第056話、三つ巴【従者キース視点】
永遠のトワイライト――黄昏の街セブルスの一角。
その更けた夜の、昏い道にて。
殺さぬために手加減された、一対の細剣の輝きが走る。
それは”従者の剣”だった。
追手は次々と現れる。
まずは神出鬼没、黄昏と夜の時に行動するとされる血の鋼鉄令嬢、アイナ=ナナセ=アンドロメダ。闇と影を纏う女は毎夜、彼らを奇襲しその血を狙う。
彼らとはだれか。
それは従者キースとその主である大罪人ミーシャ。
(あの方は……無事でしょうか)
今は散開して行動している。
理由は?
敵がアイナ=ナナセ=アンドロメダだけではないからだ。
執事姿の男が、迫りくる追手を次々と切り払う。
月光が――白銀の剣を照らしている。
後ろに撫でつけた男の髪も、慇懃な礼装も照らしている。
翼に穴を開けた吸血鬼が、肩を押さえて唸っていた。
そんな唸る吸血鬼の瞳を覗き込む美麗なモブの瞳は、無機質に細く締まっていく。
殺意を殺し、とどめは刺さず。
けれど、闇夜で月よりも赤い魔力色に染まった瞳が――敵を睨む。
キースの整った口から、冷たく慇懃な声が伝う。
「生きてはいるのでしょう? 殺してはならない、滅ぼしてはならないと厳命されていますので――あなた方を殺すことはしません」
『くそ……っ、あの女を殺さなければ世界が危ないのかもしれんのだぞ!』
吸血鬼の騎士が吠える。
けれどキースは何も言わぬ。
相手が、クラフテッド王国でミーシャ姫の暴虐の被害に遭ったモノならば耳を貸しただろう。けれど彼らは無関係。だからキースの関心は彼らにはない。
自分の傍にいるべき、あの我がまま娘を奪おうとしている連中としか見えていない。
邪魔だと思っていた。
これ以上、もうなにも自分から奪わせはしないと思っていた。
けれど、殺してはいけない。致命傷を与えてはいけないと、ミーシャ本人から告げられているので殺しはしない。
(お嬢様は、甘い――相手はこちらを殺していいと思っているのに、なぜこちらは手を抜かねばならないのか)
決まっている。
もう誰も殺したくないのだろう。
それは偽善か、それとも自分の手や心をこれ以上汚したくないからか。
姫は変わったのだ。内面は分からない、けれど他者への行動は明らかに変わっていた。
そして。
姫とは逆に――。
(私もまた――変わってしまった)
心で告げて、従者キースは夜の街を駆ける。
今現在、ミーシャは寺院跡でアンドロメダを退けるための結界魔術習得の儀式を行っている。
その間にも、吸血鬼たちが襲ってきた。
だから、出迎え――こうなった。
可能ならば、早急に合流を果たしたい。
しかし、追手は減ってもその数にキリはない。
繰り返す戦いの影響で、寺院跡から離れた場所に動かされている。
もっとも、寺院という聖なる場所の影響で吸血鬼たちは姫がいる場所には侵入できないが。
キースは思う。
(あなたには贖罪がある筈。自分の暴虐で殺して歪めてしまった命たちを救済する義務がある。だから、ここで死んでしまうなど許されるはずがない。私も、許しはしない。どうか私を――)
夜月の下。
血塗られた細剣を握る男の肺の奥から、言葉が押し出される。
「独りにしないでください……」
彼女は分かっていない。
自分がどれだけ依存されているかを理解していない。
自分が消えてしまっても、従者はただ解放されて喜ぶだけだろうと信じ切っている。
だから。
彼女は時と場所、条件さえ満たせば平気で自らの命を投げ出すだろう。
それが少しでも過去への清算となるのならば。
だから凛々しきモブ男キースの首筋には、焦燥による汗の湿りが浮かんでいた。
食いしばる犬歯も、魔力を纏う毛先も、まるで威嚇する犬のように尖っている。
焦りをみせていたのだ。
大通りに気配が複数。
軍隊規模。
声だけで生計が立てられそうなほどに凛々しく鋭い、伯爵の声がする。
『追うのだ――! アイアンメイデンよりも先に、大逆の王族、裏切りの姫ミーシャを確実に仕留める。そして、邪神再臨を食い止めねば我等に明日はない!』
アイナ=ナナセ=アンドロメダとは違う勢力。
違う敵。
この夜と霧の街セブルスの代表、美貌の吸血鬼ミッドナイト=セブルス伯爵王。
彼らの目的は単純だ。
この世界のため、邪神を再臨させないために血の鋼鉄令嬢よりも先にミーシャを殺し、邪神を復活させないこと。
同時に、転生者かつ由緒正しき姫であるミーシャの血を吸い、自らの力とするつもりなのだろう。
何故なら彼は知ってしまった。
自分よりも強力な存在を。
その名はコーデリア。
美しき聖女。
だが、その内に秘めたる魔力も心も、人間という器を遥かに超えていた。
だから、伯爵王もまた焦っているのだろう。
『コーデリア嬢はこの件から手を引いた。そしてアイアンメイデンは聖女との契約により我等にも手を出せぬ。今この瞬間こそが最大の好機である! 我等アンデッドが地上を取り戻し、表舞台に舞い戻るための第一歩。悪しきバケモノと我等を蔑み、この地に追いやった人間どもに我らの威光を示す絶好の機会!』
伯爵王の鼓舞は、君主職の支援スキルともなる。
ミーシャを追う美男美女。
吸血鬼たちの全身が伯爵王による能力上昇スキルを得て、姿を闇の眷属”コウモリ”へと変貌。
バササササササ――!
