第066話、斜陽の城にて
小鳥が囀り、朝露が樹々の隙間から滴る朝。
会議は早朝から行われていた。
集った場所は、もはや国家としての機能を失いつつあるクラフテッド王国。
その静まり返った王城の一室だった。
終わる国とはいえ、かつての栄華は本物。
会議の場に取り揃えられた調度品だけが、大国だった名残をみせている。
使用人たちがいない代わりに、今はコボルト達がモフ毛を揺らして、わっせわっせ! と、警備隊兼、給仕の代わりを果たしていた。
集った者たちは今回のアンドロメダ騒動で繋がりを持った者たち。
聖騎士ミリアルドに、その父ミファザ国王。
転生者で踊り子のサヤカ。
その後ろ盾ともいえる魔境の長、天使であり、並の天使よりも格が上だと思われる大天使アルシエル。
山脈帝国エイシスからは賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世、そしてその護衛が二人。
かつて天使に惑わされた実力者の巫女長。
そして、教師でありかつての英雄、ほぼ皇帝の側近となっている凛々しき大柄な無精ひげ男、戦鬼ベアルファルス。
当然、聖コーデリア卿もいる。
彼女の側近はいつも通りの魔物達。
並のアンデッドとは一線を画す、悍ましくも禍々しい死霊の覇気を漂わせる魔物――謎の軍服を纏う包帯男ソドム。
そしていつものモフモフ護衛のコボルト軍団。
オーク淑女と呼ばれる貴婦人たちの姿もチラホラと映っていた。
そんな仰々しい者たちの中、永遠の黄昏と夜の街セブルスの代表が――伯爵王とその側近の道化師。
ミッドナイト=セブルス伯爵王と、道化師クロード。
王たちは着席し、そうでないものはその後ろに待機している。
着席しているのはエイシスの皇帝イーグレット。
暗黒迷宮の領主コーデリア。
魔境の魔皇アルシエル。
滅びる国の最後の主、ミファザ国王。
そしてセブルス伯爵王。
他にも冒険者ギルドから派遣された最上位冒険者や、クラフテッド王国と山脈帝国エイシスの教会関係者も数名参加している。
行われるのは話し合い。
情報交換を超えた関係の構築と、これからの方針について国としての取り組みを決めようとしているのだ。
なにしろこの世界は不安定。
天使という明確な脅威、そしてアンドロメダのような得体のしれない力を持った存在への脅威。そしてなにより、不帰の迷宮を発端とした異界からの侵入者。
皆が皆、思惑は違う。
けれど、この世界が終わって欲しくないと願っている者たちの集まりであることに違いはない。
そんな中。
アンデッドとしての性質がそうさせるのか、普段よりも余裕なく怯える者がそこにいた。
それはセブルス伯爵王。
彼は高貴なる凛々しき美貌を尖らせ、思わず伸ばした尻尾を垂れ流し――周囲の一点をじっと睨んでいた。
敵意を感じているのではない、聖コーデリア卿の護衛である包帯男に委縮しているのだ。
伯爵王に道化師がこっそりと問う。
『いかがなされましたか、我が君』
クロードはいつでもこうして、伯爵王のサポートをする。
昔からそうだった。
まるで愛する飼い犬を見守り、補佐する面持ちで――本当に困ったことや悩むことがあると、必ず飛んできてフォローをするのだ。
伯爵王は礼装のモフモフを逆立てつつ、引き気味にヒソヒソヒソ。
『(道化よ、そなたとて気付いておろう。あの包帯男――あの気迫、あの悍ましき魔力。並のアンデッドではあるまい)』
『わたくしの知識でもアンノウン。鑑定エラー。おそらくは、外の世界からの異物かと』
『(そなたとて分からぬのか!?)』
『はい、けして気を緩めてはなりません――おそらくあれは、わたくしよりも強い』
『(余より強きそなたよりもか!?)』
伯爵王はすっかり超大型犬に睨まれた子犬の声である。
