第023話、祈るたびに見えるモノ
時はわずかに遡る。
これは熊と聖女のスチルを取得した、あの瞬間より前。
ミーシャ姫と従者キースがエイシス帝国に潜伏し始めた時期。敬虔なる巫女長の元には一柱の美しき小さな美青年が舞い降りていた。
名を隠す神か。
それはミーシャの天使だった。
山脈帝国エイシスに十三匹の魔竜と追加の魔竜を送った、清らかな見た目の――悪魔のような天使。
魔力補充手段を手に入れたミーシャ姫によって、なんらかの手段で一定の距離を置かれているのだろう。
彼は今、単独で行動していた。
黄昏の中。
三対の神々しい翼を教会の魔力灯で輝かせミーシャの天使が言う。
相手は美女たる巫女長。
『だーかーらー、この街に転生者がいるんだって。僕が親切に教えにきてあげたっていうのに、なんで分からないかなあ』
「仰ろうとしていることは分かります。けれど、あなたは異教の天使。わたしどもの使える神とは別の神なのでしょう?」
『ええ? 世界の危機に宗派なんて関係ないだろう?』
「そもそも神は神という偶像であって、実態などどうでもいい。むしろいないで頂いた方が楽とさえ思います。故に、何度言われましても答えは同じ――あなたのような神や神の使徒を名乗る不埒な存在を、どうして信じられるでしょうか」
巫女長は毅然とミーシャの天使を否定した。
しかし。
『なら、嘘を見抜く魔術を使っていいよ。聖職者なんだから告白が嘘か本当かを見抜く魔術は使えるんでしょ? それともなーに、君。もしかして似非聖職者で、そーいうの使えない系?』
「いいでしょう……では耐性を下げてください」
『オッケー。はい、人間如きでも僕の耐性を貫通できるレベルに身を堕としてあげた。じゃあ言うよ、この街に転生者がいる。それは真実だ』
巫女長の瞳が揺らぐ。
「本当に、転生者が――」
『そ、だから言ったじゃん。あ、悪いけどもう耐性は戻すよ?』
「え、ええ」
『でさ、そいつの名前がコーデリアっていうんだけど。いやあ、酷い女でね? 見てよ、これ』
天使が”転生者”が行った悪行の数々をまとめ、資料として並べてみせる。
「転生者の悪行……それは未来を知る力、あるいは未来を知っていることを利用した身勝手な行い。たしかに伝承の通りですね。その悪魔が今、この国に降臨している……と」
『ね? 信じて貰えただろう? だから僕はあの悪魔をどうにかしたくてここに来た。なのにさあ、君、僕を疑っていたよね? 謝罪は? ねえ、謝罪だよ、謝罪』
「ふふふ、申し訳ありませんが、異教徒に頭は下げませんわ。それに、この転生者がわたしどもに迷惑をかけるかどうかは、また別の話でしょう?」
それに、と言葉を区切り。
「あなたがその方を勝手に”転生者だと勘違いしている”だけという場合もございましょう? 嘘は言っていなくても、語っている本人が信じ込んでしまっている場合は『告白の見破り』の魔術も意味がありませんので。よくいるのです。本当に自分で過ちを犯しておいて、綺麗さっぱり忘れてしまうような悲しい御方が――」
来訪者は不遜だが、巫女長も負けじと天使を眺めている。
黄昏の闇の中。
天使の軽薄そうな唇が動く。
『でも、もうあの悪魔は動いているよ。いいのかな?』
「動く、とは」
『ダイクン=イーグレット=エイシス十三世。あの女は既にその心を掌握している。それだけじゃない、戦鬼ベアルファルスの心も奪っているのさ。先代帝の妻、メフィスト? だっけ? の蘇生もしてしまった。あんな古い遺骸を蘇生できるなんて普通ではありえない。聖職者である君ならば分かるんじゃないかな?』
巫女長の瞳が揺らぐ。
「バカな! メフィストの蘇生など、できるはずが!」
『おや、様をつけなくていいのかな? 現皇帝様のお母様だ、普通は上皇后さまだろう』
「それは――」
『ああ、別に隠さなくていいよ。よくある話じゃない、教会が色々やってたって』
嘘の告白を見破る神の顔で。
天使の唇だけが黄昏の中で蠢く。
