第004話、史上初のクリア達成者:前編
場所は転移の罠で飛ばされたダンジョン最奥。
飛ばされたのは追放されし聖女であり、領主の娘コーデリア。
何故か知らないが音が鳴っていた。
それは年に一度のミーシャ姫の誕生日を祝う、盛大な祭りのラストに流されるオーケストラ魔術楽団よりも壮大な音。
音楽を発生させる高位魔術。
迷宮のボスとの戦いに何故か発生するBGMと呼ばれる現象である。
これから戦いが始まるのだ。
しかし――天然令嬢にして聖女のコーデリアはゆったりと瞳を閉じ、思う。
なんて素敵な音楽でしょう、と。
聞き入っていると祭壇の中央に禍々しい魔法陣が生まれ――。
そしてソレは朗々と告げた。
『くくく、くはははは――! よくぞ参った、侵入者よ! 汝は伝説の勇者か! それとも冒険者か! 或いは魔の眷属たる者か! ともあれ貴様はこの世界最恐ダンジョンの最奥まで辿り着いた、あとはそう、分かっているだろう! この我を倒さねば宝は手に入らぬ、さあ! 全力でかかってくるがいい! 神々ですら霞むほどの聖戦を行おうではないか!』
ではないか!
ではないか!
ではないか!
声だけがしばらくこだましていた。
まるで吟遊詩人の歌に聴く魔王の前口上だと、コーデリアはドレスを翻し、きょろきょろと周囲を見渡す。
声の主がどこにもいないのである。
令嬢は持ち前の空気の読めなさで、風の魔術で声を強化し。
「あのー、どちら様でしょうかー? どこにいらっしゃるのか、分からないのですがー!」
『え、そういう反応? 参ったな、ここにたどり着くのは君が初めてだから……滑ったかな』
「ねえ、本当にどこなのかしら! やはり初めてお会いになる方とは、御顔を見ながらお話したいのですけれどお!」
まるでピクニックにでかけた草原で親しい友人に大声で呼びかける、そんな声だった。
魔王に似た声が止まってしまう。
そして。
『ここだよ、ここ。君の足元』
「ここ?」
下を向くと、そこにいたのは。
もふもふ。
「猫、ちゃん?」
そう、黒々とした大きな体の、赤い瞳のネコ。
魔猫と呼ばれる魔物だろう。
こんな場所に普通の猫がいるはずもないのに、警戒心の欠片もない聖女は構わず抱きあげた。
さすがのダンジョンボスも驚いた。
『ぶにゃ!』
「あらあら、まあまあ! なんて可愛らしいネコちゃんなのかしら! でもかわいそうに……こんな場所にいて、あなたも追放されてここに閉じ込められてしまったの……?」
迷宮のラスボスであった猫は空間転移で腕から抜け出し、えぇ……と困惑する。
『いやいやいや、ここは私が暇つぶしで作った世界最恐ダンジョン。異世界から散歩にきた私は世界最強のダンジョンボスなんだけど……君は、どうみても冒険者には見えないよねえ。あっれぇ、変だなあ。どうなってるんだろ』
「あらあら、ボスだなんて。ボスネコちゃんかしら。ふふ、最近の猫ちゃんは言葉をお喋りになられるのですね。わたくし、公務に忙しくあまり領地から出ませんので――存じませんでしたわ」
天然ほわほわな空気を出す少女に。
ダンジョン主である黒猫は、まいったなあ……なんだこの娘。
といった表情で少女を眺め。
じぃぃぃぃぃ。
レベルを鑑定する。
『コーデリア=コープ=シャンデラー。職業、領主の娘、聖女、貴族令嬢。特技は治癒系を中心とした魔術全般。レベルは……50って、あれ? どういうことだい。ここの適正攻略レベルは18人編成パーティで一人300ぐらいなのに』
「どういうとは、どういう意味で御座いましょうか?」
猫が首を傾げたので。
少女も首を傾げてしまう。
猫はちょこんと二足立ちになり、ふと静かな声を漏らした。
『どうやら訳ありのようだね。ふーむ、魔物たちが襲っていなかったというのも気になる。こりゃあ、面白そう……じゃなかった、少し気になるね』
悪戯を思いついた顔で、にひぃっと微笑み。
しかし、猫は静かな口調で言った。
『さて、少し真面目な話をしようかレディ・コーデリア。悪いのだけれど君の事情をみせて貰っても構わないかな? 魔術で記録を辿ろうと思うんだが』
「あら、素敵な声に変わったのね。まるで神父様みたい」
『はぁ……悪いのだが、私のモフ毛をそれ以上モフるのはやめて答えておくれ。これでも異世界最強魔猫って、それなりに有名なのだが。それで、見ても構わないかい?』
猫のジト目と催促に促され、コーデリアは頷いていた。
了承を合図に、猫は追放された聖女の額に肉球をあてる。魔力が発生したせいか、栗色の髪がふわっと風に靡く。
猫が記録を辿る高位魔術を使ったのだろう。
『――……あちゃぁ……あいつら、ダンジョンモンスターなのにサボって……いや、かわいい子のソロ攻略だからって同情したな……取得経験値倍増の永続バフがかかる奇跡のパンまで出しちゃってるし。って、えぇ! 超レアドロップの幸運値がマックスになる大女神の聖水まであげちゃったの!?』
「パンとお水ですか? 貰いましたが、なにか?」
相当に貴重なアイテムだったらしいが。
もう突っ込むのも疲れたのだろう。
『で、君がなんでここにいるか――これが君の境遇か。どれどれ――ふむ……なんだいこれ、酷いなこの騎士は……うわぁ、姫様も姫様で君の追放を容認してるじゃないか。てか主犯か。王様も気付いてるのに気づかないフリしてるし……領民はいままでの感謝を忘れてイキってるし。ないわぁ、マジないわぁ。人間てほんとクソ。滅びればいいのに』
猫はまるで自分が嫌な事をされたように、毛を逆立てて。
『へえ? 冒険者ギルドの連中まで舐め腐っているのか。それに、神に仕える教会が聖女を見捨てるか――ふむ、これだけはどうしても駄目だね。神に仕える者の不正だけは、私は見逃せない。しかし……私は一応この世界からすると異世界の神になるわけだし……あんまり干渉したら怒られそうだからにゃぁ――』
しかし――と猫は呟き。
『この姫様、ミーシャとか言ったか。この娘……転生者かな。しかもこの世界が乙女ゲーム世界を参考に自然発生した世界だと理解している、質の悪いタイプの子のようだが――困るんだよねえ……、転生したならもうここは現実だって理解して貰わないと……ここにいる人間たちにあるのは本物の命。もう既にゲームの登場人物ではないのに』
まるでミーシャのように理解不能なことを漏らし、猫はふと考え込んでしまう。
背中の毛がちょこんと揺れているので、コーデリアは撫で撫で撫で。
肉球をぷにぷにしながら乙女は問う。
「あのう、どうなさったのですか?」
『にゃふ、にゃふふふふ! そうだ、君。良い事を思いついたよ』
猫の瞳は、悪戯ネコのそれである。