第067話、クラフテッドに眠るモノ
それぞれの王は、それぞれの道を語る。
山脈帝国エイシスでは民の安寧。
不死者たちの街セブルスも同様。
北の魔境は聖コーデリア卿の意向に従うと言いつつも――亜人たちが虐げられる世になるのなら、と仮面の下を輝かせ。
暗黒迷宮を治める迷宮女王もまた、敵意のない魔物との共存と民の安寧を願っていた。
ここに集った王たちは、結局のところ自分よりも自分を信頼してくれる民草や部下を守りたい、彼らの信頼に応えたい。
そう願っている、統治者としての自覚と責務を知っている者ばかり。
クラフテッド王国の王は見た。
彼らを見た。
まぎれもなく、王としての責務を果たす彼らを見た。
それはおそらく、娘の甘言に惑わされ統治者としての道筋が見えなくなっていたこの王族にとって、とても眩しい光に見えたのではないだろうか。
アンデッドの伯爵王ですら、王たる道を踏み外してはいなかった。
天使というこの世の邪悪でありながら、亜人たちを支えている魔皇アルシエルとて真っ当に生きている。
なのに――。
クラフテッドの王、ミファザ国王は老いを感じさせる頬の皴を撫で。
息を吐いた。
おそらく、同じ椅子に座りながらも――遥か彼方。亡国を迎える王には近い席での話だからこそ――。
遠く、遠く。
本当に届かぬ距離に感じられただろう。
もはや滅びを避けられぬクラフテッド王国の王が、息子に言う。
「民を第一に想う心を失った余には、彼らを羨む権利すらあるまい……か」
「父上……」
正気に戻ってももう遅い。
騙されていたとしても、もう遅い。
クラフテッドの現王は、自らの愚かさと未熟さ、そして無力さを痛感していた。
それは目の前の王たちが、それぞれの思惑の中、その芯の部分に自国を愛する姿を見せているからだ。
遠き昔。
まだ英傑の王として国家を大国にするべく動いていた若き頃の栄光が、その脳裏に過っていたのだろうか。全てが遠い昔。
もはや戻れぬ栄光の時代。
それを終わらせたのは、自らの浅慮。
誰もいなくなった城。終わる場所だからと選ばれた会議場。
ミファザ国王は喉の渇きを潤そうと、手を伸ばす。
冷えた杯を掴むその肌。
剣を握らなくなり長く経ったその指には、明らかな老いの皴がある。
ミファザ国王の杯には、いつも冷えすぎないように弱い熱の魔術がかけられていた。しかし、その細やかな工夫をしてくれる給仕すらもういない。
誰も。
何も。
全て――この国は失ってしまった。
民はそれ以上に、失っていたのだろう。
「ミリアルドよ、若きそなたには悪いが王族たる者の最後の後始末、付き合ってもらう事になろう」
「はい――承知しております」
「そなたばかりに済まぬ、本来ならばあの娘本人も償わねばならぬ罪であろうが――アレは邪悪な王族として聖剣ガルムの光に消えた、悪として滅んだのだ」
ミリアルドは僅かに目を伏せていた。
それを、妹を討伐した兄の感傷と見たのか。
揺れる杯の中に過去を見る様子の王は、口を淡々と動かしていた。
「転生者としての悪知恵を利用し、多くの罪を犯していたとはいえ共に過ごした妹を手にかけさせてしまった――父の不甲斐なさを永久に恨め、ミリアルドよ。いつでも妹姫を優先し、甘やかし、未来を語るその不思議な口を信じ盲目となってしまった余は、兄皇子よりもアレを信じ優先してしまったのだから……そなたには、余を恨む権利がある」
「いえ、私も兄と慕ってくれていたと勘違いし、民を見えなくなっていたのです。同罪でしょう」
「アレは……最後、どうしていた」
妹を殺した時の話を聞かせろ。
そう言っているのだ。
「無様に生きようとしていましたよ。きっと、まだ世界を混沌に陥れようとしていたのでしょうね。光に抗い、生にしがみついて――なにをなそうとしていたのか。私には分かりませんでした」
「そうか、悪を断つ聖剣ガルムの光に抗うことなどできぬと知っておろうに。バカな娘であった。本当に、バカな娘で……。余に、似たのであろうな」
「いいえ、アレは転生者でした。人格は生前のモノに影響されている、言ってしまえば心は他人の子。ですので……かつては本当に、この国と民を第一に考えクラフテッドを大国へと育て上げた父上とは似ても似つかぬ女であったと――私はそう思っています」
他国の王たちが親子の話に耳を傾けていた。
実在した転生者。特殊な存在の話でもあるからだろう。
もっとも、あの悪姫ミーシャは塵すら残さず消えたとされているが。
聖コーデリア卿が不思議そうな顔をして、ミリアルドを眺めている。
彼女には多くが見えているのだろう。
おそらくは今のミーシャがどうなっているのかも、薄々感じ取っているのではないだろうか。
聖女は純粋。
政治的、そして今後のために死んだことになっているミーシャの事情など知らず――。
何故、死んだことになっているのです?
