第019話、光と闇:中編【ミーシャ視点】
同時期、別時刻。
天使を課金により一定期間眠らせているクラフテッド王国の姫。
ミーシャ=フォーマル=クラフテッドは従者のキースを引き連れ、高速移動魔術で山を越えていた。
向かう先は山脈帝国エイシス。
高速移動魔術、風の結界の範囲内にいるキースが――ぎゅっと眉間にしわを刻んでいる。
綺麗な顔立ちを風に揺らしている。
キースはミーシャ姫を憎悪したまま、冷たい顏だが――世界の危機と天秤にかけたのだろう。
憎悪を抱きつつもミーシャ姫に協力し、行動を共にしていたのだ。
なにしろミーシャ姫には常識がない。
今までは天使の力で全て強引に進めていたらしいが、今はできない。
だから、恨む者と恨まれる者の旅は始まっていた。
「姫様、エイシスからの返事がないからと突然訪問しても――我が国との国交は断絶されているので、門前払いをされてもおかしくないかと」
「分かってるわよっ。でも、あそこの国には攻略対象が二人いる。一人はもうフラグが折れてしまったイーグレット様。でも、イーグレット様とフラグが作れなかった場合には救済処置で、陛下と因縁っていうか、複雑な関係にある傭兵長のベアルファルスって要人とのルートができるの」
「あの戦鬼を二つ名とする魔術師ベアルファルスですか!?」
キースの言葉を肯定するようにミーシャ姫が言う。
「そ! でね、ベアルファルスはイーグレットの母親を昔に戦争で殺しちゃってて、それが二人の間に溝を作っている状態になってるの。で、その母親の女騎士の遺骸が氷系統の魔術で保存されてるんだけど、ヒロインのあたしの力で解除できる。ようするに、蘇生できるの」
「なるほど、それがフラグになる、と」
「ベアルファルスを攻略したら行動開始。すぐに彼を通してイーグレット陛下に連絡、コーデリアと話す機会を作るようにして貰うわ」
ミーシャ姫はなんとか前向きな顔を作っているが。
キースは冷めた顔で言う。
「話す機会を作れたとして……大丈夫なのですか」
「なにがよ」
「あなたは卑怯で心の汚い方だ。素直に聖女様に頭を下げ、今迄の非礼を詫びて事情を説明することがはたしてできるのか……不安です」
「分かってるわよ。でも、あたしにもプライドってもんがあるの。あの天使だけは絶対に、許せない」
「課金とやらで今のように一生眠らせておくことはできないのですか?」
そんなのとっくに試した。
姫は声を荒らげた。
「やれるならとっくにやってるわ! ちょっとは考えなさいよ、あなたバカなの!?」
「……婚約者を捨て、あなたのような汚い存在と行動しているのです。誰の目から見ても愚者に映るでしょうね」
「――そうね、ごめんなさい。試したけど駄目だったのよ」
「それはなぜでしょうか」
説明しなければ分からない。
嫌われている、恨まれている。本当ならこの場で斬り殺されてもおかしくない関係だ。けれど、キースが善良でまっとうな人間であるからそれをしていないだけ。
黒い髪を魔力風に靡かせ姫は言う。
「要求寿命が全く足りなかった、五億年とかふざけた年数とかっ、あいつっ、自分の事を弥勒菩薩かなにかと勘違いしてるんじゃないの……っ」
「五億年……つまりあの悪魔は自分を永久に封印するような課金をさせる気はない、と」
「そ、だから課金以外のシステムも使って……なんとか誤魔化してるんだけど、天使の休眠は今の一日六時間が限界」
姫は自嘲気味に言う。
「あたしをどれだけ嫌ってもいいわ。けれどこれだけは信じて。この世界を本当に愛していたっていう感情だけは、本物だから。ま、どうせ信じて貰えないでしょうけれどね」
少女の言葉に返ってくる返事はない。
ただ事務的な美貌が性根の腐った姫を眺めているだけだった。
「それはよろしいのですが」
「なによ、まだなにかあるの!?」
「姫様からいただいた課金アイテムとやらで調べているのですが、なにやら街の様子が……」
「本当ね、いったいなにが――」
その時だった――。
音が鳴った。
ミーシャ姫のスマホから、だった。
ミーシャは移動の風魔術を停止させ、山の奥地で着地していた。
山の風は冷たい。
夜も更けているので、山の樹々がザザザザザっと怖い音を立てている。
「大丈夫、よね。そうよ、だってあたしはルートを知ってるんだし……」
けれど、なぜか胸が冷たい。
まるで殺人鬼に背中から刺されたような。
そんな既視感が背筋を這っていた。
少女は、おそるおそる手にしたスマホの画面を見る。
「なん……で……」
鼻から落ちた汗が、ブルーライトに垂れる。
長い黒髪がモニターにもギザギザな線を作っている。
嫌な予感は当たった。
ルート分岐表示。
フラグ消失。
「うそ、なんで……なんでよ! なんで今度はベアルファルスとのフラグが消失してるのよ!」
「それでは――」
「ええ、どうしよう……っ。どうしよう、なんで、なんで……っ。これじゃあ無理っ。コーデリアと話せない! あの魔術師を攻略しての接触はできないじゃないっ!」
なんとしてでもコーデリアと接触しないといけない。
どんな細い糸でもいいから、コネクションが必要だ。
なのに――。
スマホ画面に、ルート消失のメッセージが表示され続けている。
どうして、どうしてと少女は唇を震わせる。
