第075話、再戦【ミーシャ視点】
濃い、血の香りがする空間。
時間さえ分からぬ昏い場所。
研究所のような一室――敵対するのは三章のラスボス。
召喚獣たる血の鋼鉄令嬢アンドロメダ。
その周囲には邪神クラウディア――冥界から漏れ出た魂の残滓が纏わりついている。
女は狂気に憑りつかれていた。
ルートは違うが、ゲームの時と状況は酷似している。
かつてミーシャだった喪服令嬢は息を吐く。
彼女は知っていた。
邪神再臨が果たされれば、人類の数割が飲み込まれ死んでしまうと。ゲームだったときはコンティニューもあった、課金石を使ってのルートリセットもやり直しもあった。けれどこの世界は違う。
設計図となっている『三千世界と恋のアプリコット』と似た道を歩む世界とはいえ、ここは現実。クラウディアが暴走した場合の犠牲者は――。
だから、元凶たる姫は拳をぎゅっと握ったのだ。
「クラウディア様。あなたとあなたの家族には本当に悪いと思っているわ、どう言い訳してもできないと知っている。だから、せめてできる限りのことをする。これ以上、あの子が悲しまないように――ここであなたをどうにかする」
「あら? お嬢さん、あなた、クラウディアを知っているの?」
聖職者の顔のアイナ=ナナセ=アンドロメダが、クラウディアの名を告げた喪服令嬢に微笑みかけ。
「ねえ、彼女とっても困っているみたいなの。悲しんでいるみたいなの。大事な大事な娘さんが、愛するお子さんが虐められているんですって。ねえ、どうかしら。あなた、もしクラウディアを知っているのなら、その苛めっ子を止めてもらえないかしら。だって、彼女、こんなに悲しんでいるんですもの。ねえ、どうかしら?」
「ごめんなさい、なんて言える資格もないわね」
見掛け以上に重い自嘲の吐息が、黒いヴェールと髪を揺らす。
せめて。
コーデリアの母が邪神として再臨する前に。
せめて。
災厄を振りまく恐ろしき神として世界を混沌に落とす前に。
「あなたたちを止めるわ!」
チャージしていた魔力を扇に乗せて解き放ち、喪服令嬢は詠唱を開始する。
それは従者職のキースを鼓舞する指令。
号令スキルともいえる、指令を与えることで部下を強化するバフであった。
「キース! アンドロメダを召喚している聖遺物がどこかにあるはずよ、発見して魔力の流れを断って!」
「破壊しても?」
「……。それはダメ――」
合理的ではない判断だった。
聖遺物、ようするにクラウディアの遺骸を破壊してしまえば一番早く確実なのだ。
けれど、ミーシャだった姫はその選択を否定した。
本来ならば悪手だが、それでも従者は瞳を閉じ。
どこか安堵した様子で、凛とした言葉を放つ。
「畏まりました――それでは、参ります」
それは主人職と従者職の特別な関係。
二人一組の職業のボーナス効果。
主人を信じ、信頼に値すると捧げた心が力となって、従者のステータスに乗算されていく。
従者キース。
その力は日々成長し続けている。
それは彼が魔猫師匠の眷属となっているからか、或いは上司たる姫を守るために魂が鼓舞されているのか。理由は様々にあるだろう。
だが、強くなったという事実だけは確か。
カカカカカッ――っと駆ける従者の靴音が鳴り響く中。
邪神を纏うアンドロメダが腕をかざす。
「あら? どうしてアタシを襲うのかしら? あなたたち、悪い人なの? そう、でもアタシもここで消えるわけにはいかないから。そうね、クラウディア。戦いましょう、さあ、力をみせて――」
「前方全範囲攻撃よ、後ろに回って!」
ゲームの時の知識で喪服令嬢が黒の扇で命令。
瞬時に加速したキースが蠢く鋼鉄令嬢の背後に顕現――そのまま剣による斬撃を放ち。
ズスゥゥウウウウウウウウウウウゥゥ!
