第073話、真相に近づくもの【ミーシャ視点】
世界各地に点在する冒険者ギルド。
その主な仕事内容は人々の平和を維持するため、国家とは別の力ある機関として存続。民たちに寄り添った平穏を掴むための施設。
たとえば街の薬品屋には売っていない特殊な回復薬の材料採取や、生活に少し色を付けるため、ギルドに所属する錬金術師に依頼をし特注のフライパンを作ったり――。
或いは近くに沸いた魔物の討伐。
金持ちのための私的な護衛。
表向きでは金さえあれば、倫理に反しない限りどんな依頼でもこなしてくれる、市民の味方。
実際、ほとんどの冒険者ギルドはそうなのだろう。
ギルドを統括するギルドマスターとて、基本的には善人ばかり。
けれど、その本部がそうだとは限らない。
そもそも本部がどこにあるのか、それを知っているものも少ない。
ここは、そんな知る者の少ない場所。
朽ちた迷宮の入り口を抜けると、そこは結界で覆われていた。
探査も終了し、魔物も湧かなくなり、素材も採り尽くした廃ダンジョン。
もはや誰も入る必要もない、閉鎖されたダンジョンである。
なのに結界がわざわざ展開されている。
結界を解除しながら喪服のようなドレスを揺らし歩く黒い令嬢は、そっと周囲を見渡した。
ここに邪神クラウディアの聖遺物があると彼女は推測し、他の誰よりも先に乗り込んでいたのだ。
彼女のかつての名は、傾国の悪女ミーシャ。
急ぐ理由は――多くある。けれどもっとも単純な理由は、贖罪だろう。
聖コーデリア卿に、邪神の正体を知られたくない。
だから叶うならば、彼女が事実を知る前に終わらせたい――。
そんな感情が彼女には浮かんでいたのだ。
いまさら偽善だと自らでも感じながら、かつてミーシャだった女が言う。
「ここもゲームの時とは違う。やっぱり、冒険者ギルドの連中には天使や転生者、ルートとは違う流れを与える異物が関わっていたって事なのかしらね」
「断定するのは危険では? お嬢様」
「分かってるわよ、けれど可能性を述べるのは悪いことじゃないでしょう?」
黒きヴェールで顔を覆う喪服の令嬢の横には、スラりとした印象の執事が一人。
その名はキース。
かつて誰にでも優しく接し、明るい笑顔が特徴的だった――門番兵士だった彼を知る者は、今の豹変した彼を見てもおそらくは動じない。そもそも同一人物だとは気づかないのではないだろうか。
実際、喪服の令嬢が使用した課金アイテムにより、姿も多少変更されている。
ともあれ彼らは冒険者ギルド本部に乗り込んでいた。
なぜか?
それは彼らが既に、邪神再臨を企む黒幕こそが冒険者ギルド本部の人間だと察していたからだろう。
爛れた頬の下で唇を蠢かし、令嬢が言う。
「ゲームとは違う展開ですもの、たぶん道化師クロードとかいう転生者はここの存在にはまだ気付いていないでしょうね。彼、自分達が作った世界、三千世界と恋のアプリコットがそのまま再現されているって、いまだに信じているみたいですし――」
「お嬢様はこの世界について、もう何か掴んでいるのですか?」
「まあね」
告げて令嬢は、ここを発見したときにも使用した水晶玉を浮かべ。
過去視の魔術を発動してみせる。
「サヤカさんから提供された情報に、天使が過去視の魔術を忌諱しているって報告があったでしょう? だからね、あたしも過去視の魔術を習得して、この世界が誕生したときの時間まで遡ってみたの」
「過去視の魔術を? あれは相当に高位の魔術だと聞きましたが……」
言って、キースは思い出したように唇から息を漏らす。
「ああ、なるほど。だからしばらくの間、魔力供給を重点的に行ったのですね。魔術習得に必要な魔力を確保するには手っ取り早いでしょうし」
「そういうこと。ま、あんたには悪いと思ってるけど。仕方ないでしょう? こんな顔になった、元から性格も最悪なあたしにそれでも付いてくるって決めたのはあんたなんだし。まあ、そりゃ感謝もしてるけど」
「顔なら元に戻せばいいのでは?」
喪服の令嬢の魔力は日々成長している。
何かを果たすため、何かを掴むため。彼女は成し遂げるための力を努力によって掴んでいる。
今の彼女の力ならば、爛れて醜くなった顔を治す、或いは別の女の顔に変えることすら容易な筈。
けれど女は首を横に振り。
「これでいいのよ。あたし、バカだから。顔を元に戻したらきっと、また馬鹿をやるわ」
「それはよろしいのですが、過去視の魔術がいったいなにか」
「……自分で話を振ったんでしょう。まあいいわ、とにかく、あたしはこの世界が誕生する瞬間の映像を水晶玉に反映させたわ。するとどうなったと思う?」
と――罠を解除し、迷宮の隠し通路を発見しながら喪服の令嬢。
相方たる執事の男は、考えるそぶりすら見せず。
「さあ、分かりませんね。私は魔術に疎いので」
「あのねえ、あなたももうちょっと魔術について学びなさいよ。あたしがいなくなったらどうするの」
「それよりも――」
「はいはい、話の続きね。結論から言うわ。おそらく”今の”この世界は何らかの魔術で『三千世界と恋のアプリコット』の設定や現象をコピー&ペーストした、特異な場所になっているとあたしは考えているわ」
コピー&ペースト?
