第008話、天使のマスコット―重課金―【ミーシャ視点】
世界は突如現れた謎の巨大魔力に騒然となっていた。
聖女と姫の故郷――クラフテッド王国では、未来が読める神の遣いとしての地位を確立していたミーシャ姫が、何故か今回だけは分からないと癇癪を起こし――聖騎士であり、北方からの侵略者や魔物を見張る皇太子、実の兄であるミリアルド殿下を急遽遠征から呼び戻している、との話まで流れてきている。
隣国、オライオン王国でも動きがあった。
あまりにも考えなしのバカなため、反省を促すために父に勘当されたというバカ息子……騎士王子オスカー=オライオンが帰国し、父と民に本気で頭を下げいままでの非礼と暴虐を詫び、何故かダンジョン攻略の準備を始めていたのである。その行く先が処刑場と化している地、不帰の迷宮だというのだから、理解が及ばない。
バカは何をするか分からない。
オライオン王国の国境付近にある他国の貴族たちは、何事かと目を光らせていた。
騒然となっているのは、国だけではない。
教会はなにやら隠したいことがあるようだ。
明らかに魔道具の購入量が増えており、教皇直属の暗殺部隊まで動かしているらしい――などと、きな臭い噂が流れていた。
各地の冒険者ギルドにも動きがあった。
一流冒険者ばかりだったとされる、オライオン王国の領地にあった冒険者ギルドが突如として解体されたのだ。理由は不明。たしかに戦績が落ちているとの話は他の町にも伝わっていたが、解体されるのはよほどのことだ。
商人たちの話では、多額の金銭を用意し――蘇生の使い手であるとある聖女を探し回っているともっぱらな噂であるが。
ともあれ、今この世界でなにかが起こっているのだ。
更に遠く離れた地――。
山脈帝国エイシスの美貌王と名高き、名君。かの有名な若き賢王ダイクンまで重い腰を上げ、動き出したとの話もあるが、確証は得られていない。
各国は混乱の最中。
突如として発生したモンスターパレードの原因も分からず、頭を悩ませているのは確かだった。
そんな国の争乱をよそに。
ふわふわと亜空間を転移するのは、天然乙女な聖女コーデリア。
乙女は混乱する世界を眺めて、一言。
「皆さま、なにをそんなに大騒ぎしているのかしら――?」
そう。
まったく気づいていないのである。
さて聖女コーデリアがなぜ亜空間を移動しているかというと、それにはもちろん理由がある。
父を探していると魔猫師匠に相談したら、チーズの食べ比べをしていた師匠はハッと目を見開き。
ウニャ! ウニャニャ!
ごめんごめん言うのを忘れてたね!
人質にされても面倒だし、そういうルートもあるから私が先に匿ってるよ!
と、あっさりと告げて地図に座標を投影。
会いに行ってくるといい、と促されて指定座標に飛んでいる――というわけである。
これはその裏の物語。
◇
ここはクラフテッド王国の城。
姫の寝室。
神子たるミーシャ姫は機嫌が悪かった。
いつもは口と心を潤してくれるハチミツ紅茶の香りは渋く、今はなんの味もしない。
「なんで、なんでなんでよっ……! なんなのよあの魔物たちはっ、それに迷宮女王なんてスキル、どこにもないじゃない!」
転生した時に一緒に持ってきたスマホと呼ばれる細長い板、魔力で動くように改良した道具を用いて、保存しておいた攻略サイトを読んでも――。
「こんなルートも! どこにも書いてない! 天然ぶったコーデリアがっ、生きていたなんてありえないわ!」
ぜぇぜぇと肩で息をして、黒い扇を軋ませ。
ぐぐぐぐっと、血が滲むほどに姫は唇を嚙み締めていた。
ふわふわと浮かぶ小さな天使が言う。
『あーあ、王家の扇をこんなにしちゃって。落ち着きなよ、癇癪姫様――』
「これが落ち着いてなんていられるわけないでしょう! バカなの、あんた!」
『バカは君だろう? ちょっとルートからずれているぐらいで文句を言って。すぐに癇癪を起こす。正直、君が本当にミーシャかどうか、僕には分からなくなり始めているよ』
ゲームのマスコットキャラだった天使は、小さな美青年。
いつも主人公であるヒロインをナビゲートしてくれる、アイコン代わりにもなる便利キャラである。当然、ヒロインに転生した彼女にも天使はついてきた。
それでも信頼度や好感度を失うと、やれることは少なくなってくる。
怒りを鎮めたミーシャが言う。
「あたしはミーシャよ。ミーシャ=フォーマル=クラフテッド。他の何に見えるというの?」
『僕には性格の悪そうな小娘が見えているが、まあどうでもいいね。僕は君に従うしか道がないんだから』
「そう、分かっているのならいいわ」
『それでどうするつもりなんだい? 領民たちの話からすると、あの女、たぶん本当に生きているよ』
天使は課金アイコンを示して、にひっと微笑む。
『また課金するかい? 僕は歓迎だよ?』
「だめ、だめよ……っ。もう、寿命は削れない……っ」
『また誰かから寿命を吸えばいいじゃないか? あのさあ、こっちもボランティアじゃないんだから、君が命を削って課金してくれないと、商売あがったりなんだよね?』
ミーシャは感じた。
