第020話、光と闇:後編【ミーシャ視点】
汚い路地裏には、正体を伏せる姫と従者。
そしてその足元には貴族を脅す弱者。
漏れ出そうになる殺意を抑え込み、従者が剣を意識する中――。
子供が言う。
「治す……って」
「は? まさかあんた、嘘をついてたんじゃないでしょうね?」
「いや、違う! 本当に母ちゃんがもう、危ないってのは、本当で、本当に、あの……」
「じゃあなによ」
「だって、あんたみたいな綺麗な貴族のお嬢様が、貧民のオレたちの家に来て、ち、治療してくれるって、そんなの普通、ありえないってか……」
ミーシャは言う。
「あぁああああああっぁあ、もう! こっちは疲れてるの! いい加減にして! 治してほしいなら早く案内なさい、それで、他言は絶対に無用よ。いいわね」
案内するつもりなのだろう、子供は慌てて歩き出す。
驚いたのは子どもだけではなかった。
キースが言う。
「よろしいのですか……?」
「じゃあ子供を殺す? 記憶を消すには十年分の寿命を使うのよ?」
「金を渡せばいいだけでしょう」
「馬鹿ね、あんな騙されやすそうな子供が金を持って薬品店に行っても、騙されて粗悪な回復薬を渡されるのがオチよ」
そこまで考えているのか。
キースの瞳に映る黒い姫の印象が、少しは変わっていた。
従者の動揺に気付かず、ミーシャ姫は動く。
仕方なく汚い子供の家に行き。
汚い家で、汚い母親の命を救った。
「あとはちゃんとご飯を食べさせていれば、数日もすればよくなるはずよ。まだ寝込んでるのは、ずっと寝込んでいるから筋力が弱っているだけ。一緒に歩いてあげなさい、あんたがね。そこまでは面倒見られないわ」
「食べ物……」
「これを使いなさい」
紙幣を取り出す姫に、少年は困った顔で。
「でも、オレ汚いから、売ってくれるかどうか……」
「ああ、もう! じゃあちょっと待ちなさい」
ミーシャ姫は数着の子ども用の装備を出し。
指を鳴らし魔術発動を装い、低額課金アイテムで子供の身体と顔を洗浄し、服装をチェンジ。
まるでシンデレラに出てくる魔女ね、と皮肉を覚えつつも言った。
「これでいいでしょ」
「あ、ありがとう、ございます……綺麗なお姫様」
「は? 姫?」
「いや、その、なんか童話のお姫様みたいに見えて、その……」
「勘違いしないで、あたしは悪い魔女よ。そっちじゃない」
だいたい、シンデレラの話って大嫌いなの――。
と、かつて童話に憧れていた少女は思う。
感謝する子供を前に、口止め料の紙幣をつまらなそうに置捨て姫は言う。
「じゃ、二度と話しかけてこないでね。あと、魔導契約っていうのを結んだから、秘密を話そうとすると痛い思いをするから、忘れないで頂戴」
頭を下げ続ける子供。
その感謝も顔もろくに見ず、ミーシャはスラム街を後にする。
夜風が冷たい。
まずは屋敷で体を温めないと。そう考えていた少女の肩に、コートがかかる。
キースだった。
立ち止まった姫が怪訝な顔で振り返る。
そこには顔立ちだけは端整で好みな、乙女ゲーム世界の住人の顔がある。
門番ですら美形な、全員が美しい夢の国。
その筈だった――。
姫は言う。
「なによ?」
「いえ――風邪をひかれて死なれても面倒なので」
「そう、じゃあ遠慮なく借りるわ」
そう言って、ミーシャ姫は歩き出すが――さすがに魔力を使い過ぎた。
その身体が一瞬ふらつき。
崩れかける。
落ちる……。衝撃を覚悟したミーシャ姫だったが。
衝撃はいつまでも襲ってこなかった。
キースの手が、崩れるミーシャの身を支えていたのだ。
触れるなと怒鳴られた記憶が蘇る。
姫は言った。
「ごめんなさい――汚いものに触れさせてしまったわね」
「いえ――」
「どうしたの、あなた、少し変よ?」
執事へと転職した、顔だけは大好きな男が言う。
