第065話、其の獣毛はプラチナにして、気高く【伯爵王視点】
吸血鬼は自らの体内の魔力を散布し、魔力の霧を張る。
それは一種の魔術結界。
不死者達の王ともなると、それは黄昏結界外の不利を覆す程の力となる筈。
事実。
霧の中からは、血に飢えたケモノの赤い瞳がギラついていた。
それは全てを虜にする魅惑の瞳。
伯爵王ミッドナイト=セブルスの本気の瞳。
伯爵王は自問する。
何故、力を得なくてはならないかを。
何故、友となれる若き賢王を急襲などせねばならないのかを。
全ては仕方なき事。
霧の中――白銀色の獣毛を雄々しく猛らせる獣は唸りながらも自答する。
(この世界は余を超えうるバケモノばかり。アンドロメダも然り、聖コーデリア卿も然り。そして、そのうちに目覚めるであろう邪神も――ならばこそ、余も力を得ねば何も救えぬ)
魅了対象は十三代も続いている皇族。
賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世。
由緒正しき血統である。
今現在、別動隊として動いている道化師クロードも聖騎士ミリアルドの血を奪おうと画策中。ミーシャ姫が血ごと聖光の中に蒸発した今、古き王家の血……すなわち太古の神々の血を吸うにはこうして王族を襲うしかない。
全ては邪神に対抗するため。
そして聖コーデリア卿のように、規格外の存在を知ってしまったため。
(余の正しさは、後の歴史が証明するであろう。ならばこそ――余は卑劣漢として罵られようと、ここで引くわけにはいかぬ!)
国を守るため、”死に切れぬ死者”たちの安寧を保つため。
これは裏切りだった。
国交を開こうと交渉中の他国の王を、その毒牙にかけようとしているのは明白だった。
霧の中から邪悪な獣の唸りと化した、伯爵王の甘い重低音が響く。
『賢き者、イーグレットよ。民を第一にと動く汝を余は気に入った。すまぬ、なれどこれは永遠の友情と同義――せめて、そなたも永遠なる我が友に』
そう、伯爵王は賢王と友好を結べるとも考えていた。
だからこそ。
血を吸い、アンデッドの友とすることもまた本音であった。
(邪神再臨を果たした際、この者の知恵は必ずや力となる――)
しかし――懺悔し霧から姿を現し襲おうと伯爵王が凄んだ、その直前。
聴衆を惑わす程の凛とした名君の笑い声が、部屋を揺らし始めていた。
褐色肌の若き美貌王、イーグレットは存外に余裕な顔をみせていたのだ。
そのワインで濡れた唇が、ツンと動く。
「ふふふふ、ふはははははは! とうとう正体をみせたか――愉快愉快、よもやこれほどまでに作戦通り事が運ぶとは。伯爵王殿、そなた……よほど聖コーデリア卿が恐ろしく見えたのであろう。少々ことを急いたな」
『ほう、余の計略が見えていたと?』
「当然でありましょう。こちらは伯爵王殿と違い知恵と叡智、そして誰よりも美しきこの容姿しか民を統べる術を持たぬ”足りぬもの”。自らを囮にしたこの策、皆は反対しておったが――ここまで机上で描いた絵空事が筋書き通りとなるとは、笑いが止まりませぬぞ」
霧の中。伯爵王は動揺した。
賢王の言葉が驕りや欺瞞ではなく、真意だと察したからだ。
この若き賢王にはなにかある、何か仕掛けている。
だが――。
『もはや引けぬ! これも世界のため、強大な存在と戦う確かな力のため! 古き王族の血、我が血肉として頂かせてもらおう!』
言って、吸血鬼の放つ魔力の霧からソレは飛び出した。
今度は思わず、賢王イーグレットが声を失った。
その伯爵王の正体に驚愕したのだ。
確かに。
伯爵王の魅力値は本物。最大数値を維持していても不思議ではない。
それほどに魅力的な姿だった。
もっともそれは、愛や恋を誘発させる魅力ではなく――……。
『くくくく、どうだ怖かろう。余のこの素晴らしきモフモフ、気高き血の頂点に立つ闇を纏いしこの姿を見て――虜にならなかった者はおらん。さあ、血を吸わせよ! 我が眷属となるがいい!』
「……ポメラニアンではないか」
ででーん!
そう、ミッドナイト=セブルス伯爵王が一番に魅力値を引き出せる姿が、これ。
白銀獣毛の、もふもふワンちゃんである。
ポメラニアンの肉球に頬をぺちぺちされながら、ジトォォォ。
まったく魅了されていないイーグレット陛下が言う。
「この姿での誘惑が、作戦……のぅ」
『その通り! これぞ、余を生み出したクリエイター、創造神が余を生み出す際に最も魅力的と判断した姿。事実! 余のカリスマ、魅力、庇護欲、全ての値が限界クラスに成長しておる。さあ、若き皇帝よ――余に汝の血を差し出すが良い!』
微妙に短い脚を、わちゃわちゃ動かし。
ドヤァァァァァ!
