第036話、沙耶香(サヤカ)の憂鬱【サヤカ視点】
ここは魔境で北部で迎賓館。
外は夜、座標がジャミングされ転移妨害が発生するほどの猛吹雪。
不幸とは真逆なふかふかベッドの上には、赤い髪の踊り子。
計画を完全に潰された赤き舞姫サヤカは、はぁ……と青息吐息。
頭に装飾を巻き付けたままの手を置き、シーツに身を沈め休んでいたのだ。
(結局、あの天然聖女様に捕まっちゃって逃げ損ねましたね……まったく、あの手の人の話を聞かない人って本当に苦手です)
聖女様は現在、魔皇アルシエル陛下の晩餐会に招待され外出中。
サヤカも誘われたが、辞退した。
ミリアルド殿下は招待されてはいない。
逃げるチャンスではあったのだが――。
逃げようと思っても、部屋の外にはちゃんとコボルトの護衛がトランプを並べて遊びながらモフモフしている。
もっとも、今回に限っては聖女コーデリアの行動も間違ってはいない。
魔境で単独行動をしようとしていたサヤカがおかしいのであって、あの若き女領主の対応は世間一般からみても正しいだろう。
ただ、普通は戦闘員が護衛を担当するだろうが、なぜか一般人であるサヤカの護衛を領主であるコーデリアがするという異常事態。いつでも彼女が先回りをしていて、ふふふふふっと微笑。
お出かけならともに参りましょうと、善意の監視状態。
まったく意味が分からないと、サヤカは本気で困り果てていたのである。
そもそもの話――と、サヤカは迎賓館内に与えられた客室の中で考える。
魔境と呼ばれるこの北の大地はどういう場所なのか?
考える。
北部の内情を知っている者も知らない者も、最初に答えるのは”魔物の生まれ故郷”あるいは――。
”多くの魔物が発生する闇の大地”という回答だろう。
魔境と言えば魔物の発生地。
しかし危険なのは魔物だけではない。
そこで暮らすものもただの人間ではないのだ。
魔境で暮らす者の多くは純粋な人間ではない。
顔が完全にケモノの獣人や、人間の顔に獣耳が生えたタイプの獣人、そして耳の長いエルフなどの亜人。人類に分類されるが人ならざる者とされる、いわゆるデミヒューマンがその多くを占めている。
残りは純粋な人間ではあるが、訳があって流れてきた人間。別の地域で問題を起こし追放されたか、追放同然の扱いで逃げるようにやってきた人間の罪人。
デミヒューマンと訳あり人間が建国した地、それが北部。
北部で特徴的な事は、その戦闘能力の高さにあるだろう。彼らの多くは戦闘に長けていた、一般人でありながらも非常時には戦える。戦闘員の比率が極めて高いとされているのである。
比率が高い理由は単純だ。
強くなければ死んでしまうからである。
弱者が死ぬから強者の比率は上がる。
簡単な答え。
それほどにこの北の大地は魔物であふれた場所であり、時期によっては街中であっても魔物がポップまでする文字通りの魔境。
死と隣り合わせの地域。
突如、ダンジョンが発生することも不思議ではなく。集団でかからなければ倒せないエリアボスが定期的に湧く――など。
住まう上で、きわめて不安定な地域となっている。
それが一般的に考える魔境の状態。
けれどだ。
赤き踊り子サヤカはゲームの時の知識を思い出しながら、つまらない答えを返していた。
(でも結局それって、ゲーム側の都合なのですよね)
運営がイベントを発生させるのに都合がいい場所として用意したのが、北部のノーステッド。
通称、限定イベントエリア。
逆に普段のイベントやクエスト、ミッションなどをこなす場所が北部以外の地域。
ゲーム時代には通常エリアと呼ばれていた。
クラフテッド王国やオライオン王国、そして山脈帝国エイシスが該当するだろう。
通常エリアではいつでも参加可能なイベントの発生場所が多く存在し、比較的安全。攻略キャラが常に待機している。通常エリアで大きなイベントを起こすと、通常クエストやキャラ攻略の位置調整や配慮が面倒なことになる。だから全て北部のノーステッドで季節イベントや限定イベントが発生する。
ただそれだけの話。だが、それはあくまでもゲームの時の話か。
今回聖女であり領主である聖コーデリア卿が倒したとされるキマイラタイラントも、その限定イベントの一つ。
