第059話、奇妙な連合【サヤカ視点】
黄昏の街はいつでも夕方か夜しかない。
だから朝よりも夜にこそ栄える踊りを得意とするサヤカにとって、このエリアの居心地はそう悪くはなかった。
ミーシャ姫の討伐完了から三日が過ぎている。
不死者の街。
セブルスに蔓延っていた二つの脅威は去った。
一つは、血の鋼鉄令嬢アイナ=ナナセ=アンドロメダの消失。
アンドロメダの現在はというと、消息不明。
ターゲットにしていたミーシャ姫の完全消滅によって、宙に浮いている状態。聖コーデリア卿との契約により他の無辜なるモノには手を出せないこともあるからだろう。
セブルスから完全に姿を消している。
そしてもう一つは――。
言わずと知れた大悪人、傾国の姫ミーシャ=フォーマル=クラフテッドの死。
潜伏していたミーシャ姫、転生者として悪行の限りを尽くし、反省も知らずに暴れまわっていた稀代の悪女は、死んだ。
消滅したのだ。
セブルスの街の情報誌には、吸血鬼さえも滅ぼす悪女の死。
そして吸血鬼さえも殺すアイアンメイデンの撤退が、トップ記事となって並んでいる。
不死者達さえ恐怖に震え上がらせた悪女たちが消えたことにより、事件は一応の終わりを迎えたのだ。
ということになっていた。
実際は違う、ミーシャ姫は生きている。
その顔を爛れさせても、やるべきことをなすために名も顔も焦がされ生きている。
それを知っている者はどれほどにいるだろうか。
紅蓮のドレスに身を包むサヤカは潜伏先の窓際から、そっと外を眺め。
吐息に言葉を乗せていた。
「どうやら、噂を流す事には成功しているようですね――」
場所はセブルスの街。
施設は先日外部機関に購入された洋館。
声の主は転生者サヤカ。
救援を求めてきた皇太子ミリアルドに力を貸していた、この世界でも実力者に分類される支援職の女である。
魔境の主、魔皇アルシエルを後ろ盾としている踊り子。
大天使の威光と寵愛を一身に受け、その支援を十全に甘受する彼女の今の姿は”赤き妖艶の女吸血鬼”。
いわゆる上位女吸血鬼である。
もちろんその変貌は一時的なもの。
大天使アルシエルの力によって、種族変更の課金を得ているだけ。
種族は吸血鬼でありながらも、心も在り方も人間。
彼女は平然とセブルスの街に潜伏していたのである。
燃えるドレスに燃える色の髪。
唇には紅。
踊る際に輝く耳装飾と、肉感的な胸元に輝くアクセサリーは血紅玉。
既にカーミラ嬢としてサヤカの踊りは有名になっていた。
突如として酒場に現れ。
突如として今まで見たこともない華麗な舞をみせる、舞姫。
そんな彼女が謡うのだ、悪逆の姫ミーシャの死を。
悪逆の姫の終わりを。
その身が聖なる光で焦がされ、天の罰を受け消滅したのだと。
むろん、嘘ではあるのだが。
あれほどの舞姫が謡う歌に嘘があるか?
セブルスの街の不死者達は考えただろう、そして男たちは言った。
それはない、絶対にない。なぜならあれほどに綺麗で麗しい舞を舞う女が嘘をつくはずがない!
結局、不死者といってもその辺りは生前と変わらないのだろう。
だが男たちは騙せても女たちは?
