第090話、転生者と転生者
一時間ほど過ぎ、先ほどの玉座の間に集まったのは先の四人の他に追加で四名。
神出鬼没な聖女、聖コーデリア卿。
同じく神出鬼没な異世界神、魔猫師匠。
そして、ミッドナイト=セブルス伯爵王とその従者の道化師クロード。
謁見に玉座の間が選ばれるのはよくある話だが、このイシュヴァラ=ナンディカに限ってはここでなくてはならない理由が存在する。
それは地脈に埋め込まれた金印。
魔力増幅装置ともなっている魔道具の流れを集積する場所こそが玉座。今現在、玉座に鎮座するキース=イシュヴァラ=ナンディカ一世の肉体は、十全な魔力で満ちていた。
人払いを済ませてある謁見開始の時間。
新国王キースの整った唇が動く。
「お久しぶりです、魔猫師匠。そして聖コーデリア卿――いつかは大変お世話になりました」
「こちらこそ大変お世話になりましたわ。北の魔境でのご助力に、エイシスでのスラム街への支援。かつて在った冒険者ギルド本部が持ち去ったわたくしの身内、母クラウディアの聖遺物の事件でも――はい、とても、本当にとてもお世話になりました」
聖女が恭しく礼をしてみせると、獣将軍グラニューの頭上にハートマークが浮かんでしまうが。
それは一種の魅了状態。
苦笑した魔猫師匠が精神防御結界を展開し、用意されていたローストビーフをまるでポテトチップのように齧りながら言ってみせていた。
『どうやらそちらの獣人君は女性の魔力に弱いようだね。うちの弟子が失礼した、ああ、彼女に悪気はない。ただ挨拶するだけで魅了状態になるとは思っていなかったのだろう』
「はい、あなたがたはこちらに敵意がない。我々はそう判断しておりますのでご安心いただければと」
『ふーん、キースくんは相変わらず物腰が丁寧だね。王となったんだ、もうちょっとこう、ビシっと偉そうにしていてもいいんじゃないのかな?』
「所詮はハリボテの王ですよ――」
キースが王の貫禄を滲ませ僅かに困った表情を見せた後。
魔猫師匠と並ぶ美麗なる吸血鬼、伯爵王に目をやって。
「いつぞやは大変お世話になりました、伯爵王陛下」
『ふむ、皮肉であるか? 新しき喜びの国の王よ』
「失礼。貴殿にはセブルスの街で辛酸をなめさせられましたので――少し警戒をしてしまうようです」
うにゅっと首を横に倒す魔猫師匠に道化師クロードが告げる。
「キース殿と我が伯爵陛下は、セブルスの街で戦ったことがあるのですよ。直接的ではないですがね」
『ああ、伯爵君がミーシャ君を狙っていた時の話か』
「ええ、結局は稀代の悪女ミーシャ姫の兄殿下、ミリアルド殿がその身体を聖剣ガルムの光によって消滅させたとのことでしたが、なるほどなるほど。どうやら、少々話が違ってきているようですね」
ミーシャ姫が死んだと考えていた道化師は、道化ではない素の状態で腕を横に伸ばし。
ザザザザザザ!
