第007話、迷宮女王とざまぁですわ:後編
固まってしまった領民と元騎士オスカー=オライオン。
呆然とするギルドマスターと大司祭。
仲間を失い焦っている冒険者が、指を震わせながら。
「え、だって。あんたがいないと冒険者の皆の蘇生はできないって」
「そうですよ、コーデリア嬢。あなたは奇跡の力をもっているのです、神に従う信徒としてその力を使うべきでしょう」
身勝手な事を言う。
「ごめんなさい大司祭様、それに冒険者の……まあ名前はどうでもいいですわね。わたくし、もう聖女でも聖職者でもございませんの」
言って、コーデリアは魔導書「迷宮女王」を召喚して腕の中に抱き。
「今のわたくしは、迷宮女王。職業は悪役令嬢をさせていただいております」
「悪役令嬢?」
それはミーシャによって歪められた果ての職業。
乙女ゲームの強制力により決定された役目。
「はい、悪役の職業でございますわ。物語の主人公、お姫様の踏み台として用意された悪役、周囲が姫様を褒め称えるためだけに存在する当て馬に御座いますの。今のわたくしに、ぴったりでしょう? けれど、わたくしはそれを変えてみたいのです。踏み台にだって、心がある。恋だって、してみたい。幸せになってもよろしいじゃないですか」
キラキラキラと、聖女は自分のために祈りを捧げる。
もうあの頃の聖女はいない。
そこにいるのは、最強聖女――悪役令嬢コーデリアである。
仲間を失っている冒険者が言う。
一流冒険者と呼ばれる、クラフテッド王国でも名を馳せている英雄の一人である。
「まってくれよ! だって、あんた以外、蘇生の儀式はできないんだろ!」
「教会にお願いしたらよろしいのでは?」
「こいつらっ、悪さばっかりしてたせいでとっくに信仰を失ってやがるんだよ! 回復魔術が発動しねえんだ」
「そうですか、けれどわたくしには関係ございませんわよね?」
「頼む――この通りだ! あんたにやったことは、全部謝るから!」
頭を下げる冒険者たちの口元は釣り上がっている。
その黒い表情が物語っていた。
ああ、ちょろい聖女様だ――これで楽勝だろう、と。
いつだってそうだった。
頼めばこの娘はなんでもしてくれた。
けれど、聖女は美しい笑みを浮かべて。
そっと請求書を取り出し。
「正式なご依頼でしたら相場通りの値段で承りますけれど、えーと今の価格なら……」
ギルドマスターの表情が緩む。だが。
「一人につき金貨にして三千枚。それが適正価格のようですわね」
「は? そんな莫大な金額、払えるわけがないだろう!」
「相場通りのお値段ですよ? 嘘だと思われるのでしたら他の領地の教会にお聞きになってみては?」
本当に相場通りである。
今まで聖女が無償で蘇生をしていた。それがおかしいだけだったのだ。
だから冒険者たちは焦っている。
今、この領地の冒険者ギルドは除名の憂き目にあっている。
今までの名声も、戦果も全てが聖女のおかげだった。
なにしろどんな傷でも無償で癒していたのだ、無茶はし放題だった。
蘇生も、確率は半々だが可能という事もあり、冒険者たちは本当に無茶をし続けた。
だから、聖女を失えば元の評価に戻る。
だから、彼らは唾を飛ばす勢いで吠えていた。
「この聖女ぶった悪人が! 人の命をなんだとおもっているんだ!」
冒険者の誰かが言った。
とても助けを乞う者の貌には見えない。
「聖女ぶったと仰られましても……わたくし悪役令嬢ですし」
困ったように事実を告げるコーデリア。
そう。
彼女は天然なのだ。
冒険者たちが目を合わせ。
「なら、力尽くでも仲間の蘇生を行ってもらうしかないな!」
冒険者全員が、コーデリアに向けて武器を傾ける。
脅しだ。
殺してしまったら蘇生の儀式ができなくなる。
かつての婚約者だった元騎士オスカー=オライオンが慌てて叫ぶ。
