第005話、史上初のクリア達成者:後編
悪戯そうな顔をした猫が。
悪戯そうな声で聖女コーデリアを見て、ニヒィィっと笑っていた。
輝くネコの瞳と鼻の頭を見たコーデリアから零れたのは、オウム返し。
「いいこと、ですか?」
『ああ――そうさ! 私はこれでも紳士な猫として有名でね。君の境遇に一定の理解と憐憫を抱いたんだ。だから、私は私のできる範囲で君に協力しよう、まずはそうだね――ここまでこれた君に、ダンジョン領域のボスとしてご褒美を上げようじゃないか!』
それはまるで悪魔のささやきだった。
「ご褒美、ですか? でもよろしいのでしょうか? わたくし、なにもしていないのですが」
『理由はどうあれ君はこのダンジョンを世界で最初に制覇した人間。それは誰にでもできることじゃない。特別なことだ。それを記念して、このダンジョンの主たる異世界最強神である私が! 君のために! 特別な魔導書を用意しようじゃないか!』
じゃないか! じゃないか! じゃないか! と、ダンジョン内にこだまが鳴り響く。
暇つぶしに最適だし! 面白そう!
と、黒猫は妙に張り切っていた。
令嬢はわずかに、口元を緩めていた。
自分がされた非道の仕打ちを嘆いている、怒ってくれている。それが分かったからだ。
その明るさにコーデリアは少しだけ救われた。
「お気持ちは嬉しいのですけれど。ごめんなさい、わたくし戦いとかは……その……暴れ魔竜を滅ぼす程度しか分からなくて」
『そうか、暴れ魔竜を倒せる程度のレベル50だからね。たしかに戦いは苦手なのかもしれないね』
猫と令嬢の言葉を冒険者ギルドの一流冒険者が聞いていたら、きっと卒倒し、即座にバケモノレベルじゃねえかと否定したのだろうが。
猫と令嬢は、突っ込み役がいないせいで違和感に気付かない。
「それに、治癒とか蘇生魔術とか、解呪とかはできるのですが――存在が消えてしまうレベルで消失している方の蘇生はまだできなくて……。あ、あと……汚染されている土地の浄化やエリア聖域化や、祝福されていない装備に魔力を流して改良するぐらいは可能なのですが。魔導書でございますか? そういうものも低級の煉獄魔術程度しか……」
お恥ずかしい話ですけれど、と。
令嬢は自らの未熟を恥じて頬にそっと手を当てている。
むろん、冒険者としても最上位の実力であるが――やはり二人は気づかない。
突っ込み役がいないので、猫はそのままいう。
『いや、君のような聖女としての素質と、心の清らかさだけで治療魔術を習得した純粋な令嬢じゃあ仕方ないさ。知らないのは罪じゃない、これから覚えればいいだけだろう? さて、そんなわけで不帰の迷宮の制覇報酬の話をしよう。本来ならこの世界の魔導書はスキルを習得するだけのアイテムなんだけど、これは私製のオリジナル。世界に一冊しかない、何度使っても壊れない究極のレベルアップ本さ』
差し出された本の表紙には、迷宮を掘り進め王国をつくる魔猫の姿が表示されていた。
「これがあるとどうなるのです?」
『君は自衛と復讐の力を手にすることができる。おそらく世界を動かしかねない最強の力をね』
黒猫はあっさりと言いきった。
令嬢は少しだけ、怖くなってしまった。
猫がではなく、この本がである。
『ミーシャといったか、彼女だけはおそらくこの世界が乙女ゲームの世界だと知っている。そして現地人を人だとは思っていない。これからも周囲を巻き込み、自分のためだけに都合のいい未来を選択し続けるだろう。誰を犠牲にしてでも、自分だけが幸せになるためにね。まあハーレムルートが幸せなのかどうか、それは私には分からないが……ともかく、君はこのままだと悪役令嬢として歴史に名を残すことになるだろう。彼女は自分がやらかした悪事を全部、死んだとされる君に押し付けて清算するつもりなのさ』
たぶん私も同じことをするだろうし、と猫は悪びれることなく呟くが。
コーデリアは申し訳なさそうに言う。
「あの、ごめんなさい。乙女ゲーム……ですか? 仰っている意味がよく……」
『まあこの書があれば、お姫様の我儘を妨害できるようになるって事だね』
たしかに強力そうな魔導書である。
「わたくしみたいな、友達に捨てられてしまった女に……この本を手に取る資格があるのでしょうか。わたくしは少し、鈍いところがありますから、きっと……知らず知らずのうちに皆を傷つけてしまっていたんだと思うんです」
『それでも、ここまでされることじゃないだろう? あと資格と言っていたが、ちゃんと君には権利があるよ。だって君、この私に同情させたんだ。それだけで十分な資格なんだよ』
よほど自分の事を偉いと思っている猫なのだろう。
