第079話、プロローグ―始祖―【ミーシャ視点】
騒動から半年が過ぎていた――滅びた国クラフテッド。
その跡地は惨憺たる有様。
皇族による守り、すなわちその血に流れる神の加護を失った地域を形容するのならば――。
荒廃。
だろう。
田畑が生えていた場所には毒沼。
朝か夜かも分からぬ空には天を覆う闇――稲光を纏う分厚い雲。
瘴気を清める教会も放置されたせいで、知恵なきアンデッドの群れが湧き。
風の妖精や精霊、水の守り手も土地を諦め消え去り、朽ちた大地から生じる饐えた魔力は天へと昇り、常に黒い雨が降り続けている。
これが国の終わり、三千世界と恋のアプリコットでも発生した亡国状態。
この世界の王とは土地を維持する人柱。
形だけの象徴ではないのだ。
王族の身に宿るのは黎明の神々の血。
始まりの血を受け継ぐ彼らは、土地を浄化する役目を担った特別な存在なのだ。
だから多少の傲慢が許される。だから驕りが発生する。彼ら王族がいなくなればこうして、土地が滅ぶのだから。
魔術的な分類に落とし込むなら、国とは小さな世界。世界に主神という軸が存在するように、王が主神として君臨する、疑似的な小世界となっているのだろう。
だから民は王を仰ぐ、だから民は王を信頼する。王がいなければそもそも土地がなりたたない。
そしてその信頼と信用が信仰となり、それが王の力を倍増させる。
それは逆説的に言えば信頼を失えば、力は衰退していくばかりなのだ。
荒廃した亡国の土地。
草木も育たぬ死の大地。
罪なき民たちは亡命を果たしていたが――幸せになっているわけではない。
頭の中に王族と国の関係を思い浮かべていた喪服令嬢は、自嘲の息を漏らしていた。
「――だから、道を踏み外したクラフテッド王国はここで滅んだ、か」
「お嬢様、感傷に浸るのはよろしいのですが、早く済ませてしまいましょう。他の資格ある王族がこの地を占有してしまう可能性もゼロではないのでしょう?」
「そうね、分かっているわ」
告げる女は手を翳す。
儀式を行おうとする喪服令嬢、その後ろにいるのは強者たち。
半年前に起こった冒険者ギルド本部の乱心にて――死んだことになっているモノたちだった。
軍単位とまではいわないが、喪服令嬢の手駒はそれなりの数となっている。
元冒険者の中心となっているのは、半年前の、邪神再臨の危機にも現場に居合わせた金髪碧眼の魔女風の女だった。
名は誰も呼ばない、本人も呼ばれなくなりもう忘れ去っているのだろうか。
名がないからこそ、名もなき魔女と呼ばれ、人間性はともかくその知恵だけは皆に信頼されている。
年齢不詳の魔女が鷲鼻を蠢かし――言う。
「我の作りし魔道具は完璧ではないからのう。傾国の皇族よ。一度国を滅ぼした女よ。はたして、おぬしの魔力と血でこの地を占有できるのかえ?」
「あたしには無理でしょうね」
「なんと? ではいったい、なにゆえにこのような場所に我等を呼んだ」
「馬鹿ね、言ったでしょう――クラフテッドが滅んだ後に再度新しき王の、新しき国を作るって。代理の人間はすでに用意済み。そのための準備も根回しも既に済んでいる。あとは実行するだけよ」
喪服令嬢の言葉は自信で満ちていた。
山脈帝国エイシスから買い取っただろう王族の儀式アイテムが、ずらりと祭壇に並んでいるが――。
名もなき魔女が値踏みするように眺め言う。
「根回し……狂王エイシス十二世、勇ましくもおぞましきあの男のこせがれ、賢王イーグレットと言ったか――姫よ、おぬしはアレと繋がっているようであるが……信用できるのかえ?」
まあ、見目麗しいのは確かであるがと、魔女はフォッフォッフォ。
若い見た目に不釣り合いな、老婆のしぐさで鼻を擦っている。
喪服令嬢は言う。
「彼の行動目的は自らの民を守ることにある。世界が滅びれば自らの民も滅ぶんですもの、天使やそれを使役する存在と抗うために動くあたしたちには比較的協力的な筈よ。利害が一致しているのならば、あの男は大丈夫」
「利害が一致しなくなった時、関係が崩壊するということではないか」
魔女風の女が責めるような口調で言うが、構わず。
「いいのよ。利害が一致しなくなった時っていうのは、もうこの世界が安定した後って事ですもの。その先がどうなろうと、あたしの知ったことじゃあないし。そこまでの責任はないわ」
「その時は我等の契約も解除しとくれよ」
