第040話、奸計―卑劣な罠―
消えぬ魔力の永久凍土――猛吹雪が消えたその日。
魔境に大きな変化が訪れていた。
極寒の呪いを解いた聖女の噂はすぐに広まった。
魔境全土をダンジョン領域化させ、溶岩を召喚し魔境に光を齎した異国の聖女。
聖コーデリア卿。
コーデリア=コープ=シャンデラー。
獣人の目から見ても美しい魔力と容姿を兼ね備えた乙女。
そんな彼女が罪人たるミリアルド皇太子を連れ、晴れた空の下で告げるのだ――。
その日、空の青さを知った魔境の民は見た。
彼女を見た。
その気高き魔力と聖なる輝きを――。
「ミリアルド様はたしかに傲慢で、品があるように見えて女性への態度がきつく、そしてなによりも自分の実力を過信している悪い点があります。けれど、けれどです――わたくしは信じているのです、殿下にサヤカさんは殺せないと」
微妙にずれた冤罪を訴える演説であるが、繰り返すように訴えるコーデリアは美女。
しかも永久凍土の呪いとされていた猛吹雪を、人類史上初めて解除した聖なる力の持ち主。
実際はただ、周囲をマグマ地帯に変換させただけなのだが。
氷と魔物の牢獄ともいえる魔境に監禁されている状態に近かった民。獣人や亜人たちは、猛吹雪を解除した彼女に否が応でも注目してしまう。
そしてコーデリアをよく知るモノならば、その行動がいつもの天然の延長だと理解できるが。
彼女をよく知らないモノならば?
定期的に出現する強大な魔物キマイラタイラントを滅ぼし、使役し、閉ざされた雪世界から解放してくれる救世主のように見えたのではないだろうか。
まるで魔境に降臨したヒマワリ。
見た目だけなら本当に文句のつけようがない、美の神が化身したかのような神秘的な美貌の乙女。
コーデリアの演説には説得力がなくても、救世主の言葉は大衆の耳に届いていた。
「どうかお願いです! サヤカさんを探してください! 彼女には自動発動の、蘇生の魔術がかかっていました。遺骸が見つかっていない現状がおかしいのです。ミリアルド殿下を捕まえるのは蘇生された彼女の言葉を聞いてからでも遅くない、わたくしはそう思っているのです!」
ペカーっと太陽が乙女の訴えを明るく照らしている。
衛兵のホークマンが言う。
「しかしだ、聖女さん」
「はい、なんでしょう」
「魔境を治める我等が王。魔皇アルシエル様が犯人はミリアルド皇太子だと断言しているのだ」
ザワザワと声が広がる。
あの偉大な王が言ったこと。
十年前、突如あらわれその凄まじい強さで先代魔皇を退け、頂点に立ち。はじめこそ民に信頼されていなかったが、魔皇はすぐに頭角を現した。
まるで集団を導く天才。完璧な指導者として前に立ち、荒れ果てていた軍部も、破綻していた経済も安定させた。信頼を勝ち取り、魔境に秩序をもたらした存在なのだ。
いままで魔境を治め、正しく導いていた王が言う事。
間違いなどあるのか?
しかしコーデリアは穏やかな微笑みの中で、空を見上げて胸の前で手を握り。
ペカー!