もっとも、その姿は美しく気高い野獣の美貌のままだが。
『ご安心を、いざとなったらあなただけは守りますよ、陛下』
こそりこそりと密談する姿は、一見すると賢人に相談する美しき野獣の王であるが。
伯爵王がポメラニアンの姿になる事を知っているコーデリアには、尻尾を脚の間に隠し、主人に助けてとアピールするワンちゃんに見えているのだろう。
ふふふふふっと微笑、散歩中に吠える微笑ましいワンちゃんを見る顔で。
「まあ伯爵陛下ったら、そんなにおどおどなさって――やはり朝の陽ざしが強すぎるこの時間というのは、少々酷だったのでしょうか」
『お気遣い感謝する、聖コーデリア卿。なれど、余の心を揺るがしているのは恨めしい天上の光ではなく汝が連れし、その傑物。いったい、どのような存在なのか――お聞かせいただければ幸甚の至りなのでありますが、いかがか?』
コボルト達が、難しい言葉に「こうじん?」と顔を見合わせる中。
聖コーデリア卿がおっとりと告げる。
「ソドムさんの事でしょうか? お惣菜屋さんですけれど、なにか?」
『そうざい……それは冠婚葬祭を取り扱う神仏の名称でありましょうか』
「????? ごく普通のお惣菜屋さんですけれど……美味しい御肉や、お料理の加工品を販売しておりますの。最近では強めの香辛料を利かせたポテトサラダが評判ですのよ」
伯爵王は訝しんだ。
そうざいや、それが何を示す隠語なのか理解できないのだ。
肉を扱う、つまり神を殺しそれを食肉へと加工させる神仏滅殺の存在ということか。
頬に浮かべた汗を魔力で蒸発させ、こそりと再び道化師に耳打ちし。
『(のう道化よ、そうざいやとは……いったい)』
『陛下、おそらくは……生者たちが御夕飯のお買い物で立ち寄る、いわゆる普通の「食物のお惣菜」を示しているのではないかと』
『(そのようなことがあるわけなかろう! あれは間違いなく、神の領域のアンデッド! 余の内に眠りしポメラニアンの血が唸っておる、あれは危険であると)』
ガルルルルゥっと伯爵王は犬歯を尖らせ警戒モード。
ソドムが包帯を七色の魔力で輝かせ、無貌の端整を尖らせ言う。
『これはこれは、愛らしいワンちゃんでございますれば。はて、なにやら吾輩について興味がおありの御様子。一応、告げておきますれば――コーデリア卿の敵とならない相手ならば、吾輩は敵対視いたしませんので、ご安心を!』
ゾゾゾゾゾっと鳥肌を浮かべて伯爵王は美貌の野獣顔を震わせ。
『さ、左様であるか。して、そ、そなたは何のアンデッドなのであるのか』
『吾輩ですか? はて、深く考えたことはあまりなかったのでありますが。ふぅぅぅぅぅむ、まあそうですね、ここではない場所、ここではない世界においては神の業火に焼かれた街より生まれた、不埒で不浄と貶められた命の集合体。いわゆる”集合神霊死霊”に分類されるかと?』
魔術を嗜んでいる者が、ぞっと、一瞬だけ顔を歪めた。
それは異なる世界から入り込んできたイレギュラーの証だからだろう。
魔猫師匠が介入してきた事によって発生している、異物――未知なる魔物。そして、魔術に造詣が深いモノが緊張している理由はそれだけではない。
この中でソドムとの戦闘経験があるのは巫女長。
彼女もまた、錫杖をぎゅっと握って緊張の中にある。
既に仲間と認識はしているが、暗黒迷宮の魔物については謎も多い。巫女長はこの世界に生きる人間として、それが脅威となるか多少の心配が浮かんでいるのだろう。
実際に、聖コーデリア卿の部下たちは少々どころかかなり特殊。コボルト達とて、そうだ。この世界に発生しているコボルトとは明らかに違い、知恵に溢れている。
生態系が違うなどというレベルではない差があり、暗黒迷宮は未知なる脅威であふれている。
