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第032話、王者たちの会談(たたかい)


 この会談が開かれたのは、王子襲来から三日後のことだった――。


 険しい山を越えて山脈帝国エイシスを訪れたのは、かつて聖女が暮らしていた地の統治者。

 クラフテッド王国の国王、ミファザ=フォーマル=クラフテッド。

 貫禄ある口髭を携えた、若い頃に血気盛んだった益荒男をそのまま成長させたような、威厳ある初老の男である。


 場所はエイシスの王宮。

 国交が結ばれていないのに他国の王が王宮に足を踏み入れたのは、やはり王族が暴れ、囚われていたというあまり類を見ない事情が大きいだろう。

 対面するのは賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世。

 当然、両者ともに護衛を従えていた。


 皇帝イーグレットの護衛はもちろん、山脈帝国最強戦力とされる聖女。

 聖コーデリア卿。

 美しき聖女は皇帝の後ろに控え、そっと魔導書を抱えている。

 その書の表紙に描かれるのはダンジョンを掘る魔猫の姿――魔導書「迷宮女王」である。


 並々ならぬ魔力を浮かべるのは魔導書か、或いは聖女本人。

 それとも両者か。

 ともあれグレーが混じり始めた黒髪の下、クラフテッド王が言う。


「そなたがあのコーデリア=コープ=シャンデラーか――、ミーシャと共に遊んでいる姿は覚えておったが……」

「お久しぶりです、陛下」


 会話にはならず、聖女は微笑みだけを絶やさぬままで言葉を切っていた。

 交渉の駆け引きというわけではない。

 コーデリアにとってクラフテッド王国は既に過去の国。新しい主人である皇帝の護衛としての役目を果たしているだけであって、公人としての役割はこの場にないと判断しているのだろう。

 賢王イーグレットもコーデリアの感情を慮ってか、あくまでも護衛のままで自己紹介などはさせず――。


 皇帝の慇懃な美声が応接室に響く。


「クラフテッドの王よ、まずは我が国のソファーを体験されてはいかがか――罠などはありませぬのでご安心を。立ったまま話すという風習やマナーがあるのならば話は変わりましょうが、そうではないのでありましょう?」

「あ、ああ。そうであったな――」


 クラフテッド王は賓客用の豪奢な椅子に腰かけ。

 ふぅ……と鋭い猛虎のような瞳を尖らせる。


「此度は我が国の血族が失礼をした」

「皇太子殿はまだお若い、血気盛んな行動をなさったとしても不思議ではないのでありましょうな」

「……。十三世殿、貴殿はまだ二十歳前後であると聞いておるが?」

「たしかに、あの殿下とはほぼ同じ歳やもしれませぬが――文化が違うのでしょうな。私自身は武に疎い若輩者。いやはや、ご子息の勇敢さには頭が上がらぬ思いです」


 皮肉を受け止めてもクラフテッド王は眉を僅かに崩し。


「器が違う、か――息子アレも貴殿のように聡明であったのなら。いや、アレは余に似たからああなったのであろうな」

「感慨に耽っておられるところ恐縮なのではありますが、これでも私は忙しき身。罪には問わぬと皆の意見は一致しております、早々に御子息を連れ帰り退去していただければと」

「交渉をする気はないと? 貴殿はクラフテッド王国の第一王位継承者を正当な理由で捕虜としておる。いかようにも取引が可能であろう?」


 クラフテッド王の瞳は物語っていた。

 今回の不手際を利用し、山脈帝国エイシスと繋がりを持とうとしていると。

 だが。

 イーグレットはシャランと黄金装飾を鳴らし、挑発的な美貌を浮かべ。


「失礼を承知で、よろしいか?」

「構わぬ」

「貴殿のクラフテッド王国は既に終わっておられる。終焉を迎えようとしている国と国交を成立させるなど、わが文官たちが良しとしないでしょう。我が国は帝国を名乗ってはおりますが、形ばかり。言うならば形骸化した制度。政の多くは民から選ばれた武官や文官が取り仕切ってくれているのです――私はただ許可を与えるのみ。逆説的に言えば、たとえ皇帝たるこのイーグレットの命令であっても、あまりにも国益を損なう意見は却下されてしまうのでありますよ」


 両者の瞳がぶつかる。


「ほう、価値がないと――かつて我が国を狙った先代帝の子の言葉とは思えぬな」

「先代帝の愚行は詫びましょう、確かに山を隔てたそちらの国と我が国の関係が悪化したのは、父の時代のせい。けれどです――今の貴国とて同じ、我が父とさほど変わらぬ愚行ばかりを起こしているとの考えが離れぬのです。若輩の身の、浅慮でございましょうが」

「我が国と国交を開く気はない、と」

「経験不足で、所詮は文官たちの操り人形に過ぎぬ私には――家臣たちを説得できるほどの知恵がないのです。今の貴国と国交を結ぶ理由とメリットがどこにあるのか、はて、皆目見当もつきませぬ」


