第093話、後の世のため―凛々しき熊男の心―
山脈帝国エイシスの王の執務室。
コボルト達もせわしなく働く中――書類に埋もれそうな王に向かってだろう。
熊のごとく威圧感のある男、ベアルファルス講師の一際大きな怒声が響き渡っていた。
「てめえ! この坊主、何を考えていやがる!」
「なにをと言われてもな。まあ座れ、コボルト達も何事かと驚い……てはおらぬな。ともあれ、コボルト達も『この二匹はまーた、やってるのか』と笑っておるではないか」
「ったく、俺に説教されるようなことばかりするお前が悪いんだろうが」
ベアルファルス講師は促されるままに客用ソファーに腰掛け、コボルトに出された紅茶に礼を述べ。
魔術師にしては筋骨隆々な腕を組んで、主君ともいえる賢王イーグレットを睨む。
「で――なぜ今までこの件を黙っていやがった?」
「そう吠えるな。息で書類が散るであろう――まあ深き意味はない、余も先ほど聞かされたばかりであるからな」
「おうおう、ふかすじゃねえか。その賢いオツムで先がよぉおく見えている筈だろ?」
「余とて完全に先が見えているわけではない。この世界は既に異物によって歪んでいる、計算は常に狂い続けている。余の慧眼であっても、見えぬものは多く存在する――それだけの話だ」
「で? 実際はどうなんだ?」
教師のモノクルで片眼を輝かせるベアルファルス。
腕を組んだままの威圧感に呆れたのか、はぁ……と賢王は先に音を上げてしまう。
「まあ……想定しておったルートの一つであったのは事実。余は多くの人間、多くの組織、多くの異物と既に繋がりをもっておるからな。我が慧眼は情報が増えれば増えるほどに精度が増す。多くの出会いはこのスキルをより一層、強力なモノへと昇華させておるからな」
「その増えまくった情報が――」
「うむ、この書類の山というわけだ。転生者や異物、天使について知らぬ者にはさすがに任せられぬ書類も多いのでな。なかなかに苦労しておる」
一人で抱え込んでいる若き皇帝に苦笑したベアルファルスは、親代わりの男の顔で――。
ぽんぽん。
と、神々と並ぶほどに麗しいとされるイーグレットの銀髪に手を乗せ。
「よくやってるよ、お前さんは」
「子供扱いはするでない」
「まだまだガキだろうが」
「酒も嗜める歳となった、背も伸びた、もはや余は子どもを卒業しておる。それにだ、少しはサボることも覚えたのでな」
言って、皇帝はコボルト達に書類を任せ――コボルト達はわっせわっせ♪
どこか別の部屋へと書類を運び、奥の書斎と思われる場所で誰かが書類を受け取り仕事を引き継ぎ――なにやら魔術が発動されたのだろう。
魔力波動が発生する。
「この魔力は巫女長と――ああ、あの聖騎士殿か」
「聖コーデリア卿によるイシュヴァラ=ナンディカの訪問は終了。一時、暗黒迷宮に戻ったからな。ミリアルド領主代行殿にも書類整理の手を借りておるのだ」
「それで、書類になんで魔術が必要なんだ」
王の書類に魔術による閲覧制限を掛ける。
秘匿する必要もある案件ではよくある話なので不思議ではないが、今回の魔力は少し規模が違う。
そしてなにより書類の量……つまり情報量も桁違い。
魔術師としての腕も確かなベアルファルスがそれに気付かぬはずもなかった。
隠す気もなかったのか。
イーグレットが書類の一枚一枚を魔力で浮かべ記述を追加しながら言う。
「この先、この世界の未来のため――」
「ほう? そりゃまた規模が大きいことで」
「実際、ここ最近の案件、全ての規模が大きいのは事実であろう。今回の騒動……いや、聖コーデリア卿がクラフテッド王国を追放された前後から纏わる事象、案件、異物……様々な情報を数冊の書としてまとめておるのだ。後の人類たちがその書を閲覧したときに、まるで神話として映る程のな」
普段ならばここで煙草を一服、といったところだろうが――書類の束に火を向けるわけにもいかないのだろう。
煙草の無い手を泳がせ紅茶に口をつけたベアルファルスが、話をつなぐ。
「なるほどな――将来、似たような案件が起こった際への対抗手段。人類の助けとするための編纂。聖コーデリア卿の物語を書物としてるってことになるわけか」
