第086話、不思議なアプリ―伯爵と道化―前編
あれから少し時間が過ぎ、時刻は昼下がり。
温かな日差しと数名の衛兵が、食堂から出てきた聖女コーデリアを明るく出迎えていた。
日差しはもちろん太陽。衛兵は監視という名の観光案内人である。
彼らは街を進む。
聖女の腕の中には、魔狼という名のポメラニアンとなっている吸血鬼の伯爵。
白人男性に扮する道化の後ろには、トテトテトテ♪ と、黒いモフモフ猫が付きまとい。
観光案内を引き連れての、奇妙な四人でのイシュバラ=ナンディカの遊覧。
道化師クロードも伯爵王セブルスも、非常にやりづらそうな顔をしている中――。この空気をそのまま情報引き出しに利用しようと動いたのは、道化師クロードだった。
足元をチョロチョロ回って自分を見上げてくる魔猫を警戒しつつ、爽やかな顔を作ってみせたのだ。
「えーと、あなたが聖コーデリア卿の師匠と呼ばれる方、でよろしいのですよね?」
『ああ、そうさ。初めまして、食堂ではグルメに夢中になっていてちゃんと挨拶ができずに申し訳ない――』
「構いませんよ。いえ、お会いできて光栄です。可能ならばあなたと話がしたいとは思っておりました……と、なんですか? その手は、なにやら露店を指さしておられますが」
魔猫は太々しい顔で瞳を輝かせ。
キラキラキラ。
ほんのり焦げた醤油の香りが鼻をくすぐる、焼きトウモロコシの露店を肉球で示しているのだった。
「あれをお召し上がりになりたいと?」
『ああ、話をしたいというのなら――やはりそれ相応の対価というものが必要じゃないかな?』
声だけで生計を立てている演者ですら舌を巻くほどの、めちゃくちゃ良い声で告げる魔猫に道化師は困惑。
「いやいやいや、お金を払うのは構いませんが、今食堂で全メニューを三周ほどお召し上がりになられたばかりでしょう!?」
『くくく、くははははははは! 我がポンポンに限界はなし! 内なる破壊の感情を抑えるべく、我は常に食事を必要としているのである! というわけで、あの露店で買ってきてくれたら、話だけならしてあげてもいいよ?』
いいよ? いいよ?
と、魔猫師匠は本物の猫のようなしぐさで、自らの手の甲を舐め顔をふきふき。
くっちゃくっちゃと口を動かすたびに、その図々しい胴体の奥からグルメの香りが漂っている。
道化師が聖女に言う。
「あの、聖コーデリア卿」
「はい、なんでしょうか?」
「あなたの師匠はいつもこうなのですか?」
「こう、とは?」
きょとんと無垢な顔で返され、道化師クロードは言葉に窮す。
聖女は魔猫のこの性格に、何の疑問も抱いていないのだろう。
聖コーデリア卿の腕の中でジタバタする伯爵が言う。
『こやつも同類なのであろうて。そして道化よ、おそらくこの御仁は自分を曲げぬ猫の化身。あそこのトウモロコシとやらを貢がねば、本当に何も語るつもりはないのであろう。余は三本で構わぬからな?』
「それは伯爵陛下も召し上がりたいだけでしょう!」
『そう大きな声を上げるな、我が道化よ。余は思うのだ、これは魔猫師匠殿の計らいであるとな――』
主人に諭され、冷静になった道化師は考える。
赤き舞姫サヤカに敗北したときのようなデバフ空間はない。
しかし。
冷静で知的で、他人を振り回すはずの道化師が魔猫と聖コーデリア卿に翻弄されている。
その時点で既に道化師はわずかな恐れを感じていた。
完全にペースを相手に掴まれているからである。
だが恐れを抱いたからこそ、肝が冷えた。
揺れる心がリセットされたのだ。
道化師には見えていた。魔猫師匠とやらは間違いなく異世界の大物。ならば全ての行動に意味がある、と。
ここでグルメを再要求することの意味。
それは――。
「なるほど、そういうことですか」
一人納得し、道化師は監視たちに目をやった。
今は観光案内状態になっているが、監視は監視。情報を流すのは得策ではない。彼らに情報を渡さない作戦なのだろうと判断した道化は、美形白人の顔で、ふっと微笑してみせる。
そこには既に道化が得意とする話術スキル、”道化の扇動Ⅳ”が発動されていた。
「すみません、まだこの国の文化が分からないので。代金は払います――皆様の分も含めて、買っていただくことはできますか?」
あなたたち全員で買ってきて欲しい。そう誘導しているのである。
ようするに人払いをしなければ会話はできない。
そういうことだったのだろうと、道化師は魔猫師匠の意図を読み取っていた。
話術スキルは成功。
継続して監視についている女性衛兵が言う。
「それでは、自分達が買ってまいります。経費で落ちますので、代金の方はご心配なく」
護衛の筈なのに、衛兵たちは何も疑問を持たずに露店へと向かう。
その後ろには、黒くてモコモコほわほわな黒猫が、トテトテトテ……。
「って!? あなたがついていったら意味ないでしょうが!?」
『ぶにゃ!?』
「なにを、え? 何言ってるのかニャ? なんて顔をしているのです、あなたが人払いをしろとわたくしに促したのでしょう!?」
魔猫師匠は焼きトウモロコシを購入する衛兵たちを見ながら。
こてんと、弟子の聖女のように首を横に倒し。
『え? 焼きトウモロコシが食べたかっただけだけど?』
「はい?」
『いや、だーかーらー。私は焼きトウモロコシが食べたかっただけだって。よくいるんだよねえ、私がちょっと強くて大物だからって、行動すべてに裏があって意味があると勘違いしちゃう、君みたいな頭脳派タイプって』
うにゃははははは!