もふもふポメラニアンが血を吸おうと若き皇帝に馬乗りになるが――。
さながらそれは、美貌王の寝室ではしゃぐ駄犬を描いた、一枚の絵画。
「いや、吸血耐性装備をしておるので……ただ余の美しき褐色肌にジャレつくバカ犬にしか見えぬのだが?」
『うぬぅぅぅぅぅぅ? おかしい、怪しき、不可思議、怪奇! た、たしかに――魔狼化の弊害で知識は多少さがるが、バカ犬とは何事だ? 何故吸えぬ!?』
「今の装備は全てが神聖属性の対吸血鬼用。それも聖コーデリア卿の祝福を受けた超一流品。さしもの伯爵王とて、この装備は貫通できまい……」
白銀獣毛のポメラニアン。
賢王の首筋に必死に縋りつこうとするも、全てレジスト。
イーグレットは既に策を弄していたのだろう。
「ええーい、鬱陶しい! 耳元で吠えるでない!」
『我が虜となり、血を寄越せば終わる話であろう!』
バカ犬を腕で押し返す皇帝の図である。
ポメ伯爵が吠える。
『ガルゥゥゥゥゥゥ! これでは吸えぬではないか!』
「だから無駄だと言っておろうに。これ、そこで妙に興奮しながら見ておる女。早く事態を収拾せぬか!」
「っと、失礼陛下。美貌王に跨る元イケオジ吸血鬼……たとえポメラニアンの姿であっても、良き光景。これも神の福音。眼福でありましょうと」
言って、控えていただろう清廉な聖職者は転移しやってきて。
静かな微笑。
仕掛けてきた相手を捕らえるべく――結界を発動。
それはコーデリアよりも若き、幼き乙女。
全盛期の幼き姿を維持している巫女長が、ふっと現れたのだ。
かつて「巫女長だったモノ」へと変貌させられた彼女も既に皇帝の部下なのだろう。
イーグレットが言う。
「巫女長は余にもよくわからぬ言葉を口にする、いったいそれは何の余興であるか?」
「殿方には分からなくて良いのです。美しき者たちが争う姿は神話の時代にも持て囃されたとかなんとか。つまりこれは聖職者として正しき感性。そうでありましょう?」
「鼻血がでておるが……」
理解できぬ女を見る顔のイーグレットに見られ、巫女長はハッと鼻血を拭い。
こほん。
憑き物がとれている巫女長はまるでコーデリアのように、にっこり。
「まあぶっちゃけ、これは趣味にございます」
「そ、そうか。ともあれだ、一度、伯爵王殿を鎮めねばならぬ。今後同盟を組もうと思うている相手だ、滅するなよ」
「無論でございます。伯爵王におかれましては、今後も新たなカップリングとして陛下のおそばにいて欲しい人材にございますれば。それでは……」
ピンク色の髪を靡かせ、天使に惑わされていた時には見せなかった清廉さをみせ。
巫女長はシャランと錫杖を鳴らす。
錫杖の先から清廉な音が、キィィィィィィンと鳴り響き。
音を鳴らす錫杖の底が、最高級の絨毯を叩き――反響。
『高位聖職者か!?』
「御ふざけもここまでにございます、伯爵陛下――」
巫女長もかつては天使に騙された愚か者であった。
しかしだからこそ、世界の平穏のためにその身を使う気概が生まれていたのだろう。
瞳を閉じ――最盛期の幼き身となった、穢れ無き乙女の声が響く。
重なり合う音と詠唱が魔法陣を描き、魔術となって広がっていく。
そのまま詠唱が続き。
幼き巫女長の口から生まれた言葉は、コーデリアも使用するようになった魔術名だった。
「”解呪”にございます」
突如としてポメラニアン伯爵の身体が宙に浮く。
伯爵王がポメラニアンの牙を、くわ!
