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第046話、エピローグ―魔境編―


 聖騎士ミリアルドによる暴走から始まった、一つの事件は終結した。


 時刻は夜、ここは山脈帝国エイシス。

 その統治者たる攻略対象の寝室。

 暗黒地帯の領主、聖コーデリア卿に魔境へと赴く許可を出した皇帝、賢王ダイクン=イーグレット=エイシスにも事件解決の一報が届こうとしていた。


 寝室に漂うのは、グルメの香り。

 芳醇な果実のみずみずしい爽やかさと、香辛料の味を楽しむために薄くスライスされた燻製肉の煙だった。

 賢王イーグレットは結界に守られた部屋から、夜空に咲く月を眺めていた。


 冬も始まっているのに今年は、穏やか。

 かつて裏で暗躍していた教会も落ち着き、巫女長も自らの罪を反省し民のために献身を捧げている。

 魔皇の高まる魔力の影響で起こる寒気も、今年は起こっていない。


 全てはあの聖コーデリア卿のおかげか。

 母の容態が安定していることもあり、治世も心も落ち着いている鷹目の皇帝イーグレットはふっと上級ワインを傾ける。

 赤きボトルとグラスに映るのは、ダークエルフを彷彿とさせる銀髪褐色肌の美しい皇帝。


 賢人の瞳には無数の計算式が走り続けている。

 遠く離れていても、手に取るように分かる。

 頭に入力された情報を前提に――常に思考が動き続けているおかげで、戦況がどう動くか、状況がどう動くか――その美貌の男は理解していたのだ。


「そろそろ――であろうな」


 その耳は廊下を駆ける元傭兵長の靴音を聞いている。

 最も信頼しているベアルファルス講師の足音だ。

 賢き皇帝は知っていた、コーデリア卿から送られてくるはずの通信魔術の受信役となっている彼に、彼の地から連絡が入ったのだろう――と。

 ノックもなく扉が開かれた。

 賢王イーグレットはニヤニヤ、荒い息の大柄な男を眺める。


 やはりベアルファルスだった。

 戦場にもよく響く、講師としてもよく届く美声が王の寝室に響く。


「おいこら、てめえ。イーグレット! なんでそんな余裕な顔で澄ましてやがる!」

「はて、どうしたというのだ。あの聖女の事だ、上手くいったのであろう――?」

「上手く行きすぎてるんだよ!」


 魔力のこもった声が鷹目の美貌王の銀色髪を揺らしたが――、知恵者は悠然と余裕を保ったままである。


 既に精悍なる熊男のグラスも用意してある。

 イーグレットは共にどうだと酒を勧めるが。

 ベアルファルスは大きな手で自らの額を覆い、はぁ……と嘆息。


「あのなぁ……本当に分かってるのか?」

「分かっておる、全ては余の掌の上――コーデリア卿、彼女は開かぬ国とされていた魔境との国交を開いたのだろう?」


 先を見通す賢人の瞳は赤く染まっている。

 それは魔性の証ではなく、先を見るための魔力を流して発生している網膜の変化であるが。

 やっぱり分かってねえのか、とコーデリアの本質を本能的に悟っているだろうベアルファルス講師が言う。


「違う、あの聖女様……魔境を暗黒地帯の領地の一つにしちまったようなんだよ」

「……は?」


 ポロりと、ブドウの房が長い男の指から落ちていた。

 神秘的な銀髪を揺らし賢王が吠える。


「な、なにをどうするとそうなるのだ!?」

「知らねえよ! おまえ! ちゃんとそこまで計算してたんじゃなかったのか!?」

「いきなり魔境を実質の属国にするなど計算したら、余は稀代の戯けものと罵倒されるわ!」


 もっともな意見ではあるが、全てを見通すと自負している知恵者の動揺を楽しんでいるのか。

 ベアルファルスはニヤり。


「ははははは! そりゃそうだわな!」

「笑い事ではあるまい!」

「だから言っただろうが。ま、なっちまったもんはしゃあねえだろう。近い内に魔皇アルシエル陛下とやらが直々に調印に来るそうだ。で、コーデリアの嬢ちゃんは賢き坊やイーグレット様の許可が欲しいってさ。どうする?」

「茶化すな――」


 賢王イーグレットは空気を引き締め。


「どういう状況なのだ」

「こっちも魔術伝達を受けたばかりだからな、公式で使われる魔術回線のようだが裏は取れてねえ。ただ……魔境の統治者、魔皇アルシエルから直々に魔術による交信が行われたのは確かだ。ま――コーデリアの嬢ちゃんが魔皇を傘下に置いたのは確かだろうと俺は判断した、しかも強制ではなく自ら望む形でな。詳しくは調印式前の会議で詰めるらしいが、魔境全土が暗黒迷宮の一部となるそうだ」

