第080話、黎明の儀式【キース、ミーシャ視点】
突如として新たな王族の始祖となれと言われ、従者のキースは困惑していた。
ただ主人の喪服令嬢が突拍子もないことを言うのは日常茶飯事。
転生者ということで、価値観の違いもある。
だから従者は後ろに撫でつけた髪を、荒廃した風に僅かに靡かせ。
ハァ……といつもの溜息をもらす。
「聞いていませんが?」
「当たり前じゃない。言ってないもの」
「事前に相談していただきたかったのですが?」
「あら、だって事前に相談したらあなた、断っていたでしょう? ほら、もう儀式のアイテムも起動しちゃってるし、これは消費型のアイテムだから次はない。賢王から再度、儀式道具を買い取る資金もないからあなたがなるしかないの。身勝手だってのは分かってるけど、それを承知でついてきたのはあなたの筈よ。諦めなさい」
主人の本気を察し。
だからこそ質が悪いとばかりの目線で、従者キースは主人であるかつてミーシャだった姫を見る。
「どうせあなたのことです、私を王にすれば少しでも償いができたと本気で思っているのでしょうね」
「思ってないわ。王なんて罰ゲームみたいなものだし、その責務は重々承知している」
「ならば――」
「話は最後まで聞きなさい。これは信用できるあなただから任せられる案件ってだけよ。なれる条件の云々を考えないにしても、誰かが王にならないといけないんだし。大罪人のあたしは論外、あたしのステルス系の能力じゃあ上位冒険者程度の腕で正体が暴かれちゃうのは実践済み。んで、こっちの元冒険者ギルドの本部の連中も基本的には全員まっくろの悪人。他の部下たちも基本的に全員、黒。あなたを除いて悪人しかいないのよ」
喪服令嬢がいいたいことは分かる。
キースはここに集まる姫の手駒に目をやった。
たしかに、見事に悪人ばかりである。元冒険者ギルドの幹部たち。資料として残す報告書には記載されていないが――他にも大盗賊団の首領であったり、世界の破壊を願う新興宗教の教祖であったり、この半年で天使に利用されていた、或いは転生者に利用され、この世界に混沌を招こうとしていたモノたちばかりなのだ。
喪服令嬢が集めている戦力の条件は、まず単純に強いこと。
そして悪事を働き、世間から消されたとしても悲しむ人が少ない存在。
更に、本当にそれなり以上の悪事をなしている、或いはなそうと企んでいた――魔道具を用いた鑑定でも極悪人と認定されるものたち限定なのだ。
理由も単純。
極悪人ならば魔導契約で強制的に操っても心が痛まない事。そして、作戦の途中で死んでしまったとしても問題が少ないこと。
何より重要なのは、彼らが一度死んでいることだろう。
喪服令嬢は蘇生の代価として、彼らに契約を迫るのだ。
服従か、蘇生か。
断れば蘇生が解除され、死が訪れる。脅しと同じ。
その行為もけして褒められたことではないが――もはや手段を選んでいる余裕などないのだろう。
この中で、善人とまではいわないが悪人ではないと断言できるのはキースだけ。
しかし――。
翳と愁いを帯び、ますます美麗となっている男キースは鋭いジト目で主人を睨む。
「私が王など、ふざけているのですか?」
「ふざけてなんかないわ、だってあなた――”あの師匠”の眷属でしょう? そして、既にその身には呪いにも似た恩寵と祝福が重ね掛けされている。それは神に興味を持たれたモノの証。あなたが望む望まないも関係なく、既に神の寵愛を受けているのよ。それがこの世界にとっての王族の条件」
名もなき魔女が興味を隠さず鷲鼻を動かす。
「姫よ、そなたが常々口にしている異界の神、魔猫師匠とやらの恩寵であるか」
「そういえば、あなたはあの方についての知識があったのね。ええ、彼、あの方に好かれているのよ。まあ好奇心を刺激したんでしょうけど――」
「不帰の迷宮に棲みついた異界の邪神。恐ろしき魔の獣。フォッフォッフォ、なるほど、まあ試してみる価値はあるじゃろうて。既にアイテムも使っておるしな」
喪服令嬢と魔女は乗り気である。
元冒険者ギルド幹部の魔女は、魔導技術の追求の果てに道を踏み外したのだろう。だからこそ、更なる魔導への挑戦や、検証ができるのならばとこの話に前向きなのだ。
明らかに老獪な性根を滲ませているのに、その外見は年齢不詳。若い金髪碧眼の魔女にすら見えてしまうそれも魔導技術によるもの。老化現象を弄っているのだろう。
ともあれ、乗り気ではない従者キースが鋭く反対を表明する。
「私は反対です。王の器などではありませんし、そもそも私は民など愛せません。民を愛せぬ王族に導かれる民は……哀れなことになる、それはあなた方、クラフテッドの血族が証明している筈。違いますか?」
