第039話、魔皇の正体【サヤカ視点】
極寒ではなくなった魔境の宮殿。
異国の聖女コーデリアが容疑者ミリアルドを連れて逃亡している裏。
事前にかけていた自動蘇生により復活したのは、赤き舞姫。
質のいい寝具の上で目覚めたサヤカは周囲を見渡し、状況を察したのだろう。
見守るように立っていた皇族姿の仮面男……魔皇アルシエルに向かい、きつい言葉を漏らしていた。
「――それで、これはいったいどういうつもりなのですか?」
時刻は太陽が沈み、月の魔力が満ち始める直前の黄昏時。
もっとも魔力が不安定な時間帯である。
水死していた影響だろうが、サヤカの体力はまだ回復しきってはいない。
魔皇アルシエルが目覚めたサヤカに目線を向ける。
『もうお目覚めとは――困りましたね、申し訳ないがあなたには暫く死んでいる事になっていて欲しいのですが』
仮面の下で魔力が揺れている。
大天使のような翼からすると種族はホークマンか、あるいはその上位種族。
だが重要なのはそんなことではない。
体のサイズが違い過ぎるが――間違いない。
サヤカは言った。
「わたしが聞きたいのは、どうしてあなたがそんな恰好をしているかということです」
『何が言いたいので?』
「多少姿を変えたところで、わたしが自分の天使に気付かないと本当にお思いなのですか? だとしたら、少しあなたに失望しました」
そう、目の前の魔皇はサヤカがゲームで知っている魔皇ではない。
問題は別人だったということでもない――。
入れ替わっている相手が問題だった。
サヤカの天使。
サヤカは彼をよく知っていた。
生まれたころから知っていた。
彼が何故か魔境の統治者、魔皇アルシエルの姿をしていたのだ。
魔皇アルシエルは困ったように肩を下げ。
『こちらにもこちらの事情がある。それをご理解いただきたいのですが』
「そうですか、では課金します。これはいったい、なんのつもりなのですか?」
『申し訳ありませんが禁則事項に該当します』
「そうですか――」
冷たく言い切ったサヤカがシーツから抜け出て――二本の短刀を召喚し装備。
瞬時に発動していたのは「加速の術式Ⅱ」。身体強化の魔術である。
魔皇の仮面に向かい放たれた回転蹴りは、そのまま魔皇の姿を真似るサヤカの天使を吹き飛ばす。
衝撃が、部屋を揺らす。
細脚だが、鍛え上げられた脚から放たれたキックの威力は絶大。
並ぶ者のいない高み――踊り子として限界に近い程に成長しているサヤカの戦闘能力は天使を壁にめり込ませていたのだ。
そのままサヤカの短刀が、天使の両翼を突き刺し壁に縫い付ける。
「これで話してくれる気になりましたか?」
『あなたは勘違いをしています、サヤカ嬢。こちらが攻撃を素直に受けたのは――無断であなたを水死させた件への侘びです』
「強がりですね」
グギギギギっとサヤカの短刀が大天使を彷彿とさせる天使の翼を、抉る。
「したくはありませんが、拷問して差し上げてもいいのですよ?」
『行動力のありすぎる――あなたなら、してしまうのでしょうね』
天使と踊り子の間には妙な絆があった。
だから、意思疎通ができている。
「当然でしょう。そもそも天使という存在自体が胡散臭いのですし、けれど今まで信用していたのは課金と言う代価を目当てにしていると判断していたから。けれど、今回の件だけは違いますよね? あなたの行動は逸脱している。いったい、何を企んでいるのです」
『禁則事項です』
「そうですか、なら課金ではなく純粋な質問をしてもいいですか?」
『ええ、構いませんよ』
サヤカが言う。
「本物の魔皇アルシエルはどうしたのです」
『珍しいですね、あなたが踊り以外の事を気にするなど』
「いいから――答えなさい」
『本当に珍しい。あなたが踊り以外の、しかも出会ったこともない他人を心配なさっているのですね。どこかで生きているとは思いますよ』
「どこかでって……」
訝しむサヤカの前、天使が言う。
『本当にそのままの意味です。あなたの言葉ではありませんが、そもそもです。魔皇アルシエルと呼ばれる存在に選ばれるのは血筋ではなく実力です。言い方を変えましょう、ゲームで存在した魔皇アルシエルは生きてはいますが、彼はもう十年以上も前にワタシに負け、世代を交代している。今代の魔皇アルシエルはワタシということになります』
ゲームの知識と、今の知識に差異が発生していた。
「十年以上も前から……? ずっと、魔境の統治者として裏で動いていたというのですか!?」
『そういうことになりますね』
「そんな、なぜ……理解ができません」
『魔境という地を支配する、それがワタシの計画にとって都合が良かったからですよ』
サヤカに天使への知識はあまりない。
けれどどういう存在なのかの予想はいくつか立てていた。一番有力だと思っていたのが、神と呼ばれる存在の遣い。そしてその神というのは、神は神だがどちらかというと邪悪な存在。