 交渉する価値無し。

 そう遠回しに言われ、護衛の騎士が憤怒した様子を見せるが。

 猛虎を思わせる益荒男の覇気で、クラフテッド王は部下の勇み足を鎮めていた。


「部下が失礼した」

「いえ、構いませぬよ――こちらも護衛の彼女が殺意を感じ取り、魔術を発動させる所でしたので」


 実際、栗色の髪の乙女は髪を魔力で浮かべていた。

 表情は微笑み。

 そして沈黙を保ったまま、魔導書をそっと抱いている。


 けれど――武を嗜んでいる者ならばその力の一端を感じていただろう。


 恩人こうていに害をなすのなら、殺さぬが容赦はしない。

 そんな凄味が滲んでいたのだ。


 この中で最も聖女の脅威を感じ取っていたのは、おそらくクラフテッド王。

 貫禄ある顔には濃い汗が浮かんでいる。

 そのまま視線が聖女に向き。


「申し訳ないが、鷹目の王よ。コーデリア=コープ=シャンデラー、彼女と話をさせていただきたいのだが」

「だそうだが?」

「それが我が君、イーグレット陛下のご命令ならば従いましょう」


 冷たい美貌がクラフテッド王とその護衛を眺めている。


「ミーシャが失踪した件は知っておるな」

「噂を耳には致しましたわ」

「気を悪くしないで欲しいのだが、コーデリア卿。貴公がその身に受けた恨みを晴らすべく復讐に消した――という事は」


 同席するエイシス側の騎士団長がクラフテッド王を睨む。

 しかし聖コーデリア卿は静かに首を横に振り。


「お疑いになるのも無理はありませんわね」

「すまぬが、我が国でもそなたに帰ってきて欲しいと願う者と、その復讐を畏れ、恐怖している者の意見が対立しておってな。正直、もはや収拾がつかぬ状態にある。どうだろうか、一時でいいのだ、戻ってきてはくれまいか?」

「戻る……とは?」

「我が娘、ミーシャが起こした罪の数々を国民の前で正式に発表し、貴公の名誉を回復させる。そして取り潰しとなった家名も――」


 王として――都合のいい話を語る口を眺めても、聖女は静かに微笑んだまま。


「わたくしは国を愛しておりました、信じておりました。けれど、裏切ったのはわたくしではありません。国がわたくしを裏切ったのです、今更、何の話がございましょう」

「王として、謝罪させていただく」

「偉大な陛下に頭を下げていただく必要はございません。わが師の故郷では、覆水盆に返らずとの言葉があるそうです――わたくしの母が大好きだった花壇も、子供のころに植えた庭の樹も、あの屋敷の思い出も……そしてクラフテッド王国への想いも全て、あの日、あの時に盆から零れてしまったのでしょう」


 先祖の墓すら壊された、その事実はなくならない。

 聖女は清らかな顔で言った。


「わたくしはこれ以上、かつて愛したクラフテッド王国を嫌いにはなりたくありませんわ。だから、帰るつもりはございません。いえ、そもそもわたくしの帰る場所はもう、あの国にはないのです。帰りたいとも思えませんと言うのが本音ではありますね」

「困ったな、それでは示しがつかぬ……」


 腕を組んだクラフテッド王は口髭を揺らし。


「真なる聖女を追放したとして王族への不平不満が止まらぬのだ。無論、正当な不満であるとは承知しておるがな。だが、このままでは国が成り立たぬ。ただでさえ装備を剥がし破壊するという謎の毛虫事件で多くの”伝説の装備”(アーティファクト)を失ったのだ、不安は募るばかり。装備消失は相当な痛手、純粋に武力が低下しているのでな――不安を解消するためにもせめてなにか、聖女へ償いをしたという公的な記録が欲しいと願っておるのだが」


 謎の毛虫事件と聞き。

 賢王も騎士団長も顔を見合わせ、すぐに誰がなにをやらかしたのか悟ったのだろう。

 聖女をそっと振り返るが――。


「まあそのような毛虫が……」


 自分がやったことだとはまったく気づいていない様子。

 天然相手には毛虫事件をチラつかせての交渉も無効。

 諦めた様子でクラフテッド王が言う。


「そうか――もはや、無理か。いや、仕方あるまいな」

「申し訳ありません、陛下。それでもかつての領地、かつてのあの日を愛していた事だけは事実だったと、わたくしは今でも思っております」


 聖女がそっと過去を懐かしむ顔をする。

 とても美麗で、男女問わず多くの者の心を奪う程の儚さだった。


 初老の枯れた魅力と貫禄を両立させる王は、会談を打ち切る声で告げる。


「十二世のこせがれよ、アレを連れて帰って構わぬのだな?」

「無論であります。そしてどうか我が国の聖女は無実であると説得していただけるとありがたい。関所で暴れられるのが二度目となると、さすがに庇いきれませぬからな」


 次はない。

 そういう意思表示でもあるのだろう。


 貫禄あるクラフテッド王を前にしても全く引かない、若き皇帝。

 不遜なる鷹男。

 賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世から聖女に目線を映し、クラフテッド王が言う。


「これは助言だ。聖コーデリア卿よ――あまりこの男を信用せぬ方が良い。おそらく、状況次第では聖女とて切り捨てる冷酷さを持っておるだろう。此れはそういう男だと王の勘が告げておる。あの時、我が国に戻っていればよかったと思う日がくるやもしれぬが」