天使の肉体から作られた道化人形たちを顕現させて、喪服令嬢を睨み。
「はて、わたくし――そちらの御令嬢に覚えがあります。正体隠しの課金アイテムまでご使用いただいているご様子。はてはてはて、新国王陛下。これはいったいどういうことか、ご説明頂きたいのですが?」
「てめえ! その物騒な人形をしまいやがりな!」
道化師にとって人形は戦闘武器。
瞬時に反応した獣将軍グラニューが盗賊のナイフを装備、盗賊団の首領であった頃の雄々しきうなりを上げ始めるが。
諫めるような王の声を発していたのは、伯爵王。
『戦いに来たわけではあるまい――両者、矛を収めよ』
「しかし伯爵陛下、ミーシャ姫が生きているのはまずいのです。ええ、非常にまずい」
主人に諫められても道化は引かず――先を知る転生者の顔でギロリ。
顔を覆う喪服令嬢を睨んだままである。
『そういえばそなたはミーシャ姫の血にこだわってもいたな。余の力を倍増させるためだと解釈しておったが、それだけではない。何か訳ありというわけであるか』
「はい――ミーシャ姫、あなたもそれはご存じの筈」
問われた喪服令嬢はしばし考えるが。
答える前に毅然と告げていた。
「今は喪服令嬢とお呼びいただけますか?」
「名など、どうでもいいのです。主人公であり、メインシナリオとでもいうべき話の本筋に関わる。あなたにはそろそろ退場してもらわないと非常に困る」
「それはこの世界がゲームだった場合の話でしょう。あたしはもはや名も存在も捨てた女。ミーシャであってミーシャではない。これでも世界のために動いているつもりなのですが?」
ゲームだった場合。
その言葉が道化の心を鎮めたのか、魔猫師匠に受けた警告が脳裏をよぎったのか。
道化師はしぶしぶであるが道化人形を収めていた――。
「失礼しました皆様」
『余からも重ねて詫びよう。余の部下が無礼を働き大変申し訳ない。だが――余も道化も、かの悪辣姫は死んだものだと聞かされておった。だからこそ、我等は聖女と聖騎士に狙いを変えたのであるが……。道化が何を知っているのか知らぬが、これほどに喪服令嬢とやらを敵視していたのにも理由があるはず。弁明の機会を頂きたいものであるが――いかがか?』
伯爵王は王たる声で毅然と交渉術を展開していた。
詫びをしつつも、相手側の落ち度を指摘しなおかつ正当性を主張しているのだ。
そのまま伯爵王は聖コーデリア卿に目線をやり。
『主従ともどもに我らが敗北し、クラウディア殿の一件で会議に参加したあの時には既に貴女も悪辣姫の生存には気付いていた筈。協力関係を築くとされた場で、こちらは一方的に隠し事をされていた――不審を募らせる可能性がある我等の立場も、ご理解していただければ助かりますな』
「そうですわね――」
聖コーデリア卿は伯爵王の言葉を受けとり、にこりと微笑み。
「わたくしも皆様から聞かされていたわけではありませんでしたので。お気持ちは理解できるつもりですわ」
『ふむ、聖女殿にも伏せられていたとなるとエイシスの若造めの計らいか』
「イーグレット陛下にはイーグレット陛下のお考えがあるのでしょう。わたくしはあの方を信用しておりますから、ミーシャが死んだとされていたことには意味がある。そう考えておりますわ」
穏やかな顔で、賢王への信頼を口にする聖女はとても輝いていた。
清楚で可憐な、まさに聖女としての慈愛で満たされていたからだろう。
獣将軍グラニューが、ぽうっと顔を赤くさせ。
「き、綺麗だ……な、なあ! あんた!」
「はい? なんでしょうか」
「お、俺の嫁にならねえか!」
尻尾をぶんぶん、瞳をハートにしての突然の告白である。
当然、頭上には魅了マーク。
もちろん、緊迫していた空気は散っていた。
それは聖女のいつもの天然ほわほわ空間。
空気を壊す力は時としてこういった場面で、プラスの方向に働くこともあるのだろう。明らかに重々しい空気は薄れていた。
喪服令嬢があきれた様子で、口調を崩されながら言う。
「あぁぁぁぁぁぁ! もう、昔っからこうなんだから。あのねえ、コーデリア! あんた! 無自覚なんでしょうけど、無差別に魅了を使うのはやめなさいよ、ふつうに滅茶苦茶迷惑なんだから!」