それも騙せてしまうのは、踊り子に寄り添いピアノを弾き続けるマスカレードマスクの男の存在が大きいだろう。
舞姫カーミラが舞うときに、それは突如として顕現される。
召喚されるのだ。
それはまるで天から落とされた、大天使。
無数の貫禄ある翼を生やした仮面の男が、ピアノを召喚し――舞に合わせて弾き語るのである。やはりそれも同じく悪逆の姫の死。
声は朗々と響き、男女問わず、聞いた者はその腰を容易く砕かれるという。
古来より天使の歌は呪術。その美麗すぎる歌唱には民への洗脳効果が含まれるというが、これもその一種なのだろうか。
ともあれ、歌だけで不死者は騙されはしない。
問題なのは、そのにじみ出る男の色香だろう。
その男は気品に溢れていた、けれどその高貴さが際立ちすぎるせいか――逆に淫靡で性的であった。仮面越しであっても、その男が酷く妖艶で蠱惑的で、この世の酸いも甘いも嚙み分けた男の色香が漂う偉丈夫だと、伝わってしまう。
不死者であっても、生前の情欲が掻き立てられるのだろう。
女は仮面男の色香とピアノに騙され。
男は舞姫の美貌と舞いに騙される。
そして彼らは口をそろえて歌う。
悪逆の姫の死を。
だから聴衆は皆、信じ切っていた。
ついにあの噂の姫が死んだのだと。
むろん、これもただのスキル。
仮面舞踏会の名を冠する「バル・マスケ」と呼ばれる魅了スキルの一種であるが。
ともあれ、ミーシャの死は伝わりつつある。
サヤカが言う。
「ふふふ、不死者の方にもわたしの踊りが通用する。それってとても素敵な事ですね」
「はぁ……随分と楽しそうだなサヤカ嬢」
「あら、殿下ごめんなさい。ふふ、すみません踊りに関する事だけは性分ですので、直しようがない部分というのは誰にでもあるとわたしは思いますよ?」
と、サヤカが告げて、そして告げられたのは顔だけではなく全身を古傷だらけにする美形皇太子。
攻略対象属性を持つミリアルド皇太子。
そう、転生者サヤカと皇太子ミリアルドは今、協力関係を結んでいたのである。
彼らが裏で繋がっていたのは、聖コーデリア卿の「かくかくしかじか」を喰らい、倒れてしまっていた直後の話。
聖コーデリア卿は確かに頼りになる。
魔猫師匠も頼りにはなる。
けれどあの二人の共通点は非常識。かなり何かが抜けている。
肝心な場面で。
にゃにゃにゃ、忘れてたニャ!? と、突然爆弾発言を投げ込んできたり。
まぁ!
などと、山を動かす程の大事をたった二文字と感嘆符で片付け、とんでもないやらかしを暴露することがある。
彼らだけにこの世界の命運を授けるのは危険すぎる。
どこからどうみても無謀。
なのでサヤカとミリアルドは目線を合わせたのだ。そこにあったのは、妙なシンパシー。
以心伝心。
伝わったのだ、互いにある程度の情報共有が必要。
かつ、協力する必要があると。
幸いにもサヤカもミリアルドも互いの欠点や、過去の過ちを知っていた。そして互いに罵り、罵倒するスレスレのやりとりも経験していた。ある意味でもはや気兼ねする必要のない関係性を既に築いていたのだ。
そうして、情報を共有したその時。
サヤカは言った。
殿下、あなたに情報を提供していたその道化師クロード……たぶん、かなり怪しいですよ、と。
実際、本当に多くを企んでいたのだろう。
実はミリアルドも気が付いてはいた。
道化師はバカな皇子を騙すために近づいてきているのだ、と。
なにしろずっと妹に騙され続けていたのだ、さすがの節穴皇子にも学習能力というものがあったらしい。
だが――現実的な問題があった。
今まで単独で行動していたミリアルドにとって、その情報や支援が必要、あえて逆らう事はしていなかったのだ。
けれど状況は変わった――大天使を後ろ盾に持つサヤカが協力してくるとなると、話が大きく変わる。
やれることの幅が、大幅に増えていた。
だから、サヤカとミリアルドは考え――道化師に騙されたフリをミリアルドは継続することにしたのだ。
結果はご覧の通り。
本来ならミーシャ姫を殺させ漁夫の利、ハイエナ行為を狙おうと思っていたらしいが。
死体は消滅。
道化師はミリアルドを騙し、妹を殺させようと誘導していた。
道化師にとってはそれが裏目に出た。
あくまでも誘導していた手前、完全に消滅させたことに文句も言えない状態になっているのだ。
しかし新たな問題が一つ。
サヤカが言う。
「おそらくですが、ミッドナイト=セブルス伯爵王は聖コーデリア卿を脅威に感じています。彼女にこの街や、伯爵王になにかをする意思がなくとも……すこしでも強者に立ち向かう術、彼の場合は血を求めるでしょうね」
「それがミーシャであったが、既にアレは消滅」
あくまでもそういうことになっているだけだが。
「ええ、妹をとても恨んでいるお兄さんの手によって、焼き払われた。聖剣ガルムの伝承は有名ですから、疑う事もないとは思います。ゲームだった時でもガルムは安上がりで強い特効武器として便利でしたしね」
