黒い熊の子
この日の治左衛門は『伝馬町の牢屋敷』などとも呼ばれている『囚獄』のあたりを眺め歩くことを当初の目的としていた。
物の良い羽織袴をまとって二本差し、浅い塗笠の治左衛門は、小金持ちの浪人のように見える。
目的は簡単に達成されたが、結果として何の不審も疑念も心慰たりうる事柄も見付けられなかった。
その何事もなかった牢屋敷を通り過ぎ、小伝馬町三丁目の汐見橋側の端に、新築の商家が一軒あった。
右手に道を折れようとしたとき、
「ぎゃん!」
というような人の声とも獣の声ともつかぬ『音』を発しながら、ふわふわとした毛玉のような何かが、ものすごい勢いで治左衛門の足先に転がってきた。
笠を軽く持ち上げて目を凝らすと、解けた毛玉は四、五歳ほどの子どもの形をしている。
ふわふわ毛玉の頭の方から赤い血潮が吹き上がり、治左衛門の足袋と草履に小さな赤い染みをいくつも付けた。
毛玉のあとを追って、
「このクソ畜生が、とっとと失せやがれ!」
口汚い怒声が聞こえた。
治左衛門が顔を上げると、痩せた体によい着物を羽織った中年の商人の赤い顔が見えた。
その後に商家があって、『袋小間物 丹波や』と刻み込まれた軒看板が下がっている。
治左衛門は笠の中で苦笑いを漏らした。
「その方は、丹波やの番頭か? 手代か? まさか主人ではあるまいの?」
心張り棒を握り締めた痩せ男は、治左衛門の声を聞くまで、そこに大柄で立派な服装の武士が立っていることに気付いていなかったらしい。
「ひっ」
と驚きの息を飲み込んだあとで、
「いや、手前が丹波や主の半兵衛にございます」
名乗って、頭を下げた。心張り棒を背中側に隠すのを忘れないあたりは、商人らしい抜け目のなさではある。
半兵衛とやらが振り回していた心張り棒は最初から治左衛門の目に入っていたわけであるから、今更隠したところであまり意味のある行動ではなかったといえる。
「ほう主人か。なるほど、そうか、なるほどのう」
治左衛門は顎のあたりを撫で、半兵衛の髷の先から足袋の先までを何往復も眺めた。
「そんなことより旦那。お足元の物乞いの畜生をこっちに寄こすか、遠くへ蹴飛ばすかしておくれませんか」
「物乞い? お主にはこの子どもが物乞いに見えるのか?」
「店の前に薦をまとって座り、地ベタを細竹で叩いき、唸って銭を揺する奴儕を、物乞いではないとおっしゃる?」
「物乞いではないな。めでたい門付け芸人だ」
「門付けですって? これが!?」
半兵衛が目を剥いた。
門付けとは、人家や店の玄関先や門前で芸や音曲を披露することで金銭を得る事だ。よく知られる物には、獅子舞、猿回し、三河萬歳などがある。
縁起の良い芸能だが、それらを必要としない人々からすれば芸の押し売りである。物乞いと言われても仕方が無いし、迷惑に思う者もいくらかはいるだろう。
「そうじゃよ。しかしお主、屋号に『丹波や』と名乗っておきながら、丹波の荒熊を知らぬとはな」
治左衛門の声には幾分か憐れみの色があった。
「たんばの、あらくま……?」
「祝い事のある家の門口に座って、地面を細竹で打って邪気を払い、唇をプルプルと震わせて出す音で正気を呼び寄せるという、有難い門付け芸じゃよ。
この小さな黒い荒熊どのは、お前の店が新に開くのを言祝いでくれておるのだ。お主がこれにしてやることといえば、心張り棒で殴ることではなく、礼を言って幾らか包むことではないかの?」
優しい口ぶりで言いながら、治左衛門は丹波や半兵衛を鋭く睨み付けた。丹波やが気圧されて、二歩、三歩と後ずさる。足がふらつき、ついには尻餅をついて転んでしまった。
その間に、治左衛門の足下で気を失っている『丹波の荒熊』に飛びついた腕があった。
腕は素早く『荒熊』を胸に抱きかかえる。痩せた女だ。三味線を背負っている。女鳥追いと呼ばれる門付け芸人だろう。独特の形をした『鳥追い笠』に隠れて顔は見えない。
「お熊! お熊!」
鳥追い女が泣き叫びながら地面に座り込んで『荒熊』を抱きしめているその後ろに、頭巾をかぶった男がひれ伏している。
体の横に四角い木箱が投げ出されている。男はこの箱を舞台として人形を使って芸をする門付け芸人の傀儡師なのだろう。
「お殿様、ウチの子どもをお助け下さり、ありがとうございます」
「なに、儂はなにもしておらんよ。むしろ、お前の子どものお陰で、本物の丹波の荒熊を見せてもらえた。有難いことだ」
治左衛門は懐から紙入れを出した。小粒銀を素早く懐紙で包み、それを傀儡師の男の袂に投げ込んだ。
「その子はそこの誰やらに殴られ蹴られたらしい。怪我をして気を失っている。早く手当をしておあげ」
「はい、はい!」
傀儡師と荒熊を抱いた鳥追いは、地面に額を擦り付けたあと、飛び上がるようにして立った。そして深々と頭を下げてから、踵を返して駆けていった。
彼らの背を編み笠の中から見送った治左衛門は、丹波や半兵衛に向き直り、
「丹波やよ、お主はおそらくは近江の方で長く修業したのだろう。江戸に来て日が浅いらしい。それで知らなんだのだろうな。
この江戸では門付けや物乞いを断りたい時には、浅草新町の長吏頭・弾左衛門の屋敷に出向いて『仕切り札』を買い、門口に張るのが定法なのじゃ。それを貼っておけば、弾左衛門配下の者は店に近づかない。
逆に、それがない店は『門付けが来ることを求めている』と取られるのだぞえ」
言い終えた治左衛門の視線の端に、辻駕籠が一挺、入り込んだ。
丹波やの半兵衛の返事を待たず、治左衛門は笑顔で駕籠屋に声をかけた。
「清水御門前まで行けるか?」
「へい! どうぞ!」
六尺たちが元気に応えた。