第003話、魔物たちの罠
聖女令嬢が進むのは、追放されたダンジョン内。
通称、不帰の迷宮。
栗色の髪の乙女コーデリアは魔力で生み出した細い光を翳し、暗い道を進んでいた。
罪状は国家反逆、および転覆罪。
なぜ領主の娘であり国のために尽力し続けたコーデリアが、そんな嫌疑を掛けられたか――答えは誰にも分からない。
考えられるのはミーシャ姫の嫉妬か。
コーデリアは極小さな領地を預かる没落領主の家系。
領主の一人娘である天然乙女は、優秀であるが敵を作りやすい性格ではあった。
けれど、本当に聖女として優秀な彼女が追放され、謀殺される理由としては軽すぎる。
ともあれ、世間一般で見ればこうなるだろう。
出世欲だけは立派な隣国の騎士王子オスカー=オライオンは、性格は悪いが権力のある黒姫と懇意になるため、聖女に近づき……聖女は騙されこうなった。
よくある話。
そう、本当に。
よくある可哀そうなお話だ。
これが物語なら栗色の髪の乙女、追放されしコーデリアは無残に魔物に殺されるか、好色なケダモノに捕まり……辱められる。
それがミーシャ姫の望みだったのだろう。
領主の娘コーデリアは他人の邪気に鈍感過ぎたのだ。
(そんなこと……信じられない。でも、現実なのですね、まさか――)
そう、まさか。
「”あの”ミーシャに友人がいただなんて……」
それは漏れた本音だった。
だがそれは奇妙な言葉でもあった。追放されたダンジョンを歩く、令嬢の言葉には思えなかったのだろう。
だから、周囲は少しザワついていた。
魔物たちが、単独でダンジョンを進む変な令嬢をじっと遠目で眺めている。
ここは最高難易度の迷宮と名高い、人類未踏の地。
魔物たちのレベルは相当に高く、いかに聖女といえども攻撃を喰らえばひとたまりもない。
誰が行く。
誰があの令嬢のはらわたを貪る。
魔物たちが蠢きだす。――が。
絶体絶命な状況でも、天然令嬢は気にせず魔物に手を振ってみせていた。
「ごめんなさい! 道を聞きたいの~! どこかに入り口とは別の、隠し出口はないかしら~?」
こんな極悪ダンジョンに単騎で乗り込んできて、親しげに話しかけてくる?
なんだこいつ。
こっわ……。
かかわらんほうがいいって、マジで……と。
魔物たちはそそくさと逃げていく。
逃げた魔物の背を見て、コーデリアは息を漏らす。
「わたくし、魔物さんにも嫌われてしまっているのですね……」
さすがの彼女も、自分が周囲から浮いていることには気が付いていた。
だからこそ、浮いているミーシャ姫とも友達になれた。
そう思っていたのだが――。
現実は違う。
彼女は見放された。
父親以外の全員から見捨てられたのだ。
領民も皆、囚われていくコーデリアを助けようとはしなかった。
平等であるはずの教会すらも、彼女を救わなかった。誰の目から見ても敬虔な聖職者だった娘を、神に仕える者達が見捨てたのである。
冒険者ギルドもそうだ。
心清らかなモノしか扱えない癒しの術を使えるコーデリア。聖女とまで言われた彼女を頼り、並の僧侶では治せない治癒や蘇生の儀式を無償で受けさせていたのに――直接彼女を捕らえたのは、かつて蘇生を依頼した冒険者パーティであった。
今思えば。
無償で治療をしていた、それが教会の反感を買っていたのかもしれない。蘇生の儀式を行える彼女は一流冒険者からも嫉妬されていたのかもしれない。
蘇生の儀式の成功率は半々。蘇生を失敗した経験はゼロではない、だから逆恨みをされていたのかもしれない。
父以外で唯一、味方をしてくれそうだったミーシャ姫の兄、聖騎士ミリアルド皇子は遠い旅の空。
だれも、コーデリアを救いはしなかったのだ。
ミーシャ姫の言葉に従い、石を投げるものまでいた。
貧乏な領地だった。
だから、心のどこかで領民たちも不満を溜めていたのだろう。
コーデリアも領主である父の仕事を手伝ってはいたが……その努力を知る者はあまりいない。
令嬢は天然な性格と同時に、賢き領主の娘でもある。
上に立つ者としての一面ものぞかせ――考える。
