第049話、血の鋼鉄令嬢:前編
これは血の惨劇と化した襲撃の翌日。
クラフテッド王国での出来事。
王宮を守るのは人間ではなく、魔物や亜人。
暗黒迷宮の護衛コボルトや、暗黒迷宮の一部となった魔境から派遣されてきたホークマンたちだった。
皇太子ミリアルドと同じく惨殺されていた国王ミファザ=フォーマル=クラフテッドは、王の寝室にて療養中。
事態の説明や情報共有のために関係者が集っている。
クラフテッドの王族と、騎士団。
そして、共に沈む船の漕ぎ手だとばかりに王と連携を取り始めた、教会関係者。
かつてこの国を追放され、山脈帝国エイシスに亡命した聖コーデリア卿も当然いる。
栗色の髪を窓から入り込んでくる太陽光で輝かせ、微笑んでいたのだ。
聖コーデリア卿が人を呼んだので待っていて欲しいとのことで、会議は待機状態。
連絡が取れたので呼びますねと、いきなり高位儀式魔術の転移魔法陣を床に刻み始めていたのだが――。
本来なら集団で詠唱と儀式を行わないとできない転移を、彼女はやってのけ。
にっこり。
転移魔法陣から召喚された女性に、かの聖コーデリア卿は親しげな声を送っていた。
「まあ! サヤカさん、来てくださったのですね!」
とてもフレンドリーな対応に、周囲がなにごとかと赤髪の美女に目をやる。
スレンダーだが、出るところはちゃんと肉感的な美人。
赤き舞姫サヤカである。
クラフテッド王国の中にも少数残っていたまともな騎士団の何人かは何故、世界一不幸な踊り子が……? とミファザ国王を護衛しながら首を傾げているが――ミリアルドは彼女の正体を知っていたので、目線で問題ないと告げている。
当然コーデリアも彼女を知っている。
魔境の民となった赤き舞姫サヤカは、数か月前、北の魔境で起こった事件の関係者。
ここに呼ばれているという事は、常人ではない。
ただモノではない――と集まった者達も理解はしたようである。
周囲が落ち着いた直後、サヤカは艶めいた赤い唇を動かし――王族に対する礼を披露してみせる。
「お久しぶりでございます、聖コーデリア卿。ミリアルド……様も、ごきげんよう。先の件で聖女様には多くの御迷惑をおかけいたしましたので……コーデリア様に呼ばれたのでしたら、この舞姫、いついかなる所であっても」
サヤカはミリアルドに良い感情はないのか、あからさまに態度の違う礼をしていたが。
そんなサヤカの当てつけなど気にせず、パァァァァァっと天然オーラをバラまくコーデリアがサヤカに微笑み――聖女スマイル。
あまりにも尊い微笑みだったから~、ペカーっと、背後に花が召喚されている。
「もう、サヤカさんったら。わたくしを呼ぶ時に様は要らないと申し上げましたのに」
「あ、あの……他国の要人の方もいらっしゃいますし」
「要らないと、申し上げましたのに」
コボルト達が発生した花を摘んで花瓶に生け、もふもふもふ。「聖女の奇跡花」と呼ばれる新アイテムを作り出す中。
コーデリア本人はニコニコ天然笑顔。
いわゆる無自覚の圧力である。
悪意のないほわほわムードに中てられたサヤカが、はぁ……と息を吐き。
「え、ええ――そうですね。すみません、数か月過ぎているとはいえ……あなたと直接戦った後ですし、どうしたらいいか迷ったのです。その……わたしはほら、アレでしょう?」
「まあ、アレとはいったいなんでしょう?」
首を傾げる聖女に騎士団の数人が魅了される。
聖コーデリア卿。
その美貌はいまだ健在である。
もはや天然聖女の奇行対処係になっているコボルト達が、魅了された騎士団の頭を軽くピコピコハンマーでこんこん。
魅了を解除していた。
ピコピコハンマーはごくわずかな固定ダメージを与える、暗黒迷宮の特産品。
脳を揺することにより魂を振動させ――主に混乱や魅了、狂乱といった状態異常を解除する回復アイテムとなっている。
あいかわらず一人だけ世界観の違う聖女に呆れと関心と、親しみを込めサヤカが言う。
「コミュ症……といってもたぶん伝わりませんわね。踊りばかりで周囲が見えないということです。それでキースにも酷いことをしてしまいましたし……その、ようするにわたしはコミュニケーション能力に欠けているのです。距離感を掴むのが苦手なので」
