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第043話、ラストダンスをあなたと共に【サヤカ視点】


 黒き魔猫のしっぽの先が、静かに揺れていた。

 ティーセットを前にしての沈黙も続いている。

 遠くから聞こえる音は、闘技場で巻き起こる魔力の衝突――聖女と魔皇アルシエルの戦闘音だろう。


 魔猫師匠は構わずクッキーを齧っている。

 だがその赤い魔性の瞳は紳士的なまなざしで、消沈する踊り子を眺めてもいた。

 転生者サヤカ。

 ファンタジー美女の、赤い髪が揺れる下。

 唇が静かに動き始めた。


「酷い女、ですね――わたし」


 手の平から静かに雫を零したような声だった。

 味の分からない彼女の唇が、紅茶の水面を揺らしている。


『まあ否定はしないよ。自分のせいで相手の人生を台無しにしておいて、何も知らずに、気づかずに、謝罪すら受け付けず――君は自分だけが被害者だと、彼に無言の罵倒ともいえる嫌がらせをし続けていたのだからね』

「どこまで、知ってるんですか」

『まあだいたいはね。言っただろう、私が過去視の魔術の開発者みたいなものだって』


 魔猫師匠がフゥッとジャムクッキーの香りをさせた息を吐き、生前の男の姿を映して見せる。


 一流企業の社長だった男。完璧だった男。サヤカの天使として生まれ変わり。

 ずっと。

 身を粉にし暗躍していた魔皇アルシエル。


 たしかに、混沌とした現代社会において一流企業と呼ばれる場所を統括し、導いてきた逸材ならば――魔境を治めることさえ不可能ではなかったのだろう。

 人を導く天才。

 カリスマともいえる天賦の才が生前からあったのだから。


 そんな男の死を見る顔で、魔猫師匠が冷たく告げる。


『彼がこの世界に生まれ変わるきっかけ。死因となったのも、君との事故。彼の死を誘発したのは、巻き込んだのは――そして、どういう死に方をしたのか。まあそういう暗い話を延々と語るつもりはないが、原因は周囲を見る目を失ってしまった君の過失だ。全ての始まりは君の踊りへの執念が招いた結果さ。踊りの事しか考えず歩いていた不注意の結果。まあ、端的に言ってしまえば信号無視のせい――ということになるのだろうね』

「信号無視、……小学生だって知っている、わるいこと、ですね」


 子供が最初に習うような社会のルール。

 そんな単純なルールさえ見失ってしまった、身勝手なダンサーが招いた結末。

 二人の人生は、その小さくて大きなルール違反によって失われていたのだ。


 それが――。

 禁忌の魔術とされる過去視がみせる真実。

 本来なら、知りえるはずのない、知らないままでいた方が良い事までも暴いてしまう術。

 過去視の魔術が危険とされる一つの理由だろう。


 赤髪で表情を覆うサヤカが言う。


「なんで、あの天使ひとは言ってくれなかったのでしょうか」

『なんでって?』

「なぜ、あの人はわたしを罵ってくれなかったのでしょうか。だってこれ、どう見ても悪いのはわたしじゃないですか。ドライブレコーダーだってあったでしょうし、会見の時にでも、その時の映像を流していれば――なんとでも言い訳ができたじゃないですか。なのに、自分が悪いことにして……どうしてなのか、分からないです。わたしには全然……分かりません」


 当時は別だ。

 サヤカは本当に相手だけが悪いと思っていたのだから。

 けれど今は違う。


『さあ、私にもそこまではね――』


 ただ――と、考えをまとめるように猫の髯を蠢かせた魔猫は淡々という。


『大好きだった君の踊りを終わらせたのは彼。思うところは多々あったのだろう。雨の日なのだからもっと注意していれば、もっと早くブレーキを踏んでいれば、もっと早くハンドルをきっていれば。別の道を進んでいれば、その日の公演を見に行っていなかったら。自分ではなく秘書に運転させていれば――いろいろな可能性を彼は考えただろうね』

「わたしを、責めればいいじゃないですか」


 罵られて楽になりたかった。


 そんな表情を読み取ったのか。

 魔猫は突き放すように言った。


『彼は君の踊りに救われていた、それは事実だ。だから責めるなんて言葉も考えも、初めから浮かんでいなかったんだと私は思うよ』

「だって、わたし! とても酷いことを何度も言いました……!」


 震える女の声を聴きながらも、魔猫はただ事実を語るように。

 コトリ……。

 紅茶を皿に戻した魔猫が言う。


『君は何か勘違いをしているね』

「え……」

『君が彼からの謝罪を受け入れなかったように、君も彼から責められる自由なんてないのさ。責めるも責めないも彼の心の自由だろう? 責めろなんて言葉、加害者側からいっていい台詞じゃないよ。ただ君が楽になりたいだけ、違うかい?』


