第087話、不思議なアプリ―伯爵と道化―後編
ソーシャル乙女ゲーアプリ、三千世界と恋のアプリコット。
今、この世界の設計図となっているゲームの創作者の一人、道化師クロードの話は続く。
彼は昼下がりの太陽の下。
この世界を去る可能性を示唆した聖コーデリア卿に向かい、そして、その師匠の黒き魔猫に向かい訴えるように叫んでいた。
「これからの敵はどんどんと強くなるのですよ!? 重課金をさせる方針に切り替わっていくのですから、なのに……なのにです! 聖コーデリア卿がいるのならばいざ知らず、もしあなたがいなくなるとなれば……我らは全滅。今の我々の戦力では到底勝てるわけがないでしょう!」
先を知る者の意見。
ある意味で神の言葉ともいえるだろう。
聖女も伯爵王も少し唖然としてしまっているが、言葉を引き出した魔猫師匠だけは別。
彼は鼻先をテカテカと輝かせ、にんまりとしたネコの笑みを作っていた。
『なるほど。やはり君は先をよく知っているようだね。イシュバラ……あれ、それともイシュヴァラだっけ、ニャハハハハハ! まあどっちでもいいや、ともあれだ。君はゲーム会社としてのイシュヴァラ=ナンディカの社員だったということで間違いないようだね』
「だからそうだと既に明かしているでしょう」
道化師とて――赤き舞姫サヤカが、山脈帝国エイシスの皇帝イーグレットと繋がっているとは知っている。
サヤカの口から転生者の情報が伝わるのは必然。
更に道化師はイーグレットがこの国の新しき王と繋がりがあるのではないか、そう疑ってもいるようだが。
そんな心を読むように、魔猫師匠は聖コーデリア卿に向ける優しさとは違う、一種の悪い猫の顔をしてニマニマニマ。
魔猫師匠は気に入った相手や仲間と認めた相手には好意的だが、そうではない相手には――。
こうした意地悪でいたずらなネコの側面を強く押し出すこともあるのだろう。
グルメの香りが漂う口が、くわぁっと開かれる。
『察するに――君が敵となる天使を殺し、その遺骸を道具として使っているのも先を知っている故の準備。戦力増強が目的という事もあるのだね。ようするに君はこれからこの世界で起こるイベントを知っているのだろう、まあ開発者の一人ならある程度は知っていてもおかしくない。けれどだ、少し判断が悪い』
「判断が悪い、ですって――」
『ああ、そもそも君は先に起こるイベントが確定だと信じ切っている。その時点で既に破綻が生じていると気付いていない。ここがすでに現実世界となっている以上、確定している未来などありえない。たとえ確定していたとしても、その確定した未来を変える手段は多く存在すると君は計算に入れていない。イーグレットくん辺りに注意された事は無かったのかい?』
師匠のソレは責めるような言葉でもあるが、からかうような言葉でもある。
思い当たることがあったのか、伯爵王セブルスがポメラニアン顔のままで言う。
『魔猫師匠よ――そう責めるな。余は数度、賢王にその話を促され口にはしておる――だが、こやつも賢き道化、こやつなりに考えもある筈であろうて』
『そうかい? ならば今から真剣に考えを改めるんだね。自分が元を作った世界だからといって、そのまま自分のゲームだと思い込むのはやめた方がいい。この世界は生きている、この世界で生きる命も生きている。創作者だからといって、この世界を自由に動かせると考えるのは――傲慢さ』
教師の声音で説教された道化師クロードは、いささかムッとした声で応じていた。
「余計なお世話です。わたくしは様々にこの世界について研究を進めてきました。いくつものイベント、いくつものルートがこの世界では拾われている。法則はさまざまであるようですが、一度ルートが確定した未来は変えることができない。ゲームのシナリオ通りに進む。ただ、例外があります」
道化は自分自身や、聖女に目をやり話を続ける。
「魔猫師匠。あなたは自分やわたくしを含む転生者が異物とおっしゃった。その通りなのでしょう、ルートが確定された未来を変えるには、異物の介入が必要なのです。そしてその異物の力が強ければ強い程、確定されてしまった未来を捻じ曲げることができる。いままでもそうでした、これからもそうです。わたくしは――伯爵陛下と永遠にこの世界で過ごすために、この世界を維持し続けたい。そう願っています」
『それで?』
