第028話、契約違反
巫女長だったモノの呪いが解かれ、脅威の去った街。
皆が勝利に喜ぶ中。
スラム街の路地裏には死体が二つ並んでいた。
ゴミの中に彼らは落ちていたのだ。
一つは眉間を射抜かれた、天使。
その心臓には、念のためと突き刺された「従者の剣」が刺さっている。
確実な死が、天使を包んでいるだろう。
そしてもう一つは――。
冷たくなり、動かなくなったミーシャ姫の身体。
天使が死んだ影響で、その課金によって発生していた寿命の反動を受け命を失ったのだろう。
因果応報。少女もまた自らの悪行の果て――報いを受け、死んだのだ。
一国の姫なのに、ゴミの中で天使と一緒に沈んでいる。
だが姫の顔はとても晴れやかだった。
満足そうだった。
そして、はらりと垂れる黒い髪は、まるで鴉の羽のように輝いていた。
天使の心臓を貫いた従者キースが、目線を姫に移して言う。
「あなたは最低な人でした。けれど――」
男の腕が、伸びる。
姫をゴミと泥の中から拾い上げたのだ――。
男はそっと、その冷たい身を抱いていた。
疲れとも憎悪とも違う表情が、死んだ女の顔を眺めていたのだ。
「どうしてでしょうね、やりきった顔で逝ってしまったあなたを見ていると……なぜだか逃げられてしまったような、狡いと思ってしまうような……複雑な気持ちにさせられます」
返事はない。
もう姫は死んだ。
さんざんに人々の人生を振り回してきた稀代の悪女は、同じ悪人を殺して死んだ。
クラフテッド王国では、既にその悪行の数々が暴かれていることだろう。
一つの不満が浮かべば、それは大きな流れとなって二つ目、三つ目と勢いを増す。
姫に虐げられていた者達は、その恨みを忘れてはいないだろう。
姫の遺骸を引き渡せば――おそらくは、死骸であったとしても……。
このまま眠らせてやる。
せめてその尊厳を守ってやる。
それが最後のキースの仕事だった。
その筈なのに。
空気を読めない存在が、やってきた。
よりにもよってな相手が、やってきた。
キースは振り向かずにも察していた。
スラム街の様子を見に来た栗色の髪の乙女。
彼女は聖女。
天然で、空気が読めず、周りを振り回してばかりの問題児。
けれど、その心が優しく温かいということだけは誰もが認めている。
彼女を嫌う者は多くいるだろう。
当然だ、それほどに彼女のふるまいは周囲を混乱させていた。たとえ無自覚でも、たとえ悪意がなくとも迷惑をかけた分だけ、混乱させた数だけ嫌われるのも当たり前なのだから。
空気が読めない聖女が言う。
「どなたか存じませんが、街を守ってくださっていたのですね。その方は……」
「魔力を使い過ぎたのでしょう。彼女はもう、役目を果たしたのです」
「治療を――」
伸ばした聖女の手を拒否し、精悍な顔立ちの従者は静かにかぶりを振っていた。
「いいのです、これが彼女の贖罪。我が主は罪人だったのですから」
「けれど、ここの一角をずっと守っていて下さったのですよね?」
「どうか、それ以上近づかないでください――顔を見ないであげてください。彼女の尊厳を辱めないであげてください。彼女が蘇ったとしても、良い事などないのです。犯した罪の数だけ、人に嫌われ、その罪を拭う人生へと戻るだけなのです。だから、このまま――どうか、眠らせてあげてください」
顔の見えない黒衣の令嬢を抱く従者が、聖女を振り返る。
従者は無表情だった。
けれど、やりきった女を見送る顔のようにも見える。
聖女は困ってしまった。
従者に悪意はない。
心から、主人の死を祝福しているのだ。
実際に、おそらく死んだ令嬢は多くの罪を犯していたのだろう。
その償いの重さはおそらく、死んだとしても返せない量なのだろう。
けれど、死が彼女を解放するのなら――。
「ですが――」
「どうか――お引き取りを。この方はわたしが、埋葬します」
男は言った――その指が涙を拭うように、死んだ女の頬に触れる。まるで死んだ野良猫を憐れむような顔で、頭を撫でていたのだ。
聖女は困惑する。
男が言うように、本当に死なせてやった方が幸せなのだろうと――理解してしまった。
だが――。
声がした。
路地裏からの声だった。
「お願いだ、聖女様。お姉ちゃんを! このお姉ちゃんを助けてあげてよ!」
スラム街の少年である。
けれど――まるで良き魔女に魔法をかけて貰ったような、綺麗な服を着ている。
少年が聖女のドレスを握り。
「お願いだよ、治してあげて!」
「少年、それ以上は――いけない」
主の死体を抱く従者のキースが冷たく言う。