自分が導けば民は不幸になる。
既に民の事を考えている、その時点で才能はあるのだとばかりの顔で、皇族だった喪服令嬢が言う。
「他に候補者がいないんだからしょうがないでしょう?」
「しかし――」
「だぁああああああぁぁぁ! もう優柔不断ね! それに……考えてもみなさいよ。このパターンって絶対に、アレよ?」
「アレとは?」
「とっとと行動しないと、のほほ~んとした顔のコーデリアがやってきて、あら? 空いている土地になったのですね。じゃあコボルトさんが住める寮に改造しようかしら? それとも、うふふふふ、キマイラタイラントゾンビさんたちが住めるアンデッドの楽園にしようかしら。なーんて言い出して、この場所をアホな理由で占有して、超特大ダンジョン化しちゃうと思わない?」
それにはキースも同意見なのか。
主人のかつての友の読めぬ行動を憂い、眉間に筋張った指を覆っていた。
「あの方ならば、たしかに……」
「まあ安心なさいよ。表に出るのがあくまでもあなたってだけで、他はあたしやこっちの暗躍が得意な連中でやるから」
暗躍が得意と言われ、悪人たちは不服そうな表情をみせる。
彼らは全員、あくまでも魔導契約で縛られているだけ。反発もまだかなり大きい。
だからだろう。
気配がズズズっと蠢いた。
名もなき魔女ではない誰かが喪服令嬢の前に出て、ギロリ、大きな瞳と口を開いていたのだ。
「ちょっと待ちな! キースとかいう腰巾着の言葉に乗るわけじゃねえが、俺も反対だ」
「あんたは……えーと」
「グラニューだ。って、てめえで吹っ飛ばした盗賊団の首領の名ぐらい、覚えてねえのか!?」
獣の血を継ぐ、人間と獣人のハーフの前衛職である。
顔立ちのベースは人間。
容姿はハンサムとは違うが、一定の需要があるツリ目ギザ歯の三白眼。人間よりも大きく引き締まった筋肉を纏う体躯に、獣のモフモフ耳とモフモフ尻尾が足された外見の男である。
ツンデレ属性でもあったら、口は悪く、文句ばかり言うが、なんだかんだと仲間を想っている不器用で粗暴な獣人男といったところか。
粗暴そうな、まるで声だけで生計を立てられそうなほどの整った、明らかに声優と呼ばれるアクターが声を当てた声帯であるが、喪服令嬢にとっても聞き覚えのない声だったのだろう。
かつてミーシャだった彼女は彼のゲーム時代を知らない様子。おそらくは彼女が死んだ後にアップデートされた存在か、あるいは――ルートが切り替わったことで生まれた新しい存在と推測できる。
ともあれ盗賊団の首領、グラニューは立てた耳を尖らせ、唸るようにキースを睨みギザ歯の隙間から罵倒を漏らす。
「だいたい、いつもあんたの金魚の糞をしているそいつが王の器かぁ? 神に愛されている存在ぃ? ハハハ! ばっかじゃねえの? とてもじゃないが信用できねえな! なあ、てめえらもそうだろう!?」
盗賊首領という指揮官クラスの獣人グラニューの投げかけは、一定の効果を発揮したのだろう、一部の粗暴な連中が乗り始める。
ヤジに喪服令嬢が肩を竦めてみせ。
「そっか、あなたたちが全員、彼の強さを知っているわけじゃないものね」
「ああ、ミーシャ姫さんよ。俺たちはあくまでもてめえに蘇生されたときに、蘇生の条件として強制契約を受けて従っているだけ。てめえの命令に応じる義務はあるし、くっそ、悔しいがてめえの魔力も知識も、俺は認めてやってる。他の連中もそうだろうよ、なにしろあの稀代の大悪女ミーシャ姫だからな? まじもんの大悪党、俺たち以上の血も涙もねえ極悪人でやがる」
転生者ミーシャの悪人としてのランクは最上位。
街の子どもがその名を聞けば、恐怖のあまりに泣き出す始末。
ゆえにこそ、躾の一環として悪いことをするとミーシャ姫になる、そんな言葉さえ広がり始めているくらいなのだ。
悪人としてのミーシャを認める首領グラニューが、尻尾の先を膨らませ。
「ああ、認めてやってるさ。てめえはな。だがな、クソ姫。てめえが王になるんじゃなくて――そっちの優男が王になるだぁ? バカか、てめえ! 従えるわけねえだろう!?」
反対意見に同調するモノの気配もする。
当然と言える。
信頼や利害の一致、信念で行動を共にしているわけではないのだから。
もっとも、名もなき魔女は喪服令嬢の魔術知識と、未知の課金アイテムとされる魔道具に興味があるので、比較的に協力的なようだが。
喪服令嬢が連れている契約者たちを眺め。
「賛成も反対も、三分の一ってところかしら」
姫の意見に従う顔をみせるもの。
様子をみているもの。
反対しているもの。
粗暴なグラニューが唸るように、犬歯を尖らせ。
ニヒィ!