「まあ! そうでしたの! ふふふふ、大丈夫ですわ、わたくしも他の方々との距離感を測るのが苦手ですので。きっとわたくしにもコミュ症と呼ばれる称号がある筈、お揃いですわね」
コミュ症という言葉にピンと来ているのはサヤカだけ。
つまりはこの中に転生者は自分だけと理解したのだろう、少し気を許しサヤカが眉を下げる。
「あの、けっして誉め言葉じゃありませんよコミュ症って」
「そうなのですか? それでもわたくし、お揃いには憧れてしまうのです」
「ま、まあコーデリアさんご本人が気になさらないならいいですけど……あまり他人には使わない方が良いですよ、今の言葉」
「はい、肝に銘じておきますわ」
本当に分かってるのかしら、この聖女……。
と、サヤカはジト目である。
しかしそのジト目が少しだけきつく締まり、部屋の奥にいるクラフテッド王国の王族に移っていた。
「それはそれとして。わたしも自分の事を棚に上げて言いますし、再会してそうそうに小言を漏らす気はなかったのですが、コーデリアさん――あまり他人を信用しすぎるとまた騙されますよ?」
サヤカの言葉の棘が向けられていたのは、クラフテッド王国の王族。
そしてまだ王族に忠義を残す、王宮の騎士団。
ミリアルドが言う。
「魔境の花嫁殿はあいかわらず手厳しいな」
「あなたたちが過去にコーデリアさんにした仕打ちを考えれば、仕方ないと思いますけど?」
敵意を剥き出しにした言葉だった。
お人好しな聖女様を利用するのなら、邪魔をする。
サヤカはこの先どんなことがあっても、コーデリアの味方をし、浮世離れしている聖女を守ると誓っているのだろう。
「不肖ながらこのわたしも、クラフテッド王国には長く滞在しておりましたから。あなたたちの事は知っているつもりです。少しは苦言を呈したくなる気持ちもご理解いただければ幸いですわ」
サヤカの慇懃無礼な言葉を受けた騎士団は面白くないのだろう。
あからさまな牽制を受けた騎士団の中に生まれていたのは、少しの苛立ち。
しかし。
肉体や顔に殺された傷跡を残すミリアルドが、やはり穴が開いた傷跡を残す手で制し。
「控えよ――我らが臣下たちよ」
「し、しかし――っ」
「街の踊り子風情が生意気な」
騎士団が無駄に美形な顔を尖らせ、なぜかこの場に呼ばれている踊り子をぎろり。
しかし。
その視線を諫めるように、ミリアルドは動いていた。
「もう一度告げる、控えよ――」
命令を遵守せよ。
そんな覇気と貫禄に満ちた、王族の言葉だった。
いままでにはなかったカリスマがそこに滲んでいた。
沈黙を破るようにミリアルド本人が口を開く。
「貴君らが我ら愚かな王族にまだ剣を預けてくれている忠義には大変感謝しているが、このサヤカ嬢はコーデリア卿と懇意にしている。そして彼女が我等を睨む理由ももっともなのだ――サヤカ嬢は我が国がコーデリア卿にした仕打ちも、かつての思い出さえも踏みにじってしまったことも知っている」
「まあわたしじゃなくとも知っていると思いますよ? 傾国の黒鴉姫と共に暴虐の限りを尽くしていたあなたたちが迷宮女王になにをしたのか……旅の吟遊詩人にも唄われるようになっていますから」
悪女ミーシャの物語は既に有名。
そして、その悪女を増長させ共に悪行を行っていた王国として王族や騎士団の名も挙がっている。
「であろうな――。事情を知っていればこそ、この敵意はむしろ当然であると言える」
控える騎士達が言う。
「それでも……それでもです」
「殿下、我等にはもはやコーデリア卿に縋るしか」
忠臣として国と王族を案ずる騎士たち。
王族を信じ、いわば騙されていた彼らも被害者である。騙していた側となるミリアルドは彼らの忠義を理解した上で、それでも清廉な声で告げていた。
「それはあくまでもこちらの事情だ。コーデリア卿にも舞姫サヤカ嬢にも関係なき事。そもそも怨敵たる我等の蘇生を執り行ってくれた時点で、既に返せぬほどの恩を受けているのではあるまいか? 国を憂う貴君らの心は嬉しい。だが、もはや遅いのだ。既に国としてのクラフテッドは死んだ。我等王族は過ちを起こし、過ちに気付けずままに進んだ結果として滅ぶだけ……我等王族が、国を殺したのだ」
国を殺したとの発言に、ハッと騎士たちが顔を上げる中。
そうだー、そうだー!
うちの女王様にこれ以上迷惑をかけるな~!