冷静に状況を見る能力を有しているのだろう、踊り子サヤカが言う。
「なるほど、ソドムさんはこの世界ではないアンデッドの御方。それも神に近い死霊系の魔物……となると、『異神』に分類される存在というわけですね。そして死霊としての格の差が、伯爵王陛下をそのような御顔にさせていると。言葉は悪いですけれど、子犬が超大型犬を前にして、尻尾を股に隠してしまう状況に近いのではないでしょうか」
ソドムが顔のない顔で、しかし、包帯の中では明らかに端整な男の微笑と分かる空気で。
ギシリと、白き歯と躯を軋ませ言った。
『これはこれはサヤカ嬢。解説どうもでございます』
「構いませんよ、あなたの店のお惣菜は本当に美味しいと評判ですから。わたしもたまに利用していますし。というか、実際に本当にあなたたちってなんなんです? たぶん魔猫師匠の影響で発生した外の魔物なのでしょうけれど……」
聖コーデリア卿がおっとりとした聖女だからこそ、表向きは問題視されていないが。
ここに集まっている者の中には、一種の共通認識があった。
むしろ暗黒迷宮の方がよほどアンドロメダや天使よりも危険。現実問題として、そう考えている者は多く存在するだろう。
ようするに、世界にとっては天使と同じ脅威なのだ。
それを言葉にしたサヤカに、王たちや聖職者は多少の感謝を感じているようだ。
主の顔を見て、話して良いと頷きを返されソドムが言う。
『そうですね。吾輩たちは結局のところは聖女様を守る魔物。コーデリア卿をダンジョン主と認識し、ダンジョンを維持する存在として守ることを至上の喜びとしている眷属と、考えていただければ宜しいかと。ただ、聖コーデリア卿はあの方の弟子。そして多くの異世界を修行として立ち寄った存在。故に、迷宮創作魔術を行使した際にこの世界には存在しない魔物が発生した――それが我等だと思いまするが』
「待ってください」
『なんでしょうか』
「そもそもですが人間がダンジョン主になりうると?」
サヤカの問いに、ソドムは包帯の下の黒い肌を魔力紋様で輝かせ。
思考を加速。
『ダンジョン生成も元を辿れば、所詮は魔術の一種。いままで人間のダンジョン主がいなかったのは、単純に力不足だと推測できまするな。実際、コーデリア卿がこうして我らの暗黒迷宮を生み出したのですから――そこに主を守る魔物が湧いたとしても不思議ではない。吾輩はそう感じます』
魔術師では無い、あるいは魔術の知識がない者達は、ぽけーっと理解していない顔である。
『ともあれ、吾輩は非戦闘員ではございますが――我らは女王陛下を守る側近の一柱。多少は怯えていただいた方が話も早い。此処にいる全員に告げておきます――軍服死霊たる吾輩と、そしてその相棒たる生きた刀「轟毛螺」がある限り、我が主君に手出しはさせません。そして更に警告でありますが、吾輩よりも強き存在は暗黒迷宮に多く存在いたしまする。心清き聖女を惑わそうとする者は、我等が滅す――そう覚えておいていただければ幸いにて』
ソドムが唸ったその直後に、一瞬だけ、世界が揺れた。
暗黒迷宮の中から、神レベルの異形なる異界の魔物達が――迷宮女王を讃える唸りを上げていたのだ。
それはこの世界に対する脅しでもあったのだろう。
我等が女王を虐げるな、と。
もし聖コーデリア卿がこの世界に仇をなす存在となれば。
これらも同時に敵にする。
それだけは避けたいというのが共通の認識だろう。
もっとも、コーデリア本人はあまり状況を理解せず。
のほほんとコボルトに差しだされたお茶を楽しんでいるが。
コーデリアについて追及し暗黒迷宮のバケモノたちを刺激するのは危険と判断したのか、話題を変えるように伯爵王が言う。
『赤髪の美女よ――察するに貴殿も異物……転生者であるか』