ドヤ顔は愛らしいが――。
猫はまるでミュージカルでも披露するかのように踊りながら、くははははは! っと嗤い。
『このダンジョンを攻略した人間はいままで一人もいない。どんな英雄級の冒険者も途中で朽ちていった、けれど君は違う、同情という心だけでこのダンジョンを制覇した。理由や手段はどうあれ、それは誰にも達することのできなかった偉業だ。ダンジョン最奥に辿り着いた結果が全てだよ。レディ・コーデリア』
まあ、あのミーシャとかいう姫を止めて貰いたい、そういう思いもあるけれどね――と、踊りを止めて慇懃に礼をし。
猫は紳士的な微笑で、尻尾の先を揺らしていた。
やはり妙に偉そうな猫である。
そもそもどんな存在なのだろうか。
「猫ちゃん。あなた、何者ですの?」
『とある偉い高位存在とだけ言っておこう。神でもあるし魔でもある。まあ私自身は魔族だと思っているが、君は好きに思えばいい。さあどうする、復讐を選ぶなら君はこの本を開きたまえ。サービスでしばらく修行もしてあげるよ、最近できたタヌキみたいなネコ友達も暇にしているし、一緒に育成ゲームをしたいんだ。でも、もしどうしても怖いなら、それも仕方がない。君をどこか異国の街まで送って、更に安全な場所まで案内だけはしてあげるさ』
帰してはくれる、のか。
とてもやさしい猫だとコーデリアは思った。
裏切られ、追放された心には……その優しさが甘くて、少しだけ痛かった。
婚約、それは女性にとってとても重要な人生のイベント。
将来を決める、重要な転換期。
コーデリア自身はさほど婚姻に希望や理想など求めていなかったが、それでも少しは淡い気持ちもあった。
それを踏みにじった連中を、懲らしめたいという感情もある。
今までずっと我慢をしてきた。友人である姫様をたてて黙ってきた。自分だって劇で主役をやりたかったし、素敵な殿方と手を繋ぎたかった。
それをいつも、幼馴染のあのミーシャ姫は邪魔をしていた。
今まではずっと偶然や、運命のいたずらだとおもっていたけれど。きっとずっと、彼女はわざと嫌がらせをしていたのだ。
今度のこれは――。
ちょっと、いやだいぶ度が過ぎている。
(わたくしだって、女の子なんですから。せめて好きな人を奪われない程度の、ささやかな力が欲しい)
あの騎士王子ではなく。
いつか本当の恋を見つけた時のために。
かつて一度だけ、皇太子にして聖騎士のミーシャの兄ミリアルドに淡い心を抱いたこともあったが……それも、ミーシャの陰口によって散ってしまった。
ミーシャにそそのかされた皇子の冷たい視線は、今でも深く、乙女の心に傷となって残っている。なにをどうしても、誤解されてしまう。仲良くなっても誰もがすぐに手の平を返すのだ。その裏に、あの姫がいたのだとしたら。
思えばこういう、人の心の機微に疎い性格になってしまったのも――。
それが少女を動かした。
魔竜を屠れる聖女が言う。
「自分を守るぐらいはしたい、ですものね。わたくしは弱いから」
『ああ、君は弱い。魔竜を爪楊枝で倒せるぐらいにはならないと、町もろくに歩けないだろう? だから私は君を育てよう――いつか美味しいグルメを奢ってくれれば、それでいいからさ』
最強異世界神は自分の基準で、本気で同情を示し。
肉球を伸ばす。
君の味方をしてあげようと。
「お願いしますわ、その魔導書をわたくしに――」
花のような笑みを浮かべて聖女は言った。
猫は頷き。
魔導書を魔力で持ち上げ。
バササササササササ!
ページを捲る。
『さあ、聖女よ! 友に捨てられ、騎士に捨てられた領主の娘、コーデリア=コープ=シャンデラー。この迷宮を制覇せしダンジョンキング――いいや、女の子だからダンジョンクイーンよ! 今、その決意をもって、この世界最強の魔導書。全ての異界、全ての迷宮、全てのダンジョン要素を魔術として扱える隠しスキル「迷宮女王レベル∞」を手にするのだ!』
黒き魔猫は、ニヒィっと嗤ってくはははははは!
その悪戯ネコの顔は無責任に語っていた。
絶対、この方がおもしろいことになる、と。
その日 既にドラゴンを倒せる聖女は、更なる力を手に入れた。
元から強いことなど、最強ダンジョンのラスボス基準で考えれば気にならない。
むしろ弱いとさえ映っていた。
だから平気で力を渡してしまった。
だから彼女を匿い、もう二度と大事なモノを奪われないようにと修行をつけたのだった。
もちろん――その結果は――。
今日も、世界が修行の魔力で傾いた。
明日はもっと成長した聖女が、更に修行の魔力で世界を傾けるのだろう。
今ここに、最強聖女が誕生したのである。




