第068話、其れはただ、母として
今回の騒動の発端となった血の鋼鉄令嬢。
アイナ=ナナセ=アンドロメダ。
何故か自分をモブと自覚し、この世界がゲームではないと自問自答していた狂気の人物。
彼女が崇拝し、呼び覚まそうとしていた神の正体は、邪神クラウディア。
アンドロメダと邪神の関係は分からない。
けれど。
問題点はそこではない。
邪神……その人こそが聖コーデリア卿の母なのだと、語られたのだから――。
会議場の空気は重く沈んでいた。
クラフテッド王国の王、ミファザ=フォーマル=クラフテッドは明らかに動揺していた。聖女の母を知っているのだろう。
もっとも聖騎士ミリアルドは既に道化師クロードから知識を得ていたからか、落ち着いている。
コーデリアの言葉は続いていない。
様々な思いを胸に抱き、美麗な顔立ちに愁いを溜めているばかり。
聞きたいことは皆、山ほどある。けれどどう聞くべきか、それが分からないのだろう。
膠着していた空気を切り裂いたのは、言うべきことははっきりと言う踊り子のサヤカだった。
「コーデリアさんのお母様が邪神とは……いったい、どういう事なのです?」
「わたくしも母が邪神だとは思っておりません。けれど、とても不思議な方でしたから。研鑽を高め魔導の極みを目指す今のわたくしには少しだけ、見えてきましたの。母は天使のような方でした、けれど人によっては悪魔のような方と、そして陰で領民から、バケモノと呼ばれているような――とても強大な力を持った方でした」
バケモノの娘。
かつてコーデリアが言われていた言葉には二つの意味があった。
それはコーデリア本人が母に力を封印されるまで、他人の心を暴く能力を有していた事。そしてもう一つは文字通りの意味。
母親のこども。
僅かに俯いたからだろう――コーデリアの息が自らの髪を揺らし始める。
「母は、本当に強かったのです。そして特殊な力を持っていました。純粋でとても優しく、けれど悍ましい程に無垢で――たとえば皆さまは精霊や妖精といった、人間とは価値観のずれた、どちらかと言えば自然の側に属している存在をご存じでしょうか?」
「それは、まあ……一般的な知識としては」
サヤカの言葉に皆も頷く。
「母はおそらく、そう言った類の、限りなく人に似た存在だったのだと思いますわ。肉体構成もおそらくは人そのもの。実際、わたくしの血肉の十割は人間として構成されておりますから。種族上は人間であったのでしょうが」
「コーデリアさん……その、無理に語らなくとも」
「いえ、ありがとうございますサヤカさん。お友達として、心配して下さっているのですね」
「あのですねえ、友達じゃなくても今のコーデリアさんの顔を見れば、誰だって心配すると思いますよ?」
まあ、友達ですけど……と。
サヤカは赤い髪よりも頬を赤くし、こほんと咳払い。
照れ隠しに逸らした視線をそのまま道化に向けて。
「道化師クロードさん、コーデリアさんのお母様とされる方は、乙女ゲームだった頃にはどう設定されていたのですか?」
『はて、なぜそのような事をわたくしにお聞きになるのか……』
すっとぼけている道化に伯爵王が告げる。
『良い、告げよ――我らは共に敗北したのだ、敗者には敗者の流儀もあろう』
『ポメ伯爵がそうおっしゃるなら……』
『というか貴様、余にも黙っている事ばかりであろう? 信頼され、そして余を案じて動いてくれておることは知っておる。なぜかは知らぬが、そなたは余を特に大切と思ってくれているのだろう。正直そろそろそなたの正体を明かして貰いたいのだがな』
美貌の野獣フェイスで苦笑されながらも、道化は道化の演技を継続。
けれど、声のトーンは少しだけ変貌していた。
『いつか陛下には語ろうとは思っておりました、ただ……皆様にはわたくしの存在を語る気はあまりなかったのですが。まあいいでしょう。わたくしもそちらのサヤカ嬢、そして魔皇アルシエル殿と同じく転生者。もっとも、わたくしは魔皇陛下とは違い天使ではなく、種族は人間のままでありますが――』
「魔境の主が、天使!?」
教会関係者の一部が、警戒したように聖書を翳す。
聖職者にとって聖書は魔導書のようなもの。
それは武器を構えたに等しい行為であるが――魔皇は悠然としたまま、落ち着いたままで仮面に大きな手を伸ばし。
カチャリ。
人々は思わず息を呑んでいた。
攻略対象属性と並ぶほどの美貌を持つ天使の顔が、仮面の下から浮かび上がってきたからだろう。
草臥れた大人の、酸いも甘いも嚙み分けた端整な男がそこにいる。
魔皇アルシエルは天使。
教会関係者を操っていたのは天使。
その関係は今となっては良好とは程遠い、敵対関係にあると言ってもいいだろう。
だからこそ、天使は敵意がないとばかりに素顔を晒したのだ。
魔皇はまるで舞台俳優のような顔で朗々と言葉を口にしていた。
