第081話、歓喜なる王の国
かつてクラフテッド王国があった地に作られた新エリア。
新国家イシュヴァラ=ナンディカ。
喜びの王の名を冠するその国名を決めたのは、新国王キース=イシュヴァラ=ナンディカ一世ではなくその側近。
顔を黒のヴェールで纏った謎の淑女だとされているが――。
国名を見たものの反応は大抵これであった。
「なんだなんだ、くっそ分かりにくい名前じゃねえか。もっといい名前はなかったのか? 姫さんよ」
モフモフ獣毛な部分を膨らませつり目を呆れさせたのは、かつて盗賊団の首領だった獣人グラニューだった。
彼はこのイシュヴァラ=ナンディカの幹部の一人。
戦闘能力も高く、指揮官クラス故に部下の統率も可能。
短慮と浅慮が目立つ本人の性格だけが多少問題だが、グラニューは新国家イシュヴァラ=ナンディカでも獣将軍の地位を与えられ、新国家を支える力として使役されていたのである。
そんな彼が睨むのは、純金製の魔道具。
そこには見たことのない文字で、新国家の名が刻まれている。
朝陽も黄昏も届かぬここは王城の地下。
儀式空間。
金印を土地に納めるべく並ぶ祭壇の中央には光の束、名もなき魔女と喪服令嬢の手によって描かれ刻まれた巨大な儀式円、いわゆる魔方陣が回転しているのだが――。
金印を作成したのは元冒険者ギルド幹部の名もなき魔女。今も喪服令嬢の横に並んでいるが……金髪碧眼の魔女はやはり年齢不詳の容姿で、フォフォフォと微笑み。
「そう騒ぐな、獣小僧。これにも何か意味があるのじゃろうて。察するに分かるモノには分かるという部類の、仕掛けとみておる。グラニューよ、悪辣姫の狡猾な罠、そなたとて何度か目にして知っておろう?」
「ババアには聞いてねえんだが?」
「おや、レディにババアなんて言うもんじゃないさね。この肌つや、シワのない首元に透き通った白い指先。全てがちゃんと若者であろう?」
「見かけだけ若くても意味ねえだろうが、心は立派に汚染されきった糞ババアじゃねえか。その肉体を作るためどれだけの犠牲を払いやがったか、聖職者の前で告白できるか?」
若さのため、正確に言うのならば研究を続けるための不老のために他者を多く利用した、名もなき魔女。
その悪名は冒険者ギルドに幹部として入り込み、情報操作をする前は世界各地に轟いていた。本当に、大悪人だった魔女は多くの民を犠牲にしてこの不老を得ているのだ。
すべては魔術のため。
その魔術でなにをなすのか、それは本人も周囲も語ろうとはしないが。
老婆の口調も若き魔女の口調も、どちらも都合よく使い分ける名もなき魔女が言う。
「ま、それはお互い様であろう。盗賊首領グラニュー。魔皇アルシエルとの勝負に負け、魔境を追い出された先代魔皇の一族に連なるケモノ。おぬし自身は……そうじゃな、かつての魔皇の従者か或いは親類か、ともあれその容赦のなき悪名は我とて知っておる。亜人と女子どもだけには手を出さぬ、なれど、それ以外のモノには正に鬼畜の所業で悪逆をなす。ほれ、なんであったか。おう、そうだ、黄昏の哄笑事件か――盗賊団を討伐しにきた人間の騎士団を捕らえ、その皮を剥ぎ街に送り返し……っと、睨むでない。そちらが先に過去を引っ張り出したのであろうて」
そう、グラニューもまた大悪人。
人間の、特に軍や騎士団といった部類の男に強い恨みがあるのか、女子ども以外には容赦のない外道とされていた獣人。
もっとも、彼らはともに既に死んだことになっている。
そんな外道な彼らを使役する喪服令嬢が凛と告げていた。
「おやめなさい。王の御前ですよ――」
それは王を王として崇める口調。
普段の喪服令嬢とは不釣り合いな口調だったからだろう。
名もなき魔女と獣人グラニューは顔を合わせ――大爆笑。
「なんじゃ、その口調は」
「ぶひゃははははは! くそ、似合わねえな!」
「は!? 仕方ないでしょう、普段からこうしていないと――あんたたちもバレるわよ!? これから衆目の中で、キースを王として仰がないといけないんだって分かってるんでしょうね!?」
ガルルルルっと顔を覆う喪服ヴェールの下で唸る令嬢を前にし。
王たる証の金印を土地に納める儀式の真っ最中にある新国王キース=イシュヴァラ=ナンディカが、王たる儀礼服を纏いながら告げる。
「だから私ではなく、他の方を探そうと提案したのですが」
「煩いわね、他に候補がいなかったんだからしょうがないって決まったでしょう。だいたい、あなただってグラニューくんとの戦いには前向きだったじゃない」
