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今日も私は「嘘」をつく

見上げる空は、まだ青い

■『今日も私は「嘘」をつく』に登場する櫻井さん視点の話。

■両方お読みいただけると嬉しいです。


■『今日も私は「嘘」をつく』が、2025年8月30日のランキングで

  [日間]ヒューマンドラマ〔文芸〕 - すべて 1 位

  [日間]ヒューマンドラマ〔文芸〕 - 短編 1 位 でした!

 ありがとうございますの、御礼かたがた、別視点話です。

 築四十年とかの古いワンルームマンションの一室。

 一人暮らしならともかく、中学生のわたしとお母さんの二人暮らしには狭い……はず。

 だけど、狭さを気にしている場合じゃない。

 考えないといけないのは別のこと。

 食事。お金。


 朝、わたしが起きるころには、お母さんはたいてい眠っている。

 夕方、わたしが学校から帰ってくる時には既に不在。

 仕事でお客さんと同伴とかの時もあるだろうけど、カレシとかとデートかもしれない。

 帰ってくるのはいつも明け方。


 ……まともに話したのは何時が最後だったっけ?

 覚えていない。


 別に、育児放棄とか虐待とか。

 そこまでじゃない。

 お母さんにとって、わたしの優先順位が低いだけ。

 ただ、それだけ。

 大したことなんかじゃ……ない。

 傷つく必要もない。

 だけど。


「……ただいま」


 返事はない。お母さんは不在。

 いたとしても、返事をしてくれたことはないけれど。


 靴を脱いで、鞄を下ろして……、そして、玄関の横、トイレというか、狭いユニットバスの前の廊下に五千円札が一枚、落ちているのに気がついた。


「これって、わたしの生活費? それとも慌てて出かけたから、財布から落ちただけとか?」


 理由なんて、気にしても仕方がない。

 大事なのはこの五千円で何を買うか、ということだ。

 ぐうううと、お腹が鳴った。

 何か食べるものをこれで買う……いや。


「そろそろ下着、買わないと……」


 胸のあたりがもうかなりキツくなってきている。


「さすがにノーブラで学校にいくのは、ちょっとねぇ……」


 お金を下さいって、お母さんに言えればいいけど。

 ほぼ、不在。

 いても、寝ている。

 メモを残しておけば、見てくれる……時もあるし、見ても忘れられることもある。

 ふと思い出して、ああそういえば……って、感じに世話をしてくれる時はある。


 まあ、なんていうか、つまり、お母さんの、優先順位の、一番は……、わたし、じゃない。

 それどころか、二番目でも三番目でもない。

 何番目かな。

 聞いたことはないけれど。

 無関心まではいかないけど、重要視されるほどじゃない存在。

 時折思い出して、ああ、そういえば、そろそろ世話しなきゃ……程度のものだろう。


 ため息をつきながら、窓の外を見る。

 冬だったらもう間もなく日が落ちる時間。でも、今は初夏。まだ明るい。

 そう、まだ。


「行くか……」


 制服を脱いで、学校指定のジャージに着替える。

 だって他に着られる服がない。

 母の服ならクローゼットから溢れているけど。

 開けっぱなしのクローゼットにかかっているのは、胸の谷間とかお尻とかが見えそうなミニ丈のドレスとか、スリットの入ったロングドレスとか。


「サイズ的には母の服、着れるけど。いかにも水商売的なドレスの中学生って、コスプレじゃないんだから」


 お母さんは、わたしを産んでからずっと夜のお仕事というのをしているらしい。

 厚い化粧と香水の匂い。それからお酒とタバコの匂い。

 小さい時のわたしが「臭い」っていったら「何言ってんの。お金、稼ぐためには必要なんだから」とわたしを睨みつけてきた。

 その時はごめんなさいとか何とか謝った記憶がある。

 高校を中退して、女が一人で働いて、子どもを育てるのはすごく大変。

 だから、しかたがない。

 だけど。


「お母さんも、いつまで、夜の街で働けるのかなぁ」


 自分で、お店を開いて、ママとか呼ばれることができる程度の才覚は、わたしのお母さんには、きっと、ない。そもそもお店を開けるだけの資金もないだろうし、開業手続きとかもできないだろう。


「あー、あたしぃ、オトコに騙されてぇ、高校も中退した馬鹿だからぁ」


 酒に酔って、きゃははははと、笑う母。


 うん、馬鹿だよね。


 まあ、どこかのお店で雇ってもらうしかない……けど。

 ……それっていつまでできるの?