(たしかに……わたくしにも悪い部分はあったのでしょう。領主の血筋なのに、わたくしはしつこく遊びに来る騎士様への応対で、少し仕事の手が止まっていた……。騎士王子の――オ、オスライオンさん……でしたかしら? ともあれ騎士様の事は、別にそこまで好きではなかったですけど、それでも領主の娘として王命に従い婚約まで決めたのに……。領民からすると、仕事をさぼっているように見えたのでしょうね――)
あれからどれくらいの時間が経っただろう。
コーデリアはダンジョンの奥を目指し進む。
自棄になったのではない。楽観的な彼女は思ったのだ。
別の出口が分からないのなら、クリアすればいいじゃない――と。
迷宮にはある程度のルールがある。誰が設置したのかは知らないが、迷宮の最奥には必ず外に帰還する転移門があるのだ。
それはこの不帰の迷宮とて同じだろう。
しかし問題は。
「食料、ですわよねえ……さすがに捕らえられてから二日、何も食べていないのでお腹も空いてきましたし……。魔力で空腹を満たすにも限界がありますし。はぁ……こんなことならドレスを芋の蔓で作れば良かったですわね」
今度追放された時のために、ドレスは食べられるもので作りましょうと乙女が愚痴をこぼす中。
迷宮がなにやらざわつき始める。
コーデリアが前に進んでいると、宝箱が不自然に設置されていたのだ。
当然、罠を警戒する。
それが冒険者だ。
だが、冒険者ではなく疑う事を知らぬコーデリアはそのまま宝箱を開け。
「まあ! 素敵なパンですわね!」
聖女は宝箱からパンを拾うと迷うことなく、口にする。
いや、罠を警戒しろ。
毒が入っていたらどうするつもりだったんだ、と魔物たちがガヤガヤと騒ぐ。
そう、彼らはなんだかんだで変な令嬢のあとをついてきていたのだ。
変人だ。
愚かだ。
だが、おもしろい――と。
「どなたか存じませんが、ありがとう! これで、餓死の心配はなくなりましたけれど。あら、今度はお水の入った魔導容器が!」
穢れを知らぬ乙女は、疑うことなくそれを拾う。
領主の娘であり、教会に顔を出す聖女の彼女ですら目にしたこともない、神聖な女神の力が宿った飲料水である。
だが高価なアイテムに罠はつきもの。
本来なら罠が作動してもおかしくない。ここは人類未踏の最難関ダンジョン。実際、本当なら寿命を百歳削る、とんでもない嫌がらせの罠がしかけられていたのだ。
けれど、やはり今回もなぜか何も起きなかった。
むしろこっちだ、こっちに進むんだと闇の中で誰かが先導をしていた。
迷わず従うと、そこには魔法陣が設置されている。
迷宮内を転移させる罠だろう。
だが乙女はまた、疑うことなく従った。
「あら、なにか光が――……」
そして。
少女は辿り着いた。
女神を祭る大聖堂にも似た、広い空間にでたのだ。
襲ってくる魔物はいない。
一度も出逢わなかった。
なぜ?
その理由が彼女の境遇を哀れんだ魔物たちの同情であったことを、彼女は知らない。
魔物たちは思った。
なんだこの変な女はと。
姿を隠せて、足の速い魔物が迷宮を抜けだし人間の国を見に行った。
そこで国家反逆罪で捕まった令嬢の話が浮かんできて、それがすぐに冤罪で陥れられたのだと理解した。
それほどに。
人間たちは冤罪だと知っていながら、誰も令嬢を助けなかったのだ。
魔物たちは思った。
これ、こいつ喰ったらなんかオレたち悪者みたいじゃね?
と。
そう、彼女はあまりにテンプレな不幸を押し付けられたせいで、逆に幸運を引き寄せたのである。ここまで見事に下衆な騎士と姫に騙されたのだ、その思惑通りになるのもモンスター的にどうかと思った。
ここは最難関ダンジョン。
モンスター達は侵入者を殺すのにも飽きていた、だって殺すのは簡単だ、最強なのだから。けれど、救うのは? それはどうだろうか。魔物たちは考えた、たまには善行をしたくなったのだ。
だから。
偶然が重なり乙女は辿りついた。
彼女は今、どんな歴戦の冒険者でさえ到達できなかった最奥に、本当に辿り着いてしまったのである。