『そうか、余の正体が天使であると知らぬ者も中にはいるのであったな。ああ、だが警戒は不要。既にこの身は聖コーデリア卿に一度負けた状態。魔導契約により縛られてもいる、そなたら人類に害をなす気はない。もっとも、我がパートナーとなっている転生者サヤカに害をなす場合であれば別であるがな』
天使というだけで敵意を剥き出しにした教会関係者を諫めるように、すぅっと賢王イーグレットが瞳を細め。
「騒々しいぞ――教会よ。コーデリア卿の母上が邪神である事と、魔皇殿が天使であることは今回の件では繋がっておらんであろう。それぞれに言いたいことや不満もあるであろうが、後にせよ」
「イーグレット陛下は知っておられたのですかな」
「不服そうであるな――まあ仕方あるまいが。この場ではっきりと告げておこう。此処に集っている者たちの正体や、その裏にある神々、或いはどのモノが転生者でどのモノが天使であるか。どの勢力と繋がっておるのか、魔導契約によって裏切れぬ状態にあるのか――余だけは全てを把握しておる」
ほぅ、と反応したのは道化。
自分がこの場を仕切ろうとしていたのだろうが、賢王にペースを掴まれるのが面白くないのだろう。
道化師クロードが言う。
『では、陛下はわたくしの生前を知っ――』
「三千世界と恋のアプリコット……この世界の元となったと推測されておるゲーム、異世界に存在する乙女ゲームとやらを作りしモノ。いわば創造神の一柱であろう?」
今度は道化師に目線が集中する。
道化はピエロメイクの下、凛々しく白い顔立ちを僅かに引き締め。
慇懃な仕草で拍手を披露してみせる。
『いやはや驚きました……どうやら、類まれなる知恵者であるとの噂は本当のようですな。設定どおり、そう言ってもいいのでしょうが――まああなたを設定したのはわたくしではないので、あまり深い感慨はございません。贔屓にはできませぬので、あしからず』
「ふむ――自らを作ったモノの輩と対話しているこの状況、なんとも不思議であるな。この世界について、そして乙女ゲームについて詳しく聞きたい所ではあるがそれも後回しだ。今の問題は他にある。しかしその前に、もう少し余の慧眼の力をそなたにも確認して貰った方が良いだろうて」
本物の創造神の存在。
教会関係者にとってはどう扱ったらいいか、分からぬ存在であるようだが。
構わず――。
叡智を感じさせる鋭く輝く鷹の目が、更なる深い魔力色で染まっていく。
それは賢王が賢王たる証。
単純な知恵比べで賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世を超える存在など、そうそういないのだろう。
魔術防御に特化した、けれど妙な所で肌の露出が多い攻略対象者の服を揺らし。
シャラン。
無数に纏ったファラオのごとき黄金装飾も輝かせイーグレットが告げる。
「察するに、貴殿は伯爵王殿を作りしモノ。いわば生みの親。だからこそ貴殿は伯爵王を何よりも優先し、道化を演じながらも庇護し続けている。はて、その先を探るとなると、そうであるな……おそらく貴殿は伯爵王というキャラクターを生み出すときに、自らが飼っていた亡き愛犬を重ねて制作したのではあるまいか? たとえば、少しだけバカそうなポメラニ……」
『それ以上は結構ですよ、戦闘能力の欠片もないマザコン陛下』
「そう怒るな。だが、これで貴殿には伝わったであろう? 余には多くが見えている、貴殿ら創造主が攻略対象たる世に授けた『皇帝の慧眼』の力によってな」
それは戦えぬイーグレットにとっての最終兵器。
人間の限界を超えた速度で思考を加速させ、手に入れた情報の中から正しい答えを導き出すスキル。
仮に、この場にいる全員の情報が手に入っているのなら――そのスキルから導き出される答えの精度はかなりのものとなるだろう。
事実、こうしてイーグレットは道化が誰にも語っていなかった情報を言い当てていた。
道化は考え、納得した顔で。
しかしジト目で言う。
『はいはい、スキルを使いこなしていて凄いですねえ。感服ですねえ。それで――賢き鷹目くんには此度の件、何が見えているのですかな?』
「そう臍を曲げないで頂きたいのだが、まあそうであるな――この件、結局のところはごく当たり前な、そしてとても単純な話なのではないかと余は確信しておる」
『と、仰いますと?』
賢王は皆に目線を向け。
そして、その慧眼を輝かせた鋭き目線をクラフテッド王国の者達で止め。
責めるとは違う、けれど事実を告げる以上の含みを滲ませ言った。
「娘を迫害された母親が復讐のため、或いは娘を守るため――死者の国から帰ってこようとしている。それだけの話だろうて」
それはおそらく母としての愛。
コーデリア卿もあり得る話だと感じたのか――。
お母様……と、揺れる心から言葉を漏らしていた。