 高校中退して、娘を産んで、その娘はもう中学生。


 いくら若く見えるっていっても、話術も特にうまくもないオバサンに、大枚をはたいてくれるお客サンなんて少ないだろう。

 だからなのか、お母さんは、店のお客さんと結婚する夢を描いている……らしい。


「無理でしょ……」


 母が勤めている店は、女の人がお酒を注いで、男の人を楽しませる場所。

 そんなところに遊びに来る男が、子持ち女と結婚するはずはない。

 もっと若くてもっとキレイな別の女の人を選ぶでしょ。

 それが、当たり前っていうものだ。


「……とりあえず、下着、買いに行こう」


 床に落ちていた五千円を握り締めて、わたしは玄関から出た。

 鍵を閉める。がちゃんという音が、今日はやけに廊下に響く……なんて思いながら。



 ***



 出かける先は、一階が食品売り場で、二階とか三階に百円ショップとか本屋とかがあって、衣類も買えて、更にはフードコートなんかもついている大型スーパー。

 まずその百円ショップに行こうかと思ったけど……。お腹がすいた。

 先にふらりと、一階を物色する。


「混ぜて焼くだけ! 簡単調理! よかったら試食だけでもしていってくださーい!」

「美味しいですよー。お味見どうぞー!」


 店員さんなのか、それとも試食専門のアルバイトなのか、大きいスーパーでは、たまに、こうやって試食を叫んでいるおねーさんがいる。オバサンの時もあるけれど。


「……あの、試食、いいですか?」

「どうぞ!」


 貰ったのは中華料理系の味付けがしてある牛肉と春雨の炒め物的な感じ。ピーマンも入っている。お肉なんて、何か月ぶりだろう。胃に沁みる。


「お味、いかがですかぁ」


 聞かれた言葉に、笑顔を作る。


「美味しいです。お弁当とかにもよさそう」

「あ、そうなんですよぉ。これ、冷めてもおいしいんです」


 試食販売のおねーさんも、にこにこと答えてくれる。

 いつもこうやって、試食コーナーのモノを食べているけど、買いませんかーとかは言われたことはない。言われても、おすすめですよー程度。

 マニュアルとかあるのかもしれないし、買えと言われると、逆に買いたくなる人が減るからかもしれない。


「へえ……。お母さんに買ってーとか、言おうかな~」

「ありがとうございますー。あちらの中華コーナーに、このタレ、置いてますのでよろしく~」

「あ、どうもー」


 なんて、嘘。

 わたしのお母さんは料理なんてしないし、そもそもスーパーに買い物なんて来ない。

 でも、こう言って、嘘を言えば。

 試食販売のおねーさんもわたしも、気分よくサヨナラできる。

 ただ、それだけ。

 買えないのに、食べるだけでごめんなさい。


 まだお腹はすいているけど、今日は他に試食はなかったので、百円ショップに向かう。

 靴下とかショーツも買えるから百円ショップはありがたい。

 だけど、ブラとかは置いていない。

 まあ、そりゃそうか。

 仕方がないので衣料品売り場に行く。

 色とか形とかはどうでもいい。とにかく一番安いもの。それから、サイズ。ぶかぶか過ぎないけど、今のわたしの体より、大きめを買う。長く着られるように。


 結局、下着とTシャツとかを買ったら残りは五百円とちょっと。


「……この五百円で、どのくらい食いつなげるかな」


 なるべく腹持ちが良くて、長期保存できるもの。

 またスーパーの食品売り場に戻って物色する。

 個別包装されているお餅が目についた。


「べつに、お正月にしか食べちゃいけないっていう法律はない」


 テレビでコマーシャルしているような、名前の通った食品メーカーのお餅は値段が高かったけど。聞いたことのない食品メーカーのほうは、安かった。五百円でもおつりが出る。


「よし、これにしよう」


 お餅を一袋、手に持って、レジに向かう途中、さっきに試食コーナーのおねーさんと目が合った。


「もう一口、どう?」


 笑顔で言われた言葉に、ふらふらと吸い寄せられそうになったけど。

 お餅を掲げて「ありがとー。今日はこっちになったから、また!」と言ってみる。