「ガルムが、安上がり……か」
「あー……気を悪くしないで欲しいのですけど、あくまでもゲームの時はですから。なにしろ殿下は配布キャラ、その配布キャラが初期装備として持っている武器なので、ぶっちゃけ無料なんですよ、その聖剣。で、武器だけは便利なので……他のキャラに渡しちゃう、みたいな?」
悪に堕ちた王族を絶つ剣。
悪殺しの聖剣。
ミリアルドは古傷が逆に怜悧さを引き立たせる美貌に、若干の不満を浮かべ。
「その、ゲームの時の私というのは、どういった偉大な人物なのだ。やはり、民草の人気を集める存在であったのだろうか」
「あぁ……その。なんというか」
珍しく、すみません……と、詫び。
サヤカが本当に気まずそうに目線を逸らす。
ミリアルドはそれでどういう扱いのキャラなのか悟ったようで。
「まあいい、ともあれだ――おそらくミッドナイト=セブルス伯爵王は私に目を付けたことだろう。なにしろミーシャと同じ血を持ち、アレより弱く狩りやすい。そして、ヤツの手駒である道化師の拳の上で踊るバカな皇太子だ。いつでも吸える、レベル上げアイテムだとでも思っているであろうな」
「それ、自分で言っちゃいます?」
サヤカは否定しない。
やはり、そうなのかと確信したミリアルドは言う。
「事実ならば仕方がないだろう。実際、貴殿の協力がなければ私は道化人形のまま――あの道化の手の上で踊り続ける選択肢しかなかったのだ。その点は感謝している」
「あくまでも利害の一致による協力関係なので――そこまで感謝される必要もないのですが、それでもお気持ちは受け取っておきます」
「単刀直入に聞きたいのだが、私であの伯爵王は討てるか?」
サヤカが言う。
「基本的には無理でしょうね。伯爵王って、けっこう後期に実装されたSSR。入手するのにめちゃくちゃガチャを回さないといけないトップレア、対する殿下はその、配布なので。まあ……わたしが支援をすれば勝てるでしょうが」
「SSR?」
「わたしも詳しくないのですが、たぶんスペシャルスーパーレア……の略ですね。あ、いえ、スーパースペシャルレアかもしれませんが……とにかくお金が絡んできますからね。配布キャラと違って、めちゃくちゃ強いんですよ」
配布キャラ。
その言葉がどうも胸に刺さっているのか。
皇太子は美麗な鼻梁に、ぐぬっとしたシワを刻み。
「そういう貴殿はどうなのだ」
「わたしはガチャキャラとして実装されてませんよ、モブみたいなもんですし。キースも、コーデリアさんもそうですね。まあ、わたしが死んだ後に実装されていたという可能性は否定できませんけど」
「モブとは?」
「そうですね……」
モブという単語もやはり理解できないのだろう。
ゲームの知識が無い者に、ゲームの話をする難しさか。
サヤカはそれでも丁寧に、協力関係にあるミリアルドと真摯に会話を続ける。
ミリアルドが言う。
「そもそもの話。なぜそのゲーム……えーと……なんといったか」
「三千世界と恋のアプリコットですか?」
「そう、それだ。そのゲームという概念がどういう存在なのか把握してはいないが……この世界と類似しているのは確かなのだろう?」
「はい、それは間違いないかと」
「それではこの世界とはいったい……なんなのであろうな」
思考を加速させるように顎に指をあて、じぃぃぃぃ。
サヤカは考える。
可能性はいくつかある。
そういった分野の学問に置いて、多く採用されるのは――この世界がそのゲームのコピーである場合か。
だが、それはあくまでも文学やゲーム、創作での話。
実際にこの世界がある以上、そんな簡単な可能性を信じる道理もない。
「コーデリアさんの師匠、魔猫師匠の話ではたとえゲームが元になった場所だとしても、既に独立した世界。深く気にする必要もない……とのことでしたが」
「魔猫師匠……例の邪神か」
サヤカが、ん? と、眉を顰める。
「邪神?」
「知らなかったのか? それとも、聞きそびれていたのか知らぬが……コーデリアが言っていたのだ、その猫は分類上は邪神だと。おそらくは異世界ではそれなりに名の知られた神なのであろう」
「もう一度、あの方とお会いできればいいのですが」
「コーデリアの話ではしばらくは不帰の迷宮で遊ぶそうだからな。いったい、どんな強者があの迷宮の最深部に足を踏み入れたのやら」
サヤカは考え。
「いっそ、その攻略者をこちら側に取り込むというのはどうです?」
「コネがまったくないだろう。それに、不帰の迷宮は入り口を転移させ続ける迷宮。今どこに迷宮の入り口があるのか、貴殿は把握しているのか?」
「なるほど、おっしゃる通りですね」
「聖コーデリア卿はああいう性格だ、そして魔猫師匠も別にこちらの味方というわけではない。明確に我らの味方と言えるのは君の後ろ盾になっている、大天使。そして贖罪のために天使を追い続ける我が妹と、その従者キース。彼らぐらいと割り切った方が良いだろう」
奇妙なコンビを組んでいる踊り子サヤカと聖騎士ミリアルド。
