第042話、禁忌の魔術【サヤカ視点】
サヤカの天使こと魔皇アルシエルと、聖コーデリア卿が戦う闘技場の裏。
別次元と化した空間ではなく、通常エリア。
魔境の宮殿にて赤き舞姫サヤカは軟禁状態の一室にて――光る水晶を眺めていた。
過去視の魔術を発動させていたのである。
対象は自分と天使。
(天使はなぜかわたしに執着している……どうして?)
仮面の奥から感じた心は、いったい。
ただのビジネスパートナーだと沙耶香だったサヤカは思っていた。
これからだってその筈だった。
けれど。
(あの天使はわたしのために動いていた。どうして……)
どうしてばかりが頭をよぎる――だから、過去視の魔術を水晶玉に投影させたのだ。
水晶玉に光が集中していく。
それは魔力と呼ばれるモノ。
そこに映るのは、天使の過去。
天使保持者と天使とは寿命や命、魂といった部分でリンクされている状態にある。だから、本来ならば相手の許可が必要な占い師のスキルの一種、過去視の魔術は発動できる。
そこにはつい最近の天使の姿が映っていた。
仮面の紳士。
わざとらしく印象を固定させるようなシルクハットとステッキの男。
天使は魔物を狩っていた。
なぜ?
それは課金によるサヤカの願いを叶えるため。
「どういうこと、なのですか……」
天使は課金による寿命消費が発生する度に、無茶なダンジョン攻略を繰り返す。そしてその経験値や魔力といった数値を、全て寿命消費の補填に当てている。
本来ならサヤカが消費する筈だった、願いの代価である。
サヤカが味覚を消費した時は、そのまま消費されていた。かつて踊り以外の付き合いなんて要らないと、今後得るはずの未来の友情や関係性を課金の代価に消費した時も、そのまま使われていた。
けれどだ。
寿命や視力、聴力といった部分の少しでも踊りに影響しそうな課金を発生させると、天使は単独行動をし、課金分の経験値を稼ぎ神への貢物としていたのだ。
本来ならサヤカが負担するはずの、課金……魂の浪費を誤魔化しているのである。
声がした。
現実での声だ。
『なるほどね、魔皇アルシエル。いや、サヤカの天使が正式な個体名なのかな。どちらでもいいけれど、それが彼の選んだ贖罪だったというわけか』
「誰ですか!」
酩酊しそうなほどに濃い魔力を孕んだ声だった。
けれど、うっとりとしてしまいそうになるほどの、甘く穏やかな紳士声だった。
次元が割れて、それは顕現する。
「黒い……ネコ!?」
『やあ初めまして、私は魔猫。この世界ではそうだね、皆、魔猫師匠とわたしの事を呼んでいるよ。君も知る聖コーデリア卿、彼女の師匠だっていえば、まあどういう存在かは少しは理解して貰えるかな』
そう、顕現していたのは黒いもこもこふわふわな猫だった。
少し肥満気味な、ブリティッシュショートヘアーに似ているだろうか。
誰かに説明するとするなら。
ドヤ顔をした、黒きチェシャ猫。
猫の形のスマホを装備しているが――……サヤカは、かつての前世で見たスマホを思い出しつつ、じっとネコの顔を覗き込む。
鑑定は弾かれていた。
けれどだ。踊り子として客を洞察する観察眼は使用できる。魔猫の毛の先の揺らぎまでも注視し、その性質を見極めようと魔猫を観察する。
だが――極めて異常な速度で正気度が失われそうになり、サヤカは口元を押さえ、観察を中断していた。
宇宙と呼べるほどの闇が、ネコの器に無理やり捻じ込まれている。
そんな印象の、おそろしいネコ魔術師。
だが敵意は感じられない。
サヤカは言う。
「あの”おかしな聖人”の師匠さんとやらが、わたしにいったい何の用ですか」
『用? ああ――そうか、勘違いさせてすまないが、あまり君には興味がない。私が興味あったのは、天使の彼の方。だが、もうそれも理解できてしまったから――そうだね、具体的に言われても用などないよ』
「用がないのにわざわざ次元を渡ってわたしに?」
キョロキョロと部屋の中を物色する魔猫師匠。
勝手に戸棚からティーセットを取り出し、勝手にキッチンから材料を顕現させ。
勝手にスイーツを一瞬で作成し――。
魔猫師匠は優雅なティータイム空間を顕現させていた。
席につくよう促し、ズズズ。