と、魔猫師匠は呆れてものも言えない道化師クロードをみて大笑い。
ようやく聖コーデリア卿の腕から脱出したセブルス伯爵が、ポメ顔を苦笑させ告げる。
『どうやら、そなたの負けのようだな我が道化師よ。この手の輩にそういう駆け引きをするだけ無駄。そもそもこの御仁は我等との駆け引きなどする気はないのだろう』
「なんですって?」
『そう怖い顔をするな、クロード』
クロードと、道化ではなく名で呼ばれた道化師はハッと顔を引き締めた。
普段は知恵で先を行くのに、今回は完全に後れを取っている。
道化の珍しい動揺のせいか。主人である伯爵王は逆に普段よりも余裕のある、知的な側面を前に出すことができているのだろう。
『この御仁にも、そして聖コーデリア卿にとっても我等など塵芥のような存在。その動向も意図も、気にするだけ時間の無駄。自分の感情の赴くままに動くだけの話なのだろうて――おそらくは、地を這うアリの行く末、矮小なる下等生物の世界などまったく気にせぬ人類のようにな』
『おや、嫌いじゃないたとえだね。私もその論法はよく使うから、悪くない着眼点だ』
魔猫師匠が戯れを捨て。
神父のような落ち着くハスキーな美声で、語りだす。
『誤解させてしまったのならすまない。君の主人のポメちゃんが言うように、君如きと駆け引きする気などこちらにはない。っと、言い方が少し悪かったかな』
『構わぬ、これは道化――その程度で腹を立てるのならば道化失格。であるな? 余の最も信頼する道化よ』
セブルス伯爵が主人としての威光を示すと、白人男性に扮する道化は恭しく頭を下げる。
彼らは彼らで良き主従関係を築いているのだと理解したのか。
くすりと微笑み、聖コーデリア卿が口を開く。
「お二人は、とても良い絆で繋がっていらっしゃるのですね。少し羨ましいですわ」
「まあ……わたくしは、伯爵が伯爵として誕生する前から、知っていますから」
伯爵王が道化を見上げ。
『そなたはこの世界の元となったゲームとやらの、創造主の一柱。やはり余を設定し、作りし者こそがそなた――ということになるのか』
「ええ、陛下。あなたはわたくしの最も大切にしていた、最も……愛していた唯一の家族。ポメ太郎にもう一度会いたい。そう願って創造した……自慢のキャラクターでしたから」
ポポポ、ポメ太郎!?
と、笑いそうになる魔猫師匠の口を、聖コーデリア卿が魔術封じの副次効果で防ぐ中。
かつての飼い犬を見る切ない顔でいる道化に、伯爵王が告げる。
『そうか――正面から確かめたことはなかったが、なるほど――。そなたは余の元となった存在を、愛していたのだな。だからそなたは余に尽くしてくれていたのであるか、それは、嬉しくも思うが、少し寂しくも思うのは余の身勝手であろうな』
不思議な主従関係を結んでいる伯爵と道化。
その会話を中断するように、魔術封じを解除した魔猫師匠が言う。
『ああ、そういう動物と飼い主の温かい話は嫌いじゃないが、時間もなさそうだし後にしておくれ。クロードくんだったか、聞きたいことがあるのだろう? 構わないよ、亡くした愛するペットを恋しく思うあまり、せめてゲームの世界でもう一度――そう願った君の心に免じて、観光ガイドが帰ってくる前なら話を聞こうじゃないか』
まじめな口調なのに、ふよふよフワフワ。
宙を飛びながら魔猫はチェシャ猫スマイル。
「あなたがこの世界の外からきた存在というのは」
『本当だよ。異物という点では、君やサヤカくんや魔皇アルシエルだって同じ異物といえなくもないけれどね。ただ私は”三千世界と恋のアプリコット”を取り巻く環境で発生した転生事件とは一切、何も関係していない。そう思ってはいるけれどね』
「あなたの目的をお聞かせいただくことはできますか」
『おや、まだ分からないのかい? 君は賢い道化だが、少々頭でっかちだね。たぶん、君の主人はもう私の目的に気付いている。彼から聞いてみたらどうだい?』
道化が伯爵王に目をやると、伯爵王は頷き。
『おそらくは――暇つぶし、であろうな』
そんな馬鹿な――。
さすがに呆れますよと返そうとした道化の前で、魔猫はニヒっと哂って肉球で拍手。
『正解さ。伯爵王くんだっけ、君はやはり創造主によって強キャラと設定された影響を受けているのだろう。そしてその直感は犬のソレに近い。答えを探り当てる力はイーグレットくんも得意としているが、君のソレはまた別ベクトルの力といえるだろう。君は君でその直感を伸ばすことをお勧めするよ』