これは選択肢だと。
「そうね――今度適当なイケメンでも攫ってきて、味わってからエナジードレインをしておくから。待ってて」
黒鴉と称される姫の唇から、邪悪な吐息が漏れていた。
天使との好感度が上昇する。
『勧めておいた僕が言うのもなんだけどさあ? 君、本当にゲスだよね?』
「あんたほどじゃないわよ――」
姫と天使は互いに利用する、悪人の距離感でにらみ合い。
「それで、あたしを疑い始めていた貴族は」
『ちゃんと消しといたよ。駄目じゃないか、人を陥れるならちゃんとバレないようにしないと』
「いいじゃない……全部消しちゃえばいいんだから。どうせゲームなんですし」
ミーシャ姫の言葉に天使は何も答えず。
『君の大好きなお兄様はどうするんだい? たぶん、少しだけ疑い始めているよ?』
「兄さんはダメよ!」
『なら言い訳を考えておくことだ。十秒以内にね』
「十秒って……!」
ミーシャはハッと答えに至る。
兄であり攻略対象キャラクターのミリアルドが、遠征から帰国したのだろう。
天使が、すぅ……っと消えて、姫の寝室の扉が開かれる。
「ミーシャ! あの悪魔、おまえを虐め続けていた聖女コーデリアが生きていたというのは、本当か!」
「本当よ、お兄様……」
ミーシャははらりと黒い前髪を垂らし、崩れ落ちながらも顔を腕で覆って泣く。
疑われているのなら、そのフラグを折ればいい。
簡単なことだ。
「あたしっ、あたしの領地が……っ、あの子に……っ」
「クソ……っ。間に合わなかったのか」
狼を彷彿とさせる、孤高なる黒髪黒目の美青年。
ミリアルド皇太子は涼やかな顔を憎しみで歪めて、崩れ落ちている妹の肩を抱く。
「怪我はしていないかい?」
「あたしは……っ、でも教会も冒険者ギルドも……全部、全部コーデリアが……っ」
実際コーデリアが領民を襲ったのは事実。
だから簡単に証明できる。
領民たちは口をそろえて全員で、まったく同じ言葉を言っただろう。
悪魔コーデリアのしわざだと。
「オライオンはどうした?」
「よくわからないの。乱心して……国に帰ったと聞いているけれど」
「あいつめ……、ワタシの妹の領地を手伝うと言っておきながら」
「いいの、あたしが悪いの……彼は悪くないわ」
「ミーシャ……お前は本当にやさしい子だね。こんな優しい子を傷つけるなど――コーデリア。やはりもっと前に殺しておくべきだったか」
大事な妹を傷つけられて闘志に燃える孤高なる貴公子。
その腕の中で。
ミーシャは、くふふふふふ……っと微笑んだ。
「ミーシャ?」
「いえ、なんでもないわお兄様」
「人の目がないのだ、兄さんと言ってくれても構わないぞ」
「……はい、兄さん」
既にフラグもイベントも済ませている。
だから兄は従順に動く。
ミーシャは言った。
「あの、兄さん。一つだけ、よろしいかしら?」
「なんだい」
「コーディーの父親が、まだ生きているという話も聞くの」
「あの反逆者が!?」
「兄さん、それでもあたしは昔、あの人にお世話になったわ。友達のお父さんだったんですもの……」
「だが、友であるお前を裏切ったのはコーデリアだろう! 反逆者の父親など」
ミーシャは首を横に振り。
「それでも、父親に罪はないでしょう? どうか、早まって行動をする人が出ないように、兄さんから皆に言っておいて欲しいの。コーディーの唯一の弱点は、たぶん……あの人だから、このクラフテッド王国のために悪いことを企む人がいると思うの。絶対に、絶対に! 手を出さないで頂戴って。みんなに……伝えて。だって、道は違えてしまったけれど……あたしとコーディーは、友達だったんですから……」
ルートは違うが、この流れは似ている。
裏切られても友を思う愛らしい妹の図である。
むろん、攻略で学習済み。
ミリアルド皇太子は瞳の奥に、ぞっとするほどの黒い魔力を揺らし。
決意を込めた瞳で――。
睨んでいた。
「ああ、分かった。誰にも手を出させないように、ワタシが動こう――」
「ええ、絶対に約束よ?」
しばらくした後。
ミリアルド王子は兵士を連れて城を出た。
その頭を昏い部屋から眺め――。
ミーシャは言った。
「課金するわ。兄さんにあのクソ女の父親の座標を発見させて」
『まいどありだね、お姫様。じゃあ、寿命を貰うよ? 正当な理由なき返金は規約違反、キャンセルはできないからね?』
「構わないわ。だって、誰かから奪えばいいだけだし――どうせゲームでしょ。この世界」
天使は何も言わなかった。
ただ。
寿命を削った分の課金の奇跡を起こしていた。
姫は嗤った。
笑う姫の姿が黄昏の斜陽で伸ばされ、それは壁に広がっていた。
まるで悪魔のようだった。
「この世界なら、あたしは誰にも負けない。もう誰も、あたしを嗤わせない、あたしが負けることなんて絶対に、ない。ねえそうでしょう? あたしの転生特典の天使ちゃん」
天使は負けないとは言わずに。
『なら、いっぱい課金しないとね』
「必要以上にはしないわ。必要になったら、する。それでいいでしょう」
『ああ、必要にならないといいね――』
天使も――嗤っていた。