「そして悪意があるモノには開けぬよう、読み解けぬよう、ロックをする必要もあろう。故にこその魔術。今の巫女長と聖騎士ミリアルドならば信頼もできるからな」
「だが、聖コーデリア卿の物語となると……」
「うむ、話を読んだものが素直にそれを信じるかどうかは……少々危ういであろうな。だからこその王の印。山脈帝国エイシスの地下深くに眠っておる王たる証、イシュバラ=ナンディカの地脈に沈めただろう魔道具と同等なる”金印の魔力”を一枚一枚に流しておるのだ」
それは王が認めた物語。
すなわち事実の証明となる。
もっとも、それは将来において山脈帝国エイシスが健在であることが条件ともなるが。
ベアルファルスが言う。
「それよりもだ、コーデリアの件だが」
「熊男よ。そなたもそろそろ身を固めてもいい歳だろうて」
「あのなあ――分かってるのか?」
「なにがだ」
「おまえさん、あいつのことを憎からず思ってるんだろう?」
またその話かと、賢王は露骨な息を漏らし。
「そういう貴様はどうなのだ戦鬼よ。かの聖女を守ってやりたい、可能ならば外敵から庇護してやりたい。支えてやりたいと願ってはおるのだろう? 余の母を守れなかった、その自責の念を重ねぬように」
「俺は、もう恋をする歳じゃねえさ」
「これは異なことを言う。療養を終えようとしている我が母は、再婚相手でも探すかと社交界に復帰しようともしておるというのに」
暴君の妻にして元女騎士。
皇帝の母。彼女は過去を振り切り既に立ち上がろうとしていた。
けれど、対照的に――かつて慕っていた女騎士をその手にかけたも同然だと苦悶する男は、いまだにあの日のまま。
「そりゃああの方が前向きで、華やかで……俺とは違う人種ってだけの話だ。もう、恋なんてできねえよ。俺にはな」
「ほう? 我が父代わりとも言える傭兵長の男が、なんとも臆病な話だ」
「ああん? 人のことを言えねえだろう」
「であるやもしれぬな。余の奥手は父ではなく、そなたに似たのであろうベアルファルスよ」
鷹目の皇帝は言った。
「まじめな話だ。答えよ――」
「なんだ」
「あの娘を幸せにしてやっては、くれぬのか? そなたならば、おそらくは良き夫そして良き父となろう。それは余の存在が証明しておる」
「言うじゃねえか。だがなあ、息子代わりのガキが好いている女を嫁にしろってか? 冗談はやめとけ、あいつを幸せにしたいのなら自分で動け、バカ息子」
賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世。
そして、その育ての親ともいえる男、戦鬼ベアルファルス。
彼らの関係も複雑だった。
険悪ではない。信頼もしている。けれど――さまざまな責務や環境が彼らに本音を語らせない。
二人の男は睨み合い。
ベアルファルスのくっきりと結ばれた唇から、言葉が漏れる。
「そりゃあな、俺も――男だ。コーデリアには恩も感じているし、魔術師としても尊敬している。油断した時に、あいつの美貌に目を奪われる瞬間もある。無防備に微笑んでいる姿には……心が動かされるさ。俺ももう十年若ければと考えないこともねえ、だが――現実問題として年齢差は気にもなるし、なによりありえねえだろう……教師と生徒がってのも」
「くだらぬ」
「は? くだらねえだと……?」
「教師と生徒であっても、男と女。愛や恋が生まれぬなど、非論理的な話よ。実際、そういう教師と生徒の恋を綴る書物が異世界には山ほどにある、魔猫師匠もそう言っておったが」
「あの魔猫がか?」
魔猫師匠――彼はなぜか教師と生徒のそういう話にも肯定的なようだが。コーデリアと魔猫師匠が、”そういう関係”になることは確実にない。それはほぼ全員の見解――。
鷹目の男にとっても熊男にとっても共通意識だろう。
もちろん実際、コーデリアの方でもそういった感情は全く見せておらず、魔猫師匠側からも同様である。
彼らは似た者同士の、良き師。
良き弟子。
イーグレットが茶化す吐息に言葉を乗せる。
「よもやあの魔猫、ああ見えて――かつて教え子に手を出したこともあるのやも知れぬな」
「まあ、異世界のネコだから価値観も違うんだろうが……」