 少なくともサヤカは自分の事を加害者だと思っているだろう。


「やっぱり最低、ですね……わたし」

『どうだろうね、外の世界には多くの人間が存在していた。そしてこの世界にも多くの人類が存在している。最低という基準をどこに置くのか。それは猫である私には分からない、君たちの基準で、君たちが決めることだ。私が決めることじゃあない』


 あくまでも傍観者。

 観測者。

 異邦人の声で魔猫師匠は言い切って、紅茶セットを畳み始めながら続ける。


『さて――私が彼から依頼されたのはリンク状態を解除するだけ。その後の君をどうするか、君がどうするかは依頼の範囲外。私は止める気も応援する気もない。冷たいとは言わないでおくれよ? 君がこの魔境で失踪、誘拐されたと報道された時に、私に君の救助を依頼してきた知り合いがいたのだが――君、彼に結構酷いことをしたんだろう?』


 該当者は一人しかいない。

 偽りの婚約者。

 利用するためだけに近づいたモブ――門番兵士。


「あなた、キースとも知り合いなのですか」

『知り合いも何も、今の彼は私の眷属状態にある。ま、過度な使役をするつもりはないけれど、便利な目の一つとしては利用させてもらっている』


 カチャリカチャリとティーセットを片付ける音を鳴らし。

 魔猫はジャムクッキーのジャム部分を齧り。


『何の罪もない彼を嵌めて、転生者で利己的だった黒鴉姫、ミーシャくんの騒動に巻き込まれることを承知で誘導するように婚約なんてしていたんだ。当時の君はこの世界を完全にゲームだと思い込んでいたのだろうから悪人とは言わないが、真っ白ってわけじゃない。悪いが、君を助ける気はないよ』

「当然ですね。わたしだって、わたし自身が最低な女にしか思えませんし」


 踊りのためになんだってする。

 踊りを穢した相手だからなにをしてもいい。

 どうせゲームなのだから。

 そんな気楽さで、彼女はキースに近づいた。


 サヤカの悪事は世間の極悪人からすれば小さな悪事だっただろう。


 けれど、知っていて他人の運命を滅茶苦茶にしたのは事実。

 仮にキース自身が許したとしても、真実を知っている者からすればそれなりの蔑みは受ける行為だった。

 だが魔猫はあまりにも自己嫌悪を加速させる舞姫を見て。


 じぃぃぃぃぃぃぃぃ。

 仕方ない、と声のトーンを僅かに穏やかにしていた。


『最低は言い過ぎだろう。私は多くの最低な人間や神を目にしてきたが、世界を揺るがす程の外道たちと比べれば君の悪事なんて小さくて可愛いモノだよ。だって君、世界を壊していないだろう?』

「コーデリアさんもそうですが、あなた方の基準が異常なんですよ」

『それも否定はしない。まあそれでも反省……自分の行いを悔いることは悪い事じゃないとは思うけれどね』


 言い切った後、魔猫師匠はティーセットを自分のアイテム空間に収納。

 この場を後にする空気を作り。


『それじゃあ私はもう行くよ。ああ、このティーセットは貰っておく過去視の魔術の代金と思っておくれ』

「わたしの所有物ではないので、なんとも」

『そうか、ならもし誰かに聞かれたら君が説明しておいておくれ』


 消えそうになる魔猫を前にし、サヤカは言った。


「助けては貰えないでしょうし、貰う程図々しい女ではないつもりですが――、良かったらお願いを一つだけ聞いていただけませんか」

『内容次第かな』

「彼に……キースにごめんなさいと伝えてはいただけませんか?」


 魔猫の獣毛が僅かに揺れる。

 決意した女性の瞳を覗き込んだからだろう。


『そういうことは自分で伝えるべきだろう。と言いたい所だが、そうか――君は決断したのだね。ならいいよ。君のその願いは無償で私が引き受けよう』


 サヤカは本来なら自分で動くべきだろう。

 本来なら婚約者だったキースにした罪を自分で告白し、謝罪をするべきだろう。

 本来なら、魔猫師匠も他人の謝罪を伝書鳩のように伝えることを是とはしないだろう。

 けれどだ――。

 もし、伝えることができない状況になるとしたら?


