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第082話、入国審査―聖女は微笑み、ネコは嗤う―


 聞きなれぬ言語で名前が分かりにくいと噂の新国家。

 イシュヴァラ=ナンディカ。

 早朝の活気に満ちた市場街に不法入国したのは、美しき乙女とモフモフな黒猫。


 新国王キースたちは困惑した。

 けれど、このまま放置する選択はない。


 微笑みを絶やさぬ栗色の髪の、絶世の美女。

 聖女にして領主。

 聖コーデリア卿――その純白レースの手の中には、ふてぶてしい顔をした魔猫がドヤ顔を浮かべている。


 彼らは間違いなく、この世界で最強の名を自称してもいい存在。

 そもそも彼らが何をしに来たのか、それも分からない。


 あの魔猫こそが異物。キース王と喪服令嬢が常々語っていた異界の神。

 悍ましくも愉快で、そして何よりも恐ろしいほどに気まぐれな猫だと知っているのだろう。

 名もなき魔女も、獣将軍グラニューも動けずにいる。

 あの二人は聖女と魔猫の重圧に耐えきれないのだろう、視線を下に落とし、床にぽたり、ぽたりと汗を落として硬直していたのだ。

 グラニューが、ぞっと顔を青褪めさせたまま。


「おい、クソ女――あれが……あれ……なんだな」

「ええ、そうよ。お願いだから絶対に、手を出したりしないで――選択を間違ったら、たぶんこの世界そのものが滅びるわ。マジでね。コーデリアの方も、同じ。あなた、キースの強さは知ってるでしょう? 彼女は、それ以上よ」

「わぁってる、あれらは……そーいう類の……っ」


 畏怖に呑まれ――途切れがちな言葉が床に広がる魔方陣へと落とされ、消える。

 ぶるりと縮めた獣毛が、グラニューの恐怖と力量差を理解できるだけの力を証明している。

 ヴェールの下に薄らと冷たい汗を浮かべた喪服令嬢が言う。


「しかし――しばらくまったく姿をみせないと思っていたら、今度は急に計画の邪魔? 魔猫師匠。あの方は、いったい、何を考えているのよ」

『いろいろと考えているよ』

「……っ――!?」


 丸い猫口を開いた魔猫師匠の声は、金印を納めた儀式祭壇――ようするに地下にまで届いていた。


「向こうに聞こえてる!? キース、あなたまさか音声を中継しちゃってるの!」

「そこまでできる能力があったらしていたかもしれませんが――残念ながら私じゃありませんよ、彼らはあそこにいながらにして――こちらの声を聴いているのでしょう。おそらくはこの国全体をひとつのダンジョン、迷宮として捉え、無理矢理に迷宮探索専用のスキルを適用させているのかと」

「いやちょっと待ちなさいよ……ここは国の中心となる魔力の泉みたいなもの、無数の多重結界で覆われているのよ……って、まああの人たちにそういう常識は通じない、か……」

「相変わらずのご様子で――少し微笑ましいですね」


 狼狽している喪服令嬢たちとは裏腹。

 キースの横顔には余裕があった。

 悠然と王の貫録をもって状況を眺めているのである。


『はははははは! まあそう睨まないで欲しい、別に喧嘩をしに来たわけじゃないよ』


 モニターの中の黒猫、魔猫師匠が国の名産にしようとしている異世界クロケット、ようするにコロッケを齧りながらムフー!

 ホフホフと温かい湯気が上がる芋部分を貪り、むっしゃむっしゃ♪

 手についた脂をペロペロ♪


 瞳と口を開き、美味である!