「なあ、神に祝福されてるって話が本当なら、そいつ強いんだろう? こうしねえか、お姫様」
「なによ」
「反対している連中全員と、そいつを戦わせろ。異界の神に祝福されてるんだろ? なあ、できるよなぁ? 俺たちが勝ったら、俺たちを生かしたまま契約解除で解放しろ。負けたら仕方ねえさ――素直にそっちの優男にも従う。どうだ?」
フェイスヴェールを呆れの吐息で揺らし、喪服令嬢が告げる。
「バカバカしい。それって、こちらにメリットある? あんたたちには強制命令できるんだし」
対等な関係ではないのだから、喪服令嬢側にその提案を受け入れる価値は薄い。
だが。
盗賊団の首領だったグラニューは指揮官クラスのカリスマと交渉術をもって、食い下がっていた。
「てめえは何もわかってねえな、クソ姫。これだから女は駄目なんだ」
「あら、あたしを女として見てるんだ。誰にでも盛るのは、獣人の悪い癖かなにか?」
「は!? そういう意味じゃねえよ、殺すぞ!」
顔を真っ赤にし、モフモフな獣毛を昂らせ唸るグラニュー。
その後ろで、ザワザワザワと従者キースの鼻梁が、黒く染まっていく中。
気付かず姫が言う。
「冗談よ、冗談。さすがにそこまで自意識過剰じゃないわ。で? なんなの?」
「納得してねえ連中に強制するより、納得させた上で従わせた方が後々楽になるんじゃねえか? 本当にそいつが王になるのなら、そいつについて知っておく必要もある。本当に神に祝福されて、王の始祖になる器かどうか――試すには悪くねえだろう? なあ、どうだ。糞ビッチ姫」
「あのねえ、あたしがどれだけ罵倒されまくってるか知ってるでしょう? いまさら糞ビッチなんて言われても、まったく効かないわよ?」
「……なら優男に言ってやるわ」
粗暴な獣人としての眼光で、グラニューは敵視するように従者を睨み。
「いいのか、てめえの主人を馬鹿にされて。ああん? いつもこいつの後ろでチョロチョロしやがって、ダッセーダッセーとは思ってたんだ。だがな、俺は言わずに我慢してやってたんだぞ? つまんねえ顔してこのクソ姫の隣でウロチョロしてるだけなら、ここで消えな! そこには俺が代わりに立ってやる! それでも股の間に立派なもん持ってんのか? ってか! ギャハハハハハ!」
安い挑発である。
魔術やスキルとしての、相手を激昂させる挑発でもあるが――。
姫と従者は全く動じず、レジスト。
周囲もまるでごろつきのようなグラニューに、若干引いている。
「ちっ、マジで効かねえのかよ。おい、へなちょこクソ男。ここまで言われて、てめえは恥ずかしくねえのか!? そんなんが王になれるわけねえだろう、バーカ! バーカ!」
どんどんと程度が下がっていく罵倒に、従者は困った顔で喪服令嬢に目線をやり。
喪服令嬢が言う。
「あなた何歳? 一応それでも、ガチで盗賊団の首領だったんでしょう? 世界転覆やら、世界征服やら企んでいた悪党のくせに……そのボキャブラリー。言ってて恥ずかしくないの……?」
「う、うるせえ! バーカ! とにかく、やる気がねえなら! 消えな、王ならこの女がやるべきだろうが!」
喪服令嬢に突っ込まれ、獣の血を引く男が顔を真っ赤にして唸る。
獣の血が騒いだのか。
はたまた、喪服令嬢に強い感情でもあるのか、しつこく食い下がっているが。
喪服令嬢が手を翳し。
「もう、面倒ね。グラニューくんだっけ? あんたには悪いけど、強制命令するわ」
「は? ざけんなよ!」
魔女も妥協を促すが、反対するモノたちはキースを睨んだまま。
ここで強制命令するのは後の遺恨となると判断したのだろう。
仕方ありませんと、口を開いたのもまたキースだった。
「お待ちください、お嬢様」
「なによ、キース」
慇懃な執事服に身を包む男は、まるで”分からせる”ような面持ちでグラニューを視線に入れ。