『あ、でも安心してくれていいよ? 君たちが先代帝を煽って暴走させ、治安と治世を混乱に導いた。飢えと怪我、内乱の果てに救いを求める先が教会になることを狙って、全部裏で暗躍していただなんて。誰にも言わないからさ』
黄昏の教会の奥。
罪を告白する場所を隠れ場所としていた護衛が、剣を抜き掛けるが。巫女長はそれを手で制していた。
天使がほくそ笑む。
『話が分かるじゃないか。嫌いじゃないよ、君みたいな野心家は』
「何が目的なのですか」
『僕も転生者が邪魔なんだよ。このあいだ確実に殺せる戦力を送ったんだけど、なーんか知らないけど途中で何かに巻き込まれたらしく消えちゃった。つかえないトカゲだよね? んなもんで、本当ならうちの教会を使って色々としてやりたい所なんだけど』
「この地域はわたしどもの教会が占有している」
『そーいうこと。君たちの教義において転生者は異端、許されない存在だろう? 利害は一致していると思うよ』
「あなたは何故、コーデリア嬢を狙っているのですか」
『これを見れば分かるだろう? 誰かが止めないと……危険だ』
たしかにそこには”転生者”が起こした悪行の数々が記録されている。
誰もが止めなくてはならないと思う、暴虐の数々だ。
もっともそれはミーシャの悪行だが、天使は巧みに誘導していく。
隠れる部下たちと目線を交わしたのだろう。
巫女長は魔導契約書を召喚し、天使は魔術によって契約内容を浮かび上がらせる。
「わたしどもが先の内乱にかかわっていたことを――」
『はいはい、黙っておけってことね。じゃあ契約って事で』
「契約はしましょう。ただ行動するのは調査が済んでから――まずは本当にイーグレット陛下や戦鬼ベアルファルスが篭絡されているかどうか、調べてからです。よろしいですね?」
『急いだ方が良いと思うけど、まあいいさ。じゃあ契約だ』
「契約事項を全て確認しておりますので、少々お待ちください」
『あっれー? 僕を疑ってる?』
「魔導契約には強制力が働きますので、こっそりと自分に優位な項目を追加される方もいますから――ただ、これならば問題ないですね」
契約が結ばれた。
影に動く教会の暗部。先の内乱でも動いていた隠密部隊は活動を開始する。
その直後。
天使は言った。
『ところで、君。前の内乱を起こしていた張本人ってことはさ。その見た目に反して、結構いい歳してるんじゃない?』
「――契約を破棄してもよろしくてよ」
『怒らないで欲しいな。そんな君に良い話があるんだけど、どうかな? 僕と個人契約しない?』
「個人契約?」
『そ、とりあえずお試し期間さ。君にただで力を貸してあげるよ。君が欲しているのは、若さだろう。分かるんだよねえ、僕、天使だから。そういう人のために立とうとする、広告塔として美しくあり続ける聖職者の鑑! みたいな人の心がさ』
巫女長はくだらないと思ったのか。
しかし。
「無料というのならば、試してあげてもいいですけど。期待などしていませんよ」
『ははは、毎度あり。安心しなよ、本契約する前なら――自分の意志ですぐに契約を打ち切ることもできるからさ。ちょっと試すだけ、得しかない話だろう?』
言って、小さな天使はにっこりと美しく微笑んだ。
◇
数日後。
礼拝堂にて――女は若くなった肌を輝かせ、周囲を見渡していた。
「ねえ、天使さん! 天使さん!」
『これはこれは巫女長様、どったの? そんなに慌てちゃって』
「ね、ねえ! 今度は首回りを若返らせたいの……っ。だって、新人のクソガキがっ、わたしの首元をみて笑っていたのよ! あれは絶対、わたしの隠せない老いを見ていたのっ!」
『構わないけど、とっとと本契約しちゃって全部いっぺんに若返らせちゃった方が早くなーい?』
「駄目よ、それじゃあ周りに気付かれてしまうからっ」
『ああ、そういえば異教徒だったか僕は。そういうことなら、無料期間だ、首元を若返らせてあげるよ。これで誰も君を嗤わなくなる。安心した?』