「なんで!?」
「契約を忘れたのか――?」
従者の瞳が責めるように睨む。少年は一瞬、瞳を見開いた。
あの時に言われていた。
契約を破れば――。
それでも――。
「このお姉ちゃんは、オレのお姫様なんだ!」
魔導契約によって秘密を守る筈の口が動いた。
その瞬間。
子供の身を、激しい痛みが襲う。
やはりそれでも――。
子供は、涙を瞳に一杯ためて叫んでいた。
「この人が、聖女様が来る前にきてくれて、オレの母ちゃんを治してくれたんだ! だから、頼むよ! 悪い人じゃないんだ!」
「少年よ、それは違う。彼女は悪人だ、これはその報いだ――本人も納得して、こうなった」
自分に言い聞かせるような声だった。
キースの脳裏には様々な思いが過っているのだろう。
少年が、魔導契約の罰を受ける中で聖女に縋りつき。
「それでも、それでもオレたちを助けてくれたのはっ、オレの大事な母ちゃんを救ってくれたのはこの人なんだ……っ、この人だけだったんだ! これからオレは偉くなって、立派になって、お金を手に入れて、それで恩返しをしなくちゃいけないんだ。なのに、死んじまうなんて、オレ、やだよ!」
契約が少年の肌を焼く。
激しい痛みが襲うのだろう、その身が汚い泥へと崩れ堕ちる。
聖女は動いていた。
倒れる子供を抱き寄せ、聖女は慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
その手が契約の戒めを解き、傷ついた身体を一瞬にして治療してみせる。
栗色の髪の乙女の名は聖女コーデリア。
「あなたの心は分かりました。お任せください」
「お待ちください!」
制止する従者に向かい、聖女が言う。
「従者の方。わたくしはあなたがたの事情を知りません。それでもきっと、本当に命で償わないといけないほどの罪を行ったということなのでしょう……あなたの顔を見ればわかります。ですが……彼女にまた一つ、罪を犯させてしまうのは違うと、わたくしは思います」
「罪……を、犯させる?」
「はい、おそらくこのままですと……彼女の罪は増える。この子は恩人である彼女を助けることができなかったことに苦しみます。一生悔いてしまうでしょう、子供の心に傷をつける、それもわたくしは罪だと思うのです。ですからどうか、彼女にこれ以上の罪を犯させないで上げてください。わたくしは――その方を蘇生させます」
聖女は泥の中に跪き、祈りを捧げていた。
蘇生の儀式である。
聖女コーデリア=コープ=シャンデラー。
彼女は空気を読まない。
自分基準で全てを考える。
周りを見ることが苦手だ。
だから今回も――彼女は令嬢の事情など気にせず、死した彼女を蘇生させていた。
復讐の対象となる相手だと知らずに。
いや……知っていたとしても、おそらくはきっと……。
光が――令嬢を包み込んだ。
◇
しばらくして――。
従者が主人の尊厳を守るべく離れた場所。
腕の中で運ばれ――。
目覚めた黒髪の悪女が言う。
「どうして……、あたしが生きているの」
「事情は後程――とりあえずこの場から離れましょう。あなたが他国からの侵入者だと分かれば問題となります。さきほどまで匿っていたスラムの母子にまで罪を被せたいのならば、話は別ですが」
「分かったわ、運んで頂戴」
そう言われたら、断れない。
事情は分からない。
けれど――もっと分からないことがある。
「けど、本当に何があったの?」
「たいしたことではありません――よくある話ですよ。あなたが助けた命が……あなたの命を繋ぐ――あなたの言葉で言うのならばフラグを作ったのでしょう。あなたの善行が巡り廻って戻ってきた、繋がった、ただそれだけの話なのですから」
「よくわからないけど、まあいいわ。ひとつ、いい?」
「なんでしょうか」
「あの子は……無事?」
「コーデリア様ですか、それともスラム街の」
「どっちもよ」
外道な主人が、外道ではない言葉を漏らしている。
「無事ですよ。二人とも……あなたのおかげで」
「そう、ならいいわ。魔力が欠乏してる……寝るから……後で起こして」
寝息がキースの頬を撫でる。
風が二人の髪を散らす。
女の吐息が、執事服の中に吸われていく。
従者は女の顔を見た。
殺したいほど憎んでいる女だ。
その筈だ。
だが――。
女を憎む従者は――守るようにその少女を抱えて進む。
まるで野良猫を拾ったように――。
凍えたその身を温めるように――。
主人を連れ、どこか遠く……。
安全な場所を求めて消えた。