「あの流れのまま王となってしまいましたが……、大丈夫ですかね。私は門番兵士でした、城を出入りしていた多くの人間が私の顔を知っている。なぜおまえが? となったりしそうですし、そもそも王の器だと他国の王が認めるかどうかは――難しいかと」
不安そうな声ではなく、可能性の問題を淡々と述べるような所作である。
その腕も王たる儀式を完璧にこなしている。
魔女が言う。
「問題ないだろうさ。我の目には今の貴様は悠然とした、凛々しく冷たい王にしか見えぬ。我も長くを生きた、王たるモノを多く見てきた、だからこそ分かる。既に貴様は王じゃ。望む望まぬを別としてな」
「あのねえ、だいたいあなたのステータス情報は既に国王。職業としても王族となっているから、自信を持ちなさい……って、なに露骨に面倒くさそうな顔をしているのよ」
金印を土地の奥深く、国家全体に魔力を満たすための地脈にセットしていた長身の美形王族。
慇懃で物腰も洗練された男。
王たるキースが、凛々しく美麗なハンサムを崩していたのだ。
その瞳は、顔を覆う喪服令嬢を捉えている。
「なぜこうなってしまったのか、あなたについていくことを決めた私のせいですが――些か、選択を誤ってしまったのではないか――と」
「あら、今更? だいたい、最初にあたしがミーシャの天使と相打ちになった時に、あたしを見捨てていればよかったのよ。なのに、拾い上げて匿ったのはあなた。その点だけは自業自得でしょう?」
「あれは聖コーデリア卿も悪いのです」
「たしか、あんたがそのまま死なせてやってくれって言った言葉を無視、ってか、反対して、蘇生させちゃったって話だったわね。あいつ、本当に昔っから空気が読めないんだから」
「口調のわりには、とても優しい表情ですね」
獣人グラニューが眉を顰める。
「は? 何言ってんだ、この爛れ顔の姫さんは顔を覆ってるのに表情なんて見えねえだろ?」
「声と気配、魔力で分かりますよ。というか、あなたがたには分からないのですか?」
キース国王に不思議そうに問われ、魔女が呆れ声で返す。
「そんなものを分かるのは貴様だけだろうな。我には悪辣姫のヴェールの奥の顔など分からぬ。もし本当に分かるというのなら――貴様はどうかしているぞ、少しな」
「だとよ、変人コンビ」
逸れた話を戻すように、魔女が金印を沈めた魔方陣を眺め。
「ともあれじゃ、儀式は成功したようであるな」
「おそらくは――お嬢様、確認をお願いします」
「あのねえ、キース。そのお嬢様ってのも禁止だって言ったでしょう? 今はあなたが国王、このイシュヴァラ=ナンディカのトップで統治者。もっと偉そうにしなさい」
「とはいっても、お嬢様や姫様以外の呼び方もなれませんし」
「まあそうね……もうミーシャの名は使えないし、そろそろ新しい名前が欲しいところではあるんだけど……」
喪服令嬢は、はぁ……と息を吐き。
「ぶっちゃけ、もういらないんじゃないかしら?」
「そういうわけにはいかないでしょう」
「いいのよ、これからのあたしはあなたを陰から支える道化みたいなもんになるわけだし。知ってる? 道化は道化であって固有の名前をつけたりしない文化もあったって話よ」
「道化師クロードには名がありますが?」
「そりゃあ、まあそうだけど――」
イチャイチャしやがってと苛立ちをみせる獣人グラニューの横。
好奇心を刺激され続ける魔女が口をはさむ。
「姫の名などどうでも良いわ。して、国家としてのイシュヴァラ=ナンディカの名、その意味をそろそろ教えてもらいたいのであるが? 悪辣姫のことじゃ、なにか意味があるのであろう? 言霊を用いた、魔術結界のひとつであったりするのかえ?」
「違うわ、簡単な話よ、この名前を名乗ること自体に意味があるの」
「ほう?」
「名もなき魔女――あなたには以前、この世界の成り立ちの仮説について、ちょっとだけ説明したことがあったでしょう?」
名もなき魔女は魔術知識の延長として、叡智を求める賢人の顔で、ギヒリ。
「あぁ、当然じゃ! 大変興味深かったからな。転生者がもたらす知識の更に上にある知識であった」
「おいおい、てめえらだけで盛り上がってるんじゃねえよ。俺には分からねんだが? 魔女、知ってるんなら俺にも言いな」
「獣には分からぬだろうが、まあ良い」
金髪碧眼の、妖艶な魔女としての側面を目立たせ名もなき魔女は口紅を輝かせる。
