ダックリップス・フェスティバル
「えー、各自ぃー、えー、節度を持ったぁー、えー、新学期をぉー、えー、迎える様にぃー、えー、心掛けてぇー、えー、くださいぃー、えー、終わりますぅー。ウェッホン!」
毎度の事ながら、いったいこのゴルバチョフもどきのオッサンは、話の中に何回「えー」をブチ込むのかと殺意を覚えつつ、延々続いた始業式での校長の話にピリオドが打たれ、全校生徒はこれから訪れる新学期に対し、各々の夏に未練を隠せないでいた。
「しっかし本っ当にハゲ校長の話は中身がスッカスカだな。ピーマントークだね。」
「ハゲ無い事♪ハゲ出さない事♪毛が抜けない事♪ひっこ抜く事♪」
まさしく校長にとっては、それが一番大事~♪といったところであろうか。
「アニー、右肘のギブスってまだ取れないの?」
「もうちょい…。リハビリしながらだからあと二週間くらいかも…ごめん。」
「謝られるの、もういい加減飽きたって。それより他にもアニーに謝って欲しい事なんて山ほどあるんだから!」
「えっ…?ワタシそんな知らぬ間に悪事働きっ放しだった?」
「うん。水戸黄門もサジ投げるくらい。」
「それってどうしようもないね。」
「でもアタシはそんなヨボヨボジジーより百倍優しいから、アニーにはサジ投げないけどね。」
「ありがとう…助さん。」
「なんで格さんじゃないの?」
「八兵衛がよかった?」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「ちょんまげはハゲの内には入らないから、許せる。」
「そういう問題でもないっ。」
どーいう問題でもいいっつーの。里美は新学期早々、学食でアニーとバカトークが出来た事に安心感を得ていた。遠くでは鎌田が赤い下敷き越しに英単語帳を見つめ、厨房内では円代が生徒には不評であった鶏のチリソース定食を作っていた。
夏休みと言う束の間の自由を終え、再び蜂の巣の様な学び舎で秋の準備をする西部橙高校生は、早くも年に一度の橙祭に関する「ある噂」で持ちきりとなっていた。
「今年の芸能人ゲスト枠には田中三保が出るらしい」
それはファッション雑誌「nono-n」の専属トップモデル、田中三保が来校するという、まことしやかな噂であった。
橙祭には毎年必ず、芸能人やゲストが来校している。過去の人選をさかのぼると、小錦、ダニエル・カール、橋本聖子という、生徒達はモチベーションだだ下がりのラインナップであったが、昨年、一昨年にはネプチューン、つぶやきシローが来校し、そこそこの盛り上がりを見せた。
(※著名人の方々ごめんなさい。でも事実、そうでした。)
特に今年は何か違う。
「オイヤべーよ!今年、田中三保来るらしいぜ!マジヤベー!激ヤベー!」
「アヒル口超カワイイ~!三保ちゃん神~!アタシもあんな風にかわいくなりたいっっ!」
「オイ、どーするよ!?田中三保が購買でメロンパン買ったら!?マジスゲー!」
「ねー聞いてよ!絶対三保ちゃんにワタシのウワバキにサインしてもらう!」
「俺、田中三保と付き合えるなら死んでもイー!」
ウワバキはないだろうウワバキは。…第一、死んだら付き合えないし、田中も人間だから菓子パンくらい食うだろうに。
まったくもってボーン・トゥ・バカ達はえらい騒ぎようだった。中には真似してアヒル口写真撮ったら「スッポン」というアダ名を付けられたりする気の毒な女子もいた。月と何やらならぬ、アヒルとスッポン、てな感じである。
その田中三保が橙祭で来校するっつーのだから、そりゃーもー校内中、田中だの三保だの狂喜乱舞ワッショイ祭りであった。
「けっ。エロ餓鬼どもが…。」ブラック里美が呟く。里美は田中三保が特別嫌いというわけではなかったが、皆が騒ぎ過ぎていた為、その波に乗る事を拒否していた。よくオリンピックとかワールドカップとかで日本中が盛り上がってるときに、「別に俺、スポーツとか興味ないし」とかヌカしやがるアレだ。よくいるよくいる、そーいう奴って。
みっともないとどれだけ言われようと、里美は気に食わなかった。俗っぽい芸能人にたやすくなびく様な、軽い人間達の作る軽いバカ騒ぎがどうしても我慢出来なかった。
自分達は革命を起こすんだ。有意義な事でそいつらの目を丸くしてやるんだ。自分達以外の事件で喜びを共有し、自分達以外の責任で思い出を図々しく貪る奴らを驚かしてやるのだ…。
怒り混じりながら里美はそんな事を考えていたが、以外にもその矛先は田中三保でも、それに騒ぐ連中でも何でもなかった。
「きっと私は心のどこかで勇太に認めてもらいたがってるんだ」
今となっては里美の心臓に巣食う蟲でしかない勇太こそ、泡を吹くくらい驚かせてやりたいと願う照準であった。
その温めてきたミッションを遂行するに対し、田中三保来校という殺戮兵器は鬼教官でさえ動揺は隠せるものではなかった。
「凄いねー。どいつもこいつも田中田中って。そんなに有名なの?アタシの時代でいうと新田恵利とかそんな感じ?」
作業がひと段落した円代が里美達に話しかけた。
「だれそれ?自殺したって人?」
「それは岡田有希子。女の子にワーキャー騒ぐ様っていつの時代も一緒だね!私は文化祭なんて三回ともフケちゃったけど…。」
そこに鎌田が英単語帳を片手に加わってきた。
「…そんないいもんじゃないわよ文化祭なんて。苦労する人と、楽する人がハッキリとわかるイベントよ。まるでアパルトへイトみたいで凄く嫌。」
「ふーん。難しい事知ってんのね。」
「受験勉強中ですから。…とある人種は汗水たらして先生達に怒鳴られながら走り回って涙して、とある人種は教室で適当に遊びながら焼きソバ食って、虚構の青春を勘違いするのよ。アタシが去年焼きソバ焼いてた時なんて、大して何もしてない男子に『ネプチューンはじまっちゃうから早くしてよ!』なんて言われてバカバカしくなって焼くの辞めちゃった…。」
「酷い話…。」
「でもね、ソバ焼いてる人にも、適当な人にも、来校した芸能人にだって、やるからには驚かせてやりたいのよ。私たちは、流れに乗って溺れるんじゃなくて、川の調子を確かめて向こう岸へ渡るのよ。違う?アニー?」
アニーは少しドキリとした。
「私、絶対やるから。右腕もげてもやる。」
アニーは改めて鎌田と円代を少し睨み付けた様な顔で「ごめんね。ただいま。」と心で呟いた。
円代は少し微笑んで、厨房内へと戻っていった。
同日、東武野田線川間駅前には「橙祭、田中三保来校」の華々しいポスターが貼られる事となり、生徒達の噂はハッキリとした現実となった。
kiss me baby 最後の練習日は、アニーのギブスが取れる二週間後に迫っていた。