猫はビロードのような獣毛をぶにゃっと膨らませ、揺れる紅茶を啜りながら優雅に言う。
『おや、用がないと来てはいけないのかい? 私は魔猫、世界で一番偉い種族たるネコの長。どこにいくのも、どこに入るのも自由。ネコは三千世界で二番目に偉い存在なのだから当然だよね?』
「二番目……?」
『ああ、そうさ。一番偉いのは我が君――といっても、君たちには理解することもできぬ偉大な御方さ。ああ、ちなみに君の人生とも、この世界の運命とも一切関係はしないから、必要以上に気にする必要もないよ』
目的もないのに、なぜここに。
理解ができない。
「用がないのなら、コーデリアさんのところに行った方がいいのではないですか。彼女、たぶんいま天使と戦っていますよ。彼女、後衛職でしょう? どれほどに強くても後衛職は油断をしていると倒される。三千世界と恋のアプリコットの常識ですが」
『ああ、心配してくれているのかい』
「違います。だれがあんな脳みそアッパラパーな人を――」
言葉を詰まらせたサヤカは息を吐き。
じっとネコを観察。
モフモフな足を組みニヤニヤと嗤いながら自分を見ている魔猫師匠に言う。
「まあ……善良そうな人ですから、心配は心配です」
『君は踊りの事になると周囲が見えなくなるようだが、悪い子ではないようだからね。そして中途半端に賢い。計算高さもあるようだ。だからかな、コーデリア君のような剥き出しの善意が眩しく見えていたのだろうね』
「勝手に人を見定めないでください――不快です」
『これは失礼。ところでアッパラパーって君、古い言葉を知っているんだね――もう最近じゃ使わないって聞いているよ』
サヤカは訝しむように眉を捩じり。
「職業柄、接待でご年配と話す機会が多く……と、それよりも、どうしてあなたもそんな言葉を知っているのですか」
『それは紳士の秘密だよ』
秘密だよ?
と、にやにやドヤドヤ。
魔猫はチェシャ猫スマイルを維持するばかり。
サヤカが言う。
「それで――本当に何の用です? いまのやりとりもわたしを試しているようなイメージを覚えました。用がないって話、嘘ですよね」
『まあ、そうなんだけど』
「で? もう本題に入ってください。大抵の女って、焦らされるのは好きじゃないものですよ」
魔猫はふーむと、もったいぶった様子で間を作り。
まっすぐ前を見つめながら、クッキーの器をネコ手でズズズズっと引き寄せ。
けれど空気を引き締め、言った。
『君と魔皇アルシエルとの魂の絆を断ち切る』
「理解できません、どういうことです」
『彼に依頼をされたのさ』
「彼って……」
魔猫師匠は魔境に発生した謎のコロシアム空間に目をやって。
『彼さ、君だって過去視の魔術を使ったんだ、彼がどれほどに君へ献身していたか。どれほどに君を大切にしていたか、見えていたのだろう』
言葉に窮する踊り子サヤカの顔を覗き込み、チェシャ猫のような魔猫は赤い瞳を輝かせ。
『私も初めは驚いたよ。まさかこの私を探し出し、依頼を持ち掛けてくる存在がいるとはね。素直に称賛に値する行動力だと思ったさ、だから引き受けた。その献身に免じてね。まあ依頼料は既に貰っているから、君に拒否権などないのだが』
「彼がわたしとの魂の繋がり……リンクを解除する依頼をしたということは」
『ああ、あの天使はここで負ける。私の弟子に勝てるとはさすがに思っていないのだろう。それぐらいの力量差を理解するだけの力と知恵があったからこそ、十年も二重生活を維持できていた。凄いよね、彼』
サヤカは思う。
どうして、と。
『生前の彼は君が大好きだったんだよ』
「……。あなた、心を読めるのですか」
『多少はね、まあ本気になれば心と言わず全ての情報を見ることができるが、そんなことをしたら大概の相手は壊れてしまう。だからする気もないけれど――っと私の自慢はともかくだ、私は私の役目を果たそう』
告げて、魔猫は片手で器用に紅茶を飲みながら、空いているネコ手で肉球を鳴らす。
『はい、これでリンクは解除された。魔皇アルシエルはここで死ぬだろうけれど、君には死が訪れない。君は自由。この世界の裏で蠢く神とやらにも認識されない筈さ。君が目をつけられた原因となった過去視の魔術は本来、禁呪に分類される結構大きな魔術なんだ。アレを使う事は、今後避けることだね』