「わたくしは魅了など使っておりませんわよ?」
「天然顔で首をこてんと倒さないで! こういう獣人は魅了耐性が低いから、あんたみたいなぶっとんだ魅力値の女のそういう顔にも弱いの!」
そこにはまるでかつての友だった乙女の姿があるが。
道化師は乙女たちの、かつて友だったときの空気を察しつつも道化としてのアイテムを取り出し。
「獣人グラニューは月と女の魔力に弱い。そういう設定にしてありましたから、仕方ありませんね。えーと、クソヒロインのミーシャ姫ではなく、今は喪服令嬢でしたか。そちらの脳まで下半身に支配されていそうな獣人に、こちらをお使いください」
「完全魅了防御のお香じゃない、いいのかしら。これ、かなり高い課金アイテムだったでしょう?」
「まあ、わたくしは作っていた側。課金アイテムであっても現地のアイテムで合成もできてしまいますから――それほど貴重なものでもないのですよ」
「うわ、なにそれチートじゃない、チート」
空気は軽くなり、周囲は少しずつ打ち解けていく。
お香を受け取る喪服令嬢は道化師に頭を下げ。
「たぶん、あたしが今までさんざんに好き勝手してきたことで、あなたにも迷惑をかけていた……そんな部分もあったのでしょうね。ごめんなさい、詫びて済む話じゃないとは分かっているけど」
「まったくです。あなたは今までの転生者の中でもっとも暴れてくださいましたからね。ええ、言いたいことは山ほどにありますし、ぶっちゃけ大嫌いですが。そうですか、ちゃんと謝罪ができる方なのですね。どうも噂で聞いていた人物像との剥離があるようですが……」
「あたしも、変わったのよ。まあ……もう色々と手遅れ――あたしはもう取り返しのつかないことを多くしてしまった。だから、本当に、ゲスがいまさら何を言っているのかって感じでしょうけどね」
してしまったことはもう、取り戻せない。
それでもできることはしたい。
それが今の喪服令嬢の行動理念なのか。
伯爵王が喪服令嬢を眺め、ふむと息を漏らす。
『感傷に浸るのも構わぬが、道化に喪服令嬢よ。そなたらはこの先を知る者たち。余たちはこれから先、インフレと呼ばれる現象があることは把握しておるが……それだけではないのだろう? ミーシャ姫が生きていると何が問題なのか、ちゃんと言語にして説明せよ』
「そう、ですね――」
「お待ちください、陛下に喪服令嬢さん。その前にサヤカ嬢もお呼びした方がよろしいのでは?」
転生者として彼女もいた方が話は早い。
伝える手間が省けるだろうとの道化師の言葉だろうが。
それを否定するように声を上げたのはキースであった。
「呼ばずとも問題ありませんよ。彼女はイーグレット陛下と繋がっている、そしてイーグレット陛下とは私が繋がっております。なので、私の口からイーグレット陛下に伝えれば」
「なるほど、サヤカって転生者にも伝わる、か。ミリアルド兄さまもイーグレット陛下と繋がってるって話だし。あの鷹目男、本当に陰で色々と動き続けてるのね。ゲームの時はそこまで賢くなかったはずだったけど……まあ、それがゲームじゃない世界ってことなのかしら」
戦えない皇帝であるが、彼は彼でこの世界のために奔走しているのだ。
語る準備は十分だろうと、道化師と喪服令嬢は目線を交わし。
道化に促されて喪服令嬢の方が告げる。
「どうしてあたしが生きていると困るのか。理由は簡単よ。この後、第四章でヒロインがある敵と戦うんだけど……そのイベントがいわゆる負けイベ。強制敗北イベントなのよ。で、その時に好感度の一番高いキャラが救いに来るんだけど……って、もうわかってない顔ね、あなたたち」
当然、現地の人間たちはその言葉を理解していない。
この場で説明抜きで今の言葉を理解できるのは、喪服令嬢と道化師クロード。
そしてもう一匹。
『ふむ、理解したよ。この世界のミーシャ君への好感度は最低最悪。誰も助けに来ないので、そのまま強制バッドエンド。全滅してしまうわけだね』
魔猫師匠がグルメの山の中から、モフモフな顔を覗かせ。
うにゃり。
無駄に心地の良いハスキーな低音を漏らしていたのだった。