「あ、ありがとう……本契約は、もうちょっとだけ、待って」
数日後。
礼拝堂にて――。
「天使様っ、天使様はいらっしゃいますでしょうか!?」
『はいはい、呼ばれて飛び出てあげますよっと。で、どったの?』
天使の瞳に反射していたのは赤色。
そこには返り血を浴びた巫女長の姿があった。
『あっれー? その血、どうしたの?』
「新人のクソガキがっ、わた、わたしの手を見て、鼻で笑ったのよ。どれだけ薬品を塗っても、隠せなくなっていた皴を、あれを! じっと、見ていたの! だから、だから!」
『はははは、やっちゃったんだ。可哀そうに』
「そんな! あんまりですわ! あ、あなたも……っ、新人のクソガキの方がいいと!?」
いびつに、すこしずつ若返る巫女長を見て、天使が口の端に浮かべていたのは――。
真なる微笑み。
後光を背にした天使は清らかで穏やかで、恐ろしい程に優しい笑みを放っていたのだ。
包み込むような美声が、狂乱する女の髪を揺らす。
耳元で囁いたのだ。
『逆さ。君がみんなのために美しく、若くあろうとしているのに、酷い新人がいたんだって思ったら。ああ、僕は悲しくなってしまってね。僕が可哀そうだと思ったのは君だよ。誰も君の気持ちを分かってくれていないんだろう?』
「ええ、ええ! そうなのです! わたしがどれほどこの美しさを、みなのために、必死で保っているかも知らないで!」
『大丈夫、大丈夫。僕だけは分かってるから』
「ああ、そうなのです――わたしを分かって下さるのは……天使様だけ、ですわ」
女は堕ちるように、美しい天使に見惚れ続ける。
『今まで独りで辛かったね。苦しかったね。でも安心して良いよ、だって君には僕がいる――ああ、君は幸福だ。だって僕の目に留まったのだから、きっと、君がいままでずっと苦しい思いをしていた事が報われたのだろうね』
ああ、天使様、と。
巫女長は神を拝む顔で、小さな美青年を見上げていた。
『じゃあ手も若返らせてあげたいんだけど――どうしよう、困ったな』
「ど、どうしたのです!?」
『無料期間が切れちゃったんだ。これは僕が決めた期間じゃないからどうしようもない』
もう、若返ることができない。
天使は本当に申し訳なさそうに翼を下げていた。
巫女長は、震えた。
ギリリと拳が鳴っていた。
もう、若くなれない。そんなこと許せるはずがない。
「どうすれば!」
『じゃあささっと、しちゃう? 契約いっとく?』
「対価は――」
『寿命だよ、君の残り時間をくれればそれでいい』
「それは……」
『大丈夫、よく考えてみなよ。若返ることができれば寿命も延びるだろう? 結局はほら、うん、ほとんど相殺されるじゃないか』
そんな都合のいい話。
あるわけがないと巫女長の理性は考える。
しかし、その震える腕の先には、老い始めた指がある。今朝、皴が生まれていた。必死で消そうとした、何度も何度も高い魔法薬を塗った。
けれど、皴は毎日増え続ける。
祈るたびに、それは視界に入り続ける。
「もう、こんな地獄、耐えられない……」
『でしょう? じゃあさ、幸せになろっか!』
初めは少しだけ。
無料だから。
だから――女はもはや抜け出せなくなっていたのだろう。
若さが、欲しい。
「はい、天使様!」
『そうそう、じゃあこれが本契約の証の魔導書だ。君はこの書で戦うことができるようになる。これで僕の力を授かったわけだね。ちゃんと、働いてもらうよ』
女は天使の使い魔となった。
邪魔なコーデリアを消す。
天使様のために。
そうして、あの日に繋がった。
美しき使い魔はまんまと聖女を拘束したのだ。
◇
清廉なる教会の奥。
処刑道具が並ぶ場所。
異端審問の準備を始める巫女長の美しい顏があった。
「あの小娘、わたしの本当の歳を……っ。それにっ、わたしを、わたしを。わたしを超える美貌など! 許せるはずがないわ!」
ミーシャの天使が言う。
『だから言っただろう。僕が言った通り、コーデリアは邪悪な女だって理解して貰えた?』