「過去視の魔術をご存じなのですね」
『あれを実用可能な魔術として発展させたのは私だからね、当然さ』
魔猫の言葉に嘘はみられない。
「ところで、聞いてもいいですか」
『ああ、構わないよ。淑女と子供に優しくが私のモットーだ』
「先ほどあなたは生前の彼が、わたしを大好きだったと……それはいったい」
ふむ、と魔猫は考え。
『言葉通りの意味だよ、彼は君と同じ世界から転生してきている。そして、沙耶香だった君が交通事故で脚を壊してしまう前から君のファンだった男。まあパトロンみたいな感じだった男だからさ』
「パトロンですか? おかしいですね、わたしにそんな大層な存在は」
『彼はそれなりの権力者だったらしいからね。たとえばだがミュージックビデオの女性ダンサーの候補が二人いたとして、どちらを起用するかとなったときに口を出せるほどには業界に通じていたらしいよ。ま、私も実際に見たわけじゃないから断言はしないけれどね』
思い当たる件があったのか、サヤカは目線を紅茶に落とす。
紅茶の揺れる水面に、記憶を辿るような顔をした赤髪美女が映っている。
ファンタジー世界の顔だ。
「そう、ですか――生前のわたしの……どう反応したらいいか、困りますね」
『彼が最初に君を見かけたのは偶然、社としての付き合いで鑑賞したミュージカルだったらしい。君、数回、臨時でバックダンサーとして参加していたんだってね』
「よく知っていますね」
答えるように、魔猫師匠は過去視の魔術を自らの紅茶の水面から投影してみせていた。
顔こそ映っていないが、そこには高級そうな背広を着た男がとあるダンサーに心を奪われる姿が映っていた。それが生前のサヤカの天使なのだろう。
とても品のありそうな、護衛をつけていそうな初老の伊達男のようだが。
次々と、映像が切り替わる。
過去視の魔術を操る魔猫が、沙耶香の隠れファンとしての男の過去を暴いて、映画のように流し続けているのである。
サヤカが言う。
「この人……本当に、わたしの踊りが好きだったのですね」
『ああ、そのようだね。君の顔は全く見ていない』
「それは、複雑ですが――嬉しいですね。これって、まだ、わたしがあの事件で有名になる前、じゃないですか」
映画のように流れる過去視の魔術。
その波紋に指を伸ばし、赤き舞姫サヤカは感傷に浸るかのような、過去を懐かしむかのような――とても苦い表情で唇を動かした。
「まだ下手だった頃のわたしの踊りまで見に来てくれていたのですね、彼。どうして……なのでしょうかね。今だから分かるのです。わたしの踊りには華がなかった、どうしても――艶や感情がなかった。もっと他に上手い人がいっぱいいる、わたしの踊りは下手ではないけれど完璧じゃない、完成していない――やはり何かが足りない踊りしかできていない。なのに――」
どうして好きになってくれたのかしら、と。
かつて必死に足掻いていた沙耶香は思うのだろう。
魔猫が言う。
『好きになる事に理由などいるのかい?』
「え……?」
『君は完成や完璧に固執しているようだが――完璧なものだけを好きになるというのなら、人間はなぜ赤ちゃんを好きになるのかな? 生まれたばかりの彼らは未熟の塊のような存在だ。完成には程遠い存在だ、けれど赤ちゃんの可愛い笑顔を嫌いと思う人間って、そんなにいないと私は思うよ』
まあ、全員じゃないだろうし、人間の赤ちゃんよりも私の方がかわいいけれど、と付け足して。
魔猫は続きを語り出す。
『たとえばだ――彼は傷心だった。理由はそうだね……何らかの事故や事件で家族を失っていたのかもしれない、気を落としていたのかもしれない、前に向かって歩く力が衰え始めていたのかもしれない。そんな時に君の踊りを見た。頑張っている姿に心を動かされた、一流たちの舞台に並ぼうと藻掻き、必死になっている姿に心を奪われたのかもしれない。まあこれは私の勝手な想像だけれどね』
「あなたは適当な事ばかりをいいますね」
『猫だからね、発言に責任を持つ気など最初からないよ』