「この世界誕生には、神話の前には滅んだ世界が広がっていたのじゃ。その滅んだ世界に植えられた、世界の種こそが転生者と呼ばれるものたちの魂と心を捕らえていた、乙女ゲームと呼ばれる魔道具。三千世界と恋のアプリコット。我らはその世界の種、三千世界と恋のアプリコットと呼ばれる遊戯の道筋を辿るように、初めから運命の設計図が設定されておる……と、ここまでは分かるな?」
「……お、おう」
と、ギザ歯の隙間から獣人グラニュー。
盗賊職で魔術に疎い彼の瞳は、既にどこか遠くを泳いでいた。
助け舟を出すようにキースが言う。
「魔女よ、グラニューは理解できていないようです。もう少し丁寧に……」
「は!? いやいやいや、超わかってるし!」
「そうなのですか? 正直、私には理解できていないのですが――あなたは凄いですね、グラニュー」
キース王は慇懃な笑みを浮かべているが、喪服令嬢が割り込み言う。
「いや、絶対理解できてないでしょ……」
「うるせえ!」
「まあいいわ。とにかく簡単に言うと、このイシュヴァラ=ナンディカ。イシュヴァラは王、ナンディカは歓喜を示す言葉。この名前はね――実は『三千世界と恋のアプリコット』を開発、配信していた会社名なのよ。ようするに、この世界の設計図を作り出した創造主集団の名前ってわけ」
名もなき魔女が、なんと……っ、と驚愕の顔をみせる。
「創造神たちの、聖名とな」
「転生者なら必ずあのゲームをプレイしている、あたしみたいにね。そして天使もおそらくは、転生者の関係者が選ばれるとほぼ確定している。だったらこの名にピンと来るはずなのよ。まあようするに、この国の名自体が釣り針ってこと――」
「はん! なるほどな! 知った名前に引かれて様子を探りに来た、クソ転生者やクソ天使どもをどうにかしようってわけか。悪くねえんじゃねえか」
グラニューの能天気な声の直後にキースが言う。
「しかし、天使を裏で操っている存在については――まだ誰も何も情報をつかめていません。創造神の一柱、道化師クロードとて知らぬだろうとは賢王の弁。創造神集団の名を国家名とし、おびき寄せるのはいいのですが……危険では?」
「多少の危険はしょうがないでしょう。それに、あなたなら強いし、万が一の場合でも大丈夫なように手は打った。あなた一人と既に国籍をここに移した民たちを逃がす準備はできているの」
言って、喪服令嬢は魔道具を提示する。
主を逃がす、緊急脱出用の課金アイテムである。
「いざという時は、私だけで逃げろと?」
「当然でしょ、あなたが生きてさえいれば国の機能は保てるもの。他のあたしたち外道たちはまあ、そのまま死んじゃったとしても仕方ないでしょ。それだけのことをしていた連中ですもの」
魔女と獣人が言う。
「ま、そうじゃろうな」
「否定はしねえぜ。俺は自分の信念に従い盗賊団を育て上げた、だが、その信念の中にいなかった、敵となるモノを容赦なく殺戮した。そりゃあ、相手側の家族たちにとっちゃあ、俺は悪魔以上の悪魔に見えただろうからな!」
キースが極悪人の三人を見る。
なにやら言いたげな顔で、強い口調でなにかを伝えようとした。
その直後だった。
警報が鳴る。
即座に動いたのはキース。彼は王の権限で魔術通信を発令。
地下であるにもかかわらず、王の声は城内に凛とした言葉となって広がる。
「何事だ――」
『すさまじい魔力と気配が、我が国に侵入した痕跡が』
「なるほど、我が国の名に引かれ――来たか」
キースが王権スキルと呼ばれる王にのみ許されるスキルを発動。
土地に埋め込まれた金印が反応し、それは魔術となって発動していた。
支配領域であればどこでもその様子を眺めることのできる、遠見の魔術の一種なのだろう。
魔力性のモニターが侵入者の姿を捉えるべく、魔力のでどころを探る。
敵か味方か。
緊張の空気が流れる中。
映し出されたのは、市場街。
他国との貿易も開始し始めたおかげで、賑やかな場所となっているのだが。
その中央に、悍ましい魔力の塊が二個、存在した。
モニターが、その魔力の渦に近づく。
そこにあったのは――どこからでも目を引くほどに美しい乙女と、黒いモフモフの姿。
新国王キース……その瞳が、ジト目となる。
「……。あれは……」
「って、コーデリアと魔猫師匠じゃない!」
そう。
まっさきにつられてやってきたのは、例の二名。
彼らは共に遠見の魔術でみられているとすぐに察したのだろう。
モニターに向かい、手と肉球を優雅に振ってみせている。
これは予定に入っていないと、キースと喪服令嬢は目線を合わせ頭を抱えた。




