第094話、蠢く闇と魔物行軍
ここは深い深い闇の奥。
彼らは出番をずっと待ち続けていた。
いつ声がかかる?
今日はかからない。
けれど明日には声がかかるかもしれない。
彼らはずっと待っていた。
闇の奥。
一匹で街を滅ぼせるほどの強大な魔物が、そこにいた。
その数は、無数。
蠢く魔物の群れが、そこに集っていた。
今日この日。
ついに声がかかったのだ。
だから皆が集まり、闇の中で蠢き、雄たけびを上げていた。
悍ましき魔物の慟哭が、世界を揺らす。
敬虔な聖職者なら、この慟哭を感知し大慌てで上司に知らせているだろう。
知らされた上司は、慌てて国に報告するだろう。
そしておそらく、聖職者からの報告を受ける前に既に国は動いている。並以上の魔術師が異変を察知し、前代未聞の、未曾有の事態が起こっていると動く。
あまりの慟哭のおぞましき魔力に腰を震わせるも、気丈に心を奮い立たせ魔道具をかき集めていた筈。
世界各国が既に、動いていたことだろう。
そんな世界を恐怖に陥れる慟哭を上げる場所は、やはり闇の奥。
人類が到達するにはまだまだ先の話となる、未到達のエリア。
魔物たちが、何かを喝采する。
――――!!!!!!!!!!
長き胴体の一巻きで山を覆うような蛇竜が、手を伸ばせば雲を掴めてしまいそうなほどの巨人が、翼を広げれば街一つを曇らせてしまうほどの巨鳥が――血気盛んなうなりを上げているのだろう。
また、大地が揺れた。
まさにそれは破滅の一ページ。
人類がこの光景を目にしたら腰を抜かす?
いや、それはないだろう。
あまりに強大で極悪な魔物たちを前にし、これは夢だと現実を否定する。
正気度が失われ。
恐怖よりも狂乱が勝り、この光景を事実として受け入れることができないのだ。
それほどに圧倒的な戦力が群れ集い、世界を揺らすほどの雄たけびを上げていた。
彼らを見た人類は知るだろう。
これには絶対に勝てないと。
負けるための戦いなのだと。
どうしようもないほどの戦力差がある事を。
絶望がある事を。
恐怖が背筋の奥を固まらせる事を。
これらが敵として襲ってくると理解した瞬間に、あらゆる負の感情を叩きつけられる事となる筈だ。
禍々しき魔物たちが、統治者に向かい手を伸ばす。
歓声。
拍手。
尊敬。
膨大な魔力を内包したソレに、皆が手を上げ――仰ぎ祀る。
そう、これこそが真なる魔物行軍。
これこそが創造主たる一柱、道化師クロードにより伝えられた負けイベ。
……。
ではなかった。
もふもふモコモコな黒い毛玉が、スピーカーと鑑定されるアイテムを装備し。
こほん。
『あーあー、テステス。ただいまマイクのテスト中! オッケー! ちゃんと増幅できてるよー! んじゃ、コーデリアくん、例の魔導書に私が伝授した”かくかくしかじか”を使って、皆に伝達をー!』
「はい、師匠。それでは――スキル、”迷宮女王”発動させていただきますわ」
深い深い闇の奥にて――。
場違いなほどのんびりな乙女の、風魔術で増幅された声が響く。
”かくかくしかじか”。
と。
それは事情を説明する便利な話術スキル。
一匹で国をどうにかできてしまう魔物たちは、迷宮の女王を眺め瞳を閉じ。
くわっ!
事情を察して、うんうんと頷き始めていた。
「――というわけで、領民の皆様にも負けイベ? とやらをどうにかするべく協力をしていただきたいのです。どうか、よろしくお願いいたしますわ~!」
凛と大衆に向かい清らかな声を上げたのは、栗色の髪の美しい乙女にして領主。
聖コーデリア卿。
そう、暗く深いダンジョンの奥。
集っていたのは街の魔物たち。
これは負けイベによる百鬼夜行ではなく、ごくごく日常的な領地の一場面。
このエリアの名は暗黒迷宮。
山脈帝国エイシスの領地のひとつである。
悍ましき魔物の慟哭は翻訳すると、女王様に協力するぞ! との歓声。
舞台の上にいるのは暗黒迷宮の領主聖コーデリア卿。
その師匠の魔猫師匠。
そして領主代行の聖騎士ミリアルドに、事情を知る道化師クロード。
後半の二名はもちろん、突如として聖女と魔猫に拉致同然で連れてこられているのだが。
聖騎士ミリアルドの方はこの光景にも慣れているので、普通の顔のまま。
魔猫師匠の修行を受けた影響か、まるで長年の修行を終えた精悍な聖騎士の顔で凛とたたずんでいる。
――が。
道化師クロードは目にしたことのない、悍ましい魔物たちを見て。
ぼそり。
「いや、なんですか、これ……」
「暗黒迷宮の領民ですが?」
既にある意味で聖コーデリア卿と魔猫師匠の空気に汚染されているのだろう。
聖騎士ミリアルド、道化師のツッコミに真顔で普通に返すのみ。
道化師クロードは悟った。
ああ、これはまともなのはこの場でわたくし一人なのですね、と。
「領民、ですか。まあ、はい。それはいいのです、わたくしをこの場に連れてきていったい何をさせるつもりなのでしょうか」