「あら、その時まで生きていられるのかしら?」
「ふん、我等は使い捨てかい?」
「さあ、どうでしょうね。けれど、もしあたしやあなたたちの命で多くの人が救えるのなら、あたしはこちらを切って多くを救う。単純な数字の問題としてね。無駄に殺す気も、使い倒す気もないけれどそれは頭に入れておいて」
名もなき魔女と、彼女の後ろで警戒するように腕を組んでいる元冒険者たちは不満顔。
けれど喪服令嬢と行動を共にして、その行動理念は既に理解しているから反論はないようだ。
喪服令嬢が行おうとしていることは明白。
この世界を存続させること。
そして、より多くの無辜なるモノの命を救う事にある。
納得しているが、言いたいことはあるのだろう。
名もなき魔女が言う。
「偽善者めが」
「あら、偽善だって善行でしょう?」
「まあよい。して、代理の王族はどこにおる。このエリアを国として維持させるためには、神の血を引きし王族が必要不可欠。なれど、汝は駄目じゃ。確かに王族じゃろうが、既に追放された身。この国を再建するほどの神性は持ち合わせてはおらぬじゃろ」
名もなき魔女は国を浄化する楔となる王族を要求し、神の血の必要性を語るが。
喪服令嬢は魔術師としての顔で、それを否定するように口を開いていた。
「神の血なんて必要ないわ」
「必要ないことないじゃろうて。ついに狂うたか?」
「狂ってないっての。考えてもみなさい、王族の始まりっていうのは結局は魔術的な儀式なのよ。世界が誕生した黎明の時代、神と呼ばれる存在が人間に恋をし交配し、その神の力を受け継ぐ存在が初代の王となり――荒廃していた土地の人柱となり、国としてエリアを再構築させた。それが始まり」
「神話じゃな。だが、自分で言っておるではないか。神の力を受け継ぐ存在が必要じゃと」
名もなき魔女の反論は間違っていない。
けれど、喪服令嬢は転生者であり、彼女自身も天使に抗うべく旅をしていたおかげで多くの知識を有していた。
だから、名もなき魔女とて知らぬ知識で、言葉を紡ぐ。
「何事にも最初はある。始まりがある。だったら話は簡単よ、始まりになればいい、黎明になればいいだけの話でしょう?」
「妄想というわけではなさそうじゃな、して、具体的にはどうするつもりじゃ。既に資格を失った汝は不可能、我等の中にも王族はおらぬ。神の力を宿す者など……」
皆を納得させるためだろう。
国を作るコンテンツを知っている転生者としての声で、喪服令嬢が設計図を投影し。
「難しく考える必要はないわ。国を作るのに必要になるのは、結局は神の加護に分類される”力”ってだけよ。血統が重要なんじゃなくて神性な魔力が必要なだけってこと――だいたい魔境だって、戦いの勝者が代々魔皇になってるんだから血統なんてオマケみたいなもんなのよ。更に言うなら、恩寵はこの世界の神である必要はない。神性属性を含んだ力でさえあれば、なんでもいい。これは魔術やスキルや祝福ってもんが、結局は同じ魔力であるとする理論が正しさを補強している」
告げて喪服令嬢は資料を投影する。
写された論文を眺め、名もなき魔女がピクりと眉を跳ねさせる。
「我の論文ではないか?」
「言ったでしょう、あなたの知識だけは信頼しているし尊敬しているって。とても興味深い内容だったわ。あなたたち冒険者ギルド本部って、伊達で世界征服を企んでいたわけじゃないのね」
「ふん、世辞は要らぬ。だが、なるほどのう……ようは神に祝福された、恩寵を受けた力ある存在がいれば問題ないわけか。理論だけならば間違ってはおらぬ」
知恵だけは信頼されている魔女の肯定を受け、喪服令嬢は悪い笑みを浮かべ。
「で、ここにはとびっきりの恩寵を受けた人材が一人だけいる。その人には悪いけれど、これから世界を救うための王になって貰う。消去法で考えても答えはもう決まってるわ」
告げて、喪服令嬢は従者を振り返り。
「そういうわけで、おめでとうキース! 喜びなさい、そして自分勝手な主人だと、好きなだけあたしを罵りなさい。他に選択肢もないし、これは決定事項。今日からあなたがここの主。黎明とされる初代、滅んだクラフテッドの土地を上書きし新たな国の始祖王となるのよ!」
寝耳に水だったのだろう。言われた従者は、しばし沈黙し。
はい?
と、美麗な眉間に大きく皴を刻んでいた。