「待ててめえら! こいつは聖女だが、その力はドラゴ――」
「止めないでください元騎士様!」
「うるせえ! 元っていうんじゃねえ! ていうか、人の話を聞きやがれ! こいつは、マジで強ぇんだよ! それにこいつはオレの女だ! 今度こそやり直してだな――っ」
教会の神官たちがオライオンの背に杖を突きつける。
黄金の髪が殺気で揺れ、その眼光が鋭く聖職者たちを睨む。
「ああん? なんのつもりだ」
「殿下、どうかお静かに――同盟関係にある隣国の王陛下に、乱心したご子息が領民を襲い反撃を受け殺された――とは報告したくありませんのでな」
「……てめえら、オレ様より糞だな。ま、勝手にしな。オレ様は警告したからな」
聖女が強い。
その言葉を元婚約者が情けでついた、コーデリアを助けるためのウソと見たか。
冒険者たちは剣を重ね。
「大逆の悪人コーデリアよ! 正義は我らにある!」
「おとなしく蘇生をしてもらうぞ」
書を抱く聖女が言う。
「まあ! わたくしの初陣を手伝ってくださるのですね。魔物さんを傷つけるのはかわいそうだなぁと思っていたので、たいへんありがたいですわ。安心してください、初陣でやりすぎたら心優しい君はショックを受けてしまうかもしれない。だから、ダメージを与えない魔術で試すように――と師匠から言われておりますの」
かつて聖女だったコーデリアは優しい笑みを浮かべる。
聖女のドレスが禍々しく蠢き始め、ヒールの下からは魔力の渦が発生しはじめている。
そして、手の上には魔導書。
ハッタリと見たか。
「命乞いをするならいまのうちだぞ、さあ、虚勢を張っていないでとっとと蘇生儀式の準備をしてもらおうか!」
「スキル《迷宮女王レベル∞》――発動させていただきますわ」
それは最強異界神から授かった魔導書。
宙に浮かんだ迷宮女王の書が勢いよく、バサササササ――と捲れていく。
並々ならぬ魔力波動。
複雑怪奇な魔法陣がコーデリアの周囲に広がる。
「な、なんだこの規模の魔法陣は――っ」
「っぐ、動けない……っ」
魔術妨害の更なる妨害を行っている聖女はそのまま、指を鳴らす。
魔力による音なので、淑女の手袋を装着していても音は鳴った。
殺さない魔術を選択した聖女が魔術を発動させていたのだ。
効果範囲は、領土ほぼ全部。
対象は、あの追放劇時に自ら望んで悪意を持って加担していた者限定。
「毛虫の詰まった落とし穴!」
宣言がそのまま詠唱となり、魔術は発動した。
領地全体が――わずかだが大地に沈む。
敵対していた冒険者たちの足元の空間が歪み。
「うわああああぁあぁぁぁぁぁああああああああ!」
ダンジョン内で落とし穴にかかってしまったように、地面の中に沈んでいく。
落とし穴の中にいたのは、大量の毛虫さん。
ただちょっと装備を全消失させ、裸に剥かれた肌が永久に痒くなる程度である。
永久に続く疼きを治すには術者に解いてもらうしかないが。
師匠からは莫大な金銭を要求するように言われている。
ちょっと反省させた方が良いだろうと。
女性冒険者や若き屈強な冒険者の服を溶かしウネウネとくねる虫さんが、ちょっぴりエッチだったりするのだが。ともあれ。
そう。
彼女の根は聖女。なんだかんだでまだ、仏心が残っているのである。
命までは奪っていない。
優しい、さすがコーデリアと師匠である猫は思うだろうが。
「わたくしったら、なんて残酷なことを。でも、仕方ないですわよね。わたくしは既に悪役令嬢。だってこれが復讐なんですもの」
聖女はぎゅっと、可憐にこぶしを握っている。
もっとも。
冒険者たちの感想は違った。
このトラッブ魔術は装備をすべて破壊する恐るべき性能を有している。そしてなにより、冒険者たちの防御結界や耐性をまったく無視して、即時発動したのだから。
これが毛虫だけではなく、硫酸や鉄槍が詰められていたらどうだったか?