「ほ、本当にただの暇つぶしでここにいらっしゃると!?」
『ま、それだけが理由じゃないけれどね。今の目的、というか一応の行動理由は我が弟子をこのままこの世界から連れ出すかどうか、その辺りに私の関心は向かっているが、まあ君にもこの世界にも関係のない話だよ』
告げて魔猫師匠は弟子たる聖女を眺め。
穏やかな微笑を浮かべていた。
しかし道化が慌てて声を上げる。
「聖コーデリア卿が、この世界を、でる……ですか」
「いえ、決まっている話ではないのですが。父が外の世界に暮らすようになったので、わたくしも……そういう話はでておりますの」
「――待ってください!」
道化師クロードが声を張り上げていたからだろう。
周囲の目が、聖女たちに集まっていた。
「はい? なんでしょう」
「聖コーデリア卿、あなたはこの世界をお見捨てになるのですか?」
「え? 見捨てる? どういうことでしょうか……」
聖女は微笑みの延長の糸目のまま、困った顔で頬に手を当て。
「どちらかといえば、この世界がわたくしを必要としていないと申しましょうか。わたくしが迷惑をかけてしまっていると言ったらいいのか、うまく言えないのですが、わたくしがいることで混乱が起きるのならば――弟子として、師匠の世界に行くのも……選択としてはあり得ない話ではないと、そう思っておりますが」
「それは困ります!」
「困ると言われましても……わたくしも困ってしまいますわ。この世界にわたくしが馴染んでいないのは確かでしょうし。皆様にあまり迷惑をかけたくもないのです。そして――わたくしが去ることがこの世界のためでもあると、そう思っているのはおそらくわたくしだけではない筈ですわ。……あの、何か変な事をいっているでしょうか?」
「あ、あなたは領主なのでしょう?」
聖コーデリア卿は領主としての顔で応じていた。
「はい、ですから――今は、そうですわね……いっそ、暗黒迷宮ごとこの世界を飛び出してもいいのではないか、そう考えてもいるのです。決めたわけではないですが、おそらくはイーグレット陛下ならわかって下さると考えているのですが……あの、なにか?」
『我が道化よ、なにをそこまで慌てておるのだ。責めているわけではないが――聖女殿がこの世界に馴染めていないのは、周知の事実。この世界にいるよりも外の世界に向かわれた方が、互いの世界にとっては結果として良き結末となることもあろう。仕方なきことやもしれぬぞ』
聖女に続き伯爵王が眉を顰める。
聖女に救われた人間は多くいる。今の彼女ならば、嫌っている人間よりも尊敬や敬愛の心を向けている者の方が多いだろう。しかしそれと同じく、彼女に振り回され厄介だと思っている存在も多くいる。
彼女がこの世界を見捨てるのではなく、この世界が彼女を邪魔だと扱いに困っている。
ならばいっそ。
ここで綺麗にこの世界に別れを告げる。
いつか本当に、この世界から出て行けと罵られる前に――。
それも前向きな選択なのだ。
客観的に自分を眺めた聖女は自分の今の立場と周囲の心を、そう認識している様子。
彼女は周囲の心が読めるので尚更だろう。
そしてその認識はそう間違っていないのか。
悪意ではなく事実を眺める王の顔を作る伯爵も、おそらくは同意見のようであるが。
にもかかわらず。
狼狽する道化は、空を浮かんで焼きトウモロコシを待つ魔猫に目をやり。
「あなたほどの異神ならばご存じのはずです」
『おや、なにをだい』
「これから先に起きるイベントでは戦力が重要。なのに、この世界はゲームの時とは違い課金がない。いえ、正確には天使と契約者たる転生者の関係のみ――課金という状態が魔術として発動しているようですが、絶対数が少なすぎる。それに理由はわかりませんが、天使は基本的にこの世界の敵。この世界を滅ぼそうとする何者かの意思に操られている存在なので、協力者にはなりえない。つまり、課金前提のイベントが待っているのにこちらは課金なしで戦わないといけないのですよ」
冷静さを失っている道化が、ゲーム創作者でしか知らない情報を喋る様。
軽くなっていく口を、魔猫はじっと眺めていた。
道化の話は続く――。




