第006話、迷宮女王とざまぁですわ:前編
あれから一年。
隠しスキルを手に入れ神の下で暮らしていた聖女コーデリアは、黒猫神が用意してくれたダンジョンハウスでの修行を完了し、かつて愛した故郷に戻っていた。
平和なる国クラフテッド。
今はその名も、彼女にとっては皮肉な名に思えてしまう。
コーデリアは、少し緊張していた。
一年も不在にしていたのだ。
実家がどうなっているかは……あまり考えたくはないのだろう。
尤も、新しい聖女ドレスに身を包んだ彼女の足元には、並々ならぬ魔力が浮かび上がり。
歩くたびに、なぜかラスボスのような波動を放ち――その影響で近隣の魔物は大混乱。なんか知らねえがヤベエ奴が来たと、強敵に分類される周囲のドラゴンやエリアボスが大慌てで逃走。
魔物大移動を開始しているが。
ともあれ、聖女は懐かしい地をゆったりと歩いていた。
帰国した彼女はまず、家族を探した。
唯一味方をしてくれた、血の繋がりがあり肉親と呼べる父に挨拶しに戻ったが――。
既に、そこに領主の城も屋敷もなかった。
ダンジョン内の敵や味方を識別するダンジョンボスの能力にて、父の生存は確認済み。生命反応がある事から、どこかで生きていることは確かなのだが。
(ここにはいない……、いったいどこに……お父様)
代わりにあるのは立て看板。
王の名の下、こう書かれている。
穢れた血族、シャンデラー家跡地。
この土地は見せしめに五年、このまま放置されるらしい。
没落していたとはいえ貴族令嬢が国家転覆をはかったのだ。家が取り潰される可能性も考慮はしていた。
けれどどこかでまだ、友人である姫を信じていた。
ここまでする筈ないと。
「あんまりじゃ、ございませんこと……」
聖女は破壊された生家の壁に手を添えて、瞳を伏した。
たった一年で既に苔が生えている。
母と植えた樹も、父と選んで並べた花壇も――もはや残されていなかった。
先祖の遺骨を祀った祭壇。お墓すらも……残されていない。
「ごめんなさい、お父様……わたくしが未熟で、愚かだったばかりに」
これは全て、自分が招いたこと。
ミーシャを信用し、唯一の友だと悪意に気付かずにいた自分の失態。もう二度と、油断したりはしません。
彼女は固く決意した。
けれど。
声がした。
「コーデリア、なのか」
懐かしい声がしたのだ。
まるで美声で生活費を稼いでいる、天に選ばれたような魅惑の声である。
が――、その声は聖女にとっては敵の印。
ちょっとは知っている声だった。
聖女コーデリアは栗色の髪をふわっと靡かせ振り返る。
黄金の髪が、そこに揺らいでいた。
精悍な顔立ちと瞳が、キラキラキラと輝いている。
そこにいたのは、オスライオンを彷彿とさせる男だった。
「コーデリア……っ、やっぱりコーデリアじゃねえか!」
「騎士、様?」
「ずっと探してたんだぜ――っ」
そこには乙女を裏切った元婚約者、騎士王子オスカー=オライオンがいたのである。
しかし随分とみすぼらしい恰好をしている。どういうことだ。
乙女は訝しんだ。
なのに騎士王子は構わず、薄らと涙すら浮かべて聖女をそっと抱きしめようとするが。
ピロリ♪
聖女、回避発動である。
避けたにもかかわらず、よほど嬉しいのか騎士王子オスカー=オライオンはまるで母を見つけた子供のような顔で言った。
「ははは! やっぱり生きてやがったのか! なあ、おい! オレ様はやっぱりてめえじゃなくちゃ駄目だったぜ、コーデリア。あの女、ミーシャの糞野郎っ……オレ様を顔だけしか取り柄のないクズだって城から追い出しやがったんだ!」
「あー、まあ。ミーシャの目的は……」
おそらく、ヒロインである自らがハーレムルートに進むため、邪魔な聖女コーデリアに適当な相手を用意しただけ。
師匠である魔猫に言わせれば、悪人と聖女コーデリアの婚姻こそが、聖女悪役令嬢化ルートの条件の一つだったらしいが。
ある意味、この男も被害者なのだ。
自分を弄んだ騎士への復讐の気持ちは、既に薄れていた。
それは淡い恋心。
……ではなく、こんな雑魚に時間をかけてはいられないという、とても単純な考え方によるものである。
「それにしても騎士様」
「今はもう騎士じゃねえ。昔みてえに……いや、呼んじゃいねえか。今後はオスカーと呼んでいい、オライオンでも構わねえ。てめえは特別だ。オレ様が許す、そう呼べ」
告げて男は乙女の顎に長く筋張った指を伸ばし、自らの瞳を閉じかけるが。
ささささ!
聖女、再び回避発動である。
「んだよ、オレ様との再会のキスがあるだろう?」
「婚約は破棄されたのではなくて?」
「だから、新しい愛をてめぇと始めようとしてるんじゃねえか。なあ、分かるだろう? 今度はもう、間違わねえ。てめえだけを愛し、守ると誓ってやる。感謝しろ、そして覚悟しろ。てめえはこのオレ様を本気で惚れさせたんだからな――」
凛々しく獅子が唸る。
腐っても王族。顔だけはいい。一応、声もいい。
世界からオラオラ属性の魅了の力が与えられているとのことだが――カキン!