おそらく、一瞬で全滅していた。
聖女を除く中で一番実力があるのは、悪役モブ男であるオスカー=オライオン。獅子男は黄金の髪を揺らし、その魔術が手加減されていることを悟っていた。
一人無事だったのも彼――、一応剣の腕だけは確かな元婚約者。
元騎士オスカーが叫んだ。
「コーデリア、てめえ! いつのまにそんな力を! た、たしかに前から恐ろしいほど強かったが、今はもう、そんな生易しいレベルじゃねえだろう! どうなってやがる!?」
「あら? どうして罠にかからなかったのかしら」
「それはてめえがオレ様を愛しているからに決まっているだろう! 素直になれ、コーディー!」
むろん、きまっていない。
聖女は考え。
思い至る。
対象にしたのは悪意をもって加担した者。
つまり、この顔だけが取り柄のバカ騎士王子オスカー=オライオン。
あの行動には悪意などなく。
本気で躾のために、自分の肉奴隷にするために悪意なく行動していたのだろう。
オレ様の女になるのは良い事だと本気で思い込んでいる、善意での行動だったのである。
周囲がどれほどに悪だと判定しても、本人の自己基準に対象を設定してしまったコーデリアのミス。
盲点である。
「力の話、でしたわよね。迷宮をクリアしたら貰えましたわよ?」
「不帰の迷宮をクリアだと!? ありえねえだろう!」
「そうは言われましても、事実ですし……まあ信じていただかなくとも」
言って、令嬢は優雅で優美な礼を披露。
「さて――わたくし、いつかこの国に復讐しようと思っておりますの。だからみなさん、その時はよろしくお願いいたしますね。まあ――今日の所は様子見ですし、お父様を探したいので帰りますけれど、覚悟をしておいてください」
乙女はにっこりと微笑んだ。
誰もが見惚れる美しい笑みだった。
今の彼女は生まれて初めて自分のために生きていた。だからその美しさがより輝いたのだろう。
復讐を誓った乙女は強い。
もはや誰にも止められない。
なによりも大切な心や信頼を踏みにじったのだから。
しかし、少女の根は純粋だった。
あるいは領民たちが、冒険者たちが、教会が、元騎士が――本気で反省し、後悔を詫びて頼み込んでいたのなら結果は変わっていただろう。
けれどそうはならなかった。
惚れた女性を見る顔で、元騎士オスカー=オライオンが唸りを上げる。
「待ちやがれ! そんなえげつない力を手にいれて、どうするつもりだ。何が目的だ――っ、コーデリア!」
「わたくし、本当の恋を知ってみたいんですの――」
「な!? 本当の恋だと!? オレ様との恋は嘘だったってのか!?」
いや、ただの政略結婚予定だったろ、おまえら――と。
毛虫と戦う、領民や聖職者や冒険者からも白い目が飛ぶ。
オスカー=オライオンは、食い下がるように聖女を見る。
その瞳は捨てられそうな子犬。
「なあ、待ってくれ! オレ様は、オレ様は今度こそ本気で――っ」
「ごめんなさいね。わたくし、別の国で素敵な殿方と恋をしてみようと思いますの。そう、婚活ですわ!」
「オレ様がいるのに!?」
獅子男の脳裏に、電流が走る。
「それでは領民のみなさんごきげんよう、もう会うこともないでしょうけれど。どうかお元気で~」
言って。
乙女は魔導書を片手に、スキルを発動する。
毛虫と闘うギルドマスターが叫んだ。
「転移魔法陣だと!? まってくれ、ほんとうに、俺達が悪かったから! 反省するから仲間を、仲間をたすけて――」
叫びの途中。
一瞬で、彼女の姿は闇の中へと消えていた。
◇
その日を境に――かつて貧乏だが、幸せだった領地は戦慄した。
町はミーシャの手によってボロボロ。
恐ろしい力を手に入れた領主の娘、聖女コーデリアは復讐を誓い去っていった。
隣国の元騎士は論外。
八方ふさがりであるが、自業自得。
かくして、聖女を失った町は衰退の道を辿ることになるのだが――もはやコーデリアの知るところではなかったのである。
だが、そこに一人だけ。
前向きに物事を考える獅子がいた。
瓦礫に足をつけ、初めて宝物を見つけた顔で。
ニヒィ!
「ふっ、ふははははは! 最高だ、おもしれー女になったじゃねえか! 決めた! オレ様はぜってぇ、てめえを嫁にしてやるぞ! コーデリア!」
その顔は全てが吹っ切れたような。
本当に凛々しい王族の顔へと変貌していた。
だが――。
「てめぇと毎日、毎晩、愛し合って子作りするためだ。仕方ねえ! オレ様も不帰の迷宮を踏破してやろうじゃねえか!」
領民たちは絶望しているが、バカ王子だけは元気いっぱい。
悪役モブ男、騎士王子オスカー=オライオン。
彼の脳みそは、性欲と筋力でできているようだ。
ふはははははは! と新しい目標に燃えるヴィランの裏。
同時期、逃げる魔物の群れが言う。
魔物たちが噂をしていたのだ。
クラフテッド王国の貧乏領地、あの付近で「迷宮女王」という名の真なるバケモノが現れたのだと。
迷宮女王、アレにはかかわるな。
レベルが違う。けして奴と敵対するな。
正体は知らぬが――。
ああ、あれは災厄。
天災の類。通り過ぎるまで大人しくするが、天の道理よ――。
なにしろあれは――危険だ。
本気でアレを怒らせたらおそらく、世界そのものが危ない、と。