彼らは共に脛に疵持つ者同士。
けれどサヤカの表情は少しだけ明るかった。
ミリアルドが言う。
「嬉しそうだな――」
「そりゃあまあ、かつて傷をつけてしまって……いいえ、それは綺麗な表現ですね。尊厳を無視してわたしの身勝手な踊りへの執着の犠牲にしてしまった相手に、心から感謝されたんですもの。まあ、なんというか、少しだけ胸のつかえがとれた気分ですので」
それはおそらく、キースの事だとミリアルドも察しただろう。
サヤカには見えていた。
あのミーシャ討伐劇の出来事が、脳裏によみがえっていた。
光に包まれ死んだと思われたミーシャ。
その光景に絶望と憎悪を滾らせていたキースであったが、救出済みであることを告げると――。
「キース……彼は……きっと、ミーシャ姫からもう離れられないのでしょうね」
「それが私には分からぬ、なぜあの者は妹に付き従うのか。普通ならば憎悪の対象でしかないだろうに」
朴念仁の一面をのぞかせる皇太子に、踊り子が言う。
「あら殿下、分からないのです?」
「分からん、貴殿には理解できているのか?」
「推測にしかなりませんけど――形はどうあれ、きっとあれは愛憎や執着……。もはやキースにとってミーシャ姫はとても大事な存在になっているのでしょうね」
「理解できないな。自分を騙し、殺し、強制的に隷属させ引き連れた相手をか? 契約が切れたら、即座に復讐する気にしか思えないが」
「殿下、たしかに言葉にすればその通りですが……」
「私は間違ったことを言っていると?」
「どう、なのでしょうね――」
もっとも、サヤカもそうだと思っていた。
けれど、おそらく違うのだろう。
そう。
消滅したと思われていたミーシャのもとに駆け付けたあの美麗なモブの、あの顔を見るまでは。
「わたしも、人の心の機微には疎いですから。自分の愛憎ですらまだ未熟ですので、他人の事となると断言できる資格などないかと」
キースは必死に、爛れた姫を抱き寄せていた。
同じくその場所にいた、恨むべき相手――かつて自分を陥れたサヤカなど眼中にもせず。そんな過去の恨みなどどうでもいいと。
目の端にも入れず。
気絶しつつも生きていた主人を腕に抱き、嗚咽を漏らしながら強く抱きしめていたのだ。
そして、救出の経緯を告げられ。
キースは安堵した様子で、頭を下げていた。
本当に……心からの感謝を述べられた。
過去に自分を陥れたことなど、どうでもいい。彼女を救ってくれて、ありがとう、と。
死んだことになったことで、これから動きやすくなると。
生きてはいるが動かぬ姫を抱えて、本当に愛おしそうに――ゆらりと立ち上がった美麗な男は――微笑んでいた。
その顔も魔力も吐息も、全てが語っていた。
もう二度と離すまいと。
姫は自分だけの所有物、だと。どす黒い執着を滲ませていた。
門番兵士キース。
ただのモブだった男。
今の彼は――魔人といいたいほどに、能力が異常に上昇していた。
魔力も身体能力も、人間の器を遥かに凌駕していたのだ。
まるでとてつもないほどに悍ましく邪悪で、強大な、それこそ異世界を支配する「邪神の眷属」にでもなったかのように――なんらかの加護を受け。
別人のような強さを誇っていた。
そんな邪神が存在するとは思えないと、サヤカは頭を悩ませるが――強さは本物だった。
その一端は既にみた。
妹を殺そうと演戯をしていたミリアルドに対する殺意はすさまじく。
激情にかられたキースは、本当にそのままミリアルドを殺しかけてしまったのだ。
なんとか止めることができたのは、その行動が妹のためでもあるとの説得が間に合ったからだろう。
ミリアルドも様々に思いを巡らせているのだろう。
ぼそりと、その整った唇が動く。
「本来ならば、妹は……あそこで殺してやった方が、アレのためだったのかもしれないがな」
「けれど、そうなった時――キースがどうなるか、あまり想像したくないですね」
サヤカは感じていた。
思っていた。
胸にそっと手を当て、考えた。
彼が姫に持つ感情は歪んでいるかもしれないが……。
それでも――。
そんなサヤカの感傷には気づかずミリアルドが言う。
「それで、これからどうする」
「……。そうですね、コーデリアさんのおかげでアンドロメダは動けない。そしてどうやら天使を連れてはいない様子。ならばやはり、まずはセブルスの街の天使候補、彼が敵なのか味方なのか一度接近してみたいと思うのですが」
「その口ぶり、この街の天使を知っているのか?」
「あくまでも推測ですけどね、たぶんあなたを操ろうとしていた方ですよ」
そう。
言葉巧みに他人を誘導する、そのやり方。
ミーシャの天使との類似性。
「道化師クロード、やつか……」
「ま、確定じゃないですけど。探りを入れるべきだとは思いますが、どうです?」
踊り子の提案に、聖騎士は頷いた。
互いが互いの悪い部分を知っている、嫌味も皮肉も言える奇妙な彼らの冒険も続く。