「ほぼ全面降伏に近い形であるか――」


 イーグレットとて野心はある。

 山脈帝国エイシスはけして安定した国ではない、誰もが裕福で栄えた国というわけでもない。

 民のために国家を豊かにすることには賛成である。


 しかし。


「それはまあ良い。聖コーデリア卿のことだ、それくらいやってみせてこその聖女。この世で最も世界を揺るがすトラブルメーカーと言えよう」

「おいおい、トラブルメーカーって……言い切りやがったが嬢ちゃんが聞いたら怒るぞ?」

「否定はできぬであろう?」

「そりゃあまあそうだが――なーんで、坊ちゃんはそんなに楽しそうな顔をしてやがるんだっての」


 状況を楽しむ余裕がある。

 そんな皇帝の図太さに安堵と呆れを抱きつつ、ベアルファルスは言う。


「で、どうするつもりだ」

「貴公の言葉ではないが――まあなるようになるであろう。しかし魔境は良いが……聖騎士ミリアルドについてはどうなっておるのだ。さすがに現地で討ち死にされていたら面倒なことになる。クラフテッド王国と戦争がしたいわけではないのだからな」

「なんつーか、誤解は解けたみたいだが……」

「歯切れが悪いな」

「俺も情報をすべて受け取れているわけじゃねえからな。ただ気になる情報は入ってきている」


 ベアルファルスが言葉を探していた、その時だった。

 発生したのは転移の揺らぎ。

 わずかに転移のラグが発生しているので、コーデリアでも魔猫師匠でもない。

 しばらくした後に響いたのは、扉を静かにノックする音。


「開いておる」

「それでは失礼させていただきます」


 入室してきたのは、幼き姿の聖職者。

 ピンク色の髪を靡かせる、かつて神童と呼ばれた存在。

 そして――この世界には悪しき天使がいると証言している、かつて騒動を起こした被観察者。


 怪物と化したが、聖女によって解呪された巫女長である。


「巫女長か、スラム街の治療は終えたという事か」

「はい、既に皆の健康状態は良好。もちろん、持病であったり……長患いの影響で咳が残っていたり、不安定だった栄養状態により衰えてしまっている筋力などが改善されるには時間がかかりますが」

「信用してよいのだな?」

「恥の上塗りをするつもりはございませんので」


 もはや老いなくなった、徐々に、そして永久に若返り続ける童女が言う。


「いつかこの身は赤子となり、存在を維持できなくなり消えるでしょう。それまでは――自分の行った過ちの分、いえ、それ以上に世界に貢献すると決めましたので」

「左様であるか――その献身、その殊勝な心掛け、皇帝として甚く感服しておる。いやはや、まさに心の呪いまでも解けたようで何よりだ、安堵しておる。皇帝としてな?」


 試すような挑発を受け流し、幼き巫女長が錫杖を鳴らす。


「陛下のお叱りはごもっとも。皮肉も罵倒も構いませんが、よろしいですか?」

「ふん、本当に心も浄化されたようであるな――今のは余の狭量から零れ落ちた言葉だ、忘れよ」

「教会のシステムを通じ、クラフテッド王国の教会から連絡が来ております」

「教会からだと」


 教会の権力が凄まじい、治外法権のような状態になっている理由はさまざまにある。

 最も有力視されているのが、それは教会という施設がかつて持っていた特権。

 課金と呼ばれる神の干渉現象が発生していた時代の名残。

 教会は神からの意思を受け、全てのルールを無視してでも動く必要がある。そのために与えられていた絶対的命令権を、神が干渉してこなくなった今でも有していたままになっている――と。


 だが、魔猫師匠は言っていた。

 あの全てを知った顔のドヤ猫は酒の席で、語っていた。

 この世界は確かに乙女ゲームを参考にしているが、独立した世界として確立している。シミュレーション上の世界や強大な誰かの見る夢世界などではなく、現実なのだと。


 そんな世界の秘密を探る賢き王はソファーに深く体を預け、しゃらん……。

 黄金装飾を鳴らし言う。


「して、教会はなんと?」

「それが……クラフテッド王国を山脈帝国エイシスの傘下に置いてはくれぬか、と。この打診自体も、既に王の許可を受けているとも……」


 鷹と熊が目線を合わせる。

 それは魔境の状況と似ている。


「おかしな話ではないか。統治者であるミファザ国王ではなく何故なにゆえに教会が教会を通じそのようなことを」

「私見をよろしいですか?」

「聞かせよ」


 巫女長が言う。


「クラフテッド王国はもはや風前の灯火。聖コーデリア卿を追放した影響も大きく、聖女の力に頼り切っていた冒険者ギルドは崩壊。王族も現国王はともかく、長兄の聖騎士ミリアルドは乱心。妹君のミーシャ姫は今や大罪人。かつては同盟国でありながら、実質的な属国であったオライオン王国にすら劣るほどに国力は衰退。彼らにはもはや明日がないのです」