 言葉を受け、それでもコーデリア卿はおっとりと瞳を閉じ。


「いいえ、その冷酷さを含め――わたくしはイーグレット陛下を信頼しております。打算も野心も含めて、そしてわたくしよりも民を選ぶだろう陛下を尊敬しております。それにです。穀物の生産量も豊富な暗黒迷宮ごとわたくしを切り捨てるというのでしたら、それは民のために仕方なき状況となった場合でありましょう? ですので、陛下が心の底から要らぬと仰らないのであれば――この国から出ていくことはないでしょう」

「野心さえもか――これほどまでに都合のいい聖女を手放すとは……我が国が衰えようとしておるのも当然、か」


 立ち上がろうとする王にコーデリアが言う。


「あの、ミーシャが今どうしているかなどは、そちらでは――」

「こちらが聞きたいぐらいだよ。此度はミーシャの情報もあればと期待しておったのだ……あれがしていた事は到底許されることではない。だが、それでも我が娘。どこかで死しているのなら、墓ぐらいは立ててやりたいとは思うておる」

「そう、ですか――」

「その顔は……貴公は何か知っておるのか?」


 コーデリアは考え、賢王イーグレットと目くばせをし。


「お気を悪くするお話かもしれないのですが」

「構わぬ」


 コーデリアはイーグレットの許可を得て、事情をクラフテッド王に説明した。


「なるほどな――我が娘が転生者の可能性、であるか」

「あくまでも我が師が語っていた可能性です。保証はできませんし、する気もありませんが」

「その師をそなたは――」

「誰よりも信用し、信頼しておりますわ」

「そうか、ならばおそらく事実なのであろうな」


 思い当たることは多くあったのだろう。

 この王も彼女にうまく利用されていたのだから。


「時にコーデリア卿よ、城の門番をしていたキースという男を知っておるか」

「キース、様でございますか? 申し訳ありません、陛下のお城にはあまり縁がございませんでしたので……お名前すら」

「そうか、我が娘は最後にキースと呼ばれる門番兵士を側仕えに昇格させ、あの男を連れ姿を消したと報告を受けておる。初めは駆け落ちなどと言われておったが――実際は、どうであったか」


 王は、疲れた顔と声で言った。


「キースには踊り子の婚約者がいた。娘はそれを承知で無理やりに仲を引き裂き、自らの側に置いたそうだ」

「いつものミーシャと変わりないように思えますが」


 コーデリアは素直に感想を述べていた。


「我が娘は、昔からそうであったか」

「あ、申し訳ありません。配慮に欠けておりました」

「いや、良い――ともあれだ、話の重点はそこではないのだ。実はな――妙な報告があったのだ。引き裂かれた踊り子の婚約者につい最近、キースの筆跡で、一生を遊んで暮らせるほどの莫大な金が送られてきたと耳にしておる。門番兵士だった男の給金では到底、手にすることのできぬ額がな」

「そこにミーシャが関係しているかもしれないと?」

「うむ、そしてその送り元が……」


 クラフテッド王は北の方角を眺め。


「魔境と呼ばれし北部。魔皇が治める我等の知識が及ばぬ地の、転移装置であった――とな」

「つまりそのキース様はミーシャによって売られ、人身売買の果てに魔皇が治める地にいると?」


 微妙にずれた解答に、皆が沈黙。

 肝が据わりきっているイーグレットだけが笑いを堪える中。

 娘のかつての友人を見て、王はジト目で言う。


「……。幼き頃から思っておったが、コーデリア卿よ……そなたの冗談はいささかセンスを疑ってしまうのだが」

「冗談でございますか?」

「本音であったか……」


 聖女はいつものキョトンである。


「そうか、娘は人身売買をするほどの悪女であると思われておるのだな。いや、実際、そなたの婚約者であったオライオン王国の皇太子を騙し、唆し、そなたを不帰の迷宮に落としたのだ。そう思われても仕方ないのであろうな」

「まあ、わたくし……また無自覚で失礼なことを。申し訳ありません、その、わたくし――ミーシャならば可能性はあるかと……その。ああ! わたくしったら、また余計なことを」


 更にぼろを出そうとする乙女を止め、王は言う。


「構わぬ、だが父としては……そこまで娘は堕ちていないと信じたくなってしまった。それだけの話だ」


 もし、ミーシャや従者キースについての情報が入ったら、連絡が欲しい。

 そう言って、クラフテッド王は息子を連れて帰国した。

 ――筈だった。


 国王の手を逃れ、暗黒迷宮に再び皇太子ミリアルドが押し掛けてきたのは翌日の事だった。


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