 ……ホントはね、あと一口どころが、全部食べたい。

 見栄とかプライドとかだけじゃなく、こうやって自然にスルーしたほうが、店員さんたちに目をつけられることなく、また別の日にも試食品を食べやすい。

 ブラックリスト……なんてものが、スーパーにあるかどうかは知らないけど。

 ああ、あの子、試食コーナーにいつも来るよね……なんて言われたら、オシマイだ。

 細く長く、お付き合いができるように。

 それが、生き延びるための、コツ。



 ***



 買ったものを手に、家に帰る。


「ただいまー……」


 返事はない。

 やっぱりお母さんは不在。部屋の中も暗いし。

 電気をつけて、それからカーテンを閉める。

 もう一度、狭い部屋を見ても、やっぱりお母さんはいない。


 お餅をキッチンに置いて、それから小鉢を取り出して、個別包装されたビニールを破って、お餅を小鉢に入れる。

 それから、お餅にかぶるように水も入れる。

 レンジ一分。

 お餅をひっくり返して、更に三十秒。

 これで、焼かなくても、お餅が柔らかくなる。

 きな粉とかあったらよかったんだけど、ほぼ空っぽの冷蔵庫に入っているものといったら……。


「なにも、ないかあ……」


 空っぽ。

 ウチにある調味料と言えば、塩くらい。


「塩ふって食べるのと、何もかけずにそのまま食べるのと、どっちが美味しいかな……」


 ちょっと考えた。


「コンビニに、塩にぎりっていうものが売っているくらいだから、塩味のお餅もおいしいはず。それに、塩分、摂取したほうがいいかもだし」


 軽く塩をかけて食べるお餅。

 咀嚼しているうちに、不意に、涙がこぼれた。

 ぽたりぽたりと、涙が頬を伝い、そして、お餅に落ちる。


「しょっぱすぎ……」


 呟いた言葉に、答えてくれる人はいない。



 ***



 小学校の時は給食があったから、とにかく一日一食はお腹いっぱい食べられた。

 クラスの男子からは貧乏人とか、いろいろ悪口言われたり、からかわれたりしたけど。

 女子からも、蔑みの目で見られたけど。

 そんなことより、空腹のほうがつらい。

 だから、食べた。

 何か言われても、気にしないふりで、食べた。


 ……だけど、今、わたしの通っている中学校には給食がない。

 お弁当を持参するか、それとも一食二百円の仕出し弁当を注文するか。その二択。

 だから、わたしは昼休みになると、席を立って、図書室へ向かう。

 食べ物の匂いがする教室なんて、拷問に等しいから。

 本を読んでいれば多少は空腹がまぎれる……なんてことはないけどね。

 ボケっと空を見ているよりマシでしょう。

 中学校に入学以来、ずっとそうしてきた。

 なのに、今日は。


「……櫻井さん。今、ちょっといいかな?」


 小さい声で、名前を呼ばれた。


「……三津谷さん?」


 同じクラスの女の子。だけど、親しくはない。


「ちょっと相談があって。裏庭とか、中庭とか、どこか付き合ってもらっていいかな。さすがに図書室じゃ、食べながら話すってのができない」


 思わず眉根を寄せた。親しくもないのに相談?


「……いいけど。外、暑いよ」

「うん。知ってる。だから、生徒が少なくて、相談ごとには都合がいい」


 小さくため息をついて、立ち上がる。読んでいた本を書架に戻したのと同時に、わたしのお腹が小さく鳴った。

 三津谷さんは何の反応も示さなかった。


 図書室から出て、廊下を歩く。わたしのお腹の音なんて、まるで聞こえていないみたいに。


「あのね、櫻井さん。私の父がね、再婚したのよ」

「……へえ」


 日陰のベンチに座ってから、三津谷さんは言った。


「母が死んで半年もしないうちに新しい奥さん。まあ、父が再婚するのには反対じゃないのよ。私だって、いつまでも父と一緒には暮らす気なんてないし、父のメンドウを見てくれる女の人がいれば安心だし」

「……へえ」


 相槌だけを打った。

 で、それが、何?


「美人で、いい人なの。こうやって、私のお弁当とか朝ごはんとか作ってくれるし」

「…………へえ」


 ……自慢とか、かな?