「そうなのですね、十年も正しく導いてこられた。とても素晴らしい統治者、それが魔皇アルシエル陛下」
「あ、ああそうだ。だから、あんたがこの聖騎士に騙されているってことも」
ホークマンの衛兵から睨まれたミリアルド。
ほんの少し前の彼ならそこで激昂していたかもしれない。
けれどだ。黒髪黒目の皇太子はコーデリアに言われた通り、剣を握ることなく堂々と立ったまま。
ミリアルドが冷静なままであることを確認したコーデリアが、すぅっと両手を広げ。
「わたくしは人間種。長寿なるエルフの方々やドワーフの方々とは寿命という点で、時の長さの感覚が違うのかもしれません。魔境の方々の抱く十年という長さへの価値、印象を……わたくしには理解できていないのかもしれません。けれど……けして短いものではないのですよね?」
「あ、ああ! あんたら人間より寿命の短いリザードマンのオレにとっては、めちゃくちゃ長い時間に思えるのだぞ!」
トカゲの尻尾でブンブンと地面を叩く爬虫人類が声を上げる中。
聖女は言う。
「わたくしにも十年は長いものだと感じられます」
「なら分かるだろう! 魔皇陛下はずっとずっと! 長い間、一度もミスや失敗をしなかった偉大な方なのだぞ!」
「はい、わたくしも偉大な方だと尊敬しておりますわ」
聖女は静かに瞳を閉じ、心からの言葉を口から紡ぎ始める。
「わたくしは陛下と違い、失敗ばかりをしております」
「あ、あんたほどの清楚で敬虔な聖女様が!?」
「はい、勘違いは日常茶飯事です。上司と呼ばれる方であっても、部下と言える方であっても、わたくしの行動にはいつも振り回されてばかり。わたくし、自分で言うのは恥ずかしいのですが……おっちょこちょいで……いつも周りを困らせてしまうのです」
こんな美しく偉大な聖女様がそんな失敗ばかりをする筈がない。
魔境の民は思った。
これは無自覚な謙遜。
あまりにも心が清いため、理想が高く。自分を未熟だと信じ込んでしまっている、清らかな乙女の自己評価の低さによる誤解であると。
もっとも、コーデリアの横ではジト目の聖騎士ミリアルドが。
おまえのアレはおっちょこちょいってレベルではないだろう……と、違う意味で否定のまなざしを向けているが。
ともあれ聖女の演説は続く。
「ですからわたくしは思うのです。今回がたまたま魔皇陛下が十年で初めて、たった一回だけの、失敗をしてしまっているのではないかと!」
「たまたま!?」
「はい、十年は長いです。とても……とても。一回も失敗をしたことがなかったのでしたら、それはきっと魔皇陛下の心を追い詰めていた事でしょう」
周囲を見渡し、まるで一人一人の目を見るように眺め。
聖女はすぅっと唇を上下させる。
「思い出してください。わたくしがこの地に来るきっかけになったことを。そこのエルフの方にお聞きします、何があったか、覚えていらっしゃいますか?」
「た、たしか……キマイラタイラントが突然わいて……」
ハッと、皆が顔を引き締める。
「はい、非常事態ですわね。たしかに定期的に湧くエリアボスではあったのでしょうが、普通ではない環境なのでしょう? 実際、陛下は不干渉を継続していた南の砦へと遠征をなさっていた。十年一度も失敗をなさっていない魔皇陛下であっても、そのような状況では心に疲れが溜まっていても不思議ではありません」
「だ、だが! 陛下は!」
「それでもあの方はとても優秀で偉大で、失敗をしないとおっしゃりたいのですね?」
魔皇アルシエルを尊敬する民の心を読むように告げた、その後。
聖女が浮かべたのは悲しい微笑だった。
「皆さまは陛下に甘えすぎです」
ザワつきすらも利用するように、本当に、本当に心苦しそうな顔をみせ――。
聖女は純粋無垢な乙女としてのオーラを満開にしていた。
「失敗をしない人などいません、そして失敗を恐れぬ人などおりません。もし一度も失敗をしていないように見えているのなら――あなた方はそれほどに陛下を追い詰めているという事だとわたくしは思います。どうかこれ以上、陛下を追い詰めないで上げてください」
破綻だらけの論理であるが、それでも民衆の心には隙間が生まれていた。
誰が、どんな人が発言するか。
同じ言葉であっても印象に違いはでるだろう。
そして今、民衆たちの目の前にいるのはキマイラタイラントを一撃で滅ぼし。
