キス・ミー・ベイベー
「是より、エアバンドを結成致します。」
里美のミッション会議は相変わらず極秘でも何でもなかったが、今回はタレサングラスも掛けておらず、目は真剣そのものであり、何かを確信した含み笑いさえ浮かべていた。
「橙祭野外ステージにおける『橙ライブタイム』に出場する。目標は5曲エア演奏。練習期間は約二ヶ月。練習場所は春日部、越谷、柏のいずれか。それぞれの任務を発表する。」
この前のコントとは裏腹に大真面目な里美教官を前に、三人は軽い緊張を覚えた。
「パフォームプロデューサー、マル!」
「はい。」
パート休憩中の円代が、頭に巻いた三角巾を取り返事をした。
「エキゾチックマネージメント、カマ!」
「はい?」
よく分からない役職名だが、鎌田は返事をした。
「コミュニケイトムードメーカー、アニー!」
「はい!」
元気一杯にアニーは返事をした。
「そして、鬼教官の里美です。皆の欲する物は何だ?言ってみろ!」
「サプライズ。」円代は言った。
「ビクトリーよ。」鎌田も続く。
「ライオットだね。」アニーも同じ。
「メモリーじゃないぜ。レジェンドに向かうんだぜ!やってやるぞ!オメー等!」
「押忍!」
もはや盗んだバイクで十五の夜。土曜の集会じゃないんだから。
「教官!質問です!」エキゾチック・カマが手を上げた。
「なんだ?言ってみろ!」
「バンド名はどうしましょう?」
「そう、鎌田。いい事に気が付いた!バンド名が無ければ選考書類も出せん!」
「何かいい案はあるんですか?」
アニーの質問に対し教官は、
「無い!」
即答で答えられ、ズッコケる三人。
「『三人寄ればポン酢の知恵』と言うだろう。皆のアイデアを寄せ合って、エクセレントなバンド名を付けるのだっっっ!」
教官のエクセレント・バカ発言にミツカン社員もビックリである。
「うーん、急に言われてもねぇ…」
「絶対に覚えやすいバンド名がいいよね!」
アニーの意見は的を得ていた。
よくアマチュアバンドのライブで「名前だけでも覚えていって下さい!」というMCをしながら、バンド名は長ったらしい英語だったりする。見に来ている客は記憶力テストをしに来ているのではない。短く、覚えやすく、インパクトがあるバンド名が良いのは皆分かっているが、それが中々難しい。バンド結成後の最初の砦となるのが、正にバンド名なのである。
「『モテタイズ』っていうのは?」
「私、男なんかにもてたくない。その上、カッコよくない。嫌だ。却下。」
教官は男に厳しい。アニー撃沈。
「男嫌いなら『ファッキン・スクールボーイ』ってのは?教官にとってもワタシにとっても、ダブル・ミーニングよ~!」
「それ、高校の文化祭選考で通る名前じゃないでしょ…。長いし却下。」
R-指定の煽りを受け、鎌田撃沈。
「ちょっとぉ~。教官もメンバーなんだから、少しは案出してよ!里美の考えた名前は?」
アニーの下克上にうろたえまくるへナ教官里美。
「え?あ?…あぁ、名前…ね。あのぅ…ね。えー…っとぉ…」
ははーん、こいつ乗っかるつもりだな、とソルジャー三人は勘付いた。こういう奴は人の意見に文句言うまくるくせに自分の意見はゼロ。この時点で教官の信用はガタガタだった。いや、最初から信用なんてあったのかも疑問である。
そんな状況を見かねた円代が挙手した。
「はい!教官!」
「はい!円代ちゃん!いいよ!そういう姿勢!いいね!いいよ!その意見とてもいい!みんなも見習って!この目見て!円代ちゃんマジだよ!すごくいい!」
「…教官、落ち着いてよ…。アタシまだ何も言ってないし。」
「あわわわわ…。ごめん円代ちゃん。意見プリーズ。」
「『kiss me baby』って名前はどう?」
「ん?キスミーベイビー?なんかリンドバーグの曲名みたいだね。どういう意味?」
「意味は無いんだけどさ。リンドバーグでもプリプリでもなくて、ワタシがドラムやってたバンドの曲名なんだよね。全部英語詞で、どうしようもない男と、どうしようもない女が付き合って、絶えず優しくしてしまってお互い暴れたり泣いたり、仕舞いに共倒れしてしまうって内容の歌詞だったんだ。『イカ天』でその曲やった時は英語だからってだけで、音楽もロクに聴かない様なタレントかぶれに『わからねぇ』なんて酷評されたよ…。それからさぁ…」
それ以降続く円代の昔話を里美は覚えていない。その「kiss me baby」の曲中に出てくる登場人物は、紛れも無い私だ。とショックを受けていた。
円代に勇太の件は話した事が無かったが、あまりにもな偶然の一致に里美の身体は小刻みに震えていた。
「里美も広い大海に船出して世界の大きさを知るべきって事だよ。」
勇太の言葉が何度もフラッシュバックする。
私は変わりたい。いつまでも勇太病を患ったままの男嫌いで居たくない。新しい素敵な恋だって本当はしたい。もう、「りぼん」みたいな毎日はウンザリだ。この仲間達と西部橙高校をかき回してやりたい。その大海に出るきっかけが、このエアバンドになるかもしれないんだ。だからお願いします神様。神様…
円代がかつて、演奏していた「kiss me baby」という曲を里美は聴いた事は無かったが、その曲名の細胞を肌で感じ取り、里美は懺悔を繰り返していた。
「………ってな事もあったんだよねー。あ、ごめん。一人で喋り倒しちゃった。ごめん!教官~。やっぱだめ?キスって言葉が選考引っ掛かるかな…あれ?教官?さ…里美?」
里美は号泣していた。
その涙の理由を知るアニーも、思わずもらい泣きをしていた。
「うぐ…ぅえっぐ…円代ぢゃん…ぞれがいい…じぇったいぞのなまえがいい…ひっく…あたじら…『ギズ・ビー・ベンベィ』…教官べいれい…ひぃ…えっぐ…。」
円代はいきなりの事態にオロオロし始めた。
「えー!どうしたの里美いきなり!何かワタシ悪い事言ったかな…?」
「グスッ。今回は円代ちゃんが無神経だったみたいね。その代わり、決まったよ。バンド名!鎌田はオケーイ?!」
「オケーイアニー!キスって響きがとてもエロスーよ!ベイビーアタイにキスしな!シット!最高の夏を迎えられそうだわ!イェェェェェェイ!」
ブチ上がるアニーと鎌田。
まだ号泣しているへナ教官、里美。
オロオロしっぱなしの名付け親、円代。
エアバンドグループ「kiss me baby」の四人は、橙祭という大海にようやく船を出港させたのであった。