天使とは神の遣い。その目的は強大な存在を復活。あるいは召喚するために――欲望を集めていた。課金と呼ばれる代償を収集し、それを神の力とすることにある。
そう踏んでいたのだ。
だが神を復活させるまでにかかる時間は膨大。
おそらくはサヤカが存命の内にはそんな大きな事件は起こらない。だから関係ない。
自分は踊りのために今回の人生を使い切る。
前世ではできなかった自分の踊りを完成させる。
その筈だったが。
明らかに今のサヤカの天使の様子はおかしい。
そもそも、とサヤカは考える。
今までの考えはあくまでも予想、妄想に過ぎないと言われてしまえばその通りかもしれない。
思考を加速させるサヤカの前。
魔皇アルシエルは静かに吐息を漏らしていた。
『どうして街の踊り子ではダメだったのですか』
「なに、急に」
『どうしてよりにもよって過去視の魔術を使ってしまったのですか』
悲しそうに言って、魔皇はそのまま翼に魔力を流して短刀を破壊。
金属が壊れるけたたましい音が鳴り響くと同時だった。
魔皇アルシエルは、身の毛がよだつ程のすさまじい魔力をその身に纏い始めていた。
「なっ……!?」
『先に言っておきます。申し訳ありませんが、ワタシはあなたより強いですよ』
慌ててサヤカはバックステップで距離を取り、更に短刀を召喚し装備。
「悪いのですが、先ほどからあなたが言っている言葉が全く理解できません! どうしたというのです!」
『過去視の魔術は禁忌の魔術。この世界にあってはならない魔術だということです』
「たかが過去を見る魔術が禁忌? 意味が分かりません」
交差させた腕に握る踊り子の短刀。
その刃に反射し映るのは大天使の翼。
そして――魔皇礼装を身に纏う、様変わりした恐ろしき天使。
短刀を握るサヤカの腕に、緊張の汗が伝う。
『あなたがコーデリアさんの過去を探ろうとしたその時に、ワタシにも主から命が下ったのです。過去視を扱う術者を殺せ、と』
「なるほど、過去に知られてはいけないなにかが――」
魔皇アルシエルの身が、妖しく輝き始める。
発生した渦をサヤカの短刀が切り裂くが――渦はそのまま踊り子の肢体に巻き付き、行動を戒めていた。
魔力による圧迫がサヤカを襲う。
「っぐ……かはぁ……!」
『それ以上はいけませんよ、サヤカ嬢。あなたは死んだことになっている、我が神にとっても、世間にとっても。余計な詮索は身を滅ぼす、覚えておくといいでしょう』
サヤカは首を戒める魔力を掴むが、引き剥がせない。
『そうしてもう一つ御忠告です。我々天使は基本的に主である神の命令には逆らえません。なので、一度はあなたを殺す必要があった。けれど二度、殺す必要はありませんし、する気もありません。どうか、目立たないでいただけますか?』
「勝手な、ことを……っ、言わないで!」
渦を再度切り裂き、戒めから解放されたサヤカは肩で息をし魔皇アルシエルを睨む。
「意味が分からない! 命令されたのなら、なぜそのまま殺さないのです!」
『これでもワタシはあなたの味方のままでいるつもりだ――とだけは』
「味方? 笑わせないでください、課金を求めているだけでしょう?」
『思い出していただきたいのですが、ワタシが一度でもあなたに課金をして欲しいと言ったことがありますか? むしろ慎重にしろと口を酸っぱく諭したと記憶しておりますが』
言われてサヤカは口を噤む。
たしかに、その通りだったのだ。
「一つ、聞かせて」
『なんでしょうか』
「魔皇アルシエルになる筈だった人は、いえ獣人かしら、どちらでもいいしどうでもいいですけど、本当にその人は無事なのですね」
『ええ、神に誓って――』
「そう……ならいいわ」
天使が言う。
『聞かせていただいても?』
「なんですか」
『ゲームの筈の世界で、なぜどうでもいいと感じている存在の生死を気にしているのでしょうか?』
「それは……」
サヤカは現実から目をそらすように、今も目線を床に流していた。
『賢いあなたのことだ。そして一度死んだことにより、「洗礼の矢」による意識変化も解けているのでしょうね。もうここがゲームではなく現実の世界だとお気づきになられた、そうお見受けしますが』
その通りだった。
だがそれは――つまり。
サヤカは脳裏に自分がしてしまった罪、婚約すらも利用したキースの事を思い浮かべていたが。
今はそれよりもと、自分よりも明らかに強い天使の仮面を睨みつけ。
「洗礼の矢……おそらくですが、意識の方向性をコントロールする類のスキルや魔術ですか。ああ、そういうこと。それで、いつからわたしはこの世界がゲームだとあなたに思い込まされていたのですか?」
『あなたがこの世界に生まれたすぐ後にですよ、ワタシはあなたとほぼ同時期に、この世界に来たのですから』
なんらかの制約により転生とは言えないのだろう。
だが、既にサヤカは前のやり取りで天使も転生者だと知っていた。
サヤカは考える。
過去視をタブー視し、課金という代価を得られるはずの転生者を殺してでも止めさせた事。
この世界をゲームだと転生者に思わせる必要があるという事。