 櫻井さんはお昼ご飯なんて、食べられないんでしょう? でも、わたしはこうやって、ご飯を作ってれる新しいお母さんが居るの。

 そんな幼稚なことするかな。中学生にもなって。

 あー、する人はするけど、三津谷さんはそういうタイプには見えない。

 べつに物静かとか、大人しいとか、そういうわけじゃないけど。纏う雰囲気が、高校生とか大学生みたい。

 なんて考えていたら、いきなり、ずいっとお弁当を差し出された。


「櫻井さんにお願い。このお弁当、食べてくれない?」

「は?」


 突然の申し出に、ポカンとした。だけど、すぐに、胸の中がムカムカしてきた。


「……三津谷さん。もしかして、わたしに同情とかしてるの?」


 施しとか、してくる人もいた。

 親切でという人もいたけど、優越感からしてくる人もいる。

 苦い記憶が、たくさんある。

 貧乏な櫻井はドーナツなんて食ったことないだろ? 欲しけりゃ三回回ってワンって言いな!

 小学生の時、わたしを囃し立てた男子ども。

 遠足の時、お弁当がないわたしにこっそりとおにぎりをくれた先生。ありがたかったけど、それを見た女子は「贔屓」と言って先生を責めた。そうしたら先生は言った。

「だって、櫻井さんは可哀そうでしょう。だから、みんなも可哀そうな人には親切にしないと」って。


「施しなんて冗談じゃないわ。優越感に浸るとか、野良猫に餌やりするつもりとか、そんな人、今までいっぱいいた。そりゃあ、食事をもらえるのはありがたいけど、結局、心の中ではわたしのこと馬鹿にしているんでしょ! 貧乏人が、施しの飯を食ってるぞって、何度馬鹿にされたことか!」


 ご飯、たべられなくてかわいそうだね、櫻井さん。

 これあげる。ウチのおかーさんのハンバーグ美味しいでしょ。


 思い出すと、ムカムカする。


 怒鳴って立ち去ろうとしたわたしの腕を、三津谷さんが掴んできた。


「美人で優しいお父さんの後妻サンが作ってくれた愛情たっぷりのお弁当の味がしないのよ」

「はあ⁉」

「家族になろうと歩み寄ってくれる後妻サンの笑顔も気持ち悪いし、このお弁当だって、持っているのも、本当は、嫌」

「贅沢!」


 三津谷さんの顔が歪んだ。


「昨日までは、お弁当、食べたふりして捨てていた」

「なにそれもったいない!」


 捨てる⁉

 わたしには食べるものがないっていうのに。


「うん。後妻サンはキレイだし、いい人だし。私のお母さんが死んで半年しか経ってないのに、後妻サンのこと『お母さん』なんて呼べないだろうから、名前でいいよって言ってくれる優しさもあるし」

「……なにそれ。半年? それしか経っていないのに、再婚したの?」


 お母さんが死んで、お葬式とかも行って。それから、すぐに恋人を作ったってこと?

 しかも結婚?

 どう考えても時間があわない気がする。


「しかも見合いとかじゃなくて、恋愛結婚みたいなのよね。いつから父と後妻サンが付き合っていたのかって考えちゃうと、すごく気持ち悪いよ。母の生前からオツキアイ、していたのかなあとか、それって不倫じゃんとかねー」


 三津谷さんへの怒りが……、見たことも会ったこともない三津谷さんのお父さんへと向かう。


「でも、父はね、再婚して後妻が来れば、私の生活も楽になるだろうなんて言うのよ」


 淡々と言う三津谷さん。

 ムカムカする。すっごくムカつく。


「馬鹿でしょ、三津谷さんのお父さん!」


 思わず叫んだ。

 だけど、三津谷さんは淡々と言う。


「うん。気持ち悪いのよ。それで、私、果歩ちゃんの……、あ、後妻サンの名前ね……作るごはんの味を、感じられないのよ」


 ごはんの、味が……感じられない?