薄い、整った唇で淡々と告げていた。
「毎回いちいち難癖をつけられても面倒ですし、彼らの話に乗りましょう」
その瞳は――魔力の赤で染まっている。
「は? 勝手に決めないで頂戴」
「お言葉ですが、先に勝手に決めたのはあなたの方では?」
「うっ、そりゃあまあそうだけど――」
突っ込みあう主従を眺め、グラニューが唸り。
盗賊団の首領としての指揮官スキルで同調者を強化しながら、ギザ歯をギラり。
自身を高揚させ、戦闘力を増す狂戦士状態へと変貌。
溢れ出る狂戦士化した魔力をネラネラと滾らせ、悪役としての哄笑を上げる。
「ふはははははは! いいじゃねえか、そっちの腰巾着が乗り気なんだ! さっさとおっぱじめようぜ!」
「お嬢様、構いませんね?」
キースはこう見えても頑固な一面がある。
もはや折れないと悟ったのだろう。
かつてミーシャだった姫が言う。
「ああぁぁぁぁ、もう分かったわ! 好きにしなさい!」
「よっしゃ! 一発そのお綺麗な顔をぶっ飛ばしてやりたかったんだ、負けても泣くんじゃねえぜ、金魚の糞男!」
「祭壇を壊されたら困るから、離れたところでやりなさい!」
警告した喪服令嬢が指を鳴らすと、キースと反対している彼らは特殊な戦闘空間に飛ばされる。
集団にかける強制転移の魔術を眺め、魔女が喪服令嬢に言う。
「見事な腕じゃが、本当にいいのか? あの澄まし顔の小僧が負けたら、我等の契約も解かれるぞ」
「大丈夫よ。彼が負けることなんてないわ」
「大した自信であるが、それは惚れた欲目というやつかえ? 大悪党様にも、なかなかどうして、乙女らしいところもあるじゃないかい」
老獪な笑みで瞳を細めた魔女が、くっくっく。
喪服令嬢をからかうように告げたのだが。
キースの主人たる令嬢の空気は重い。
「違うわ――本当に、強いのよ。今の彼。ちょっと怖くなっちゃうくらいにね」
喪服令嬢の言葉に眉をしかめる魔女であったが。
その言葉の意味をすぐに理解することになった筈。
戦いは一瞬で終わったのだろう。
一瞬だけ、すさまじい殺意が漏れ伝わっていた。
空間が解除され、戦闘フィールドから帰ってきた彼らに広がっていたのは――。
畏怖。
恐怖よりもさらに奥にある、絶対的な感情だった。
そこにはグラニューがいた。
キースもいた。
喪服令嬢が見たのは、戦闘終了後の姿。
立ったままの後ろ姿のキースと、腰を抜かして並ぶ反対していたモノたち。
ガタガタと肩を震わせ。
獣耳と尻尾を垂らし、絶対に目線を合わさぬように瞳を逸らし。
怯えるグラニューがそれでも声を震える肺の奥から絞り出し、敗北を告げた。
この結果に反対する者はいなかった。
それは魔性を纏うキースの、底知らぬ得体のしれない力を感じ取っていたからだろう。
その時ようやく、全員が気づいたのだ。
姫の従者キース。
彼はただの腰巾着ではなかったのだ、と。
かつてただのモブだった、門番兵士だった男――。
キースは新たなる王となった。
◇
クラフテッドの跡地に新設されたエリアの噂は、千里を駆けた。
その国では旧クラフテッドの民を受け入れる準備も既に整っているとされ、難民化していた旧クラフテッドの民は噂を聞きつけ、とんぼ帰り。
故郷のあった土地に帰還した彼らが目にしたのは、荒廃した土地ではない。
そこはまるで夢物語――全てが恵まれた賑やかな大国家であった。
と。
毎日のように、誰かがこぞって口にする。
噂の出どころは、酒場。
語り手は踊り子と、召喚される大天使の貴公子。
その美しい舞と語りを目にした街の吟遊詩人が真似をして、その歌は子どもたちの耳にも入り、その口から親へと語り継がれて運ばれる。
世界各国を旅する赤き舞姫の公演と共に、瞬く間に世界に広がっていたのだ。




