第076話、第三章ラスボス戦―邪神の心―【ミーシャ視点】
刺さった剣を魔力性の酸で溶かしながら。
ジャリジャリ、ジャリジャリとドレスを引き摺り歩き――。
アンドロメダ=クラウディアは両手を広げて、祈るように言った。
二つの声が重なり響く。
『ああ、アタシには見えている。この世界こそがあの子を虐める悪い世界。だから、アタシはあの子を守るためにこの世界を壊しましょう。さあ、あの子を虐めたあなたたちに――さようならをする時間を上げましょう、あの子を虐めるすべての世界にお別れを……』
黒の女神と形容できる彼女は、邪神を纏ったアンドロメダか。
それとも、邪神の母体の上にアンドロメダという召喚獣を憑依させ、動かぬ肉体を動かすクラウディアか。
どちらにしてもこれが第二段階。
ゲームでは肉体はアンドロメダ。
憑依していたのは邪神クラウディアであったが、現実のこの世界では逆。
クラウディアの遺体を動かす存在として、その肉体の上にアンドロメダが召喚されている。
刺さっていた一対の従者の剣が、カチャチャチャチャン……と床に落とされる。
酸で溶かされ――更に再生されていく肉に押され、抜け落ちたのだ。
剣を手元に再召喚させ、溶けた刀身を魔力で再生させながらキースが言う。
「お嬢様、勝算は」
「あるに決まってるでしょう。あたしを誰だと思っているの? 目的のためならなんだってする女よ? ルートは違ってもあたしは多くを知っている、そしてあたしの職業を何だと思っているの?」
美麗な男はしばし考え、真顔でぼそり。
「外道姫……ですか?」
ヴェールの下で頬をヒクつかせ、ミーシャだった姫が唸る。
「こんな時にふざけるなんて余裕じゃない。まあ似たようなもん、堕ちた皇族ですもの――闇落ちしたヒロイン専用職業となっていた”暗黒姫”よ。その能力は従者を強化することに特化している。……って、なによその顔は」
「いえ、ダークプリンセスという単語が、こうなんというか……そこはかとなく、ダサいと申しましょうか」
「う、うるさいわね! あたしが設定したんじゃないっての!」
とにかく、と仕切り直し。
暗黒姫は広がる黒き翼の扇を、バサりと揺らし。
「今のあたしにはあなたを含め従者が複数いる状態になっている。それも、性格や行動はともかく冒険者ギルド本部の人間たちなのよ。各所に拠点を持ち、その権力を勘違いして世界征服でもしようとしていたのかもしれないけど――あたしの戦力として利用させてもらうわ!」
告げた暗黒姫が振るう扇の先から、範囲強化の魔術が解き放たれる。
対象は従者。
すなわち、蘇生と同時に魔導契約を強制された冒険者ギルドの最高峰たち。
「その野心と力は本物。騒動の裏で聖遺物を盗んでいたり、王たちの会議に捨て駒の冒険者を忍び込ませたり、かつて討伐されていたレイドボスの遺骸を補完し研究していたり。まあ好き勝手やってたみたいだけど、それもここまで。蘇生という対価を求めて蘇った以上は、従ってもらうわ! それが嫌なら契約切れであなたたちの蘇生は強制解除される」
くすすすっと邪悪に嗤う暗黒姫。
その命令に抗えないのだろう――冒険者ギルドの幹部と思われる年齢不詳の、魔女を彷彿とさせる金髪碧眼の女が叫ぶ。
「わ、我等を使役するというのか!?」
「そうよ、それの何が悪いの? あなたたちも自分が聖人君子だって言い張るほど無自覚じゃあないんでしょう? あなたたちが各国で行っていた不正や暗躍もあたしは知っている。まあ、かなり先のルートのことだから世間は知らないでしょうけれどね」
「転生者め……っ。ええーい、仕方がない! 勝算はあると言ったな! どうするつもりだ!」
「単純よ、勝てばいいだけ」
告げて暗黒姫は、ギルド幹部たちの足元に魔方陣を展開。
王族が家臣に装備を下賜するスキルを発動――通常装備とは一線を画す課金アイテムが、従者たちの装備を上書きしていく中。
ジト目でキースが言う。
「お嬢様、私には?」
「ないわよ」
「お嬢様はケチなので?」
キースは不満そうに、装備を貸し与えられた家臣たちを――。
じぃぃぃぃぃぃ。
自分にもなんかくれくれくれ、と、暗黒姫を眺めている。
大型犬が主人の足元をぐるぐると回るソレである。
「だぁああああああああああぁぁぁ! あんたは、あたしの課金アイテムより強力な装備を、なんかいつの間にか装備してるでしょうっ。逆に強制装備したら弱体化しちゃうじゃない!」