「はい、陛下。一部の教会からは転生者というだけで命を狙われますので、あまり公にはしないで頂ければと」
舞姫サヤカはどちらかというと恐怖を知っている伯爵王ではなく、会議に参加している冒険者や教会関係者に釘を刺すように、告げる。
それと同時だった。
暗黒迷宮ほどではないが実際に今ある危険要素の一つ、魔境を治める天使アルシエルが、仮面を煌々と赤く染め始めていた。
彼ならばおそらく。
冒険者や教会関係者がサヤカを危険に晒す事態となった時、容赦なくその翼を翻すだろうと知っているのか――聖騎士ミリアルドは一抹の不安を浮かべている。
ミファザ国王の代理としてのミリアルドが、傷跡だらけの凛々しい顔を尖らせ言う。
「サヤカ嬢は既に協力者、この会議で知り得た転生者であるとの情報は今後も伏せていただく。冒険者並びに教会の皆さまにもご理解いただきたい」
冒険者が言う。
「従う義理はないんじゃないのか?」
それは試す言葉だったのか、或いは挑発だったのか。
冒険者ギルドも一枚岩ではない。そしてそれぞれの国家とは独立した組織。王たちはなにやら繋がりを持っているようだが、彼らは部外者扱いされている。
ここに参加している教会関係者も既に牙を抜かれた後なのか、妙に物分かりがいい。
それも面白くないのだろう。
だが、その言葉は命取りに近かった。
瞬時だった。
無言のままの魔皇の翼が冒険者の首を刈るべく、羽を飛ばしかけていたのだ。
それを止めたのは伯爵王。
影から発生させた漆黒の棺が、挑発した冒険者を包み、首を刎ねる天使の羽から守っていたのである。
『余も命が惜しいからな。サヤカ嬢――そなたを売れば、このようにそこの大天使に余が殺される。しかし、かの有名な魔境の魔皇陛下が、よもや天使であったとは――いやはや、情勢というものは分からぬものですな』
『……余は、もはや皇帝にあらず。魔境は聖コーデリア卿の傘下が一つ。我等は聖コーデリア卿の意向に従う――なれど無知なる人類よ、あまり余個人を怒らせるな――余にも我慢ならぬことがある。戯言であると今の児戯は流すが、次はない。転生者であるとの情報をみだりに流せば、その国、その命、全てを天の光へと導くこととて余は厭わぬ』
魔皇は冷静で、話も分かる男だった。
しかし、たった一つだけ、なによりも優先する者がいるのだろう。
地雷原を踏めば、天使は突如として悪魔となる。
『人間に恋をした天使であるか――ふふ、ふははははは! 余も長くを生きておるが、本当にこの世界はよく分らぬ事態に陥っておる!』
『笑い過ぎですよ、ポメ伯爵』
『クロードよ……せっかく余が場を治めたのだ、もう少しこう、なんというかだ』
伯爵王と道化がまるで喜劇のように動き出す。
『はいはい、ここで死者を出さぬように守ったことは評価に値しますよ。さて――皆さま、もうお分かりのように我等は地雷を抱えすぎている。不用意な発言が協力関係を破綻させる可能性も高いと判断いたします。ですので、そうですね――いったん、互いにしたい事ややりたい事、許せぬことなどを文章としてまとめるのはいかがですかな?』
道化師クロード。
彼は既に場を支配しつつあった。
もっともそれは打算ではなく――彼がこうしてまとめ役にならなければ会議も進まない――という、社会人としての苦労人体質がでているのだろう。
おそらくそれに気付いているのは、主人である伯爵王。
そして同じく転生者であるサヤカと魔皇アルシエルぐらいか。
魔皇アルシエルは伯爵王に礼をして、ついつい手を出してしまったその反省からか――腕を組んで黙り込んでしまう。
賢き社長であっても、恋の前では盲目。
ある意味で一番、乙女ゲームの影響を受けているともいえるが――。
会議はまだ始まったばかりだった。