そう口を開こうとしたのだろうが――。
不意に、直属の上司たる賢王の美声がそれを止めていた。
「コーデリア卿よ、すまぬが皆に葡萄酒を振る舞いたい。余の寝室のいつもの場所にある、どこであっても転移を扱えるそなたが取ってきてはくれぬか?」
ミッドナイト=セブルス伯爵王の瞳が僅かに締まる。
今の言葉は、天然乙女コーデリアによる”うっかり発言”を防いだ王の一手であったが。聞く者によっては、それは違う意味での牽制にみえたのだろう。
少なくとも聖コーデリア卿が、賢王の寝室の内部を知っているという発言でもあるからだ。
『おや、鷹目の王よ。聖女殿には振られたという話ではなかったのかな?』
「さて、どうであろうか――暗黒地帯の統治に失敗した場合には后になると、そういう魔導契約を結んでおりますからな」
『ほぅ、契約で縛ろうと?』
「余も若輩ゆえに、聖女殿の美貌には些か興味を惹かれますのでな」
『食えぬ男だ、そうか、だが――余が先に聖女殿の”永遠の伴侶化”に成功した場合は、どうだろうか。その契約は破棄にして頂ければありがたいのですがな』
バチバチバチと、賢き王としては珍しく――瞳と瞳がぶつかり合っている。
もはや此処にいるモノは知っていた、この世界は誰が聖コーデリア卿の心を射止めるかで大きく先が変わる。政略ではなく、心から結ばれ聖女の伴侶となるモノとその勢力には、間違いなく大いなる繁栄がもたらされるだろう。
故にこそ、美貌を武器とする王同士の睨み合いである。
コーデリアの心を落とす事が一番手っ取り早いのは明白。道化師クロードが、頑張れポメ伯爵! と、揶揄の内に本気の応援をみせる中。
イーグレットの背後で巫女長が美貌の男のにらみ合いに、まあ! と、コーデリアのような感嘆符を上げ、零れそうになるほど瞳を潤わせうっとりする横。
大きなため息が一つ。
ガシガシガシと無骨な手で後ろ頭を掻きつつ、かつて戦鬼だったベアルファルス講師が言う。
「あのなあ、陛下。そういうやりとりは本人がいないところでやるのが大人、マナーってもんじゃねえのか? コーデリアも困って……は、いねえが、ぽかーんとしてるだろうが」
「ベアルファルス先生……わたくし、また何かをしてしまったのでしょうか?」
「いや、おまえさんは悪くねえよ」
ベアルファルスは魔術師としてはガタイの良い、けれど、締まるところは美麗に締まった筋肉美を纏う元傭兵。若き生徒はもちろん、大人の女性も篭絡させる草臥れた色気を感じさせる偉丈夫。
皆の視線が集まる。
構わず――ふぅ……と、タバコ代わりの魔力の吐息を漏らした男は、自然な仕草で――。
ぽんぽん。
コーデリアの頭に、魔力で腕だけ転移させた手を乗せていた。
「ま、おまえさんがやらかすのはいつもの事だから、自分でも勘違いしちまうんだろうがな」
「もう、ベアルファルス先生ったら。先生はそうやって、いつもわたくしを茶化すのですから。わたくしだって成長しているのです、自分が何かをやらかしかけた時の空気くらいは分かっておりますのに」
「へえ、そうか。おまえさんがなあ」
くくくく、と親戚のおじさん感覚で親しげに、けれど攻略対象属性で微笑するベアルファルス。
コーデリアもベアルファルスには心を許しているのか、その関係は極めて良好に見える。
そして戦鬼の瞳は物語っていた。
こいつを政争の具にしようとするのなら――誰であろうと敵だ、と。
そんな彼らを目視して、イーグレットと伯爵王は目線を合わせ。