ゲームの時代でのノーステッドは危険地域として設定されている影響か、限定イベントが発生していない通常時には侵入不可。重要な設定はあまりなく、プレイヤーにとってはイベントの時にだけ使う辺境の地という印象しかない。
そもそも魔境などという呼び方はされていなかった。
(ゲームの時はノーステッド。けれど、実際にこの世界にはいってみると魔境。誰もノーステッドとは呼んでいない。まるで生きている人たちがこの地を畏れ、勝手に魔境と名付けたみたいに思えますが)
サヤカは違和感を覚える。
たまに浮かぶことがあるのだ。
もしかしたらこの世界はゲームではなく。
「現実……なのだとしたら」
それって、とても素敵なことですね。
と、赤き舞姫の化粧いらずな美貌の唇から言葉が漏れていた。
もしここが現実なのだとしたら、現実の世界でまた踊れているのだから。だからこそ彼女は思う。
こんな素敵な状況が現実なわけがない。
この世界はゲームなのでしょう、と。
机の上で本を読んでいた執事天使が仮面を動かし――。
『サヤカ嬢?』
「いえ、少し考え事をしていただけです。思わず漏れてしまいました」
『そうですか――今日は多くの事がありましたからね』
「ええ、本当に――」
サヤカはまだ若い肉体を自らの指先でなぞり――。
ジト目になり。
「で、結局ほんとうにあのコーデリアさんと言う人、なんなんです?」
天使は目線を逸らす。
『……聞かれても困ります』
「課金しても分かりそうにはないのですか?」
『あの方は異質が過ぎます。あなたやミーシャ姫が転生者であり、天使という異物を力とし通常ではありえない恩寵を受けているように――あの方には何か別件の、天使や転生とは関係のない恩寵を得ているという可能性が高いとは思いますが』
サヤカは赤い瞳だけを動かし、執事天使の表情を窺う。
「そんなことがありえるのですか?」
『考えてみてください、既に転生者という例外――異物が発生しているのです。他の異物がありえないということは逆に可能性としては低いでしょう。どうですか?』
「たしかに……そうですね。わたしたちの存在そのものが様々な異物が存在する証明」
そこまで言って、サヤカは、ん? と赤い眉を曲げ起き上がる。
「ちょっと待ってください、わたしたち?」
『失言でした。忘れて下さい』
「もう、聞いちゃった以上忘れられるわけないでしょう……つまり、あなたたち天使も転生者ってことね」
『その問いに答えられる権限は与えられておりません』
サヤカは口元に曲げた指をあて。
「課金します、天使についての情報を教えてください。そもそも天使とはなんなのか、わたしはそれを知りません」
『課金対象外。自らの詳細について語ることは禁則事項ですので不可能です』
「そう、じゃあ課金内容を変更します。ミーシャ姫の天使についての情報をあなたが知っている限りを教えてください」
『消費される寿命は五年分です、どうされますか?』
かなりの高額だ。
それはそれほどに価値がある情報だという事だろうか。
「構いません、この世界の健康的な生活を送る魔力の高い女性が生きられる平均年齢は八十歳。その時にはもう踊れなくなっているでしょうから、わたしには必要のない余生です」
『毎度ありがとうございます』
執事天使が仮面の奥を輝かせ、課金契約を発動させる。
『ミーシャの天使、彼は既に消失している可能性が極めて高い』
「消失!? あなたたち……いえ、ミーシャの天使も死ぬことができるのですか?」
サヤカの思考速度や能力は、この世界で上位に位置する。
あくまでも天使全体についての質問ではなく、ミーシャの天使についての質問という形で禁則事項を突破し問いかける。
『彼も所詮はこの世界に発生した命の一つですから』
「しかし、ミーシャ姫はまだ生きているのでしょう? 命が繋がっている以上は天使が消失したと同時に姫も死んでいる筈では……」
『こちらでも状況が分からないのです。ただ考えられるのはミーシャ姫が既にアンデッド化している可能性、でしょうか』
「死んではいるが誰かが姫の死体を操っている……ですか。あまり気持ちのいい話ではありませんね」
サヤカは考える。