「負けイベの詳細を知っているのはあなたですからね。助言役として連れてこられたのでは?」
「助言も何も、負けイベを突破できるとは思えないので……」
道化師は言葉を途切れさせ。
「いや、まあたしかに……これほどの悍ましい、見たこともない魔物たちが協力してくれるのなら、絶対に勝てないイベントであってもなんとかなりそうな気もしてきましたが」
「何か問題が?」
「……いや、そもそもですよ。これらのコレ、この世界にいて大丈夫なんですか?」
これらのコレと、賢さで戦う職業の道化である筈なのに――既に語彙力も死んでいる。
当然。
百鬼夜行よりもひどい魔物の群れを眺める道化師は、ジト目である。
だが、聖騎士ミリアルドは修行でさらに増えた傷跡が目立つ、精悍な顔立ちをキョトンとさせたまま。
誠実な美声を漏らす。
「何か問題が……?」
「あ、はい。いえ、もういいです……」
諦めの吐息を漏らした後、道化は少しでも精神を保とうとしているのだろう。
道化装備を取り出し装備し、咳払い。
聖騎士にではなく聖女と魔猫に言う。
「あの、盛り上がっているところ大変申し訳ないのですが。よろしいですか?」
『おや、なんだい?』
「確かにものすごい軍勢であることは認めます。認めますが、絶対に勝てないように設定されているイベントなので、戦力がどうこうという問題でもないのですが」
『絶対に勝てない、うん、良い響きだ』
ノリノリなのだろう。
鼻孔を膨らませたままの魔猫師匠は、ニヤニヤっと口元を緩ませ。
ぶにゃはははははは!
輝かせた肉球を光らせ、ズビ!
ズバっとポーズを取り。
『絶対に勝てないモノを跳ねのけてこその奇跡だ。こちらはこちらで準備を進めるが、君たちも頑張り給え。まあいざとなったら私が直接なんとかするさ――ただその場合はこの世界に与える影響もそれなり以上になるが、それは覚悟しておいてほしい』
「世界に与える影響とは……いったい」
『私はね――自分で言うのは自慢になるから恐縮だけれど、基本的に何でもできるんだ。けれどね、それは強すぎる力の裏返し。どうも手加減だけは苦手でね。悪いがうっかり加減を間違えると、なんというかな――うん、この世界の一部が消えてしまう可能性もある』
道化師クロードが反応に困りながら応じる。
「そういう冗談はあまり……好みませんが」
『冗談じゃなくて。けっこう真面目な話さ』
魔猫師匠が価値観の異なる、異界の神の顔で告げる。
『悪いが、私はこの世界そのものにあまり価値を感じていない。世界の存続よりも、愛する弟子や、共にグルメを楽しんだ若き鷹目皇帝を守るべきだと考えているからね。大変申し訳ないが、君たちこの世界の住人は私に対して好感度をあまり稼げていないのさ』
まるで自分も攻略対象だと言わんばかりの顔で。
魔猫師匠は淡々と告げる。
『この世界の住人はわりと利己的だ。文化を習得した生き物である以上、それは本能に近いのかもしれないが――自分ではなく誰かのせいにする傾向が強い。聖女が悪い、悪辣姫が悪い、皇帝が悪い。まあ実際そういう場面も多くあったのだろうけれどね、だが、そういう声ばかりが聞こえて――自分で動こうとするものは殆どいない。この世界の性質上――フラグやルートといった定められたレールで動かされる、流されてばかりの存在ばかりなのかもしれないね。けれど、いいかい。観察する側としては、それはあまり面白くないんだよ、ああ、あくまでも私にとってはだけれどね』
気まぐれな猫が、遊ぶおもちゃを選ぶ顔で。
髯をうにゅーっと蠢かし、言葉を紡ぐ。
『だからね、私は私個人として気に入った個体を助ける気や、面白いおもちゃを揶揄う気、現地の見慣れぬ魔物と遊んで拾って連れ帰りたい気はあっても――この世界の命全てを守る気などないのさ。悪いとは思うけれどね――元から私は異物なんだ。いつでもどこでも全面的に協力する、そんな聖女様のような聖人の数に数えるのはお門違いだと思っているのさ。どうか、そこは弁えて欲しい』
ごくりと息をのむ道化師の前で。
魔猫師匠はいつもの顔に戻り。
『ま、今回の負けイベは楽しそうだから参加するけれどね。コーデリアくんを外の世界に連れて行こうとしているのは結構本気さ。彼女はこの世界よりも外の世界の方が幸せになれる。私はそう確信してしまったよ。だから――』
訴えるように、願うように。
そして祈るように。
魔猫師匠はまるで敬虔なる神父のような声音で、告げた。
『彼女がこの世界で幸せになれるか否か。どうか、明るい希望を私に見せてくれることを期待しているよ』
君たちの価値をみせておくれ。
まだ間に合うか、もう遅いかは君たち次第さ、と。
言葉をつないで魔猫は嗤う。
負けイベ対策とは別。
魔猫師匠の聖女連れ出し計画も、既に進みつつある。
そして警告を受けた以上は、既にタイムリミットも近い。
道化はこの時に、そう確信したのだった。