伯爵王が言う。
『なんだ、あやつは――よもや聖女殿と懇意なのであるか?』
「あれは我が部下、そして学業に勤しんでいるコーデリア卿の教師。まあ、便利な男なのでよくコーデリア卿と接触する際に使う男なのであるが……」
『部下に油揚げを攫われぬように、せいぜい気を付けるが良かろうて。なにしろ、おそらくこの世界は本当に――とある乙女の心を落としたモノの手中となろう。望む望まぬは別としてな』
冒険者たちと教会関係者が聖コーデリア卿に目線をやる。
教会関係者は既に聖コーデリア卿が、いわゆる嵐の目になるとは知っているのだろう。それでも彼らは既に反省を知っていた、そこに口出しをする気はないようだ。
だが、冒険者たちは違う。
中には聖コーデリア卿に近づこうとする者もいるだろうが。
コボルト達がヒソヒソヒソ。
明らかに悪意がありそうな冒険者のうちの一人を、こっそりと背後からポコり。
そのまま気絶させた冒険者を運んで、わっせわっせ! あんこくめいきゅう行き、と、コボルトのつたない字で書かれた次元の扉にポイっと放り込んでしまう。
それらをすべて、違和感を発生させない状態で行ったコボルト達は素知らぬ顔。
危険な芽を排除したコボルト達に気付かず――。
野心なき教会関係者が言う。
「確認したいのでありますが、転生者ミーシャは死んだ……という事でよろしいのですね?」
「血縁の存在を記す魔導家系図からも消失した。おそらくは間違いなく、娘は死んだ」
クラフテッド王国の国王にして、彼女の父が深く頷く。
その顔にあるのは逆賊を討った精悍な王としての顔、そしてほんの少しの、父としての憐憫だった。
当然だ、王は本当にミーシャが死んだと思っているのだから。
「では教会でもそのように取り計らいます」
「頼む、そしてすまなかった。そなたらもミーシャが使っていた”ミーシャの天使”に汚染されていたと、余は気付けなかった。全ては娘可愛さに余が道を踏み外し、国の道を踏み外させた――余の責任であろう」
「いいえ、我等も天使の見た目と言葉、美しさに騙され本物の神の使いと信じてしまったのですから。同罪でありましょう」
教会関係者の中央、一番偉そうな祭司が聖コーデリア卿に老いた目線を移し。
「かつてクラフテッド王国で領地を支えてくれた聖女よ。すまなかった、我等は確かに天使や姫に惑わされたという一面もあったと自己保身が浮かぶ時もある、なれど――最終的に道を踏み外したのは我等自身。いつか正式に、公の場で聖女に謝罪せねばと思っていた。各国の王が集まるこの場で、教会は正式に聖コーデリア卿への謝罪をさせていただきたいと願っている――」
娘を失い、老いをみせ始めた王。
そして、かつてコーデリアを苦しめた、老獪を極めていた聖職者。
彼らは共に、自らが迫害し追いやった聖女に頭を下げていた。
困った顔でコーデリアが言う。
「もう良いのです……と、そう良い子であれと努めていたわたくしは思っております。けれどこうも、思うのです。何故、いまさらと、何故あの時にそうおっしゃって下さらなかったのかと……もう、謝罪も結構ですと冷たく眺めているわたくしも同時にいるのです。わたくしは……きっと心が狭いのでしょうね。そのお言葉を、お父様が健在であった頃にお聞きしたかったというのが本音ですわ」
クラフテッド王国の王が、ハッと目を見開き。
「父たる領主はよもや――」