『若造どもよ、不死者の王を舐めるなよ!』
そもそもポメラニアンの姿は伯爵王の化身の一つ。
吸血鬼が魔狼化し、凶暴性を増している姿。その力が衰えているわけではない。
巫女長の錫杖が、ギシっと悲鳴を上げる中。
錫杖の持ち主は、パァァァァァっと幼き美しいもち肌を輝かせ。
「まあ、若造ですって? 聞きましたか、陛下!? 若造だそうですわ!」
「ええーい、露骨に喜んでおらんでなんとかせぬか! 自慢ではないが、余はろくに戦えんぞ」
「大丈夫です。これだけ動けばおそらくはあの方が――っと、ほら、来てくださいましたよ」
巫女長が魔術を解除し、結界を解除。
伯爵は動揺した。
なぜ結界を解除したのか。理解ができなかったからだ。
けれど答えを直後に理解した。
気配はおそらく、突然やってきた事だろう。
禍々しい程の魔力を抱いた、しかし聖なる属性を纏ったソレはおっとりとした声で、何事もなかったような言葉で告げていた。
「まあ~! 面白いものが見られると仰っていましたが――こういう事でしたのね、陛下!」
『うぬ!? その声は聖コーデリア卿!?』
そこにあったのは、背後からワンコを抱き上げる聖女。
伯爵王を持ち上げる乙女はもちろんコーデリア。
この世界において並ぶ者のいない、史上最強の聖乙女である。
バタバタバタと伸ばした足を宙に浮かせ、肉球をプニプニ。
ポメ伯爵が吠える。
『ぐぬぬぬぬぬ! もっと丁寧に抱っこせぬか!』
「まあ、そのお声は伯爵王陛下ですの? あらあらまあまあ! いったい、なぜそのような愛らしい御姿に?」
『これ! 勝手にリボンを頭に結ぶでない!』
「お似合いですわよ?」
かわいいワンちゃんにリボンを巻く聖女はもちろん怯まず。
マイペースに次々と新しいリボンを取り出しているが――。
これが罠だと気づいた伯爵王が、くわっと犬歯を覗かせ賢王を睨む。
『きさま! 謀りおったな!』
「一対一となれば必ずなにか仕掛けてくる――当然、こちらも護衛をつけているに決まっているであろうに。しかし……伯爵王殿がしかけてきた作戦が、こういう意味での魅了だったとは……いささか警戒しすぎたか」
ポメラニアンに魅了されぬ三人に、伯爵王は疑問を抱いているのだろう。
『コーデリア卿はともかく――若き皇帝よ、そしてそこの天使の残滓を漂わせる聖職者よ! 何故余の魅力に靡かぬ!?』
「生憎と、犬系の動物の魅力はコーデリア卿のコボルト達でたっぷりと慣れておるからな。それにだ、余はあいにくとネコ派なのだ」
『ネ、ネコ派!? 異教徒か!』
ならば巫女長はというと。
「あいにくと、道を一度踏み外したわたしには……もはや恋をする資格などございません。故に、殿方と殿方の幸せを見守る、心身共に清らかな聖職者であろうと。神にそう誓ったのでございます」
『意味の分からぬことを。この巫女長とやら、精神汚染されておるのではないか?』
「うむ……余も正直、この者の思考はよくわからぬ」
ぐぬぬぬぬっとお怒りモードのポメラニアンであるが。
皇帝は全ての魅了効果をレジスト。
実際、これは魅力値がトップクラスに高い皇帝イーグレットであったから魅了をレジストできただけ。そして巫女長が一度、「巫女長だったモノ」に変容した名残か、精神状態に一種の腐敗が発生していたせいで魅了が効かない体質になっていた事が原因。
実はこの二人とコーデリア卿でなければアウト。
かなりの高確率で血を吸われ、眷属化していた可能性が高い、高度な作戦であっただろうと――イーグレットは鷹目を尖らせていた。
「まあ伯爵王殿、そうあまりお怒りになられるな。交渉次第によっては血を分け、そちらの力にしても良いとは思うておるのだ。さすがに眷属化は拒否させてもらうがな」
「だいたい、突然お襲いになるのはマナー違反ですわ、伯爵陛下」
続いて苦笑したコーデリアも、あくまでもイーグレットの部下としての行動である。
聖女と皇帝。
二人の間に築かれているのは信頼関係。
コーデリアはイーグレットを信用しているのだろう。
ポメラニアンと化している伯爵王は、周囲を見渡し。
計算する。
巫女長と呼ばれる聖職者は明らかにトっプクラスの実力の持ち主。その身に、老化反転の恩寵を受けている影響で、清い乙女が持つ全盛期の力を維持し続けているのだろうと推測できる。
そしてなにより、聖コーデリア卿の存在。
『余の負けであるな』
「これでこちらの戦力がそれなりにあると、ご理解いただけたかと」
告げて銀髪の隙間から美麗な鷹目を輝かせる美青年、賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世。
そのしたたかさと、存外に強引な手腕を認めるように伯爵王が言う。
『何が目的だ』
「伯爵殿の古き王の知恵をお借りしたい。なにしろこの世界には謎が多すぎますのでな――アンドロメダも然り、天使も然り。そして、乙女ゲームと呼ばれる概念についても――不安要素は尽きぬ世界。ならば我等は手を結ぶ必要がある。そもそもな話……この世界のために貴殿も動いていたと推測しておるのだが、いかがか?」
その言葉に裏はない。
おそらく本当に、何やら得体のしれない存在が裏で蠢くこの世界のために、協調を求めていると理解できる。
伯爵王がそう心を動かしていたその時だった。
魔術通信が、ポメ伯爵の瞳を見開かせていた。
ちょうどその瞬間、道化師クロードから作戦失敗の報告を受けたのだ。
(余を影で操っておったあの道化が、二度も失敗した、か。なるほど、余がこやつらに負けるのも道理であるのだな)
彼が負けていたのなら。
まあこれで面目も保てるかと納得し。
伯爵王は告げた。
『良かろう。とりあえず、すまぬが……そろそろ降ろしてはくれぬか?』
「あら? よろしいではありませんか。わたくし、可愛いワンちゃんも大好きですのよ?」
コーデリアには魅了がばっちり効いていたのか。
精神支配はされていないものの、犬は大好きだったのだろう。乙女のその手はポメラニアンのモフモフを抱いて、うふふふふとご満悦。
ポメ伯爵をだく聖女コーデリア。
その姿は微笑ましいものだったが、後からやってきたコボルト達を大いに嫉妬させたという。