「クラフテッドの教会も存続が危うくなっているという事か……しかし、ミファザ国王は王として属国化など提案できる筈もない。ならば、教会を通じて助け船を求めてきた……どうも信用はできぬが」

「なんと返事をしたらよいのか、いえ、そもそも返事をしていいのかの判断も仰ぎたいと存じております」


 巫女長は憑き物が落ちた顔で――美貌の皇帝と、精悍なる元傭兵長を交互に見て。

 なるほど……と一人納得。

 童女は深々と頭を下げる。


「このような理由で、本日は陛下たちの夜の時間を邪魔してしまったというわけです。申し訳ありません、空気を読めずに……お邪魔でしたでしょう」

「そちは何か勘違いをしておるのではないか?」

「いえ、殿方同士であったとしても教義に反しはしません」


 鷹と熊は目線を絡ませ理解できぬ顔である。

 理解できず――賢きイーグレットは目線を信頼できる男に向けたのだが、ベアルファルスも理解できずに肩を竦めるのみ。


 まあ、やはり……と勝手にポゥっと頬を赤らめた童女たる巫女長が言う。


「それで、どういたしますか」

「情報が足りぬからな、急な話で若き愚王も困惑している。奴は優柔不断で臣下の考えがなければ動けぬ小童、考えさせる時間が必要だと返答せよ」

「卑下の部分はともかくですが、仰せのままに――」


 巫女長は錫杖を鳴らし、その身を再び転移させる。


「魔境のみならずクラフテッド王国が実質的な属国化を望む、か」

「どうなってやがるんだ、こりゃ」


 イーグレットは考える。


 考えられるのは、聖騎士ミリアルドの心が変わったという可能性。

 最後に見た時は、聖女に逆恨みし憎悪する姿しか印象に残っていないが。

 しかし憶測だけでは答えを掴めない。


 どれだけ賢くとも、スキルを使ったとしても――机上のみで答えを得られないことは明白。

 理論も理屈も、絶対的な天然と力の前では捻じ曲がる。

 それは聖女と黒き魔猫の存在が存分に立証している。


 だから彼らは面白い、と。


「とりあえず彼らの帰りを待つしかあるまい。全ては事情を聞いてからだ」


 好感度大幅上昇の音を鳴らしつつ――皇帝は育ての親ともいえる男に、グラスを差し出した。

 今は座して待つ。

 焦っても仕方がない。

 だからそちも酒に付き合えと、皇帝は全幅の信頼を寄せる男に心を預けていた。


「酒とグルメは用意した、宴の気配を察すれば――おそらく呼ばずとも彼の魔猫が顕現するであろう」

「だから俺と酒を飲むってか?」

「実際、本当に召喚されてくるのだから仕方あるまい?」


 鷹目の男が、ふはははははっと喜びながら酒をつぐ。


「ったく……ただ理由をつけて大義名分の下で浴びるほど酒を飲みたいだけだろう、おまえは……」

「解毒の魔術を習ったからな、浴びるほど飲んでも問題あるまい」

「おまえ、酒癖悪いからなあ……」


 言いつつもベアルファルスはグラスを受け取り、喉を上下させる。

 その時の皇帝は、いたずら小僧の顔。

 美貌に心からの笑みを浮かべていたという。


 実際、その後に次元を割って魔猫師匠が現れたとされているが――計画は失敗。

 結局、グルメに夢中になっている魔猫から話を聞いても理解ができず。

 酔っているから意味の分からぬ話になったのだろうと、判断。


 聖コーデリア卿の帰還を待つ事となった。


 ◇


 後日。

 コーデリアが戻り、上司といえる皇帝に魔境での出来事や事情を説明したが――。

 聖女の口から説明されるのは魔猫師匠と同じ話。

 やはり意味が分からず、一緒に聞いていたベアルファルスは苦笑い。


 賢き皇帝であっても理解ができない。

 意味が分からない。

 いったい、なにがどうしてこんな状況になっているのか……。


 皇帝の楽しみと。

 そして楽しみ以上に膨れ上がる騒動の種は、増える一方であった。






 魔境編

 贖罪の赤き花 ~終~


明日からの更新は一度、幕間を挟み次章開始予定。

更新時間は引き続き12:00~15:00となる予定です。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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