「死霊魔術、ネクロマンシーはコーデリア卿も使っていたのでこの世界に存在する技術の一つですしね。ならば……コーデリア卿は既に復讐を果たしミーシャ姫を操っている可能性もある、ということですか」
『可能性としてはゼロではないでしょうとしか』
「あとの可能性としては……」
ミーシャ姫には同行者がいる。
かつてサヤカの婚約者だった門番兵士キース。
彼がネクロマンシーを習得して姫を操っている……。
『サヤカ嬢、キース青年についてはどうなさるおつもりなのですか?』
「どうとは」
『婚約者だったのでしょう?』
「そうですね。けれどただ利用していただけです。一番不幸になるための、ただのルートのひとつ。別に誰だって良かったのですから、今更どうと言われても」
そう、別に特別な思い入れなどない。
その筈なのに、何故か執事天使は淡々と仮面を揺らす。
『それでもあなたは彼を選びました。他にも多くの候補者がいたのに』
「何が言いたいのですか」
『あの日、はじめてあなたと出会った時の彼は――あなたの踊りを見て、褒めてはくれなかった。目を奪われなかった――皆のように綺麗な踊りだと、可憐な舞だと評価してくれなかった。彼は心の中で、あなたの踊りをどこかが物足りないと思っていた。あなたはそれを知ってしまったから、彼を利用したのでしょう? 課金を利用して』
部分的にはその通りだ。
課金をして心を覗いたのは本当。
なぜ他の人のように踊りに夢中になってくれないのか、それが気になっていたから心を覗いた。そうしたら、転生前のいつかのあの日、皆が言っていたような評価を心で抱いていた。
それは――一番聞きたくない言葉。
彼女の踊りにはなにかが足りない。
だから、サヤカは動いていた。
既に転生者だと知っていたミーシャ姫にあの青年が利用されるように、サヤカは自分の天使を動かした。
気に入らなかったのだ。
結果的に、自分は世界で一番不幸な踊り子としての評判を得て、キースは転生者の事件に巻き込まれこの街を去った。
勝手に心を覗いた自分が悪いとサヤカは知っている。けれど、普段は温厚で人当たりもよく口調も丁寧で優しいと生前も今も言われているサヤカ、そんな彼女の、唯一にして大きな地雷を踏んだ彼も悪い。
『彼を嵌めて本当に、良かったのですか?』
「わたしはわたしの踊りを見下す人だけは許しません」
『見下していたわけではなかったと、そう思えましたが――それに、あなたはずっと彼の事が頭から離れなかったのでしょう』
「勘違いしないでください――わたしが忘れられなかったのは彼ではなく、彼の酷い心の言葉がです」
執事天使が言う。
『どうでもいい相手からの言葉など心には刺さらない筈です、既に過去を見限っていたコーデリア卿のように』
「どうでもいいじゃないですか、どうせゲームなんですから、この世界」
『……。ゲームじゃないのですよ、この世界は』
「またそれですか? こんな世界、ゲームに決まっていますよ。だって三千世界と恋のアプリコットとほとんど同じ。わたしはそのモブとして転生した、現実ではありえないでしょう? ゲームじゃないとしたらなんなのです?」
執事天使は言葉を選ぶような間を作り――。
本を閉じて、静かに語る。
『今は、止めておきます。けれどあくまでも個人としての想いですが、どうかあなたには前を向いて歩いて欲しいと感じております』
「なんで、あなたが?」
『禁則事項です』
「そうですか――まあいいですけど、それでさっきの課金の話に戻します。せっかく課金をしたのですから、まだ聞きたいことがありますし。そうですね……ミーシャの天使の正体、あるいは……転生前はどんな存在だったのかは知っていますか?」
禁則事項を避けるようにサヤカは言葉を選択し。
天使はそれに答えていた。
『確証はありませんが――彼はとある罪が原因で、天使として転生したと考えられます』
「生前の罪が天使を作るという事ですか……? 詳しく聞きたいですが、おそらくは禁則事項なのでしょうね。語れる範囲でいいので、ミーシャの天使が行った生前の罪を教えてください」
天使は肯定するように話を続ける。
