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ハイヒール

 人の知覚は、主に視覚が80%、聴覚が10%、嗅覚が4%……といったように、主に視覚から情報を得ていると言います。

 ただし、音や匂いは、脳のより深いところに記憶として刻み込まれるとか……。

 もし、思い出したくない記憶が、何かの拍子に蘇ったとしたら……。

「お墓参りをするときは、夕方以降に行ってはいけない。」


 俺は親にこう言われて育ってきた。

 それは30歳を過ぎた今でも守っている。

 俺が11歳だった時、あんな体験をしたから……。


 ◇◆◇

「お墓参りなんて面倒くさいよー。早く帰ってゲームしたい。」


「マサシ、あんた何言ってんの。そんなこと言ってるとバチあたるよ?」


「だって、家のもうお墓参り終わったじゃん。帰ろうよ。なんか暗くなりそうだし。」


「そうねぇ……。夕方のお墓参りは気が引けるわね……。早く終わらせましょう。」


 その日は8月のお彼岸で、母親とお墓参りに行っていた。

 身内の墓参りは終わっていたのだが、母親がお世話になっているご家族のお墓もお参りしようというので、付き合っていた。

 車の時計を見ると、16時を過ぎていた。


「ほら、着いた。さぁ、早く行きましょう。」


「はーい。」


 俺は渋々車から降り、母親に言われた通り桶に水を入れ、母親の後を着いていった。

 そこは市が運営する共同墓地で、山の中にたくさんのお墓がある。

 舗装など整備されており、とても見晴らしの良い場所だった。

 だが、この時間だからなのか二組しかお墓参りをしている姿は無かった。

 異様な静けさに変な違和感を覚え、母親から離れないようにしていた。


「さ、お参りしましょう。」


 母親は線香に火をつけ、手で仰ぐ。

 嗅ぎなれた線香の匂いが俺の鼻を通ってきた。

 火が付いた線香を、母親が俺に手渡す。


「はい。気を付けて持ちなさいね。」


 先に母親が線香を線香皿に置き、お墓に手を合わせる。

 続いて俺も線香皿に置いて、手を合わせた。

 最後にお墓の前に立ち、母親と並んで手を合わせた。


「よし、これで今年のお墓参りは終了ね! さ、もう暗くなりそうだから早く帰りましょう。」


「……。うん……。」


「あんた何ぼーっと突っ立ってるの? お母さん、先に行くよ?」


 その時、俺はなぜか動けなかった。

 お墓の名前にぼーっと立ち、『○○家代々之墓』という文字を見ていたのだ。

 自分も将来、この中に入るのかとふと思い、どこか物寂しさを感じていた。

 ふと気が付くと、母親の姿はもう無く、車に戻ったようだった。

 周囲を見渡すとお参りをしている人は誰もいない。

 不安を感じ、俺も車に戻ろうと思った。

 その時だった。


 ―――コツ


 妙に聞き覚えがあるような音がして振り返ったが、そこには何も無かった。

 なんだろう?

 俺は再び歩き出した。


 ―――コツ コツ……


 そうだ、母親がたまに履いているハイヒールの音だ。

 あれ? 誰もいないはずなのに、なんでだろう?

 そう思い再び振り向いた。


 やっぱりいない。


 俺の見えない場所にいるのかと思い、無視してまた歩き始めた。


 ―――コツ コツ コツ……


 おかしい。

 なんで俺が歩くとハイヒールの音が聞こえるんだろう?

 少し足早になって歩こう。


 ―――コツ コツ コツ


 やっぱりおかしい!

 なんで俺の歩く速さに合わせてハイヒールの音もついてくるんだ!?

 俺は背中に冷たい汗が流れていくのが分かった。

 怖くなり走り始めた。



 ―――コツ コツ コツ……………カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ 

    カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ 

    カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ



 間違いない、絶対俺の歩調に合わせて追ってきている!

