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第022話、凛々しきベアの誘い


 先帝の妻メフィストを匿う王宮の診療室。

 結界で閉ざされた場所。

 ベッドにはまだ起床している時間よりも睡眠時間の方が長い、美しい顔立ちの女騎士。その上皇后の傍らには一人の男がいた。


 上皇后が睡眠中だからだろう、部屋の明かりは薄い。


 恩人である聖女コーデリアへの不当な扱い。

 突然の拘束に抗議し、王宮に訪れていたのは――熊のような長身無精ひげ男、魔術講師ベアルファルス。

 彼は国と戦いを起こす覚悟で、かつて戦場で使用していた装備まで準備していた。

 のだが。


 捕まっている筈の可憐な聖女が、紅茶を令嬢の仕草で美しく味わった後。

 ふぅ……何事もなかったように言う。


「――というわけで、わたくし異端審問にかけられる事になってしまったのですが。って、聞いていらっしゃいますのベアルファルス先生!」


 煙草から漏れるベアルファルスの息には、安堵と困惑が混ざっている。

 流す煙が聖女に飛ばぬように風魔術を操ってもいた。

 男の声音が静かに響いた。


「ああ、まずはアレだ。なんだ……その、異端審問にかけられるはずのお前さんが何故ここにいる?」

「何故って、どうしましょうかと相談に来たのですけれど?」

「そういう何故じゃなくてだな、手段の方だ」

「転移魔術でですが、なにか問題があったのでしょうか」

「教会の牢の結界を……と、お前に言っても無駄か。ともあれ、まあなんだ、無事なようで良かった」


 心配させていたのだと悟った聖女は申し訳なさそうに、しかし少し親しみを覚えた声で言う。


「申し訳ありません、相談できる相手が先生しか浮かばなかったので」

「イーグレット陛下ではダメだったのか」

「異端審問にかけられようとしているわたくしと陛下が密談していたとして、それが周囲に漏れたらさすがに騒動となるでしょうから」

「俺ならいいってか?」

「民を思い、民のために動く陛下にご迷惑をかけることは、この国の民にご迷惑をかける事と同じですから。申し訳ありませんが、あなた以外は浮かびませんでした。ご迷惑をかけて恐縮なのですが……」

「ま、悪い気分じゃねえがな」


 息を漏らしたと同時に煙草の火が大きくなったからか。

 思わず零れた男の笑みが、闇の中で浮かび上がっていた。


「それで先生、あの泣きボクロの美女はいったい」

「教会のトップだよ。まあ教会つっても他国と信仰する神が違うからな、狭い範囲でのボス。井の中の蛙だろうがな。それでもこの国ではイーグレットと並ぶ権力者だ」

「なぜあの方はわたくしを転生者だと勘違いなさったのかしら」

「転生者ってのはぶっ飛んだ連中が多いらしいからな。そして必ず面倒を起こす連中だ。あの女狐がそう思っちまうのも、分からんでもない」


 ついでとばかりに男は言う。


「念のため聞いておくが、おまえさんは本当に転生者じゃないんだな?」

「違いますわ。ただ――わたくし自身が、そのことを忘れている。或いは記憶を魔術で奪われている……そういう事情がある場合は別ですが。それを証明しろと言われましても困ってしまうかと」

「だろうな。違う証明なんて誰もできやしねえ」

「転生者だと分かるとどうなってしまうのです?」

「教会の権限で処刑、だろうな――」

「あまり印象の良い話ではありませんね……」


 煙草を持ち替え、この国を知る男が話を続ける。


「教会は聖職者を多く抱えている。回復や疫病の治癒、土地の浄化。神聖な仕事は大抵あいつらの領分だ。いくら帝国の偉い坊やでも、あいつらには過度に強くは出られない。生活基盤の一部を握られちまってるようなもんだからな」

「教会がいないと困るのですが、権力を持ちすぎても困る。だからお父様は暴走しがちな教会に、わたくしを派遣していらしたのね……生活基盤を握られたくなかったと。ふふ、お父様ったらそういうことでしたの」

「さて、これからどうするかだが――」


 ベアルファルスは草臥れた精悍な顔立ちの奥。

 瞳に本気の色香を帯びさせ煙と共に言った。


「どうだ、おまえさん――俺と一緒に逃げるか?」

「先生と?」

「ああ、俺の心残りはあいつ……先代帝の妻メフィスト様だけだった。その氷を維持していたのは俺だったからな、けれどだ。コーデリア。お前さんのおかげで彼女は蘇生された、これからはイーグレットの小僧と二人でこの国をうまくやっていくだろうよ」


 奥の部屋で眠る女性に優しい目線を送り、男は言った。


「これでようやく、俺の肩の荷も下りた。あの親子のお守もこれで終わり。流れの傭兵だった俺にとっちゃ随分と長い契約になっちまったが、もう十分尽くしただろう? もううんざりしてるんだよ、この国には――貧乏だわ、待遇も給料も悪いわ、人使いは荒いわ。だからこんな場所を捨てて、今度はぶっ飛んでる聖女様の世話をしてやってもいいって、そう思っただけだ」