「私も昔は、貧民でしたから――」
「ああ、そういうこと――くだらない」
そんな情報、攻略サイトには載っていなかった。
この世界はゲームじゃない。
だから、本当はもっとちゃんと、知ろうとしないといけなかった。
「勘違いしないで、あの子供を助けたのは自分のためよ」
「でしょうね」
それでも助けた事実は変わらない。
そう言いかけたキースの瞳は、やはり姫を憎悪の対象として見ている。
だが――。
前のミーシャ姫ならば、容赦なく子供を殺していただろうと。
キースは姫の変化に、僅かな戸惑いを覚えていた。
寒空の下。
姫と従者は道を進む。
キースの瞳が暴君をわずかに覗く。
なぜ、この外道に心を割かないといけないのか。
そう思ったら少し苛立ちを覚えたのだろう。
煮えたぎる感情とは裏腹に、冷めた口調でキースが言う。
「さすがにお疲れでしょう。余計な魔力を消費しましたから……今夜は私の魔力をあなたに注ぎます。お使いください」
姫の顔が一瞬、揺らぐ。
それはエナジードレインをしろと言うことか。
従者職:執事の能力には主人の魔力を回復させる力がある。直接的な描写は避けられていたが、テイミングできる従者には軽いイベントが用意されていた。
「は? あんた意味を分かって言ってるの?」
「魔力補給はできないのですか?」
「できるし、たしかに効率はいいけれど――」
「なら、仕方ないでしょう」
冷めた男の事務的な声が続く。
「あなたに死なれたら、世界が終わるのですから」
「分かった……ただ、体を綺麗にしてからじゃないと嫌」
屋敷につくなり。
憎悪する者とされる者。
憎む女に魔力を齎すべく男は、女の手首を掴んでいた。
長い脚が性急に寝室へと進む。
「ちょっと、なにするのよ!」
「顔色が悪い。魔力欠乏が始まっている証拠です。魔術を使う度に寿命を使ってしまっているのでしょう?」
「それは――っ、確かに、そうだけど」
ヒールと従者の革靴がカツカツカツと鳴っていた。
まるで心臓の音だった。
強引な手だった。
男が女の腕を強く引き――男の歩幅と速度で歩く。
寒空で冷えたミーシャの肌は、僅かに熱くなっていた。
「――だって、回復魔術の魔力までは残していなかったんだから仕方ないじゃない! あたしのせいじゃないわ!」
「ええ、だからこれは――仕方がないことかと。割り切ります。残り時間もあまりありませんので――」
「でも――」
天使休眠の制限時間は六時間。既に山越えでだいぶ時間を消費している。
扉を開けた途端に、男は女の身体を粗雑な動作でシーツに落とした。
男は言う。
「あの天使を止めるために、手段は選ばないのでしょう?」
あの天使は危険すぎる。
それだけが、二人の共通意識。
それだけの冷たい関係だ。
腕の檻の中。
姫は言う。
「いいわ、悪いけど急いで――あなたのエナジーをすぐに魔力に変換するから。あなたの寿命はなるべく吸わないようにする――その代わり、何回か必要になると思う。回数が多ければ多い程、回復も早まる筈よ。できる?」
「ただの魔力補給、エナジードレインです。それに拘束され、命を吸われそのまま殺されたあの時よりはマシですから」
淡々とした声音が女の瞳を揺らした。
「そうね、ごめんなさい――」
男の目が、きつく尖る。
かつて自分を殺した女が、少しだけ傷ついた顔をしていたからだろう。
なにをいまさら。
あの亡霊たちと同じ言葉が漏れそうになった。
だから。
構わず。
男は自分の役目を果たし始めた。
外で鳴るのは、風に揺れる樹々の音。
男は自分でもわからぬ感情に、揺さぶられていた。
魔力を注ぐだけ。
ただそれだけのエナジードレインだ。
けれど。
冷めた声とは裏腹。
従者はその熱く冷たい感情を、憎悪と共にぶつけていた。
下劣で愚劣な姫が見せた弱さと、弱者への施し。