 俺は全速力でその『音』から逃げた。

 そして母親が待っている車を見つけ、激しく息をしながら助手席の扉を開けて飛び乗った。

 座席に着くと、絶対外は見ないようにしよと思い、シート深くに沈み込んだ。


「早く! 早く出して!」


「な、何したのあんた?」


「いいから!」


 すると母親は不思議そうな顔をしながら車を発進させた。

 走り出して間もなく、母親は俺が青ざめている理由を聞いてきた。

 ハイヒールの音が追ってきたという話をすると母親は、


「あんたが可愛いから連れていきたくなったんじゃない?」


 と冗談交じりに言われた。

 だが、俺は笑うに笑えなかった。

 心臓の鼓動が早く、収まりそうもなかったからだ。

 母親は呆れながらクスクス笑ったが、急に真剣な顔をしてバックミラーを見始めた。


「あれ? あの女の人ずっとこっち見てるんだけど……。知り合いかだったのかな?」


 俺は後ろを振り返ることも母親との話を続けようとも思わなかった。

 少しずつ落ち着きを取り戻し、ようやく言葉を振り絞った。


「早く帰ろう……。」


 ◇◆◇

 まさかお墓参りであんな怖い思いをするとは思わなかった。

 冷静になった俺は段々と怒りを感じてきた。

 お参りしたのに脅かされたのが腑に落ちなかったためである。

 そんなことを考えていて時間を見たら20時になろうとしていた。


「マサシー! お父さん帰って来る前にコロの散歩してきてー!」


 我が家は雑種の犬を飼っていて、基本的に散歩は俺がやっていた。

 もう外に行く気は無かったが、散歩をしていないと父に叱られるため、素直に言うことを聞いた。


「行ってきます。」


「はーい、気を付けてね。」


 コロは外で飼っており、俺が近くに行くと尻尾を振って喜んで寄って来る。

 散歩の時間だとわかったらしい。

 今日のお墓参りのことがあったので少し不安に感じたが、コロといれば大丈夫だろうという変な確信があった。

 外はもうすっかり暗く、電柱についている電灯が鈍く光っている。

 俺はいつもの散歩コースをコロと歩き始めた。


「なぁ、コロ。今日さ、ちょっと怖いことあってさ……。」


 怖さを紛らわそうとコロに話しかけながら歩いていた時に、ツンとした匂いがした。

 線香の匂いだ。

 お彼岸だからどっかの家で炊いているのかと思った。

 その時だった。


 ―――コツッ


 全身に悪寒が走った。

 線香の匂い、ハイヒールの音。

 一瞬で夕方の事を思い出した。

 心臓の鼓動が早くなり、周囲を見渡す。

 だが、誰もいない。

 コロの様子を見ると、何も感じていない様子だった。

 だが


「ワンッ! ワンワンッツ!!!」


 急に頃が吠え始まった。

 誰もいないのに。何もないのに。なんで吠えてるんだ。

 俺の心臓はより鼓動が早くなり、冷や汗が噴き出してきた。


「コロ! 落ち着けって!」


 コロをなだめようとした時、


 ―――コツ コツ コツ……。


 ハイヒールが歩く音が止まった。

 一瞬、静かな世界が広がった。

 急に線香の匂いが強くなる。

 一生忘れることができない、この世のものとは思えない女性のような声が、耳元を通り頭の中に鳴り響いた。




 ―――ヤット………………




 俺は声が出なかった。

 身体が反応しない。動かない。

 声のする方向に目を向けたくはない。

 このまま俺はどうなるのか。


「ワンッ!!!」


 コロが大きい声で吠え、グイっと俺を引っ張った。

 無我夢中でコロのリードを握って、俺は走った。

 気が付くと家の前に着いていた。

 夕方よりも青ざめた表情を見た母親は、すぐに俺から事情を聞いた。


 さすがに母親も冗談は言えなかった様子で、話を聞いた後に家じゅうの至る所に盛り塩を置いた。

 俺はその日の夜、決して窓から外を見ず、暑苦しい中タオルケットを頭からかぶって眠りについた。

 ただ、頭の中でずっとあのハイヒール音が止むことは無かった。


 ◇◆◇

 あれから20年以上経った今でも、夕方の墓参りは決して行かない。


 そして、俺の脳裏に刻まれているあのハイヒール音。


 夜を歩いている時に、あの音を聞くと、未だに思い出す。


 あの女性が言った言葉……。






 ―――ヤット……ミツケタ





 いかがでしたでしょうか。

皆様も、ふとした時に聞いた音、嗅いだ匂いが記憶を呼び覚ますことがあると思います。

どうかそれが、良い思い出でありますように……。


ご評価いただけますと幸いです。

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