と、キースは眉をしかめるが――。
「上手く説明できる自信がないんだけど、そうね――例えばだけど……低級火炎魔術を習得できる魔導書なんて、この世界には山ほどあるでしょう? あれって基本的には元となった書物の写本を作るなり、魔術やスキルで複製や分裂、増殖させて市販されているわけでしょう? あれと一緒。つまり元となった乙女ゲームの法則を貼り付けた世界になってるってわけよ」
「ふむ……申し訳ありませんが、あまり理解できません」
分からないと言いながらも、キースはドヤ顔。
早くあなたがその口で説明してください、と偉そうな大型犬モード。
「だーかーらー! あなたもちゃんと魔術を習いなさいって言ってるの! まあいいけど、とにかく! 今のこの世界は、三千世界と恋のアプリコットにある設定が、そのまま複製された世界になってるってわけ! この世界発生の現場を過去視で見てみると、突然、中途半端に完成された状態の世界が発生していたから間違いないわ」
そう、彼女が見たこの世界創生の瞬間。
それは突如として、世界に乙女ゲームが貼り付けられた状態となり始まっていた。
喪服の令嬢が言う。
「貼り付けられた乙女ゲームの世界は、コピー元のゲームの通りに歴史を刻む。実際、過去視で見る限りはゲームで設定されていた神話の時代から今に至るまで、基本的には流れがそのまま再現されていたわ」
「神話の時代からの再現、ですか」
「ええ、今この世界に存在しているとされている神はそれなりの数がいるでしょう? それも全部、三千世界と恋のアプリコットのキャラクターとして設定されているモノ。彼らは設定どおりの神話を進み、設定どおりに人間と恋に落ち、設定どおりに今、王族とされている人間たちの先祖となっていた」
ギルド本部を目指し奥に向かう途中、湧いてきた魔物を一撃で葬りながらキースが言う。
「やはりその、コピー&ペーストとやらがよくわかりませんね。世界誕生の瞬間から神話が再現されていたのなら、それは再現ではなく現実。元からそういう世界として生まれたのではないかと、そう思うのですが」
「まあ言いたいことはわからないでもないけど。言ったでしょう、”今の”この世界はって。実はね、過去視の魔術には続きがあった、今のこの世界が生まれるより前に既に荒廃した世界が存在していたのよ」
「荒廃した世界……ですか」
「自分で考えることを放棄したオウム返しはやめなさいっての」
忠告に構わず、男は説明してくださいとばかりにニッコリ。
まるで構って欲しいワンちゃんそのものである。
はあ……と女は肩を落とし。
「世界が滅ぶほどの戦争があったのか、それとも世界を滅ぼすほどの存在に滅ぼされたのか――それは分からないわ。けれど、この地には、ただただ全てが滅んだ世界がそこに存在していた。滅んだ世界があるということは、そこには世界を再構築できる土台が用意されているようなものなのよ。だって一度は世界があったんですから、ようするに世界の空き地とか、空いた植木鉢のイメージね。そこに三千世界と恋のアプリコットっていう、疑似構築された世界の苗を植えた……表現が正しいかどうかは別として、魔術原理としてはそう遠くない見解の筈よ」
「単純な疑問なのですが」
「なによ」
「そんなことが可能なのですか?」
問われて喪服の令嬢は肩を竦め。
「魔術という物理現象を捻じ曲げる法則がある以上、ありえないなんてことはありえない。それが魔術師の基本よ」
「はぁ……そうですか」
「あのねえ……その、聞いといて聞く気のない態度! どうにかならないの! まさかあんた! わざとあたしを怒らせようとしてるんじゃないでしょうね!」
ビシっと男の胸板に指した指を押し付けガルルルと唸る女に、男は微笑。
ただし、返事はしなかった。
ただその美麗な瞳は、自分をもっと見ろと言わんばかりな大型犬の表情である。
「それで、話の続きは」
「……。あくまでもあたしの想像でしかないけど、たぶん『三千世界と恋のアプリコット』ってアプリそのものが、この場所にコピーするために作られていたゲームなんだと思うわ」
「疑似的な恋をするためのゲームを、コピー……ですか、そこに何の利があるのかよくわかりませんね」
「何言ってるのよ、めちゃくちゃ利だらけじゃない」
「と、おっしゃいますと?」
悪い女の口調で、彼女は告げる。
「考えてもみなさいよ――作ったゲームを”現実の世界”で再現できるのよ? 滅んだ世界に植え付けられた世界の種は、その設計図通りに再現されて今の世界にまで成長した。なら、ゲームの段階で……たとえばだけど、世界を破壊できるほどの大魔術とかを作っておけば、それを習得すれば世界を破壊できちゃうでしょ。そうじゃなくとも、取り戻したい何かをゲームとして作っておけば、それをすべて再現する世界で蘇らせることもできる。昔に飼っていたワンちゃんと再会~なんて可愛いものならいいけど、そうじゃない邪悪な願いも再現できるかもしれない。可能性は無限大じゃない」