「まあ、それはそうですが」
「あからさまに不機嫌にならないの! 後でなんかあげるから!」
戦闘中にもかかわらず言い争っている二人に、冒険者幹部たちは困惑気味。
けれど、邪神を纏う相手のアンドロメダは別だった。
愉快そうな顔でくすりと微笑み。
『あら、とっても仲が良いのね。あなたたち、他の皆さんが困っているわよ?』
「一番事態を困らせているあなたが言うセリフ?」
『困っているのはアタシの娘でしょう? ねえ、お嬢さん、どうしてあの子を虐めていたの? ねえ、教えて頂戴。アタシならそれを聞く権利があると思うのだけれど――』
アンドロメダの精神と邪神クラウディアの精神が混じっているのだろう。
それはコーデリアの母としての感情をもって、けれど口調はアンドロメダで――。
暗黒姫の職にある喪服令嬢は周囲にそっと目をやる。
冒険者ギルドの者たちは、まだ戦闘準備ができていない。
不慣れな形状だからだろう、貸し与えた課金アイテムや武具を装備するのに時間がかかっているのだ。
キースならばすぐに臨戦態勢に入れるのにと思いつつ、時間稼ぎに乗るように暗黒姫はヴェールを言葉の風で動かした。
「うざかったからよ――」
『うざい? どうして、あんなに可愛いアタシの子なのに』
「それは自分の子だからでしょう? どんなに可愛い子だって他人から見たら他人の子、愛着なんてないわ。ましてあたしはこの世界をゲームだと思っていた。自分以外が意思をもって動き出した人形に見えていた。言い方は悪いけど、よそ様の犬を見たって全員が全員かわいいと思うわけじゃないでしょう? 実際、あたしには可愛いとは思えなかった」
ミーシャだった姫は昔を思い出すような声で。
だからこそ、本音の口調で母たる女に語り掛ける。
「そりゃあ良い思い出もあったわよ。あの子、本当に優しいから。けれど――成長してきたらそれは変わり始めた。あの子はあの力のせいで孤立し始めて――あたしに纏わりついてくるようになった。いつでもどこでも付きまとってきて、ミーシャ、ミーシャ、ミーシャってセミみたいに煩くて。あたしがいないとろくに友達もできない癖に、あたしがいないと誰にも相手にされない癖に。あたしがいないと皆から怖がられてたくせに。なのに、あたしよりも綺麗で優秀で、その力は本物だった」
ヴェールの奥が揺れる。
肺の奥から、声が押し出される。
かつては本当に仲良しだった友を、徐々に嫌いになっていた思い出を語る。
嫉妬だろうか。
羨望だろうか。
諦めた人生の中で死を選び、転生し、今度こそ自分が主役の舞台に導かれたのだと信じた、愚かで傲慢な転生者ミーシャ。
道を踏み外した、その瞬間の記憶が脳裏によぎっているのだろうか。
「あの子が嫌いだった。あたしが浴びる筈だった称賛を奪った、あたしが貰うはずだった期待を奪った。あの子が大嫌いになった。それにね、兄さんの心さえ奪ったあいつが怖かったのよ、あたしから離れてしまう皆が怖かった。全部、あの子のせいだってあたしは本当に怖かった。だから――きっとあたしはああなった。天使の言葉に耳を傾けた。それでも友達だから、あたしは躊躇したわ。でも……あたしじゃなくて、王宮の皆はあの子を聖女聖女って囃し立てた。あたしが主役の筈なのに。それが――どうしても許せなかった。気づいたらあたしは、天使の願いの力――課金をし始めていた。既に、戻れない場所まで進んで――ああなっていた。これで満足?」
邪神が心を覗くように、けれど覗けず。
だから本音を探るためだろう。
唇をコーデリアのようにゆったりと、開き始める。
『そう、ごめんなさいね。アタシの娘があなたを困らせて、でも、だからってずっと陰で罵って、陰で嗤って、陰でバカにして、最終的には処刑同然のダンジョンに追放。それって、とても酷いと思わない? それに、それって娘だけの話でしょう? あなた、他の人にもいっぱいいっぱい、悪いことをしたんでしょう? それって、関係ないわよね? あの子のせいにして、逃げているだけよね?』
かつて虐げていたモノの母に責められても冷静なまま。
ミーシャだった姫は言葉を拾い上げるように、甘受するように、受け入れていた。
「ええ、酷いわね。それがあたし。ミーシャ=フォーマル=クラフテッド、自らの王国を亡ぼす因となった稀代の悪女の名よ」