剣が肉に突き刺さる。
防御結界を貫通されたアンドロメダが、口から血を流し振り返る。
「あなた――強いのね。前に、戦った事があったかしら?」
「覚えていないのですね」
「そう、じゃあそうなのね。戦ったことがあったのね、ねえ、なぜアタシはそれを覚えていないのかしら。何か知っているのかしら? ねえ、アタシね、あなたたちを見ていると、なぜだかとても切なくなるの。ねえ、あなたたち、アタシに何か大事なことを思い出させてくれたりしたんじゃないかしら?」
女はゆらりと振り返ったまま。
淡々と言葉を漏らす。
「あら? クラウディア? どうしたの? どうしても戦わないとダメなの? そう、あっちのお嬢さんを抱けば――あなたが再臨できるの。そうね、あっちの子は悪い子みたいだから。いいわ、あなたもそれでいいわよね? だって、あなたは消えたがっている。本当は責任から逃げたいんでしょう?――死にたがっているんでしょう?」
アンドロメダは喪服令嬢に呼びかける。
それは精神汚染。
聖職者たる彼女は信者の悩みや苦悩を読み解く能力を有している。だから、ミーシャだった姫の、隠しきれない本音を掴むことができるのだろう。
心の隙をついているのだ。
「ええ、そうよ。あたしは今でも逃げたがっている。それほどのことをしたんですもの、逃げたいと思う心は確かにあるわ。けれど、それは許されない。死ぬにしても、消えるにしても、あたしはあたしのやり方で責任を取ってから消える。だからごめんなさい――あたしはあなたに勝つわ」
「いいえ、お嬢様。”私たち”が勝ちます」
「ええ、そうね――!」
喪服令嬢は蘇生儀式を最優先で維持。
基本的には従者キースを一点強化し、単体性能を高める支援特化の戦いを是としているのだろう。
「分からないわ。あなたも死にたがっている、逃げたがっている。そしてあなたがあたしに抱かれて、血肉をえぐられて死ねば、この世界に戻りたがっているクラウディアも蘇る。クラウディアが蘇れば、クラウディアの愛する子供を守ることができる。アタシも役目を終えられる。みんな、みんな幸せになる。なのに、どうして否定するの?」
「お嬢様――!」
「分かってる!」
剣に貫かれてもなお、血の鋼鉄令嬢は腕を広げ。
じゃり、じゃり。
研究室に似た床をえぐり、ドレスを引き摺り喪服令嬢の元へと歩み寄る。
「とりあえず、あたしの腕じゃあ今、この機会を逃したら蘇生に失敗する! もう少しだけ時間を稼いで!」
「了解いたしました。けれど――長くはもちません」
「あと五分ぐらいだから、気張りなさい! もし耐えきったら、あたしにできることならあなたが望むことをなんでも叶えるから!」
「その言葉、忘れないでください」
言葉を引き出したキースは悪い男の顔で微笑し、従者の剣に魔力を這わせる。
冷静で怜悧な顔立ち。
その整った唇から、詠唱が開始される――。
「三千世界を渡り歩く異形なる魔猫よ、汝、その名を告げられぬモノ」
「キース? なにそれは――」
喪服令嬢が眉をしかめていた。
キースが唱えるのは、この世界の魔術体系とは異なる魔術。
Ⅰ~Ⅵとランクが語尾につく、三千世界と恋のアプリコット内で使用されていたゲームの魔術とは異なるモノ。
長く聞いたこともない詠唱が続く中、ミーシャだった姫は確信しただろう。
従者キースに力を貸している存在は間違いなく、異界の神。
おそらくは、魔猫師匠だと。
かつてコーデリアにも力を貸した気まぐれなる魔猫、その力を借りた魔術が魔術名となって解放されていたのだ。
刺さった剣から、黒い猫の鳴き声が響き渡り始め。
そしてそれは呪いとなって、発動された。
「《”我が望むは災厄の戒め”・”呪われよ、聖職者”》」
魔術名を解放されこの世界に顕現した呪いの力が、アンドロメダの身を蝕んでいく。
効果は重度な呪いの付与。
呪いの効果はかけたスキルや魔術によって異なるが、これは呪いの中でも最上位。
目に見えてアンドロメダのステータスが減少されていた。
アンドロメダが自らに刺さる剣を眺め、ゆったりと告げる。
「力が、抜けていく?」
「アンドロメダ嬢。あなたはとても清廉で、清い聖職者だったのでしょう。創造主によって闇に落とされてもなお、光を失わないほどの聖職者だったのでしょう。それがあなたの弱点です。心に残る優しさ、憐憫、あなたが聖なる存在だからこそ、この呪いはあなたを蝕み、弱体化させる」
キースが呪いの効果を説明するのには理由があるのだろう。
おそらくは相手に呪いを説明し、相手に自覚させることそのものが、呪いの効果を倍増させるトリガーになっていると推測できる。