「それでとは?」
『いやいやいや、具体的にどうするのかって聞いているのさ』
数式を生徒に計算させるように、促すように――。
魔猫師匠は丸い瞳を細めていた。
『私もこの世界の事を少し調べた。この世界で転生者が危険とされていた理由の一つは、君のせいでもあるようだね』
「師匠? どういうことですの?」
『簡単な話さ。おそらくこの道化師はいままでも転生者を使って、滅びに向かうルートや、自分や伯爵に都合の悪いルートが決定してしまった時に転生者を探し出して、ルートを変更させていたんだよ。ミーシャ君もかつて口にしていたらしいが、あのアプリにはリセット機能があったのだろうね。それはつまり、リセットしなければならない凄惨な結末も存在したという事だ。道化の彼はそんなルートを避け続けるように世界を動かしていた――クロード君、だっけ? たぶん、君がアイテム収納空間に入れて道化人形として使役している天使も、その名残なんじゃないかな』
気付かれているのなら隠す気はない。
そんな顔で道化が告げる。
「否定はしませんよ。だが、一度たりともわたくしはそれを強制はしなかった。選んだのは彼らです。まあ、転生者が好き勝手をやらかすのを止めなかったのも、確かにわたくしではありますが――」
『一部の教会で転生者を殺すように命令が下っていたのは、世界の破壊を邪魔しようとする君を止める――そんな黒幕の意思が働いているのかもしれないね』
「おそらくはそうかと。なにしろ教会は天使に騙されやすい、そして天使はこの世界を破壊したがっている存在に洗脳された存在。魔皇アルシエルが例外なだけで、基本はわたくしの道化のように神の操り人形なのですから」
解答に満足したのか。
魔猫師匠は優しい教師の声で言う。
『この世界を維持しようと、壊させないように君が一人で動いていた。そのことは素直に称賛しよう。私も私のトモタチも、それだけは認めている。ただ――君はやはり勘違いしている』
「勘違いなど」
『いいや、しているさ』
空気が、変わっていた。
魔猫師匠の声が、二つ、ダブって周囲の風を揺らし始める。
『君はたしかにこの世界の創作者の一人だろう。そして一般人よりは遥かに、強い。それは認めよう。けれど、いいかい。よく聞いて欲しい。君は自分が絶対的な最高神だと思いあがっているようだが――それは違う。君はただの人間だ。良くも悪くもただこの世界の知識を持っている個人でしかない。その証拠に、君に神性属性はない。神特効の武器さえ対象範囲外だろう。人間一人にできることなど、たかが知れている。この世界が大事だと思うのなら、愛する”家族の写し身”との暮らしを永遠に守ろうとするのなら――何故最善を尽くさなかったんだい?』
叱責の声はやはり穏やかだった。
魔猫師匠の影。
猫のシルエットの影の中から、なぜだろうか――酷く慇懃で、淫猥で、けれど神々しい神父の穏やかな声が響き続けているのだ。
『私が留守にしている間、君たち人類は集まり会議をしていたのだと耳にした――。多くの勢力が集まったと聞いた。思想や種族、団体や縄張りの垣根を取り払い――この世界のために集ったと聞いた。なのにだ。何故君はその時に皆に語らなかったんだい? この世界に起こる、これから先の未曾有のイベントを教えなかったんだい。願わなかったんだい? 助けてくれ、協力をしてくれと。コーデリアくんもイーグレットくんも、そしてサヤカくんも基本はお人よしだからね。協力を願っていれば、きっと力を貸してくれただろうに』
「それは――」
道化師が言葉を詰まらせる中。
魔猫の影に潜む、酷く慇懃な黒い神父の声だけが、空気をギシリと揺らす。
『もう一度言うよ。君は何か勘違いをしているね。この世界はゲームじゃない。君はもう少し、この世界が現実で、生きた命が存在する世界だと自覚をした方がいい。それでは道を踏み外し、いつかミーシャ姫のように悪事の限りを尽くすようになってしまうかもしれない』
ミーシャ姫と同じになる。
それは今この世界で、親が子供に説教をするときの常套句となっている言葉。
それはゲームの時代にはなかった言葉でもある。
そう、この世界はゲームではない。
それを強く意識させられたのだろう。
道化は黙り込んでしまう。
「師匠、少し言い過ぎですわ」
聖女は苦笑し、宙を遊ぶ魔猫師匠を腕に抱き。
迷える道化師に向かい、微笑みかける。