かつて暴虐を繰り返し続けた姫は、地を掻き、なんでよなんでよと震えている。
何をいまさら被害者ぶって。
姫に殺された魂が見ていたら、その厚顔を眺め嘲笑していただろう。
なにをいまさら。
なにをいまさら。
実際に、声がした。
それは人の心。
憎悪の塊。
魂だった。
魔術の在る世界だ。
そういう恨みが、力となって襲ってきても不思議ではない。
だから悪逆の姫を追いかけ。
彼らは嘲笑する。
恨みをぶつけ、少女を責める。
きさまが憎い。
死ね。死ね。死ね。
声が、悪しき乙女の耳元でささやき続ける。
「やめてっ……おねがい、あたしが悪かったわ、本当に、ほんとうに知らなかったのっ。この世界が本物だって……っ、知らなかったんだってばぁぁあ……」
婚約者との縁を壊され、弄ばれた門番兵士キースは思う。
状況次第では同じ。
自分もこの魂達の一員になっていたのだろう、と。
「誰か、誰か助けてよ……っ」
泣きながら立ち上がり――。
思わずだろう、ミーシャ姫は救いを求めるようにキースに手を伸ばすが。
ぞっと顔を青ざめさせた男はその手を振り払っていた。
「――……触るなっ……!」
「ひっ――……っ」
敵を見る目がそこにある。
ああ、そうだったとミーシャ姫は思う。
自分にはそんな資格はないのだと。
「ごめんなさい……」
「すみません、咄嗟だったので……つい」
「いえ、いいの……いいのよ」
さすがのキースも無駄な罵倒をする気はなかったのだろう。
瞳は冷めたまま、侮蔑の視線を抱いたまま。
けれど。
キースは項垂れる姫に、とりあえず入国審査を回避して国に入る方法を探すことを提案した。
◇
山脈帝国エイシスの貴族街の一等地から道を少しだけ外れた場所。
金欠となった貴族が静かに利用する質屋。
買取を行う店――。
ヒロイン特典を利用したミーシャはアイテム収納空間から、貴金属の類をいくつか換金。エイシスでの軍資金を確保していた。
買い取った店主には貴婦人の姿が見えているだろう。王家の力を使ったミーシャの魔術。相手の視界に干渉し、一時的に顔の印象を操作してあるのだ。
店主から情報が漏れることはない。
もっとも、ミーシャ姫の痕跡をわざと残してコーデリアに発見させるという手も考えられたが――迫害するために追跡してきていると誤解され、姿を隠されたら面倒と却下。
貴族御用達の裏口から店を出たキースが、周囲を警戒しながら言う。
「姫様――」
「キース、この国ではお嬢様と呼ぶように。エイシスに留学している姫など限られているでしょう?」
もうこの国では姫ではなく、外遊しに来た貴族令嬢。
既にミーシャとキースはこの国の住人。
本来なら名前を変える時や、種族や職業を変更する時に使用する課金アイテムの力である。
「承知いたしました。お嬢様」
「それで、なにかしら?」
「課金アイテムのマップにより、我々が滞在する屋敷を購入いたしましたので、移動を開始しても平気です……と」
「そう、ご苦労様」
憎悪する者とされる者は、それでも共に道を進む。
馬車を用意するべきだろうが、人目も少ない。
課金額も、既に所持している課金アイテムもなるべくなら温存したいので移動手段は徒歩。
気配が一つやってくる。
こっそりと換金しに来た貴族がこの道を通ることを知っているのだろう。
子供だった。
十四歳ほどの、薄汚れた、お世辞にも可愛いとは言えない男の子である。
「あ、あんたたちがあそこから出るところを見た」
見られていた。
幻術を自分の顔にかけずに、店主の視界にかけたのは失敗だったとミーシャは反省する。
姫の視線を受けたキースが言う。
「それがどうしたというのです」
「だ、黙っててほしかったら金を寄越せ。あんたたちのことは、よく知ってるんだ。評判が、おちてもいいのか?」
「残念ながら我々は他国から来たばかり。子供のウソに付き合っている程、お嬢様は暇ではない。子供よ、聞くが――このエイシスでは貴族への脅迫の罪はないのか?」
おそらくは重罪。
子供はぐっとこぶしを握って。
「お願いだっ、少しでいいから恵んでくれよ! くすりが欲しいんだ、母ちゃんが、母ちゃんがもう危ないんだ!」
「戯言に付き合う義理はない。おまえの母に免じて罪には問わん。それが慈悲と知れ――お嬢様、参りましょう」
流暢な従者言葉が零れるのは、彼が門番であっても城で働く兵士であったから。そして、アイテムによって執事へと転職をしているおかげだろう。
ここで無駄な金も、時間も使うべきではない。
ミーシャ姫は王家の魔力を持っているとはいえ、山を越える間、高速移動魔術を使っていた。疲れは相当に溜まっている。
それに――キースは思った。
この女は、面倒になったらこの子供を殺すだろうと。
だから辛辣でも遠ざける。それがこの子のためなのだと。
しかし――。
キースの考えとは違い、黒鴉姫は動いていた。
「いいわ、案内なさい。あたしも少しなら回復魔術を使えるから、あんたのお母さんを治してあげるわ。それでいいでしょ」
「お嬢様?」
「すぐに終わるわ」
黒い扇で表情を隠す女が子供を見下ろしている。
まさか殺す気なのか?
従者として後ろに撫でつけたキースの髪が、闇夜に光る。
帯刀する剣に手を掛けるべきかどうか。
そうなった場合。
はたして、どちらを斬るべきか――忠誠なき従者は緊張の中で次の言葉を待った。




