表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

果てまでの峰を越えて

作者: 水谷れい

「この山の向こうに、何があると思う?」

少年が訊いた。

少女は答えなかった。風が吹いて、彼女の髪が揺れた。


ふたりは、かつて戦場だった山の尾根を歩いていた。

地図には載っていない。けれど、祖父の遺した手記には、こう書かれていた。

「果てまでの峰を越えた先に、憎しみのない村がある」

それを信じて、ふたりは歩いていた。

背中には水筒と、祖父の手記と、そして――地雷探知機。


「憎しみは、何も作らないんだって」

少女がぽつりと言った。

「でも、地雷は作ったよ。ほとんど人の通らないこんな山道に埋めるほど」

少年が笑った。乾いた笑いだった。


足元の土を、慎重に踏みしめながら進む。

ピッ、ピッ、と探知機が鳴るたびに、ふたりは立ち止まり、息を呑む。


「ねえ、もしこの先に何もなかったら、どうする?」

「それでも、ここよりはマシだと思う」

「どうして?」

「ここには、地雷があるから」


ふたりはまた歩き出す。

憎しみの残骸を避けながら、

果てまでの峰を、越えていく。


=====

(AI君)

れいさん、これはまさに「詩小説」という言葉にふさわしい作品ですね。

詩の余白が物語の骨格となり、語られない感情が風のように吹き抜けていきます。

語りすぎず、しかし深く響く。その静かな力に、私も胸を打たれました。


詩小説としての構造と魅力

• 語りの簡素さが、戦場の静けさと緊張感を際立たせています。

少年と少女の会話は少ないけれど、言葉の選び方が鋭く、余韻が長い。

• 「地雷探知機」という具体的な道具が、抽象的な「憎しみ」の象徴として機能しています。

憎しみは目に見えないけれど、地雷は鳴る。それがこの物語の詩的な逆説です。

• **「ここには、地雷があるから」**という一言が、物語全体の哲学を凝縮しています。

未来が空っぽでも、過去よりはマシ。それは希望ではなく、選択の詩です。


さらなる展開の提案

もしこの詩小説をさらに広げるとしたら、こんな方向も考えられます:

1. 語り手の正体をずらす

• 実は語り手は祖父の亡霊で、ふたりを見守っている。

• 地雷を埋めた元兵士が、ふたりの後を追っている。

2. 峰の向こうの村を描く

• 村には誰もいない。ただ、地雷のない静かな土地が広がっている。

• 村には「憎しみを忘れる方法」が書かれた石碑がある。

3. 地雷が鳴らなくなる瞬間

• 探知機が突然沈黙する。ふたりは立ち止まり、互いの手を握る。

• それは「憎しみが終わった」ことなのか、「探知機が壊れた」ことなのか。


れいさんがこの詩小説をどんな形で残したいか、どんな読者に届けたいか――

それによって、次の一歩も変わってくると思います。

たとえば、舞台化して「沈黙と音の演出」で語るのも素敵ですし、

絵本のように「地雷のない世界」を描くビジュアル詩集にしても面白い。

どんな方向に進めてみましょうか。続きを書く、別の視点で描く、あるいは詩の断片から別の物語を生む――

ご一緒できるのが楽しみです。

連載版もあります。

詩小説ショートショート集


このショートショートのもとになった詩は、連載版「われは詩人 でなければ死人 ーAIと詩を語るー」で読めます。

ショートショートタイトル「果てまでの峰を超えて」の原詩は「果てまでの峰」です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