「はい、主よ! 異教の神であるからと天使様を疑っていた、わたしの愚かさをどうかお許しください――」
既にかつての神への信仰を捨てた女は、一切の皴のない、不自然なほどに輝く少女のような手で祈りを捧げる。
美しい、若い娘の手だ。
救世主として、神童として持て囃された美しい奇跡の手。
神に祈るたびに毎日見ていたからだろう。
巫女長は誰よりも自分の手の変化に敏感だった。
それが――心の隙間だったのだろう。
「それで、その……」
『ん? ああ。君に与えた若さの力がどれぐらい続くかかな?』
巫女長はかつて隠しきれなくなっていた醜さを思い出していた。
憎い憎い……たるんでいた首元と、皴が生まれ始めた手の甲。
何よりも恐ろしい、老い。
だけど、天使様のおかげで変わった。祈るたびに浮かんでいた不安は既に消えた。
シワ一つない手をうっとりと眺め。
「は、はい! そうなのです! どんな魔術や儀式でも、多少の延命はできても老いの進行速度は止められなかった! けれど、あなたの力は違う! 瑞々しい魔力で肉体を満たしてくれているのがわかるのです! 天使様! あなたは何者なのですか? 教えてください、あなた様を! そしてわたしがあなたの威光を広げましょう! すぐにでもこの国でも信仰対象にすべきなのです!」
天使は苦笑して答えない。
話題を変えるように、唇が動く。
『そんなに張り切らなくてもいいさ――君が僕の役に立ってくれるのなら、どんどんどんどん若返らせてあげるよ』
「本当ですか!?」
美女たる巫女長はシャランと錫杖を鳴らす勢いで身を乗り出していた。
若く豊満な胸の上で、聖職者の敬虔なる装飾品が揺れている。
天使は言う。
『ああ、約束しよう。君に際限のない若返りをあげるよ。君はもう二度と、老いに怯えることはない。一秒たりとも、老いることはない。老いを捨てたんだから。これで苦しみから解放されたわけだ。嘆く人間が救われて、僕もとても鼻が高い』
天使は言う。
『ただ――これは君が望んだことだ。後で文句は言わないでおくれよ? 規約違反は困るんだ』
「はい! 老いに怯えず、若返ることができる……それは理想の世界。なんの不満がありましょう!」
『そう、ならいいや――若返る事を楽しんでくれて、僕もとても嬉しいよ』
天使はニヤニヤ。
若返り続ける巫女長を見て言った。
『ただ――、分かるよね?』
「はい、迷宮女王コーデリア=コープ=シャンデラー。拘束してあるあの者を処刑すればいいのですね!」
『良い子だ。それじゃあ僕は戻らないといけないけれど、ちゃんとできるかな?』
「もちろんでございます、けれどあの、何故六時間しか滞在できないのですか? もっとあなた様を崇めるために、ずっとおそばにいたいのですが」
『ああ、ちょっとね。本当は宿主から離れられないんだが、裏技みたいな方法で六時間だけ自由な時間を得ている状態に……と、喋りすぎたかな』
制限時間で消えていく中。
振り返った天使が言う。
『言いたくはないが、もし失敗したら――』
「わ、分かっております! この若さを保つためならば、どんなことでも致しますので!」
『おや、不安かい?』
「わたしは! いつまでも美しく、若くいないといけないのです――っ!」
それははじめ民のため。
他人のために、象徴として皆の心をまとめようと、美しくなろうとしていた筈だ。
けれど――今はもう、目的と手段が入れ替わっている。
天使は――嗤った。
『まあ安心してよ、僕は物語の馬鹿どもみたいに慢心なんてしない。勝ちにこだわるさ。君に渡した魔導書は最強の課金アイテム。それを使えば、万に一つの負けもない。報告を楽しみにしているよ』
慢心知らずの美しい天使。
勝利を確信する声を残し、翼を翻したソレが姿を消した。
直後。
わおぉおおおおおおおおおおおぉぉぉぉん!
麻痺の遠吠えが発動されたのは、ちょうどこのタイミングだった。




