イエスタデイ・ワンス・モア
アニーはグッと右腕に力を入れた。「ピシッ」と、軽い静電気の様な痛みが骨に響いた気がしたが、その痛みに慣れたいが為に何度も手を握る。
痛いが動く。大丈夫だ。いける。これならやれる。
アニーはそう自分に言い聞かせながら、少し蒸れた右手をポリポリ掻いていた。
「痛み止め渡しておきますからね。ギブスが取れたからといって無茶はダメですよ。体育とかもっての他ですからね!アンタみたいなおてんばそうな子はすぐはしゃぐに決まってんだから!ははは。くれぐれもお大事にね。」
アニーはその先生に、「あと一週間ちょっとしたら、この治ったばかりの手で思いっきりありもしない楽器ブッ叩くつもりのエアギターかますんですよ~アハハ~…で、何か?」…とはもちろん言えなかった。
とは言ってもやはり無理は出来ず、kiss me baby 最後の合同練習は学校の屋上で行い、アニーは右腕をケアしながらの参加となった。
MDラジカセは雑に持ち運び過ぎて、取っ手が取れてしまっていた。
「………はい。ここでジャーンとしめて、次のカウント入るまで…ココ!!!」
「ごめん。もう一回あそこの打ち合わせさせて。止まるトコ徹底したいから。」
「あ、MD割れた。」
「んじゃ歌いながらやるか。せーの…」
「ちょっと待ったー!」
ちょっと待ったコールをしたのは、ねるとん世代ドンピシャの円代だった。
「なに円代ちゃん…、トイレでも行きたくなった?」
「里美、鎌田、アニー、アンタ達、今一瞬でも今までの事考えた?」
「へ?なにそれ?」
「今までの事よ。学食で出合って、バンド名決めて、選考書類出して、新宿行って、春日部で練習して、怪我でやきもきして、喧嘩して、そしてたった今こうして練習している事全てよ。その事を一瞬でも考えた?」
里美が即答する。
「円代ちゃん。正直言って、今言われて『あぁ、そんな事そう言えばあったな』ってくらいに軽く思い出したくらい。…だよね?」
「…うん。私もそう。」アニーが答える。
「受験勉強さえ忘れるくらいよ。考えてるのはステージの事だけ。」鎌田も同調した。
「…よかった。安心した。みんなが思い出なんかに浸ってたらクソだな、と思っててさ。」
「円代ちゃんは新宿に行った事だけは思い出そうにも思い出せないんでしょ~?」
「それって酷い~!私あの時、一生懸命踊ったのにぃ~!あはははは。」
「円代ちゃん、」
「何?里美…」
「『りぼん』の主人公じゃないんだぜ。ふっ。」
「あ。」
「ぷ。」
「ぷぷ。」
「ぷあはは。」
「あっはははははは!」
「よっく言うよ里美!!!さ、さっさと仕上げてKFCでも行こうか!!!」
結局最後の最後まで、いつもの調子で終わった練習。
アニーは、ケアするつもりがついつい力が入ってしまい、練習が終わってから少し右腕が痛んでいた。
入学して半年、本当は各自様々な思いを抱えながら活動を続けていたが、不思議とその夢の中では非現実に没頭出来ていた。人間関係、家庭事情、未来、過去、そして今。全ての葛藤と空を舞いながらkiss me babyの四人はその宇宙の切れ端を掴んでいた。
里美が帰ってテレビを付けたら、ウィークリーウェザーニュースが目に飛び込んできた。
「ゲ。曇りのち雨…。んま、なんとかなんだろ。良純だからハズレんべ。」
などと呑気な事を考えていた。
その、良純の予報を忠実に守るかの様に、橙祭までの一週間はどんよりとした空が続く事となる。
校門にアーチの準備が掛かった橙祭前日、里美とアニーは校門前で一緒に下校バスを待っていた。
「あー。せっかくの野外ステージ、天気悪かったらやだなー。雨天決行とは書いてあったけど…。」
「だよね里美。田中三保も雨が降りそうだから来ねーとか、ケータリングのカレーが辛過ぎて帰るとかねーのかな。」
「あのねアニー。YOSHIKIじゃねーんだから。田中は仕事に忠実だよきっと。」
「里美に田中の何がわかんのよ?」
「いや、何も。テキトー。だって一緒にジョリパスもKFCも行った事ねーし。」
「だよね。」
何が「だよね」なのかサッパリ意味不明だが、少なくともトップモデルは春日部のジョリパスや川間のKFCは眼中にないと思われる。
そんなことあるわけねー!あはははーと笑いながら、里美は一瞬通り過ぎて校内に自転車で入っていった人影を見逃さなかった。
「………あ?………ゆ、勇太……?」
バスが来ても放心状態の里美。
気のせいだと信じたいが確かに見たあのシルエット。
あー疲れる疲れる!やめやめ!明日は楽しむぞ!!!!見間違いさ、きっと…。
…と、いう事を約十数時間悶々と考えていたら、橙祭当日の朝になっていた。
カーテンを開けたら、今にも号泣しそうな空が里美を出迎えた。