責める師匠を止めたその表情は慈愛で満ちていて――思わずクロードも瞳を奪われていた。
おっとりとした慈悲深い聖女が、昼下がりの太陽を受けながら言う。
「――クロケットさん、でしたわね」
聖女、痛恨のミスである。
「いえ、クロードです……」
「まあ! ごめんなさい! この街の名産がクロケットでしたので、もう、わたくしったらいつもこういうミスばかり……」
肝心なところでやらかす聖女であるが。
それでも慈愛の心だけは本物であり、変わらない。
こほんと咳払いして、やりなおし。
「クロードさんでしたわね? 師匠をあまり嫌わないで上げてください。さきほどの叱責は裏返しのアドバイス。ようするに、今からでも遅くないから他国の存在を信用して、人類に協力を呼びかけたらどうか? そういう助言なのです。師匠はネコちゃんで少し素直になれない性格でもありますから――わたくしが代わりにそう伝えさせていただきます」
『まあ、そーいうことさ。助力を得なかったことを後悔したくないのなら、よく考えておくことだ』
魔猫師匠は普段のネコの声で、どーでもいいとばかりの口調でぐでーんぐでーん。
影を鎮めて、焼きトウモロコシの帰りを待つ駄猫モードに戻っている。
聖女は言った。
「この先、何が起こるのですか?」
「端的に言えば、敵の強さがインフレしていくのです……といっても、あぁぁぁぁ、やりにくい。この世界の住人であるあなたがたには分からないでしょうが」
ゲームのインフレ――それはサヤカならばわかる言葉だろう。
だが、この世界の住人はそれが分からない。
言葉を探す道化師はしばらく考え。
少しずつ、自分の中の言葉を整理するように淡々と口を動かし始めていた。
「我々、開発スタッフには一定の売り上げノルマが与えられていました。ですので……ある程度の課金を引き出そうと、強敵を発生させるイベントを次々と作りだしたのです。そして、敵を強くした分――より多くの報酬も設定しました――いや、本当に、めちゃくちゃ忙しかったのですよ。わたくしの死因も、結局は過労でしたからね」
当時の状況を思い出しているのだろう。
美形白人の顔が、ぞっと青く染まっていく。
少し興味をひかれたのか、焼きトウモロコシを待ちながらの魔猫師匠が耳を立て。
『まあゲームつくりは大変だからねえ、私も少しならそーいう経験があるし、経営の真似事をしていたこともあるし――ソーシャルゲームって分野を知っているけど』
「え? いやいやいや、意味が分からないのですが、異界のネコ神がソーシャルゲームをですか!?」
『ああ、そうさ。世界を救うためとはいえ――世界の一部分をまるごと結界で覆って、中の国をまるごとソシャゲ化したことが……って、私の話はまあいいだろう。それでどういう報酬を用意したのさ』
先を促され、道化師は話を続ける。
「活躍した人とキャラだけが得られる専用スチル……推しキャラとの一枚絵を全キャラ分それぞれ設定したのです。そのスチルを目当てに課金してくれる方が増えると見越して、更に力を入れた個別イベントも設定しておりました。声優にセリフを語らせるためには、ボスから得られるポイントを一定以上稼がないと不可能にしたり、告白シーンを引き出すための強敵相手にのみ有効な特効武器を用意したりと……、まあ、ようするに課金前提の難易度に変更したのです」
『ふむ、ミーシャ君が親のお金を使っちゃったのも、この辺りのころからなのかな……』
「親の金とは――」
道化師の言葉に、魔猫は、んにゅ? っと眉間にしわを作り。
『あれ? 知らなかったのかい。ミーシャ姫の生前の死因は、まあそのなんだ――ゲームに課金するために親の金を使ってしまいバレてお説教されて、それを弟がネットに拡散して、おもしろ動画みたいな扱いで広がって。それが原因で色々と非難もされちゃったみたいでね……まあ、言葉を濁すけど、それであの世界に居場所をなくしちゃったみたいな感じだから』
「そう、ですか――」
『まあ、君が悪いわけじゃない。あれは彼女自身の問題さ。しかし、そうだね。今となって思えば……この世界の天使という存在が生前の業。ゲームの登場人物へと転生する人を殺してしまった存在が、連鎖的に転生して天使化するというのなら。ミーシャの天使の正体は彼女の……いや、考えるだけ無駄。いまさら――かな』