『開き直るのがお上手なのね』
「それはあなたの娘さんも得意としていることよ」
『あの子が……? そんなはずないわ。だって、あの子、そこまで器用じゃないもの』
母の心はあの時で止まっているのだろう。
バケモノの娘として畏れられ、それでも傍にいてくれた皇太子と性格の悪い姫の兄妹の背を追っていた、無垢なる少女のコーデリアしか――知らない。
既に実母より彼女を知る、かつて彼女の友だった悪女が言う。
「あなたが死んだ後、あたしに酷い目にあわされた後、彼女は師匠を見つけたの。彼にいろいろな事を学んだんでしょうね。魔術や戦術はもちろん、処世術や人との距離感なんかも……けれど、おそらく一番大きく学んだのは図太さ。あの子ね、ああみえて今は結構ずうずうしいし、心が強いのよ」
『あなた――まるであの子の友達みたいなことを言うのね。もしかして、仲直りをしたのかしら?』
仲直り。
そんなものできるはずがない。
名を捨てたミーシャだった姫が言う。
「そんな資格なんてないわ。たとえこれからどんな道を歩んでも、たとえあの子が許しても。世界も世間も許しはしない、そしてあたし自身もね――さてと、長々とお話に付き合ってくれてありがとう、クラウディア様。それともアンドロメダ? どちらでもいいけど、これでこちらの勝ちよ」
『あら? 勝利宣言は早いのではなくて? 時間稼ぎをしたかったのは、そちらだけじゃないの――皆さんが装備を整えている間に、ほら、こっちはもう魔力がこんなにも溢れている』
告げてアンドロメダ=クラウディアは自らの腕を抱きしめるように、ぎゅっと力を込めるが。
なにもおこらない。
何も発動しない。
『あら? どういうこと――なぜ、魔力が抜けていくの』
「分からないの?」
『なに、なぜ。どうして、ミーシャちゃん、あなたがしたかったのはその人たちが装備をするまでの……時間稼ぎだったのでしょう?』
「それは囮。まあ、作戦に失敗したら戦力になって貰うつもりだったから、間違ってはいないけれど。あたしの目的はそれだけじゃなかったって事。今のあなたはアンドロメダを召喚し、その肉体を動かした。それってようするに生きている状態と近い状態になっているわけよね? 邪神よりも、人間に近い状態になっていた――だったら、きっとあなたは思い出した筈。あの子を、とても愛していたって」
語り掛ける先。
ミーシャだった姫が眺める黒の女神。
その魔力が蒸発して、消えていく。
「あなたにはコーデリアと同じく、他人の心を読む能力がある。けれど、あたしの心は読めない。だから油断したのね。第三章のラスボス。倒せない設定をされているクラウディアの最後は……娘を愛していた、人間だったときの心を取り戻したあなたが自壊していく……そういう終わり方なのよ」
だから、ミーシャは語り掛けに応じていた。
本音で答えていた。
娘を想う母の心をより強く意識させようとした。
娘への愛が、邪神を破壊する。
アンドロメダ=クラウディアが、自らの腕を眺める。
手を眺める。
その指の隙間から、黒い瘴気が抜けていく。
『戦う前に消えちゃうだなんて、そんなつまらない終わり方。あるかしら?』
「それは、あなたが選んだ答えよ」
『え? ああ、そうね。ええ、そうなのね。だってアタシはお母さんですものね』
クラウディアの言葉なのか。
それともアンドロメダの言葉なのか。
女はとてもやさしい顔と声で、ここではないどこかを眺めて。
言った。
『あの子が悲しむのだと理解してしまったら。壊せないわね。こうして邪神として蘇った姿なんて、見てしまったら――あの子、泣いてしまうものね。だから、アタシの理性が、アタシ自身を壊しているのね』
「ごめんなさい――」
『あら。どうして謝るの?』
「どうしてもなにも、あたしは、謝らないといけない事だらけよ」
神としての器から落ちた、母たる邪霊が。
キース以外の者たちを睨み。
『それでも、こうしてアタシを止めたでしょう? あの子を虐めていた事、そこの人達も、教会の皆さんも、王国の皆さんも、皆、苦しんで死ねばいいと思っている。それがアタシの本音。けれど、アタシがこのまま再臨した場合、きっと、アタシを封印するのは……いいえ、殺すのはあの子の役目となっていた筈なのよね。それは分かっているわ。ミーシャちゃん、あなたはそれを全力で止めようとしてくれていた。恨んでいないと言えばウソになるわ、けれど、あの子にアタシを殺させないでくれた。それだけは本当に、感謝しているのよ――』