だが――呪いに対し反応したのは、クラウディアの影。
影が蠢き、ドレスが急に爆発的な魔力を纏って広がり始めていた。
「ああ、駄目よ。クラウディア、アタシ……は、アタシは……」
「第二段階になった! 次のターン……いえ、ターンなんて概念はないか。しばらくしたら邪神が彼女の体を乗っ取り始めるから、その時になったら――」
言葉の途中で、キースが喪服令嬢を抱えて飛んだ。
「キース!?」
「それはゲームの時の話でしょう。様子がおかしいです」
「え、ええ。そうね、ごめんなさい」
言葉を漏らした喪服令嬢の瞳には、先ほど自分がいた場所に突き刺さる無数の鋼鉄のトゲが見えていた。
ゲームの時とは違い、アンドロメダのドレスが攻撃を開始していたのだ。
しかし、キースはそれを捉えていた。
剣でアンドロメダの肉体を繋ぎとめていたキースが咄嗟の判断で、緊急回避。
突き刺したままの剣を手放し、跳躍。
鋼鉄令嬢の胴を蹴る形で加速し、バックステップをしたまま主人の安全確保を成功させていたのである。
まるで生き物のように蠢く鋼鉄令嬢アンドロメダのドレス。
その無数の針が解き放たれる様を眺めながら。
喪服令嬢が告げる。
「時間稼ぎはこれで問題ない。それじゃあ、範囲蘇生魔術を発動するわ」
ミーシャだった姫が掲げた魔導書の表紙には、神話のような絵。
大樹の下、ダイスで遊ぶ遊戯盤と、それに寄り添うネコの置物が描かれていた。
魔導書が開かれ――それは回復の力となって発動される。
姫の周囲にタヌキ顔のネコの幻影が浮かび、それはヒーラーとしての回復の魔力となって指定範囲内を満たしていた。
うめき声が響き始める。
アンドロメダに殺されたギルド冒険者本部の人間たちが蘇生されたのだ。
「よっし、成功よ!」
「お見事です――」
姿や種族はさまざま。
年齢もさまざま。
けれど、冒険者のトップを務めていた者たちだとは理解できる。
本部の人間たちが言う。
「こ、これは……我らは……いったい」
「あなたたちの蘇生と同時に強制的に魔導契約を発動させた。命令に従うか、そのままもう一度死ぬか選びなさい!」
「貴様は――傾国の姫、ミーシャ!?」
トップ冒険者でもあったからだろう。正体隠しのヴェールを貫通し、彼らはミーシャの正体に気が付いていた。
同時に、蘇生を発動させた術者だとも認識しているようで混乱している。
稀代の悪女が、なぜ蘇生を――。
そんな戸惑いがあるのだろう。
「あなたたちも似たようなものでしょう。あなたたちに関わっていた転生者やら天使やら、聞きたいことは山ほどあるけど。それよりも、従うか従わないか早く選びなさい。あなたたちが呼び出したソレにもう一度殺されたいの!?」
「ソレ……?」
誰かがソレを見て。
ひぃっと掠れた息を漏らす。
「聖遺物を盗み出したあなたたちのせいで、このままじゃあ世界が危ないの! あなたたちが蘇った影響で邪神の影響力が減っている筈。今のうちにクラウディア様の聖遺物を封印したいの! 盗んだモノがどこにあるのか、早く言いなさいっていってるのよ!」
「そ、それは――」
「だぁああああああぁぁぁぁぁ! なによ! 早く決断なさい! あたしがどんなことでもする悪人だって知ってるでしょ? 協力できないって言うならこのまま呪い殺して、ゾンビにして命令を強制するわよ!?」
蘇生された事情を知る者たちが、全員同時にソレを見た。
誤魔化しているのではない。
クラウディアに召喚されたアンドロメダに殺された彼らなら、危険性は十分に察している筈だ。仮に悪人だとしても、世界の危機となれば自己保身に走る可能性も少ないだろう。
だからこそ。
その視線には意味があった。
理由があった。
ミーシャだった姫は、あ……っと声を漏らした。
ようやく、思い至ったのだろう。
目線の先にあるのは――アンドロメダ。
「まさか、アンドロメダの肉体が……クラウディア様の遺骸、だっていうの?」
違うならば否定が走っただろう。
沈黙が肯定を表していた。
クラウディアの邪気を纏う血の鋼鉄令嬢は、壊れた笑みを浮かべて言った。
「あら? 気付いていなかったの、お嬢さん。そうよ、声が綺麗なあの人の、心が綺麗なあの人の、クラウディアの動かない肉体は、ここにあるのよ。そうね、理解したわ。そうなのね、ふふふ――アタシはきっと、クラウディアの聖遺物の上に召喚されたのね。ああ、そうね。娘さんを抱きたいのね、もう泣かなくていいのよって、抱きしめてあげたいのね。いいわ、待っててね。アタシがすぐに、あなたを娘さんと会わせてあげるから」
そこには黒の女神ともいうべき、禍々しい女が立っていた。