 ハンカチで包まれているお弁当箱。それを三津谷さんはゆっくりとベンチの上で開いて見せる。


「ね、丁寧に作ってあるでしょ、このお弁当」


 確かに美味しそう。わたしのお腹がぐうっと鳴った。


「中学生の女子が好みそうな、カラフルなお弁当ね……」

「星型に切ったニンジンとか、ピックに挿した枝豆とか。ハムとケチャップのライスとか、幼稚園生のお弁当かってカンジだけど。朝から手間暇かけて作ってくれたって分かるお弁当よね」


 ……なつかしい。

 幼稚園生の時は、こうやって、お母さんもわたしにお弁当を作ってくれていた。

 それが、小学校に上がって、給食になった途端に……なくなった。


「小学校って給食があるから助かるねー」


 それには同意見だけど。


「給食でいっぱい食べたら夜ご飯は要らないよね」って……。


 本気で馬鹿なのお母さん⁉ 時間が経てば、お腹ってすくんだよ!

 そう言ったわたしに、お母さんは何て言ったっけ。

 ……ああ、そうだ。


「真由ちゃんももう小学生なんだから、自分でお買い物とか、できるでしょ」


 そう言って、お母さんは……わたしに千円札を一枚くれたんだ。


 それが、小学校一年生の時の話。


「だけどね、いくら手間暇かけてもらっても、果歩ちゃんの作るごはんは気持ち悪いの。食べたくないの」


 続いていた三津谷さんの話に、わたしは息を飲んだ。

 ご飯が……気持ち悪いって……。


「せっかく作ってくれているお弁当は、さっきも言ったけど、捨てていた。代わりに私、こうやって自分で作ったチョコバーとかをお昼に食べている」


 お弁当をベンチの上に置いたまま、三津谷さんは小袋から取り出したチョコバーを食べた。


「愛情かけて、時間をかけて、作ってくれたお弁当を捨てるって、すごい罪悪感。だけど、それ、食べ続けていたら、きっと私が壊れる」


 罪悪感。

 ああ、そうだね。わたしもそう。スーパーの試食で。買えないのに、嘘を言って、試食品をもらう。

 免罪符のように、嘘のトークと笑顔で誤魔化して。


 ああ……、そうだね。壊れるね。

 わかる、気がする。


「お弁当、捨てるくらいなら、わたしに食べろってこと?」

「うん。それから、食べた感想、聞かせてほしい。これが美味しかったとかマズかったとか、率直に。それを、果歩ちゃんに伝えるから」


 食べられない。でも、食べないといけない。

 たから、わたしに……ってことか。


 すとんと、ベンチに座りなおして。それから勢いよくお弁当を咀嚼する。

 ちゃんと、美味しい。

 幼稚園生の時、お母さんが作ってくれたお弁当と、同じ味がする。

 愛情のこもったお弁当の味が。

 だけど、その愛情は……わたしは、もう一度、その愛情を取り戻したいって思っているけど。

 三津谷さんにとっては、気持ちの悪いもの。

 死んだ実のお母さんに取って代わった女が作ったもの。

 わたしには無関係だから、普通に食べられるけど。

 だけど。

 胸の中がぐるぐるするけど、わたしの口や胃……体は、久しぶりのちゃんとしたご飯に喜んでいる。


「……ケチャップライスなんて、久しぶりに食べたわ」

「うん」

「わたしのお母さんも、わたしが幼稚園生の時はお弁当、作ってくれたから」

「うん」

「だけど、小学校に上がってから、カレシが出来たみたいで」


 店のお客さんかもしれないけど。


「うん」

「わたしのごはん、すぐに忘れる。あと、たまに夜も帰ってこない。昨日なんて、玄関に五千円札、置いてあったけど。ただそれだけ」


 お腹が空くのはつらい。それ以上に……お母さんの無関心さが悲しい。

 ねえ、お母さん。

 一緒に暮らしているはずなのに、なんで話もできないの。

 五千円札、置くだけじゃなくて、メモくらい書く手間すらかけてくれないの?

 そもそも……わたしのこと、おぼえている? 