だから。
と、母たる女は微笑み。
光に導かれ、その聖遺物ごと――消えていく。
『あなたを許さないけれど、あなたがこれからする事だけは許してあげるわ。祝福してあげるわ。感謝してあげるわ。アタシはあなたの贖罪を肯定します。どうか、それがあの子のためになるのなら――最後まで、諦めないで……』
あの時、あの子と友達になってくれてありがとう。
それも――感謝していたわ。
と――過去形の言葉を残し、黒の女神が消えていく。
しゅぅぅぅぅぅぅ……。
三千世界と恋のアプリコットの流れを再現するように動く世界が、ボスが消えていくエフェクトを発生させる。
戦闘終了。
邪神が立っていた場所に、アイテムが出現していた。
それは、空の箱。
聖遺物が納められていた棺だけが残されていた。
冒険者ギルドの本部が盗んだ、バケモノと呼ばれた母の遺骸。
強力な魔道具となるアイテム。
納めるべき主を失った棺には――、一枚の手紙が乗っていた。
大好きなお母様へと書かれた、娘からの手紙だった。
感傷の中にある喪服令嬢。
その背に向かいキースが言う。
「お嬢様、早く離れませんと彼らが来てしまいます」
「分かってるわ」
「それで、後ろの連中はどうします? 口封じが必要でしたら、すぐにでも」
告げる執事の物騒な言葉に、聖遺物を盗み悪事を企んでいた者たちの背が揺れる。
すさまじい、凛とした殺気がその命を睨んでいたからだろう。
許可が下りれば間違いなく、殺される――そんな感覚が彼らに恐怖を刻み付けていた筈だ。
従者の殺気を眺め、呆れた口調で主人が言う。
「あのねえ、これからのための力にするって言ったでしょう」
「お嬢様には私がいるではないですか」
「あら。嫉妬? あなたは捨て駒にできなくても、あっちの人たちは捨て駒にできるでしょう? そういう人材も必要って事よ」
露悪的な言葉であったが、本音でもあるのだろう。
爛れた顔を隠し、名も捨てた姫が言った。
「というわけで――あんたたちもあたしと同じ悪人。これからの地獄、最後まで付き合ってもらうつもりだからよろしくどうぞってね。それじゃあ、転移するわ。って、キース、なによ変なところを見て」
従者が睨んでいたのは、闇の奥の空間。
ミーシャだった喪服令嬢も目線をやるが――。
そこには何もない。
「いえ、なんでもありません。それよりも早く」
「あんたが止めたみたいなもんでしょう! まあいいわ、それじゃあ魔術――発動!」
新たな罪人仲間を手に入れて、ミーシャだった姫は転移し消える。
その姿を眺めていたのは――聖女。
栗色の髪の、絶世の美女と形容しても差し支えのない乙女。
罪人たちが転移した後の空間に、声が響く。
「コーデリア! 勝手に一人で転移して、なにかあったらどうするつもりだ!」
「ごめんなさい、殿下。けれど、もう終わってしまっていたみたい」
「終わって……?」
聖騎士が周囲を見渡す中。
コボルト達や捨て駒にされた冒険者、ベアルファルスとエイシスの騎士たちが慌てて合流する横。
聖女が言う。
「……シャ。わたくしは……いつかあなたとまた、お話しできる日が来るのかしら。わたくしは……あなたと正面から会っていいのかどうかも、分からないのです」
「コーデリア? いったい、なにがどうなって……」
聖女が棺に残された手紙を開く。
そこには――母を喪った娘の、力ある願いが書かれていた。
もう一度お会いしたいです、お母さま――と。
それはまるで魔導書。
呪文。
詠唱の言葉。
聖女コーデリア。
その力は強大にして純粋無垢。
もし、幼き日のその願いを成就するために、この一連の流れを引き寄せたのだとしたら?
「もしそうだとしたら、わたくしは……本当に……」
バケモノなのでしょうか、と。
その唇だけが、声にならない言葉を刻んでいた。
他の者たちが到着した時には、既に事件は解決済み。
世界を揺るがす聖遺物はロスト。
それでもなぜか、聖女コーデリアは悲しみをみせることなく――まるでここでの戦いを全て見ていたかのような顔で、母の遺骸の消失に納得していた――と。
エイシスの賢人が綴る今回の件の報告書には記載されていた。