飛翔する蝙蝠の獣毛が、月光に照らされる。
まるで銀を含んだ黒鉄鉱が飛んでいるようだった。
ミーシャの居場所を夜空から眺めて、探るのだろう。
キースは気配遮断状態で、伯爵王とその側近を監視する。併用するスキルは「盗聴」。使用人や召使が、主人の会話を盗み聞くための、外道に分類されるスキルの一種であった。
伯爵王の横に控える道化姿の男は……この国の重鎮か。
キースの瞳に走る「鑑定の魔術」に表示される個体名は、クロード。
道化師が言う。
「いやいやはてはて、我等がセブルスでもこれほど荘厳なコウモリの行進は初でしょう。高貴なる闇の血族が空一面を覆う光景は、後の歴史に残るでしょう。しかし、本当によろしいのですか? 我が君、伯爵王」
『不服か?』
「いえ――血の鋼鉄令嬢が敵でなくなったことは喜ばしい事だと存じます、ええ、はい。ですが、転生者と思われる娘ミーシャと敵対して、我が国に利益となるかどうかは――」
『強者の血を欲しているのは何も鋼鉄令嬢だけではない、余とて、力を増す機会があるのならばその機を逃す必要もなかろうて。何が不満なのだ』
「不満なのではなく、不安なのです」
道化が言う。
「ミーシャとかいう娘。はたして殺してしまっても良いモノかと」
『貴様の問いかけは回りくどいな。非常時である――良い、汝の全てを許す。賢人であるそなたの言葉を余は信じようぞ――今は道化芝居よりも正確に懸念を伝えよ。これは支配者としての命令である』
「貴様だの、汝だのそなただの、お忙しい方でありますなあ」
道化が道化芝居を続けていたせいか。
伯爵王は強くクロードを睨んでいた。
やっと道化は道化を捨てて、知恵ある側近の声で言う。
「……。姫を殺すことにより、天使に関するなんらかの呪いに感染する虞があるかと」
『続けよ』
「教会のモノが転生者を殺そうとしているのは周知の事実。実際、我等の中にもかつては教会からそう命じられていた者が多い。そして教会とは神に通じている、聖職者どもの巣。かつて課金と呼ばれる奇跡の現象を取り扱っていた場所。ここまではよろしいですか」
伯爵王の瞳による頷きを合図に、道化師クロードは続ける。
「そもそも教会は何の神を崇めているのか、それを彼ら自身も把握していない。にもかかわらず、教会の者どもは天使を神の使いと断定、盲目的に従っている者が多く存在します。この世界の先を知り、その情報をもとに私利私欲を貪り混乱を招く転生者。それを殺したがる理屈は分かるのです、何をするか分からない異物でありますから。ただ――」
『やはり回りくどいな』
「あなたは相も変わらずせっかちだ。まあお話をお聞きなさい、このまま、流れのままにミーシャ姫を殺した愚王と呼ばれたくはないでしょう?」
道化は道化芝居を止める許可を得ているので、王とて構わず叱責する。
それを咎めないのは伯爵王が道化を信じているからだろう。
「神の使いたる天使が教会に転生者を殺させようとしている理由、それは何かわかりますか?」
『混沌を招く、邪魔な存在だからであろう』
「いいえ、おそらくは殺そうとすることにより追い詰め、追い込み。転生者からなんらかの代価を引き出そうとしているのではないかと、ワタクシは考えております。教会の裏にあるものは、転生者を使いなにかをしたがっているのではないでしょうか」
『道化よ。ミーシャ姫が転生者であるとは余も知っている。コーデリア嬢からも情報は伝わっておるでな。しかし、その件と今回の件、なにか関係があるのか――?』
「直接的にはないでしょう、けれど」
『ならば後にせよ、今はこの問題を解決するべきであろう。違うか?』
主人に促され、道化は苦笑。
そのままぎしりと、細い三本の指を立て。