 優先順位が低いのはわかっている。

 だけど、ねえ、わたしを産んだのは、お母さんでしょう⁉


 ……なんて、言ってもどうしようもない。


 えー、うっかりできただけで、作ろうと思って作ったんじゃないもーん。

 あたしだって、真由ちゃんにできることはしてあげてるでしょぉ。


 多分、そう言われる。


 だから、諦めて……。自分に言い聞かせる。

 大丈夫。わたしと同じ境遇の子どもなんて、この世界にはいくらでもいる。もっと不幸な子だってたくさんいる。

 だって、図書室の本には、そんなこと、たくさん書いてある。

 ほかにも色々調べてみた。

 わたしみたいな子どもが、どうやったら生きていけるのか……とか。

 ネグレクト。

 子ども支援課。

 奨学金。

 アルバイト。

 最低賃金。


 だけど……。わたしは別にお母さんから暴力を受けているわけじゃない。たまに、忘れられるだけ。学校にだって通わせてもらっているし、お金だって、たまにくれる。

 ホント、たまにだけど。

 お金が、もう少しあれば、お腹がすくことも……きっと減る。

 愛情だって、ないわけじゃない。

 ただ……お母さんの愛情ってものが、たとえば十しかないとしたら、わたしにかける愛情が一とか、その程度だってだけ。

 公園の、野良猫、最近見てないけど元気かな。たまには餌やりに行こうかな。

 お母さんの感覚的にはそんな感じなんだろう。


「高校生になれば、バイトできるから。それでなんとか食いつなげると思うんだけど。それまでは、お腹空かせたままだなって。もう、馬鹿にされてもいいから、施しでもいいから、食べ物下さいって、ホントは思っていた……」


 いったん堰を切ってしまえば、次から次へと思いがあふれてしまう。

 だから、言いたくない。

 言いたくないけど……涙は、こぼれる。


 いつまで耐えればいいの、こんな生活に。


 叫びだす直前に、三津谷さんは言った。


「私、高校は全寮制の学校に入って、家を出るつもり。だから中学校の間だけ、だけど、お弁当食べてくれる? 私、後妻サンのことも、お父さんのことも正直に言って、気持ち悪いけど。二人の家庭を壊す気はないの」


 気持ち悪い。

 どす黒いはずの思いを、さらっと、淡々と。


「……中学校の間の、期間限定お弁当同盟?」


 ずびっと、洟を啜り上げながら、わたし言った。


「あはは、櫻井さん、ウマイこと言うね!」


 三津谷さんが空を見上げる。

 つられて、わたしも見れば、わたしたちの上の空は爽やかな、青い空だった。そこを白い雲が流れて行く。

 どこにも行けないわたしたちとは真逆に。


 中学生では、どこにも行けない。

 ここから、どこかに行ったところで、お金がない。お金を稼ぐ当てもない。

 だから、わたしたちは扶養されるしかない。


 いくらお腹が空いていても。

 みんなから馬鹿にされても。

 心が壊れそうになっても。


「高校を卒業して、自分で働いてお金を稼げるようになったら」

「うん」

「きっと、自由に、どこまでも行ける」

「うん」

「それまでは……。私、嘘を吐いて、心を騙して、生き延びるつもり」


 生き延びる。

 三津谷さんのその言葉が、わたしの胸に清水のように、染みわたる。

 そう……か。


 何も考えずに、気楽に生きる人生は、わたしにも三津谷さんにもない。

 つらくて悲しくて、どうしようもない現実。

 でも、死にたいわけじゃない。

 当たり前に、ごく普通に生きたいだけ。

 それが、わたしたちには、とてつもなく難しい。

 でも。

 だったら。


「わたしは……なんとか食べて、この体が死なないようにするしかないか」

「うん。お互い頑張ろう。大人になるまで」

「そうだね……」


 中学生の間は、三津谷さんの弁当で生き延びられる。

 一方的な施しじゃなくて、お互いに、助かる。同盟って言ったら、三津谷さんは笑ってくれたし。

 その後は、別の道を行く。

 三津谷さんは、親元を離れる。

 わたしは……高校に通うことができるのだろうか。

 お母さんでは受験の費用すら出せないかもしれない。


 だったら、中卒で働く。

 お金を得ることはできるけど、苦しい人生になる。

 せめて、高校を卒しないと、生きていくためのお金なんて得ることはできずに、お母さんのような人生を送ることになる。


 ……色々調べたの。図書室の本で。わかる限りで。


 わたしの場合は、どこかに就職して、その給料で夜間学校に通う。何とか高校卒業資格を得てから、まともな会社に再就職。


 もしくは水商売の世界に入って、ひたすら稼ぐ。大検を取って、どこかの大学に通って、そこから新しい人生を始める。


 ああ……長いな。

 そこに辿り着くまで、すごく長くてつらい。


 だけど。

 三津谷さんも、わたしと同じように、青い空を見上げている。


 その青に、辿り着けるまで。

 心を圧し殺して、わたしたちは、生き延びる。




お読みいただきましてありがとうございました!



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