そして、天使は神と呼ばれる存在に仕えているが、絶対服従ではないという事。
考える中、魔皇に扮する天使が言う。
『どうか、余計な詮索をこれ以上は続けないでください。ワタシにあなたを消させないでください。お願いします、ワタシも天使である以上、神には逆らえないのですから』
「今は、従います。けれどあなたを信用していいかどうか揺らいでいるとは理解していただきたいですね」
『助かります』
言って、天使は広げていた翼を解除。
床に崩れる踊り子の肩を抱き、「治療の魔術V」を発動させていた。
回復を受ける中、サヤカは周囲の気配を探る。
おそらくここは宮殿の一室。
やはり本当に今の魔皇はこの天使なのだろう。
彼女は思い出す。たしかに、この天使は単独行動をよくしていた。自分から離れることができるように、かつてそういう願いを課金させたことがあったのだ。
本来なら常に共にあり続けるはずの天使と転生者。
プライベートもないその関係性が踊りの支障になるのでは? と、サヤカの天使が課金をさせたのだ。
サヤカは思う。
なんだ、課金をさせようとしているじゃない、と。
口を酸っぱくして慎重に課金するようにと促した割に、自分でも一度は課金を促していた。自分の事だけ棚に上げるなんて、まるで人間みたいだと感じ。
そういえば転生者なのだからそれもそうかと、妙に自分で納得をする。
そんな心境はあまり出さずに、サヤカは言う。
「詮索はしませんが、なぜ魔境を支配する必要があったのか聞いても? その……、それが詮索という事になるのならこれ以上は聞きませんが」
『あなたに最高の舞台を用意するためです』
予想外の答えだった。
「はい?」
『あなたは踊りを極めたい。他の何を犠牲にしてでも踊りに全てを捧げたい。それが生前の願いであり、つい最近までのあなたの心からの願いだった。どうですか』
正解である。
「まるで全てわたしのために動いていた、そんな口ぶりですね」
『口ぶりではなく、その通りです』
「申し訳ないのですが少し不快です。わたしのせいにしないでください」
『いいえ、本当に全てあなたのためにですよサヤカ嬢。ワタシはこの世界に、この天使の姿で生まれ直した時に誓ったのです。あなたが望むすべてをあなたの脚の前に差し出してみせると――それがワタシの決意。存在理由なのですから』
ぞくりとするほどの感情を感じさせる声だった。
天使が始めてみせる、剥き出しの感情だった。
何事にもほぼ動じぬ赤き舞姫、踊りだけが全てと自負するサヤカが思わず怯む中。
天使は言った。
『どうか信じて下さい――ワタシはあなたの味方です。どうあなたが変わっても、どうあなたが道を踏み外しても、最終的にどう堕ちようとも、あるいは落ちずに踏みとどまったとしても――最後まであなたの味方であり続け、可能な限りあなたの望みを叶え続けると誓いましょう』
すさまじい執念。
演者としてのサヤカの心を揺らす程の声だった。
「そう……ですか」
『はい』
「どうでもいいですけどね――それよりもこれからは貴方をなんと呼べばいいのでしょうか。天使様ですか、それとも魔皇陛下ですか」
『プライベートの時ならばどちらでもあなたの望むままに。ただこの宮殿の中、或いは魔境の中ならば魔皇アルシエルとして対応していただけるとスムーズに事が運ぶかと』
「分かりました――それで、わたしはいつまでここに居ればいいのですか」
魔皇アルシエルは言う。
『コーデリア=コープ=シャンデラー。我が神が消すと決めた彼女をどうにかするまではおとなしくしていただきたい。特異点とも呼ぶべきあの聖女を消し去ることができれば、その戦果と引き換えに、死んでいる筈のあなたの存在を認めていただくことも叶いましょう』
なぜか禁忌として扱われている過去視の魔術。
そして、聖コーデリア卿の存在。
そこになにか繋がりがあるのか、あるいはそれは連動しておらず別々の問題として認識しているのか。現状では判断できない。
無理だと知っていても、寝具に座りなおしたサヤカが眉を下げた。
「一応聞きますね。なぜコーデリア卿を狙っているのです? 彼女、性格や行動に致命的な問題はありますが善良な人ですよ」
『それは――』
「禁則事項、なのですよね。あなたはそればっかりですね」
つまらない男を見る顔でサヤカはそのまま告げた。
「あなたにとってのわたしってなんなのですか」
帰ってくる答えは決まっている。
どうせ禁則事項だと。
しかし。
全てを覆い包むような黄昏を背に。
大天使の翼を神々しく広げ――まるで懺悔する聖職者のような声音で。
魔皇アルシエルは言った。
『全てですよ――沙耶香さん。ワタシはあなたに全てを捧げる。あなたが望まなくとも、ワタシはあなたにワタシの全てを捧げると誓いました』
予想もしていない答えに、サヤカは困惑する。
なぜかサヤカと言う言葉のイントネーションに違和感を覚えるが――。
サヤカにはその理由を理解することはできなかった。