「状況を整理しましょう。まず我が国に侵入してきている勢力は三つ。一つは言わずと知れた血の鋼鉄令嬢アンドロメダ。彼女の目的は簡単です、崇拝する邪神再臨のための生贄を集め、古き血が集う我が国に侵入した。しかし、彼女はコーデリア嬢と出逢いターゲットをミーシャのみに絞った。それはコーデリア嬢を強敵と判断したか、或いは戦いたくないと思ったか。そこは知りませんが、聖コーデリア卿がお見せになった魔導契約書は正しき手順、正しき盟約が刻まれた魔道具。本当にもはやミーシャ姫以外を狙う事はないでしょう」
なので、この国にとってアレは敵ではなくなった。
言いながら立てた指を二つにし――。
「二つ目の勢力は最も敵にしてはいけない怪物。聖コーデリア卿。善性の強い彼女はこちらが敵対行動をとらない限りは敵には回らない。確かに不法入国に不法建築、突如として白亜の城を築き上げた恐ろしき存在ではありますが、もはや彼女もこの件からは手を引いている。それは血の鋼鉄令嬢と魔導契約を交わし、無辜なるモノを襲わないと確約させたからでありましょう」
『聖女は本当にこの件から手を引いたと?』
「これから先のことまでは分かりませんが、現段階ではおそらく確定でしょう。そもそも彼女は犠牲者を追って、蘇生をして回っていただけ。これ以上の犠牲者が出ないのであれば、わざわざアンドロメダを追う必要もない」
伯爵王が言う。
『だがミーシャ姫は狙われている。貴様の調べではかつて聖女とあの黒鴉姫は友人であったと記されていたが?』
「自分を裏切った友を、しかも国を滅ぼしたに近い罪人の姫となれば無辜ではございません。犠牲になったとしても聖コーデリア卿が止める義務はない。実際、彼女は少し迷っていた空気をみせておりましたが、それでも考えた末にこの件とかかわる事をやめたご様子」
そもそも自分を裏切った友を救う気になるか?
道化の言葉に伯爵王は美麗なアンデッド顔で頷き。
『既に聖コーデリア卿にとっては、かつての友の死は気にならぬということか』
「いえ――そこまで割り切れるのなら聖女にはなれないですからね、気にはしているでしょう、だから悩む気配をみせていた。それでもわざわざ出向いて、姫を殺そうとしている者たちを止める気にはなれないと言ったところでしょう。ワタクシも彼女を見ておりましたが、その顔にも言葉にも嘘はありませんでした」
『して、最後の勢力は?』
「むろん、アンドロメダを追ってやってきたミーシャ姫とその従者キース。もっとも今ではその立場は入れ替わり、追われる側となっているようですが」
伯爵王は訝しんだ様子をみせる。
『ミーシャとやらが何故アンドロメダを追っていたのか。そこが分からぬな』
「ワタクシの独自の調査によりますと、彼女は転生者を……もっと範囲を絞って言うのなら転生者の近くに存在するだろう天使を追っているようですね」
『教会と敵対すると?』
「さあ、そこまでは――やはりそもそもの話ですが、教会自体が天使をどう扱っているのかもこちらからは分かりませんので」
『教会もいったいどのような目的で世界に蔓延り暗躍しておるのか。しかし……ミーシャ姫が天使を追っているのならば、この街にも天使がいるということか。あるいは、アンドロメダを転生者と判断したのか。どちらにせよ、こちらからでは天使がどこにおるのかは分からぬな。やはり、我等は力をつけなくてはならぬ。そのためにもミーシャ、あの王族の血が必要だ』
野心を覗かせる美貌の伯爵。
その姿をじっと眺め、道化が言う。
「ならば我らは漁夫の利を狙うという手もございます。そもそもワタクシは直接、我らがあの姫に手を掛けるのには反対でございます、あの姫からは妙な異物の気配を感じます。殺した際に、何かの契約や盟約が強制的に発動されるような――そういう類の香りがするのです。ですので、ここは探す素振りだけをみせ待機。こちらは誰かが姫を殺した後の現場を押さえ、血さえ回収すればいいのですから」
『アンドロメダに血を回収されれば邪神が復活する。それも不味かろう』
「だから他の者に殺させればいいだけの話。他に手段があるのでございます」
『用意の良い事だ――』