聖女、完全レジストである。
世界で唯一、攻略対象と呼ばれる美形たちからの精神汚染に耐性を手に入れたコーデリアには、雑魚同然。騎士王子オスカー=オライオンが得意とするフラグ、男女問わず従わせる「悪役モブ男の告白」さえ、容易に跳ね返すことが可能だった。
乙女の顔はぬーん……。
ちょっと汚れた石ころを見る顔である。
(戦闘力は……弱い、ですわね)
すでに聖女の基準は戦いのそれで、雑魚に用などない。
ふとコーデリアは扇で発情するオスライオンの顔を押し返し。
真面目な口調で言う。
「元騎士様、この領地は随分と寂れてしまいましたけれど、いまどうなっているのです?」
「領地? ああ、ミーシャが今領主をやってやがるよ。酷いもんだ、たった一年でもう崩壊寸前。食料は尽きるわ疫病は流行るわ、ありゃ地獄だな」
言われてみれば、たしかにおかしい。
民に活気どころか、まるで戦時中の様に寂れている。
「ええ? だって五年ほどの備蓄はあったはずですわよ」
「ミーシャが祝いだ祭りだって即使い切ったのさ」
たしかに、友人は無計画で金使いも荒い王族。悪事だけは立派にこなせるようだが。
領主など務まる筈もない。
と、妙に納得しているコーデリアを見る人影が数人。
「まさか……コーデリアお嬢様、コーデリアお嬢様なのですか!?」
領民だった。
「帰ってきてくださった。お嬢様が……この荒れた地を取り戻すために、天から戻って……きてくださったのですね」
「あー、やはり優しい御方だ。我らはあれほどのことをしたのに」
「聖女だ、聖女様がお帰りになられたぞおおおお!」
わらわらわらと集まってくる。
石を投げてきた領民達。
聖女とその父を売った使用人たち。
不正の証拠を捏造するため、架空の帳簿を作り上げた御用商人。
彼らもミーシャに振り回された被害者だ。
教会の大司祭が神に祈りを捧げる。
「ああ、やはり――信じておりましたよ敬虔なる神の使徒よ」
冒険者ギルドのマスターが血相を変えて叫んでいる。
「頼む、冒険者の遺体を維持保存している結界も限界なんだ。どうか、蘇生の儀式を!」
そして。
「コーデリア、オレ様は心を入れ替えたんだ。なあ、どうだ? 共にこの領地を取り戻し、あの性悪なミーシャ姫を見返してやろうじゃねえか。悪い話じゃねえだろう? オレ様のものになれ、ああ、それがお前の幸せのためだ。分かってるんだろう?」
「おー、そうだ! 我らが領地のお嬢様、聖女様にできぬことなどない!」
「やったよ、これであたしたちも救われるんだね!」
元騎士オスカーが腐った心を入れ替えたとばかりに、凛々しい笑顔をみせる。
領民も皆、拍手でそれを迎えた。
美しい世界。
美しい茶番。
これが以前のコーデリアなら微笑んで、はい、今参りますと全て解決していたのだろう。
だが。
そんな大団円を見て。
きょとんと首を傾げたコーデリアは、無垢な表情で一言。
「あら、ごめんなさい。わたくし、もうこの領地に興味はないの」
「そう、興味がねえ……って、ああん!? どういうことだ!」
民がざわつく。
「だって大好きだったお母さまの家もありませんし。もうあなた方を見ても、あー、この人たち、残念だなあ。こんな方々に昔のわたくしは心を割いていただなんて、ないわぁ……という感想しかもてませんし」
ちらりと領民を眺め。
「わたくしはもう領主の娘として生まれて約十五年、責任を果たしてきましたわ。既に領主の娘でもありませんし、助ける義理も義務もないというか……わたくし、もう新しい人生をスタートさせておりますし。そうそう! 人って、人生をやり直すことができるんですのよ? わたくしは今回の事件でそれを知りました。だから、あなたたちもどうか頑張ってくださいませ! ね!」
乙女は太陽のような眩しい笑顔で微笑んだ。
その笑顔は昔と変わらない。
聖女と持て囃され、体よく利用されていた愚かな娘のままだ。
けれど、彼女は学んだのだ。
すこしは他人を疑おうと。
ちょっとだけ疑ったら、これが茶番だとすぐにわかってしまった。
「あら、わたくしなにか間違った事を言ってしまったかしら?」
本来なら領地の維持に失敗した騎士王子オスカー=オライオンの謝罪と告白が、悪女となった聖女の心を射落とし、そのままヒロインとメイン攻略者たちの下僕として、その生涯を捧げるイベントらしいが。
当然。
最強聖女ならば、そんなものキャンセル。
フラグなど、笑顔でにっこりバキバキにできてしまうのであった。
だが、そんな事を領民たちは許さない。
おまえはおれたちに利用され尽くされる聖女だろうと。
空気が変わり始めていた。