晴れぬ空を晴れさせた聖女。
多少どころか、かなり無理のある理論でも耳を貸す者が多発しているのだ。
その時だった。
魔法陣が発生した。
このままだと集団洗脳に近い状態になると危機感を覚えたのか。
支配者は突然顕現した。
大天使のような翼を生やした、長身の仮面の男。
魔皇アルシエル。
支配者たる男の仮面の下が魔力で揺れる。低いが、よく心に届きそうなハスキーな声音が響きだしたのだ。
『これは何の騒ぎですかな――聖コーデリア卿』
「あら、陛下――」
聖女は礼儀正しいカーテシーを披露し、周囲に魅了の状態異常を発生させていた。
護衛のコボルト達が、次元を渡って顕現。
コーデリアの周囲をガードし始めるが――聖女は危ないから下がっていてくださいと、にっこり。
「何の騒ぎか、と聞かれましたら――そうですわね。答えに困ってしまいますわね。わたくし、ミリアルド殿下は犯人ではないと何度も申しあげていたと思いますが……」
『キマイラタイラントを退治してくれた事だけは感謝しております。ですが、さすがにこの騒動は看過できません。御同行願えますね?』
「いいえ、その前にお聞きしてもよろしいでしょうか?」
『いや、貴殿は既に騒動を起こした異国の貴族。話は拘束の後にして頂きます。衛兵よ、聖コーデリア卿を拘束せよ』
魔皇アルシエルが翼を広げ、スゥっと聖女を指さすが。
衛兵たちは動かない。
ホークマンたちが言う。
「す、すみません陛下」
『どうしたというのだ! まさか、お前たち、あんな芯のない演説に心を動かされたとでも?』
バカなと魔皇が声を張り上げそうになる中。
衛兵を代表してだろう。
ヒソヒソヒソと集合した三人のホークマンたちは、いかつい顔を困らせ。
「い、いえ――その……」
「我等では聖女様の捕縛は……こう」
「レベル的に難しいと言いますか」
そう。
彼らは既に一度、コーデリアに完膚なきまでの敗北を喫している。
実力的にも不可能だと察しているのだろう。
その声に続き。
「それにです、あの、ミリアルド殿下は街を守る結界を張っていたんですよ」
「もし犯人なら騒動に乗じて逃げるのが手っ取り早いっすよね?」
「なのに、謎の爆発現象や、謎の蒸気圧からオレたちの家族を守ってくれたんで……」
さらに続いて街の中から、まるで声だけで生計を立てられそうだが、どこかがモブっぽい、凛とした男の声が響く。
「聞いてください、陛下。聖コーデリア卿は我等人間の貧民街にて、救いの手を伸ばしてくださいました。癒しの奇跡で救ってくださったのです」
「あたしも見ましたわ。陛下、どうか聖コーデリア卿のおはなしに耳を傾けて下さいませんか? もし本当に、兄さ……ミリアルド殿下が犯人だったとしても、なにか理由がある筈ですわ」
声を上げたのは――。
執事姿の男と、黒髪黒目の気高い烏のような印象のある村娘である。
ミリアルドが、ぴくっと眉を跳ねさせるが。
周囲の視線はすぐに魔皇アルシエルへと移っていた。
皆からの同調圧力を受けても、王たる男は悠然としていた。
『ならぬ! ワタシは街の安全のため、民のために言っているのだ。どうか、ワタシを信じて欲しい。ここで聖コーデリア卿は拘束する、それが国家としての魔境の選択だ』
「それはよろしいのですが、構いませんか?」
聖女の天然が魔皇アルシエルの悠然とした声を阻んで、割り込んでいた。
『困りましたな、あまりにも執拗な干渉は国家間の亀裂となりますが?』
「魔境と他地域とは元から亀裂が入ったままだと思いますが?」
実際に、魔境を阻む亀裂が物理的に存在しているのは事実。
まるで普段は入れぬ場所だと示すように、長い亀裂が見事な断層を描いているのだが。
『言葉遊びに付き合うつもりはございません』
「では、単刀直入に――サヤカさんの生命反応が陛下の住まう宮殿にあるのですが、どういうことです?」
『おや、どういうとは?』
コーデリアは魔力の粒子を繋ぎ合わせることで映像を生み出す技術。
魔術モニターを目の前に顕現させ。
「現在魔境はわたくしの迷宮女王の効果範囲内。ダンジョンは全て迷宮女王たるわたくしの庭。仲間と認識した方の座標を表示することもできますの。そうしたらどうしてでしょうか、死んでいらっしゃるはずのサヤカさんの反応が陛下の領域から……ですからわたくし、それがどうしてなのか分かりませんの」