「いえ、生きてはおりますわ。幸せになっているとも思います。けれど、わたくしに残された唯一の身内でございますから……もはやこの世界で安寧には暮らせぬでしょう。わたくしのアキレス腱、弱点ともなる存在であると父は思ったのでしょう。ここではない場所、ここではない世界に、新しく芽生えた伴侶となる方と共に旅立たれて行かれました」
「そうであるか――」
聖コーデリア卿の唯一の肉親。
それは確かに騒動の種となるだろう。
だから気を利かせた何者かが、外の世界へと連れて行った。
栗色の美しい髪の下。
名画ですら息を呑んで退くほどに、神々しい聖コーデリア卿。
その美貌に、一抹の憂いが滲んでいる。
父の新しい人生――コーデリアはそれが正しい判断だと思っていた。
むしろ、自分から提案するべきことだと思っていた。
けれど、父をこの世界から遠ざけたことで心がまた一つ、空っぽになっている気がしていた。
コーデリアが言う。
「ところで教会の方にお聞きしたいのですが、この場で宜しいでしょうか」
「構いませんが、なんでしょうか」
「荒らされた母の墓所から消えた遺骸について、何かご存じないでしょうか」
「母君の、ですか……」
聖職者たちが顔を見合わせ、困惑を示す中。
聖騎士ミリアルドが告げる。
「王族として、生家を荒らしていた非道を詫びよう」
「申し訳ございません――思うところは多々ありますが、此度は謝罪を要求しているのではないのです。おそらく、殿下ならばもう気づいていらっしゃるのでしょう?」
コーデリアの問いかけに、ミリアルドもまた気付いたのだろう。
「おまえ、知っていたのか?」
「いえ、知っていたというよりは……思い出した、という方が正しいのかと存じますわ」
二人だけの会話に周囲が困惑する。
だが、もう一人、聖女と聖騎士、幼馴染の彼らがこうして言葉と顔を濁している事情を察する者がいたのだろう。
それはクリエイター。
三千世界と恋のアプリコットを作った者の一人。
言うならば、創造主に分類されても違和感のない道化が告げる。
『聖女殿に、配布皇子――わたくしが語っても? おそらく、あなたがたの口から語るよりも、部外者であるわたくしの方が語りやすいでしょうから。いかがですか?』
「お願いできますか、心の読めない道化の御方」
聖コーデリア卿が心を読めないと宣言した。
むろん、おどけの中に本音を隠す道化の心が読めぬのは、当然であるが。
望まずとも心を読んでしまうコーデリアの能力を知るモノならば、別の意味として聞こえたはず。
この道化もまた転生者、あるいは心が読めぬほどに強き存在であると。
賢王イーグレットとベアルファルス。
巫女長も不意に道化への警戒を強めた矢先。
道化は苦笑し、周囲を見渡し。
『あまり警戒しないで頂きたいものでありますが、まあ仕方ないでしょうね。ともあれわたくしは知っております。さて、引っ張っても仕方ないので答えを先に言ってしまいましょう』
道化はくるりと回した腕から、羊皮紙を召喚し。
告げた。
『邪神クラウディア――アンドロメダが再臨を企む存在、その正体は』
「わたくしの母、でございます」
空気の読めない聖女コーデリア。
彼女は道化の決め台詞をキャンセルし、ふっと吐息に侘しさを乗せて告げていた。
当然、格好いい場面を崩された道化師クロードは頬をヒクつかせていたが――現場はそれどころではない空気に包まれていた。
邪神の正体が聖コーデリア卿の母。
会議の場は、重く軋んでいたのだ。