この辺りの会話は、ほぼ二人のみにしか意味が分かっていないだろう。
ポメ伯爵も聖女も、顔を見合わせつつも空気を読んで沈黙を選択したようだった。
『話の腰を折って悪かった、それで続きはどうなんだい』
「ええーとですね……それらの、スチルやイベント。わたくしたちスタッフの寿命を削って作られた豪華報酬を得るには、課金が前提の強敵を倒さないといけない。ここまではいいですよね?」
魔猫は頷き、先を促すように肉球を傾けてみせる。
「ゲームの時の強敵出現タイミングは基本的にイベント時のみでしたから、期間が過ぎれば自動的に消えます。それにゲームの時は全体の討伐数に応じても報酬が得られましたから、自分ではなくて誰かが倒すのを待つ選択もありました、まあもちろん、個別報酬はショボくなりますが……ともあれです、この世界では違う。誰かが倒さねば、永久に徘徊し暴れつづける。人々を殺戮しつづける存在となるのは、実証済み。聖コーデリア卿、あなたが相手をしたことがあるキマイラタイラントなどもその一部です。あれならまだいいのです、正攻法で倒せるのですから、けれどこれから先は違う……多くの課金を促すために作られた敵は、本当にどんどんと強力になっていくのです……」
伯爵と聖女が首をかしげる横。
話が通じている魔猫師匠が眉を顰め。
『報酬のスチルって、ただの絵だろう? ぶっちゃけさあ、すぐにネットにアップされるだろうし、誰かが動画で投稿するだろうし――そこまで課金を促せないんじゃないのかい?』
「あのアプリには不思議な力がありました、人の心を……奪ってしまうような。まるで神に魅せられてしまったような――。心の隙間を暴き、侵食していくような……そんなオカルトじみた力が、本当にあったのです。実際、もうゲームから離れられなくなっていたユーザーからの課金は多く集まりました、ゲームのヒーロー達と主人公の幸せなスチルを得るために。それは今この世界に転生している方々の存在が証明している――と、わたくしは判断しております」
『オカルトじみた、ねえ……やはり、なんらかの魔導技術がそのアプリには用いられているという事かな――』
魔猫師匠はなにやら考えこんでしまい。
土着神化。歓喜天。ゲーム……と、ぼつぼつ呟き――。
髯先を揺らした丸い口から、疑問の言葉を漏らしていた。
『それで、そのアプリって誰がその基礎を作っていたんだい。君には悪いが、君にはそれほどの力があるとは思えないし。そもそもだ、君もミーシャ姫もサヤカ君もアルシエルくんも基本的に、魔術という存在を知らない世界の住人だったようだしね』
「わたくしは下っ端の雇われでしたので……詳しくは知らないのです。ただ、あのアプリが、どこかおかしなアプリだとは……気付いておりましたが」
だからこそ、そんな不思議なアプリの中で飼い犬の面影を生み出した。
道化師もまた、その時には既に、”三千世界と恋のアプリコット”に取り込まれていたのだろうか。過労死するほどに、ゲーム作りに熱中してしまっていた。
それはある意味でほかの転生者と同じ、アプリで生活に支障をきたしていた状態。
転生者としての条件を満たす要因となっていたのだろう。
クロードはだれが作ったのか、詳しく知らないとは言った。
ただ詳しくは知らないだけで、思い当たることや推測できる可能性は数件あったのだろう。
道化師クロードが先を語ろうとした、その時だった。
空気が、僅かに歪む。
音が消え、なによりも露店から流れていた香ばしい煙が……消えている。
『さて、コーデリアくん』
「分かっておりますわ、師匠――」
聖コーデリア卿が、詠唱を開始。
国全体を覆う、聖域を展開しだしたのだ。
道化が言う。
「聖コーデリア卿? どうなさったのです?」
「――……おそらく、敵ですわ」
「敵!? 気配など、わたくしには――」
慌てて道化も周囲を探る。
ザッァァァァっとキリを発生させ。
伯爵王が姿を吸血鬼に戻し言う。
『ふむ、余には感知できたぞクロードよ。空間転移であるな。それも、なかなかに手練れと見える。このタイミングでの顕現は少々都合が良すぎる。おそらく目的は――道化師よ、そなたの口封じ、であろうな』
伯爵が告げたその直後――まだ明るい昼下がりの広場にて、得も言われぬ気配が無数に出現していた。
そしてその敵意の矛先は――。
道化師クロードに向かっている。