『何を言うかと思えば、がっかりですよ聖女。サヤカ嬢は確かに我が宮殿内にいる、ですがそれは匿っているだけ――彼女は命を狙われたのですから、情報を秘匿するのは当然では?』
毅然とした答えにも動じず。
聖女は微笑み。
「ならば彼女に誰が犯人なのか、聞いてみるのはいかがですか? 幸いにもわたくし、嘘を見抜く告白の魔術の魔術スクロール……分からない皆様に説明しますと、羊皮紙に刻まれた魔術を発動できる魔道具を所持しておりますので、それで誰が彼女を攫い、殺したのか……聞いてみましょう」
『聖コーデリア卿よ、ここは貴殿の領地ではない、あまりに勝手な振る舞いは如何かと』
「そうですか……なら、もういいですわ。こちらで勝手に過去視の魔術を使うとしましょう――民の皆様も興味がおありでしょう?」
言って、コーデリアは水晶玉を取り出し。
詠唱を開始。
水晶玉の中に、映像が浮かび上がってくる。
そこには、赤き舞姫サヤカの顔の周囲だけに水の膜を発生させ、水死させる姿が映っている。
だが――。
『それが過去視の魔術ですと? フェイクではありませんか』
「フェイクなどではありませんわ!」
『あなたが行ったのは過去視の魔術の真似事。実際にあなたがやっているのは、自分が頭に思い描いている映像を投影する、映像作成の魔術』
勝ち誇った魔皇の声が、響く。
『それに、彼女が死んだのは首の後ろを殴打され気を失い……運河に沈められたことが原因。捏造はいけませんな聖女殿』
「まあ、そうでしたの! 申し訳ありません、わたくし勘違いしておりましたわ」
聖女は言う。
「そんな下手な演出で亡くなっていたのだとは、存じ上げませんでしたので」
『下手な演出……ですと』
「はい……。不謹慎かもしれませんが……とても綺麗な死に顔だったと伺っていたので、わたくしてっきり……顔だけを魔力の水で覆ったとばかり。まるで彼女の不幸や、薄幸な踊り子であった半生を彩るような美しい死体だったと報道されていましたでしょう? まさかそんな雑で、稚拙で、品のない殺され方だったとは。そうですわよね、わたくしが間違っておりましたわ」
聖女が煽りにも見える言葉を漏らしたその時――護衛のコボルト達が、一斉に片足を上げて、くるくる回る。
こっそりと「デバフの舞」を発動させたのだ。
周囲全体の知恵や、IQといった思考を司るステータスに下降補整を付与。
エリートコボルト達の集団デバフは強力。
相手が魔皇アルシエルであってもレジストできなかったのだろう。
『ワタシの演出を雑であると! そうぬかすか、貴様は……っ!』
声を荒らげた魔皇アルシエルがハッと我に返るが、もう遅い。
聖騎士ミリアルドは剣を構え――。
聖女は心底驚いた様子を見せ。
「まあ! ごめんなさい、わたくし犯人さんに物申したかったのですが。陛下がお怒りになられるなんて、どうしたのでしょう」
『――謀りおったな、女狐めが!』
魔皇アルシエルの身が、輝く。
大天使の翼が、バサリと広がる。
そのまま光を纏った魔皇は魔術を詠唱しデバフを解除。
代わりに付与されたのは、聖女への挑発状態だった。
『もうよい、貴様はここで始末する。後の事は聖女の遺体を我が神に捧げてから考えるとしよう』
「サヤカさんを殺したことをお認めになるのですね。そして、その罪を殿下になすりつけようとしたことも。しかしなぜ、そのようなことを?」
『問答は要らぬ――』
デバフは解除されたが、もう遅い。
犯人が誰であったか。
もはや周囲にも伝わっているだろう。
聖女は凛と佇んだまま、ゆったりと魔導書を腕の中に召喚。
魔力の吐息に声を乗せ。
瞳に魔力を纏わし――告げた。
「それでは、陛下。御覚悟を」
魔導書が――。
バサササササっと開かれていく。
「スキル”迷宮女王レベル∞”――発動させていただきますわ」
デバフにより知恵を下げるという強引な手。
卑怯であるともいえるが、確実な一手。
魔猫師匠から受けた修行により、搦め手も得意とするコーデリア。
知恵比べみたいな状況になるなら、相手の知恵を下げちゃえばいいだけだよ!
そんな師匠の教えを守り。
奸計を用い秘密を暴いた聖女、そのドレスの裾は並々ならぬ膨大な魔力で揺れていた。