 サヤカは立ち上がった。

 自分の脚で、自分の意志で。

 いまだに揺れている闘技場空間に目をやっていた。


 戦場に。

 舞台に――途中参加するつもりなのだろう。


『一応警告だ。君がやろうとしていることは、魔皇アルシエルの意志を無駄にすることになる』

「ええ、そうでしょうね」


 もはや決意は変わらないのだろう。

 蠱惑的な女の身に赤と黒のドレスが纏わりつく、新婦のヴェールのような高級生地がしなやかな腕に巻き付いていく。

 それは踊り子の戦闘装束。


 赤い髪のファンタジー美女。

 ゲームではなく現実のこの世界。彼女はいっそ、晴れ晴れとした顔をしていた。


「キースには、本当に悪い事をしました――わたしが死んだときに、所持アイテムと財産を全て彼に渡していただくことはできますか?」

『おや、城すら建つ財を捨てるのかい』

「だって、わたし――彼を愛していないのに利己的な理由で近づいて……良い人だって知っていたから、お酒に酔わせて、既成事実を作って……それで婚約までさせて。それらが全部嘘だったんですもの、お金まで受け取ったらわたしは稀代の詐欺師になってしまいます」


 お金を彼に返されると困るんだけどニャ~と、ぼやきながらも魔猫師匠は渋々頷いていた。


「戦いは、どうなっていますか?」

『魔皇アルシエルが押されている、というか勝負になっていない。彼はコーデリアくんの結界を破壊できずに、たった一のダメージすら通せていないからね』

「そう、ですか……」


 つまりは、サヤカが参加したところで絶望的な差はおそらく埋まらない。


『最終警告だ――彼は今、君のためにコーデリアくんと戦っている。それは分かるね?』

「はい」

『この世界の裏で暗躍する神と取引をするつもりなのだろう。過去視の魔術を使ってしまい、目をつけられてしまった君を見逃す代価に、神にとって邪魔になるだろうコーデリア君を殺すつもりだ』


 だから、勝てないと分かっていながらも戦っている。


『けれど彼は自分が彼女に勝てないことを知っていた。賢いからね。だから同時に私に依頼したのさ。君と彼とのリンク解除をね。彼は敗北したとしても、リンクが解けている君は死にはしない。けれど、天使の背後にいるだろう謎の存在からはこう見える筈――魔皇アルシエルが死んだのならば、リンクされている君も死んだ筈だと。彼は大衆の前で死んで見せることで、君を守ろうとしているわけだ』


 誠実な男だね――と、やはり魔猫は他人事のように世界を眺めている。


 天使を束ねる、或いは裏で操る存在からサヤカを守るための一手。

 魔猫師匠が過去視の魔術の残影をなぞるように、目だけを動かす。

 そこには魔皇アルシエルが積んだ布石が見えていたのだろう。

 流れを辿るように魔力の筋を見つめる魔猫師匠は、息を吐いた。


 唯我独尊なるネコにしては珍しく、他者を褒めたたえるような空気さえ出していたのだ。


『どう転がったとしても君を生かすための、素晴らしい作戦だよ。これは』

「でしょうね」

『つまりだ、君があの闘技場に顔を出したら全部が無駄になる。君は神に捕捉される。そして、神の勅命には逆らえない魔皇アルシエルは君を守るために――無駄死にすることになるだろう』


 ようするに。

 この魔猫はサヤカが死ぬと分かっているから、止めているのだろう。


「かもしれません」


 けれど、と。

 言葉を紡いで。


「わたしは、自分をずっと助けてくれていた。大好きでいてくれた相手を見捨てて、何も知らずに生きていられるほど、踊っていられるほど――強い女じゃありませんから」


 沙耶香は振り返り言った。


「わたし、踊りが大好きなんです。だから行くんです。ここで彼を見捨てたら二度と踊れなくなる。踊る資格なんてなくなってしまうと思うんです。だからわたしには、迷いなんてありません。たとえ彼の望みとは違っても――最後に彼の心に残るほどの舞台を」


 それはおそらく最後の踊りとなる。


 サヤカが生きていると知られれば、リンクが解除されていると知られれば。

 魔皇アルシエルはどんなことがあっても、サヤカを守ろうと死ぬまで戦うだろう。唯一の道は手柄を立て、神に大好きな踊り手の助命を嘆願するしかない。

 だから最後まで、命尽きるまで戦うだろうと分かりきっていた。


 それでも今のサヤカは魔皇アルシエルを見捨てない。

 見捨てたら二度と踊れなくなるのだから――。

 踊れなくなる――それこそがあの男への一番の裏切りだと、彼女はそう思ったのだろう。


 コーデリアに勝つしか道はない。

 けれど、おそらくは勝てない。

 そして領地を治めるコーデリアは領民のために、自らの死は避けるだろう。

 どれほど共感し、同情したとしても。


 だから二人の舞台はここで終わる。


「最後は彼のためだけに、わたしは踊ります。それがわたしの贖罪です」


 決意を込めた踊り子の身体が輝いた。

 踊りに欠けていた何かが、そこに埋め込まれたのか。

 言うならば、覚醒したのだろう。


 誰かのために心からの踊りを。

 あなたのための踊りを。

 ラストダンスをあなたと共に――。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] アルシエルさん、サヤカさんのために星になって導こうとしてるんだと思います!
[一言] いつもハッピーエンドを望んでおりましたが、今回ばかりは、サヤカ嬢のどんな結末でも受け入れたいと思うのです。(泣)
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