 と、喝采を上げると、聖コーデリア卿の背後にいる護衛のコボルト達も大喝采。

 聖コーデリア卿も、うふふふふふっとまんざらでもない様子である。


 実においしそうに市場街のグルメを漁る聖女と魔猫を見て。

 なにやら気付いたのだろう。

 新国王のキースが、ぼそり。


「まさか、食べ物目当てでぶらりと寄っただけ……とは言いませんよね?」

『そのまさかだけど? 何か問題があるかな?』


 モニターの中の聖コーデリア卿が、ごめんなさいねぇっとおっとり笑顔。

 しばらく前の聖女は、少し疲れた笑みをみせていたとされていたが――その様子はない。なにか心を癒す出来事でもあったのか、以前よりも憂いが薄れているのだ。

 純粋に散歩を楽しむ聖女と魔猫といった姿なので、嘘ではないのだろう。


 しかし聖コーデリア卿ひとりだけでも、突然の訪問は心臓に悪い。

 にもかかわらず、魔猫師匠までセット。

 はっきりといって、金印で地脈に魔力を満たす儀式を終えたばかりの彼らには、この悩みの種は大きすぎた。


 整えていた皇族の髪型を僅かに崩し、大きなため息。

 垂れた一筋の前髪すら美麗なキース王が言う。


「入国するのならば、一応許可を取っていただきたいのですが……」

『おや、ちゃんと入国の条件は満たしているだろう? この地、イシュヴァラ=ナンディカに無条件で入国可能な存在がこちらにはいる。そうだろう、コーデリアくん。君も何か言ってやりたまえ』


 腕の中の魔猫に見上げられ、聖コーデリア卿が証明書を差し出し正当性をアピール。


「わたくしも例の騒動の最中に追放された貴族ですから。受付で申請したらすぐに受理されましたわ」

「そ、そう言われれば確かに……あなたもクラフテッド王国の被害者なわけですから、なるほど。クラフテッド王国の犠牲になったものならいつでも入れるようにと、システムを簡易化したのが仇となったわけですか……しかし、なぜ不法入国のアラームが」

「それは、たぶん入国の列に並ぶのが面倒だと師匠がおっしゃって、転移で移動してきたからかと。重ね重ね申し訳ありませんわ」


 キース国王に対し礼儀正しい姿をみせる聖コーデリア卿であるが。

 名もなき魔女がなんとか口を開き、小声で言う。


「どうするつもりじゃ……悪辣姫」

「どうするもなにも――この人たちに何を言っても無駄って、思わない? こっちには過去以外で後ろめたいことなんてない。聖コーデリア卿が手にする書類も本物。彼女が入国の条件を満たしているのは、あたしが保証できちゃうし。堂々と迎え入れるしかないでしょう」


 どうやら問題ないようだねとばかりに、モニターの中の魔猫がニャハリ!

 詠唱どころか肉球すら鳴らさず、空間が歪んだ。

 次の瞬間。

 モニターの中の乙女と護衛、そして黒猫の姿が消え。


 ぶぉん!


 コミカルな音と共に、彼らは直接キース王たちの目の前に顕現していた。

 聖女と魔猫。

 その背後には、蠢く闇の塊たち。


 コボルトの姿が見えることで、それがコーデリアの護衛なのだとは推測できる。

 一体一体がグラニューよりも強力な、獣の戦士。

 緊張が祭壇に広がる中で、転移を実行した魔猫師匠は悪びれもせずに、ふふーん!


『やあ! 私だよ、久しぶりだねミーシャ君。そして、建国おめでとう。キース君もまさか王になるだなんて、この私ですら想像していなかった』


 まるで神父のような、落ち着くが魅惑的で、けれどどこか性的な蠱惑的な声が地下空間に反響。

 響いていたのだ――。


 祭壇に集う国王、喪服令嬢、魔女、獣将軍は動揺を隠せぬ様子。

 そんな彼らに構わず、聖女の腕の中の魔猫師匠がながいネコ髯を蠢かせ。

 うにゅ~。

 瞳をツゥっと細めて語りだす。


『グルメ目当てにふらっと遊びに来たっていうのは本当だけど、せっかくだから挨拶をしよう――外から見ている私の友たちは大変満足しているよ。君たちが国を作り、まさかただの門番兵士だったはずのキース君が王になるところまで読めていたのは、三柱だけ。だからね、賭けは今のところ荒れている。私たちは先が見えすぎる、だから先が見えない君たちの戯れは――そうだね、とてもいい娯楽だ』