「実はさきほど三つの勢力と言いましたが、四つ目の勢力も入り込んでいるのでございます」
伯爵王が道化を睨む。
『聞いておらぬぞ』
「言っておりませんから」
『道化よ――貴様はいつもこうであるな。そうして余を陰で操り、治世を保ってみせている。これではどちらが道化人形か、余はそなたにとってそれほどに扱いやすい駒であるか?』
「おや、ご不快で?」
『些かな。だが良い、許す――そうして余は伯爵王の地位と力を保っているのだ。文句や不満はあれど、納得はしておる。それで、その勢力はいったいなんなのだ』
道化が四つ目の指を立て。
にやり。
「四つ目の勢力はミーシャ姫の血縁、実の兄であるミリアルド皇太子。ヤツはミーシャ姫の命を狙っております」
盗聴しているキースの眉間に皴が刻まれる。
『ほぅ、実の妹の命を』
「おそらくはアンドロメダによる邪神復活を先回りして止めるため。そして、国を終わらせる傾国の姫を討つため――そして可能性としては、姫を殺した際に発生する経験値によって、儀式を行おうとしているのではないか。ワタクシはそう邪推しております」
伯爵王がなにやら気付いたのか。
声音を鋭くさせ、闇夜の中で魔力色の瞳を煌々とさせる。
『儀式だと』
「ええ、皇太子は妹姫によって殺された人々を蘇生させる生贄に、姫を捧げるつもりなのでしょう」
そこまで知っている。
違和感が伯爵王に確信させたのだろう。
『その口ぶり。邪推ではあるまい。貴様、既にソレと繋がっておるな』
「おや、ご明察で。はい、全てはワタクシの掌の上――味方の少ない男でございましたから、怪しいワタクシとて頼りにしたのでしょう。ワタクシは皇太子殿下の要請を受け入れ、事情も把握した上で、このセブルスの街に招待して差し上げました。困っている様子でしたので、殿下にはとある魔術もお教えしました」
『告げよ――』
「高貴なる王族の血筋を代価に、他者を蘇生させる儀式の方法でございます」
おそらくそれは、皇太子に妹姫を殺させるための誘導。
伯爵王にも思い当たることがあったのか。
しかし、その顔にあるのは外道を見る主人の顔。
『――そうか、貴様の企みか』
「蘇生ができることは嘘ではありませんので、問題はございませんでしょう? 後はただ、親切な道化たるワタクシは、妹を探す兄上様に――姫殿下が隠れていそうな場所と潜伏している結界の種類、そしてその侵入経路を教えて差し上げた。それだけでございます。陛下へのご報告が遅れて申し訳ありません」
伯爵王の牙が――。
軋む。
『貴様、女の居場所まで知っておったのか』
「全ては陛下のため、そしてこの国のため――そこは信じていただきたい」
『傾国の姫ミーシャ。誰からも嫌われ追われる反逆者の身でありながら、その血だけは有用なものとして求められるか、皮肉な話よの』
アンドロメダは邪神再臨のため。
セブルス伯爵王は力の増大のため。
ミリアルド皇太子は犠牲となった者の蘇生のため。
絡みつく蛇のように三つ巴となり。
一つの獲物を狙って、うねる。
そんな穢れた戦いを理解し、けれど受け入れた顔で王たる吸血鬼伯爵が言う。
『道化よ、答えよ――貴様は天使がどこにいるのかは』
「把握しております。けれど、それは口にはできませぬ。いかに主殿といえど、言わぬことがこの国のためだと御信じ下さい」
『そうか、ならば良い。天使がおるのなら栄華を与えてくれる血の保持者、ミーシャが他に逃げるという事もあるまいて』
道化が、ぎしりと路地裏に目をやり。
誰かに聞こえるような声で、わざと。
告げる。
「さて、我らもゆるりと参りましょうぞ。今頃、ミーシャ姫は兄皇子に殺されている事でしょう。我等はその現場の血を吸えばいい、これがワタクシの漁夫の利でございます」
誰に向けた言葉か。
それはすぐに分かった。だからこそ、従者はハッとしたのだ。
キースは――盗聴を解除し。
闇夜を駆けた。
とても。
嫌な予感がした。