説明しながらも、彼女自身も考える。
ルートはこの世界の人間の行動によって変動するのだろうが。
仮に、彼女も知らないとんでもないルートと結末が存在するとしたら――。
しかし、彼女はゲームが終わる前に死んだ。だから、どのようなルートが存在しているのか、どのルートが再現されたらまずいのか、それを知るすべはない。
キースが言う。
「それほどの規模の奇跡が起こせるのなら、わざわざこの世界を作らなくとも世界など破壊できる力もありそうなものですが」
「たぶん、できなかったんでしょうね。だからゲーム再現という手順を踏んだ」
喪服の令嬢は考え、思考を口にする。
「ゲームって人の心を魅了するモノなのよ。そして人の心こそが力となる、それも魔術の基本。より多くのプレイヤーから、それも生活が破綻するぐらいにのめり込んだ狂信者、あたしみたいな人間の心から徐々に力を吸収していたんじゃないかしら……。人気のゲームともなれば、数十万人がプレイするんですもの。信仰に置き換えたら、凄いことになるわ。それこそ、世界を一つ再現するぐらいの魔術的な儀式が可能となったとしてもあたしは驚かない」
それは、過ちを思い出しながらの声だった。
彼女は生前の、どうしようもなくあの世界にのめりこんだ自分を振り返っているのだろう。
そのまま彼女は言葉をつなげる。
「信仰心が神の力となるって事は知っているでしょう? より多くの信者を獲得する神は力を増し――衰退し、信者を失った神は力を失う。だから神は信仰を得るために信者に奇跡の力を見返り、ようするに餌として渡している。それをゲームという形に押し込んで――って、また納得してない顔ね……今度は何よ」
「人間の心から力を吸収する。それはよろしいのですが――ゲームとはようするに遊戯。所詮は虚像なのですよね? そんなにうまくいくとは思えないのですが」
それが普通の反応だろう。
けれど、彼女は違った。
自分を壊してしまうほどに、憑りつかれていた。
「そうね、普通ならそう思うかもしれないわね。けれど、あたしにとってはあのゲームこそが世界で、全てだったのよ。きっと、それは信仰心にも近い状態だったんでしょうね。ようするに、ゲームそのものが神に見えるのよ。ま、信じられないでしょうけどそれほど……あたしは大好きだったの、この世界が……」
実際、死んでもなお――。
彼女は三千世界と恋のアプリコットの世界に、転生という形で引き込まれた。
爛れた顔を覆うヴェールの奥を見る顔で、従者たる男が整った顔立ちで告げる。
「お嬢様の推測が正しいのならば――そのアプリとやらを作っていた者たちが」
「ええ、下請けや雇われの下っ端はどうか分からないけど。少なくとも社長さんとか、そういう上の方の人たちは何かを知っているのかもしれないわね。まあもっとも、あたしが死ぬ前の世界に戻れる手段なんてないわけだし、確かめようもないだろうけど」
喪服の令嬢は転生前のことを思い出す。
あの時期は妙に新しいソシャゲが登場していた。もしゲームを信仰という”力の源”を集める手段として利用していた、神のような存在があの世界にも存在していたとしたら。
神々が作ったゲームがあったとしたら。
いや、バカバカしい。
ありえない。
そう思うと同時に、既に魔術という存在を知っている魔術師としての彼女は冷静に状況を分析している。
ありえないなんてことは、ありえない。
それが魔術であり、実際、この世界では魔術が発動しているのだから。
「ま、邪神再臨と世界の真相はとりあえず別問題。あたしたちは今できることを成し遂げましょう」
「邪神再臨を食い止め、そして――」
「ええ、邪神再臨のための力なんて規模がかなりのものですし。それをあたしのせいで失ったモノがある人たちを救済する力に転換する。世界も救えるわけだし、一石二鳥でしょう?」
「ですね、ならば急ぎましょう――」
従者は頷き、前向きになった彼女を抱き上げニッコリ。
「って、なにするのよ! 自分で歩けるわよ!」
「申し訳ありませんがお嬢様は体力がない、そして鈍足でございますから。こうして私の脚で駆けた方が早い。力を横から奪うならほかの方々がここに気付くより前に、行動する必要がある。違いますか?」
「違わないけど、敵地でお姫様抱っこはさすがにちょっと……情けなくない?」
「情けないなんて言っている時間も余裕も我等にはない。違いますか?」
違いますか? 違いますか?
の正論攻撃である。
女は諦め、男の腕の中で魔力をチャージし始めた。
「ねえ、キース。あなた、どうしてそんなに楽しそうなの?」
「さあ、何故でしょうか――きっと私は、今のあなたがそこまで嫌いではないのでしょうね」
かつてのミーシャならばともかく。
今の彼女ならば――。
彼らはそのまま迷宮を進み――。
冒険者ギルド本部に乗り込んだ。