と、ワウワウがるがる――コボルトたちが合唱する。
麻痺の咆哮の制御ができるようになったのか、騎士団に麻痺が発生することはなかった。そのせいか彼らは何故か耳のモフ毛を膨らませドヤ顔であるが。
ともあれ。
皇太子は責任を果たす王族の顔で、凛と告げる。
「民には悪いと思っているがな。この機会にはっきりと告げておく。可能ならば貴君らも他国へ亡命するべきではないかと、私個人は思っている」
王族の口から語られる国の終わりへの言葉だった。
統治者たるミファザ国王も同意見なのだろう。もはや国をいかに静かに、犠牲者を減らせるように取り計らい、畳もうとしている息子の言葉を否定しなかった。
国が終わる。
その実感が騎士団にも掴めてきたのだろう。
「それでも……我等を育ててくれた陛下と殿下から受けた温情を、我等は忘れられません」
「――抑えよと命じたことには単純な理由もある。踊り子サヤカは私よりも強い。手を出そうものならその瞬間にその赤きドレスが蠢き、貴君らの首を刈ることとて容易であろうな」
聖騎士ミリアルドは現在のクラフテッド王国最強戦力。
その皇太子が自分よりも上だと告げた相手が、あの赤き舞姫サヤカ。
不幸な踊り子サヤカが強いとは誰も気づいていなかったのだろう。
事情を知らぬ騎士団、そして寝具で体を起こし聞いているミファザ国王も動揺をみせるが。
サヤカが言う。
「人を戦闘マシーンみたいに言わないでください。既にわたしは魔境に籍を置いていますので、命令でもない限りは野蛮な事などしませんよ」
「魔皇アルシエルとうまくやっているようで何よりだ」
「棘のある言い方ですね?」
「サヤカ嬢。貴殿は忘れているかもしれないが、かの魔皇は私を冤罪で陥れ利用した男だ――それも私とは何ら関係のない案件でな。むろん私個人はもはや殺されて当然な聖騎士であろう、私とて後始末が残されている故に生にしがみついているだけ。しかしだ、たとえ愚かな私であったとしてもだ、魔皇の私欲のために何ら関わりのない奸計に、他国の罪人を使っていいというわけではあるまい?」
それとこれとは話が別。
私を私欲で使っていいのは被害を受けた聖コーデリア卿、そして無辜なるクラフテッド王国の一部の民のみ。
そう告げて、聖騎士ミリアルドは踊り子サヤカに正論で応じていたのだ。
「そうですね――共に脛に疵持つ身。言葉がとても胸に染みますわ」
「我が妹が攫ったというキースとやらに謝罪はできたのか? 彼は我が国の民だった。確かに妹のせいで今は共に姿を消しているのかもしれないが、その始まり、なぜああなったのか――その原因に心当たりがあるのだろう?」
それはサヤカにとっても傷なのか。
赤い瞳がわずかに揺れていた。
「どこまで知っているのかは存じませんが、あなたには関係のないことです」
「キースは我が国の民。守るべき存在だ、関係ないとは言えぬ――その点においてだけは、私は貴殿も加害者であると確信している」
一触即発とまではいかない。
けれど二人の間には衝突が起こっている。
サヤカは純粋に聖コーデリア卿を案じているのだろう。
そんな微妙な空気の中で、空気を読まぬ当事者は全員を見渡し人数確認。
「何を揉めていらっしゃるのか存じませんが、まずは紅茶でも飲んで落ち着きましょう。糖分が足りなくなると頭が働かなくなるそうですし」
告げた聖女の純白レースの手袋の先から生まれたのは、膨大な魔法陣。
次の瞬間。
全員の前に机を召喚し、全員の前に紅茶とケーキを召喚。
むろん異次元レベルの魔導技術であるが、聖女は相変わらずおっとりスマイル。
経験がそうさせたのか、空気を変えるべくミファザ国王が言う。
「それで聖コーデリア卿よ。街の踊り子であったサヤカを呼んだというのはいったい……どのような意図があってのことか、説明願えるかな」
「そうでしたわね、陛下」
紅茶を優雅に味わうコーデリアが、ミリアルドに目線を移し。
「殿下が殺され拷問を受けていた前後に、敵はこの世界がゲームではない……と口にしていらっしゃったみたいですので」
「すまぬ、聖女よ。話が見えぬのだが」
「それが普通なのでございます。つまりわたくしが言いたいのは相手は……この世界がゲームであるかどうかを掴もうとしていた、それはようするに……――」
自分の頭の中の言葉を選ぶ途中で、んーと考えてしまうコーデリアにサヤカが助け舟を出す。
「なるほど、理解できました。ようするにコーデリアさんはその女が転生者だと言いたいのですね」
「その通りですわ。さすがわたくしのお友達のサヤカさんですわね」
「お友達って……いや、そう思っていただけるのは嬉しいですけど。まあそれはともかく」
うふふふふっと、お友達に喜ぶ聖女があまりにも美麗に微笑み続けるからだろう。
美貌に魅了されかけたサヤカは目線を逸らし、こほん。
顔をドレスよりも赤くし咳払い――。
「転生者だとすると……わたしと同じく、実装されていた既存のキャラクターと同じ姿をしている可能性が高いですからね……。相手に抱き着き、ドレスから針や棘を出し殺す女魔術師となると……。わたしも女性キャラにはあまり詳しくないですが、たぶん敵は第三章のラスボス、血の鋼鉄令嬢に転生した人でしょうね」
サヤカの言葉に、皆は耳を傾けた。




