチョーク気味に鳴らし始めた。
それらの音はMDラジカセ発、ラインPA経由、スピーカー行きで客席の鼓膜に注がれた。
「あっ!この曲知ってる!この前、OAKSで借りたやつだ!」
イントロを聴いた途端、フロアの男子が拳を上げる。kiss me babyの一曲目はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「Testify」だった。ちなみにOAKSとは、野田市にあるTSUTAYAみたいなモンである。
奈菜・モレロ、ティム・鎌フォード、円代・ウィルク達のエア楽器陣が、鉄壁サウンドをフロアにブチかます。
そしてヴォーカル、里美・デ・ラ・ロッチャがマイクを高々と掲げ、ぬらりとステージに姿を現した。
里美は口パクでザックばりのエアリリックをライムする。そのシンクロっぷりに度肝を抜かれた男子生徒の小躍りが次々と伝染し、kiss me babyのライブは開始わずか一分半で、学食のフロアがポゴ・ダンスホールと化し、混沌とした状態になっていた。
里美は歌詞カードを読んでも英語が覚え切れず、自己流のリスニングで適当にカタカナ歌詞を全暗記していた。「Testify」と叫ぶ箇所も里美は「エステ怖い」とリスニングし覚えていた。タモリ倶楽部なら手ぬぐいレベルである。
アニーはギターも触った事が無かったにも関わらず、ビデオでトム・モレロのトリッキーなプレイをエアコピーしていた。高い位置に構え、リフを弾く時はストロークしない。スイッチング、ストリングスクラッチ、ワウペダルを組み合わせた大道芸ギターソロも、まるでアニーが本当に演奏しているかの様であった。練習中のビデオチェックでは「このキャップかぶった赤飯みたいな人、染ノ助・染太郎くらい器用だな~。」といった迷言(暴言ともとれる)を残している。
シンディはティムよろしく、縦に跳ねながらジャイアンの歌声にも劣らないボエボエ・ベースを手中に収める。どうやらティムの面がシンディの好みだった様で。そりゃよかったよかった。シンディがエアベースを弾いてると、レイジと言うより、ジェームス・ブラウンのバックバンドみたいにも見えてくる。うーん、ゲロッパ!
円代はブラッド・ウィルクのパワーヒットを参考に、大柄なリズムでフロント三人を煽る。円代が現役のバンドマンだった頃は、「出す音が騒音のドラマー」と叩かれもしていた(ドラムだけに)。
後半の展開部分、ドロップDでの八分刻みではエア楽器陣が目を合わせ、波を合わせ、自分達が出しているワケでもない音に身を重ねていった。最大の盛り上がりを見せるブレイクと同時に、全員がエア楽器を振り被り、次の小節の頭で斧を振り落とすかのごとく、爆音と共にドロップした。
フロアは既に前へ前へと人が詰め寄せて来ている。この時点で噂が噂を呼び、流れ着いた祭りの難民で学食は溢れ返っていた。入り口付近に居る鷹瀬、理沙子達が前方に詰める様呼びかけていく。
ラスト、フリー・テンポでのDシャープ・フォータイム。円代がエア・クラッシュシンバルを両手でミュートした。
「サンクス!ウィーアー、エアーバンド!キスミーベイベー!!!!!」
里美がそうシャウトした瞬間、歓声が沸き起こった。
次の曲に移る五秒間の間、フロア最後列に佇んでいた勇太の姿を里美はハッキリと確認した。
「…私には、今、やらなければならない事しか残ってないんだ」
表情に迷いは無い。私は確かにその真っ只中に居る。
里美の頭上で喧嘩をしていた天使と悪魔は、全ての音と共に空を飛んでいた。