「ほれ、教師と生徒など問題にはならぬであろう?」
「そーいう問題じゃねえだろう……」
はぁ……と肺の奥から息を出し。
「そもそもだ。俺はあの嬢ちゃんにガラスの靴を嵌めて、その負けイベとやらに参加させること自体に反対だ」
「まあそういうとは思っておった、だから黙っておったのだが」
「それにだ。候補者ならもう一人、いるだろう?」
「こちらの話を鼻血を流しながら聞いておる巫女長と共に、編纂作業を手伝っている男……か」
該当者の名は、亡国の貴公子ミリアルド。
ベアルファルスが書斎に向かい言う。
「ていうか、巫女長。おまえさん……なんで、頬を赤くして目まで潤わせてこっちを眺めてやがるんだ」
「失礼。盗み聞きする気はなかったのですよ? 本当ですよ? ただ少しお聞きしたいことがあって陛下との話が終わるのを待っていたのですが――なにやら整った顔立ちの男同士が、睨み合っていたご様子。ですので、つい興奮を……」
「いや、だからその鼻血は……大丈夫か?」
言われて書斎から顔を出した薄ピンク色の髪の少女、巫女長はうっとり。
錫杖を鳴らし、鼻血を治療。
何事もなかった顔で、凛と、聖職者としての声で言う。
「お気になさらないでください。これは趣味ゆえの鼻血でございます」
「お、おう……そうか」
「巫女長、こやつの趣味は余にもよく分からぬ。なにやら市井の書物屋に足繫く通い、同好の士を集め語らっておるとの話。聖コーデリア卿の話では悪意は皆無。むしろ、貴族の奥様方にまで謎の交友が広がり……それなりに大きな派閥となりつつあるとのことであったか。余の慧眼ですら理解の及ばぬ魔境……世の中とは広い、我が知識ではまだまだ全容を掴み切れぬのであろうな」
巫女長は話の矛先を逸らすためか、シャランと再度錫杖を鳴らし。
「ともあれです、候補者は多い方がよろしいのですよね?」
「まあ、好感度の一番高い者が助けに来るとの話であるからな。おそらくはある一定ラインを超えた”フラグ”とやらを築いている者がいればいいのだろうが」
「となれば、僭越ながら巫女長としての意見を述べさせていただきますと――やはり聖騎士ミリアルド殿が適任ではないかと、わたしは考えます」
「ふむ――かつての幼馴染、か。聖コーデリア卿とは……様々な思い出もあろうが……」
賢王は言葉を濁し考える。
おそらく。
聖コーデリア卿が恋愛に対して鈍感になったのは。
心に蓋をしてしまっているのは――。
ミーシャ姫に騙されたミリアルドに、冷たくされたことが原因の一つ。
その聖騎士ミリアルドが適任かどうか、それは賢王の慧眼からすると該当者からは外れていたのだろう。
だが可能性は増やしておく方がいい、そう判断したのか。
「そうであるな、話だけでもしておいた方が良いか。巫女長よ、悪いが領主代行殿を呼んできてはくれぬか?」
「あら? ご存じないのですか?」
「ご存じないとは――」
「つい先ほど、コーデリア様と魔猫師匠様が転移でお見えになられて――なんでも、負けイベそのものをぶっ潰すから協力してくれと、陛下の許可を得てからと叫ぶミリアルドさんを強引に連れ去って、お消えになられましたが。てっきりわたしは、陛下ならそこまで慧眼のスキルで見えていたものとばかり……」
その件について、確認しようとしたらお二人が見つめ合っていた。
と――巫女長。
過去視の魔術の練習にと習得した、宮殿内の過去の映像を映す魔術をベアルファルスが詠唱。
その時の様子が、映し出された。
そこにあったのは、破天荒。
勝てない設定をされている負けイベをぶっ潰すのって、ゲームで一番楽しいんだよ! まあこの世界はゲームじゃないけど、良いことだし、別にいいよね!
と、瞳をルンルン♪
鼻息をフガフガと興奮気味な魔猫師匠と、いつもの微笑みで師匠に付き添う余裕綽々の聖コーデリア卿の姿。
皇帝の慧眼であっても、異物の動きは把握できない。
聖コーデリア卿に魔猫師匠。
彼らはやはり皇帝の思考の斜め上や下に向かい、突進していく問題児。
これからなにをしでかすのか、見当もつかないのだろう。
鷹目の皇帝と熊男たる講師は顔を見合わせ。
急ぎ、彼らの行方を追った。