今まで知らなかった外道の裏の顔が、虐げられていた男の身も心も揺らしていたのだろうか。
◇
世界を壊さぬために動く二人は、闇の中を進んだ。
その道は血塗られている。
けれど、初めに道を他者の血で穢したのはヒロイン。
ミーシャだった。
彼らはエイシスに潜伏した。
全ては天使を止めるため、コーデリアと再会する――、その機会を求め。
◇
翌朝。
屋敷から出た時。
馬車を前にし従者キースが言った。
「私はあなたが嫌いです」
「でしょうね」
「嫌悪すらしています」
「当然ね」
「あなたに道を狂わされた世界の全てが、あなたを憎悪しているでしょう。それでもあなたは、前に向かって歩けますか?」
それでも――と。
希望を眺めるように、少女は明ける空を見た。
「それでもあたしは今度こそ、世界を諦めたりなんてしないわ」
王族ではなく、独りの少女としての美しさがそこにあった。
外道な姫だが。
世界を壊してしまう程には、邪悪ではなかったのだろう。
従者が言う。
「あなたの言葉――世界を諦めないというその意志だけは信用したいと感じています」
「そう……」
「あなたは私に、あなたを信じさせたままでいてくれますか?」
「こんがらがる言い方ね。でも、まあ……信じて貰うしかないわね」
自嘲の息に声が乗る。
「あたしにはこの世界しかなかった。他にはなにも、本当に……なにひとつ。だからもう二度と……失いたくない。壊したくないの、それだけは本当に、本当よ」
少女は苦笑しつつも馬車用の馬を召喚。
魔力に満ちた体が、王族の魔術を容易に発動させている。
従者は一瞬だけ、自らの大きな男の手に目線を落とした。
あれは世界を救うために必要だった事。
ただそれだけだ。
「それじゃあキース、行きましょう」
「はい、お嬢様――それで本日は」
「これからの山脈帝国エイシスは食糧不足が深刻になるの。北から入り込んでくる魔皇の魔力、寒気の影響でね。それはたぶんもうあの賢い王様は知っている。だから、まだ取り入る隙がある筈。さすがに大量の穀物を持参すれば、門前払いはされないでしょう?」
馬車に乗り込む姫を確認し、従者として「御者の能力」を発動させたキースが言う。
「そう都合よくいくでしょうか……広大な土地と緑があるようですが」
「広大と言っても山だらけ、この国は無駄にしている土地ばかりよ。あのスラム街を見たでしょう? 保管場所を購入後、すぐにでも課金で穀物を召喚するつもりよ」
もはや勝ちを確信している声だが。
今の姫はおそらく寿命の吸収を嫌っている。限りある寿命を使うとなると慎重になるべきだ。
キースは考え……。
「ひとつ、よろしいですか?」
「なによ」
「今のあなたはやることなすこと全てが裏目に出ている。少し悪い予感がするのです――課金は少し様子を見てからでもいいのでは?」
「心配性ね。大丈夫、絶対に食料は足りなくなるわ――何故かいきなり突然、国内に穀物を大量生産できる場所でも誕生しない限りはね。だから安心してキース」
黒い扇で表情を隠す姫。
揺れる馬車道の中。
聖女コーデリアとの接触を試みる少女は言った。
「あたしはもう二度と、失敗なんてしないわ」
決め台詞のように宣言する姫を乗せた馬車の横。
がらがらごろごろ荷台を運ぶのは、世にも珍しいもふ犬コボルトの群れ。
産地「暗黒迷宮」と書かれた大量の穀物袋を運ぶ彼らは、わふわふ! やっはー!
はじめてのお使いだ!
と、歩くたびに足の肉球と犬の鼻先を輝かせ――モフフフゥのワオワオワオン!
元気に、食料保管庫へと向かい進んでいたのである。
すれ違うコボルト達は礼儀正しくお辞儀まで披露。
勝ち誇る姫は気づいていないが――。
むろん、従者はジト目である。
キースは計画の練り直しを提案した。