本当に気まぐれそうな顔で、魔猫師匠は鼻の頭についたクッキーの粉をぺろり♪
尻尾の先を僅かに揺らし、モフモフな顔を傾げ。
『さて今の彼を見て、どう思う?』
「そう、ですね……この先はあまり見たくありませんね」
『おや、何故だい?』
流れ続けるサヤカの踊り。
そして頑張るサヤカの姿を生き甲斐に前に向かって進む、紳士。
彼らにはいつか、終わりが来る。
そう、悲劇が待っている。
サヤカは言った。
「あの事件よりもっとずっと前に、わたしのファンになってくれた彼にとって……わたしの事故は、きっと、とても衝撃的な出来事として刻まれているでしょうから」
『ああ、とても衝撃的だろうね、本当に。とても』
意味深に、猫は言う。
「なんですか、その顔は」
『私は既に先を知っているからね。彼の誠実さに少し感動していると同時に、君に少し呆れているのさ』
「呆れ? 失礼な人ですね」
『私は猫だよ、勘違いはしないで欲しい』
「そういうのはいいです……映像を止めていただけますか」
魔猫はモフモフな首を横に振り。
赤い瞳を輝かせた。
『いや、君は知るべきだろう』
「悪趣味な人ですね、応援していた相手が車に轢かれたニュースに驚く……そんな彼の姿を見せたいだなんて」
サヤカは不快感を隠さず言って、はぁ……と重い息を漏らす。
その日の映像が流れだす。
あの事故は当然、大々的に報道された。
事故を起こした犯人は一流企業の社長だったのだから。
きっと、天使となるこの男もニュースでこの事件を知るのだろう。
そうサヤカは思っていた。
けれど。
違った。
「――……え……――」
声が、漏れていた。
過去のヴィジョンが、鮮明に浮かび上がってくる。
男は何故か運転をしていた。
どこかで公演や、ショーや、そういった類のエンターテイメントを鑑賞した帰りだったのだろう。
周囲は夜。
暗い道。
沙耶香はその日、満足できなかった自分の踊りを思い出しながら、雨に濡れた道を歩いていた。
サヤカの心臓が鳴った。
賢い頭が――。
理解してしまったのだろう。
あの日。
アスファルトが滑りやすくなっていたから、だから沙耶香は車に轢かれた。
その筈だった。
けれど――。
ざぁぁああああぁぁぁっぁっと雨が泣き続ける夜。
彼女は踊りに満足できなかったのだろう。
完璧を求め、悩み続けていたのだろう。
だから、体が動いていたのだろう。
踊りの事しか考えていない沙耶香は、赤信号に気付かず躍り出て。
スポットライトではない光に向かい。
……。
パアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。
過去視の映像の中。
突然飛び出したのは、沙耶香の方。
そして、突然飛び出てきた踊り子を轢いてしまったのは――。
ブレーキ音が、鳴り響く――。
動いてみえているのは、赤い信号の色。
聞こえているのは、ウィンカーの音。
雨が、ざぁぁああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっと響き続ける。
雨だったせいだろう。
車は――横転していた。
中には、いつも見にきてくれていた男がいる。
思考が、動かない。
そんなはずがないと、理性が邪魔をする。
けれど、目の前のネコの口は上下していた。
『君は確かに事故によって運命を狂わされたかもしれない、急に飛び出した君が悪い部分もあるだろうが……運転している側の責任も確かにあるだろう。君は脚と命を失った。けれどだ、君もまた彼の人生を台無しにし、全てを壊してしまったのだろうね』
倒れた車から、高級そうな背広を着こんだ男が這い出てくる。
血塗れだった。
倒れる沙耶香を見た時――彼は、どんな顔をしていたのだろうか。
その男の事を、今のサヤカは知っている。
さきほどから。
ずっと眺めていた男だ。
いつも沙耶香の踊りで、癒しを得ていた紳士だ。
これが沙耶香とサヤカの天使の共通の過去なのだとしたら。
もう答えは分かっている。
沙耶香が絶対に許さないと、憎悪をぶつけ続けていた相手こそが――。
『そう、彼だよ』
映像が――。
紅茶の中に溶けて消えた。