『ミーシャの天使の罪状は正式にはありません。けれど彼は間接的に人を殺めてしまった。とある少女に対する誹謗中傷を繰り返し書き込みし、死んでしまえと罵り続けたのです。そうして、その少女はある日、大切だった壊れた世界が詰まったスマホだけを抱いて、自ら死を選んだ。死んでしまえと書かれた言葉が彼女の背を押したわけですね。だからミーシャの天使はこの世界に来たと、課金によって得た情報には記されています』
「言葉で人を殺した罪により天使に……ですか。それで? その少女と言うのは?」
『そこまでは――語れません』
「そうですか――ではあなたも誰かを殺して、その罪で天使となったのですね」
禁則事項で語れない。
それこそが肯定だろう。
「いったい、誰を殺してしまったのです?」
『禁則事項です。ただ……語れる限界までお伝えできるとしたら……。私は、不注意から……とある方の、一番大事なモノを壊してしまい。そして、その人の人生を破壊してしまったとだけは……』
「そうですか。でもすみません天使さん、聞いておいてなんですが――あなたの事情にはあまり興味がないかもしれません。心が動きませんでした。わたしが興味があるのは踊りだけ、踊りが最も大事でそれ以外はどうでもいいようです」
執事天使の仮面の下が、魔力で揺れている。
『そうですね、すみません』
「とりあえず、キースさんとはもう一度お会いしたいとは思っています。もし復縁となったら、それはそれでロマンティック。きっとわたしの踊りの華となりますから」
サヤカは腕を伸ばし、装飾をシャラリと鳴らす。
ファンタジー世界の、美女の身体。
美女とはいうものの年齢自体はまだ若い、これからもっと色気が増していくはずの肉体。
『一応お聞きしておきますが、ミリアルド殿下についての方針は』
「殿下の?」
本当に心底どうでもいいという顔で、サヤカは言う。
「昔のあの人はたしかにミーシャ姫に騙されていたのかもしれませんが。今はもう完全に自業自得でしょう? それこそ一番どうでもいいです。クラフテッド王国の民も、王様も正気に戻っていたのに――だからゲームの時代でも初期の設定も微妙な配布キャラ、正統派イケメン、かっこ笑い、なんて言われていたんでしょうね、彼」
『しかし、彼は――』
途中で天使の言葉が止まる。
その周囲に、隠匿状態を発生させる魔法陣を描き。
執事天使はステッキで魔術を発動させ告げた。
『失礼、誰かが来ますので姿を消します』
「了解、わたしは寝たふりをしますので――」
慌てて衣服を脱ぎ捨て、シーツの中へ――。
服を脱いだのも策略。面倒な話ならば、素肌なのでと追い返すための方便確保である。
ノックの音が響く。
「すまないサヤカ嬢、君の国の皇太子、ミリアルド=フォーマル=クラフテッドだ。少し話をしたいのだが――」
よりにもよって、どうでもいい王子である。どうせ話を聞いて欲しいか、事情を知っている存在からアドバイスでも欲しいのだろうが。
サヤカはそのままシーツで寝がえり。
ノックの音に気付かないふりを継続する――。
が――。
コボルト達が反応がないのは心配だと余計なおせっかいを起こし、扉の鍵を開け始める。
さすがにこれで気付かないのは不自然。
主人にそっくりで空気の読めないコボルトに、頬をヒクつかせながらもサヤカはシーツを身体に巻いて立ちあがる。
「す、すみません殿下。眠ってしまっていたもので……」
「こ、こちらこそ、すまない」
「はい……その、お見苦しい姿なので……その……」
意訳すると、とっとと消えろ、出ていけになるのだが。
相手は王族。
基本的に傲慢で、自分の考えを曲げない問題児。
「それでは着替えが終わるまでは外で待つ」
「あの、夜も遅くなっていますし……それに、男の方を夜に招いてしまうというのは……悪いうわさが流れるといいましょうか。あ、あの、殿下にご迷惑をおかけしてしまうかと」
「大丈夫だ、私は気にしない」
こっちが気にするんじゃボケ皇太子と叫びたい心を抑え、サヤカはすぐに着替え終わりますと告げ。
はぁ……と本日、何度目になるか分からないため息。
結局サヤカはどうでもいい相手の、どうでもいい相談を受けることになってしまった。
彼女が望む形とは違う不幸はまだ続く。