「娯楽ですって――」

『おやすまない。気分を悪くさせてしまったね、事実をそのまま伝えた方が真摯で紳士だと判断したのだが。不快と映ったのなら、それだけは詫びよう。すまなかったね』


 不快を示した喪服令嬢に、魔猫がこくりと頭を下げる。

 獣毛が、床の魔方陣に反射しネラネラと輝いている。

 そんな魔猫を腕に抱く聖女、聖コーデリア卿が喪服令嬢に何やら伝えたいことがあったのだろう。けれど、直接伝えるのは違うと感じたのか。

 その視線は王に向かって送られていた。


「突然の訪問、本当に申し訳ありません。師匠が一人で行くとおっしゃっていたのですが、さすがにそれも不安でしたので……わたくしも同席させていただくことになりました」


 にこりと花のような笑みをそのままに、聖コーデリア卿が淑女のしぐさでカーテシー。

 やはり詠唱すらせず、大魔術を行使。

 名もなき魔女と獣将軍グラニューに精神防御結界を展開したのだ。


 彼らは魔猫師匠の重圧に押しつぶされそうになっていた、その対処だろう。

 獣将軍グラニューがようやく顔を上げ、ぽぅっと聖女の美貌に瞳を奪われる中。

 ふふふふっと清楚な乙女は、純粋無垢な声で見知らぬ彼らにも頭を下げ。


「ご存じかもしれませんが、わたくしはコーデリア。コーデリア=コープ=シャンデラー。現在は暗黒迷宮の領主を務めさせていただいております。先日は、母の件で大変お世話になりました。キース新国王陛下――娘として、母の尊厳を守っていただいたこと、とても感謝しております」


 キースが言う。


「証拠は消したはずでしたが、何故その件をあなたが」

「色々とございまして、最終的にはアンドロメダさんを再召喚させていただいたので――全てとは言いませんが、だいたいの流れは把握しておりますの。その……どなたかがわたくしを傷つけないように配慮して行動して下さったことも。ですから――あなたがたに、感謝を」


 またしても、空気が固まる。

 キースが言う。


「アンドロメダを召喚、ですか!?」


 またとんでもねえことを言い出しやがったと、喪服令嬢のヴェールの下がプルプルとヒクつく前。

 聖女はいつもの能天気さで、こくりと首を横に倒す。


「ええ、ほら――ついてきてくださるというので、コボルトさんの真ん中にいらっしゃいますでしょう?」


 確かに、あの血の鋼鉄令嬢アンドロメダが護衛としてついてきている。

 強さの方も、聖コーデリア卿によって再召喚されたからか、邪神クラウディアに召喚されたときよりも上。その時点で、今のコーデリアが邪神クラウディアよりも上位の魔術を扱える証明でもあるのだが。

 呆然とする一同を前に、聖女は困惑。


「あら? 申し訳ありません、わたくし、またご不快にさせるなにかをしてしまったでしょうか?」

「い、いえ、あのアンドロメダ嬢を召喚ということで多少驚いただけです。なにしろこちらの二名は、彼女に抱き殺されていたので……」

「そうでしたわね、配慮が足りませんでしたわ」

「どうかお気になさらず」


 王の美貌と聖女の美貌、彼らの邂逅かいこうはとても絵になる姿といえるだろう。

 キースは執事職であったころの経験が生きているのか。

 どんな時でも物腰丁寧な慇懃さで、聖コーデリア卿と対話していた。


「すぐに迎賓館を用意いたします。それで、皆様はどれくらいの期間、滞在のご予定で?」

「お気遣いありがとうございます。けれど、迎賓館の準備は大丈夫です」

「すぐに発たれると?」

「いいえ、わたくしは元クラフテッド王国の民。しばらく国民としてのんびりと休養をさせていただこうかと思っておりますの。ですから特別扱いの迎賓館は遠慮をさせていただきたいのです。駄目でしょうか?」


 告げて聖女はニッコリ。

 悪気ゼロの顔で、許可証を提示。


 たしかに――この国はミーシャ姫や王族の失態で被害を受けた旧国民の救済機関としての役割がある。彼女もその条件を完璧に満たしている。

 だが、さすがにこれは想定外。


『ま、そんなわけでしばらくお世話になるよ。ああ、私は聖女さまの使い魔って事で登録してあるから。安心しておくれ。それじゃあ! 私たちはまだグルメを漁って、次に魔道具屋で家具を買い漁るつもりだから!』


 一方的に言って、魔猫師匠が赤い瞳に魔力を満たし。

 カッ!

 止めようとしたものの、既に彼らの姿は消えていた。


 まさに嵐のような聖女と魔猫。

 入国条件も滞在条件も、それ以上に永住の権利さえあるので非常に厄介。

 彼らの突然の襲来に現場は騒然。

 新国王キースの側近、喪服令嬢の胃袋をギリリと絞めつけたことは、言うまでもないだろう。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございました。 [一言] やはり大魔帝(推定)はグルメネタ枠ですな(笑)。
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