「嘘――ですわね」

「ああん? 嘘じゃねえってよ、お前さんを逃がしてやりたいっていう俺の心は――」

「違いますわ。うんざりしただなんて、そんな懐かしそうな顔をして仰るだなんて。誰が信じられるというのでしょう?」


 優しい男の優しいウソを暴いた聖女は、部屋の暗闇の中で言う。


「殿方っていつもそう、言葉と心が一致していないんですもの。領主だったお父様もそうでしたわ。いつも自分の事は大丈夫だ、気にするなだなんて……強がってばかり。だいぶ無理をなさっていたのに、弱音を吐こうとしてくれませんでしたのよ。わたくし本当に、言葉を額面通りに受け取っていたことを今は少し、後悔しておりますの。お父様はもう、疲れ切っていたみたいでしたので――殿方は我慢強い、無理をしてしまう傾向にあると、わたくしは学びましたの。だから、あなたには父のように無理をして欲しくはありませんわ」


 コーデリアは黙っていれば、美人だ。

 それも恐ろしい程に美しい顔立ちをした乙女だ。

 そんな彼女が心の底から発した父への想い、そして本当はまだ国を思っている英雄への言葉は、男の胸の奥を深くついたのだろう。


「まあ……たしかに。この国に未練がねえってのは、嘘だな……。こんだけ長く、それこそガキだった殿下が陛下になっちまうほどの時間滞在したんだ、思い出は、そうだな……いっぱいあるだろうよ。だがな、お前さんは一つ勘違いをしている」

「勘違い、ですの?」

「ああ、これだけは言わせろよ」


 精悍な熊のような男は立ち上がり。

 煙草の火の中。

 本当に愛しい者を見る顔で――。


「コーデリア。お前さんを守ってやりたい、恩を返したいと願う俺の心までは否定しないでくれ」


 男は腕の檻を作って、聖女の顔を正面から見ている。

 銜えタバコの煙が、天に昇って薄れていく。

 スチルという現象が起こる中。


「もし本当に辛くなったら、俺を頼ってくれ。お前さんもおそらく、その疲れちまってた親父さんと一緒で無理をするタイプだろうからな。俺の前では強がるな、それだけは……どうか約束してくれ」

「父を見ていないのに、分かるのですか?」

「ああ、父親が大好きな子供ってのは、父親に似るんだよ。逆に大嫌いなやつは、イーグレットの坊主みたいにまったく似ずに育つもんだ」


 なんてな、と。

 ベアルファルスは聖女の頭に、ポンと軽く手を乗せた。


「分かりましたわ。もし今回の件でどうしようもなくなったら、遠慮なく先生を頼らせていただきます」

「ってことは、なにか対策があるのか?」

「転生者ではないと証明する手段も、難しいですが不可能ではないでしょうし。それにです、わたくし、今回は少し怒っているのです!」

「へえ、なにをしても怒りそうもないお前さんがか?」


 はは、と悪い男の顔で笑う教師に聖女は言う。


「当然ですわ。わたくしはもう自治が認められた領主。さすがに今回の突然の拘束は少し、乱暴です」

「なんだ、ぶっ飛んでるお前さんでも領主の権限を否定されたらそうなるんだな」

「笑い事じゃありませんのよ!」

「悪い、悪い。そうか、お前もそういうところは御令嬢なんだと思ったら笑えて来てな」

「いえ、本当に笑い事じゃありませんの」


 聖女が言う。


「わたくし、自治を認めてもらう際に不当な拘束を禁じる条項を魔導契約しておりますから。今頃、暗黒迷宮は戦争準備を始めているかと思いますの」


 男の銜えタバコが落ちる。


「ちなみにだ、暗黒迷宮の領民ってのは――」

「この間、スラム街へ援助物資を運んでもらったワンちゃんを覚えていらっしゃいます?」

「あ、ああ。アホみたいにレベルが高いモフモフ獣人どもだろう」

「おそらく、彼らがもう出撃してますわよ」

「いや、やべえだろう! あいつら、一匹で街を半壊できるぐらいだろう!?」


 聖女はぷんぷんと愛らしい仕草で怒りをアピール。


「もう! だから言ったではありませんか、わたくし怒っていると! いくら教会が生活基盤を握っているといっても、それは自領での話。自治権を認められている別地域の領主を拘束するだなんて、無謀が過ぎます! その軽率な行動で、国が亡んでしまうかもしれませんのに」


 普通なら冗談だと思う。

 大げさだと。

 だが実力者のベアルファルスは知っていた。


 コーデリアの手勢なら、本当に軽くできてしまうだろうと。

 男は慌てて言う。


「止められねえのか!」

「そうは言われましても、魔導契約ですので――宣戦布告と判断できる行動を受けた以上は……」


 言葉の途中。

 わおぉおおおおおおおおぉぉぉぉぉん!

 教会の方向で――大規模な麻痺の遠吠えが発生した。


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