第018話、光と闇:前編【コーデリア視点】
領地:暗黒迷宮に築かれた魔猫神の寝床。
そこは迷宮女王の師匠であり、不帰の迷宮のダンジョンボスである魔猫師匠の簡易的な棲家。
部屋の主は領民たる魔物たちを給仕代わりにしているのだろう――クッションを積んだ猫御殿に哄笑が鳴り響く。
邪悪なるケモノが、くっちゃくっちゃ♪
王宮で獲得してきたグルメの山を積んで、くははははははは!
『人間から供物を得るなど容易い、造作もなきこと! 異界グルメも既に我の手中! 山脈帝国エイシスの菓子はこれで制覇か。ぶぶぶ、ぶにゃはははははは! 人類め、恐るるに足らずとはまさにこのことぞ!』
「あら、師匠どちらにいっていらしたの?」
学校から転移で戻った聖女コーデリアに問われ、一瞬背中の毛を揺らし。
ニヒィっと悪い顏。
ゆったりと振り返りながら魔猫師匠は教師の声音で静かに言う。
『なに、ちょっとだけ狩りにね。実に良きハンティングだったよ』
「ブドウがでしょうか?」
『ああ、欲しいのなら分けてあげてもいいけれど』
「ふふふふ、お気持ちだけはありがたく――ですが師匠。これは、勝手に持ち出されたものですわね?」
既にこの師弟は互いを深く知っている。
聖女はおっとりとしつつも、盗み食いは駄目ですよと清らかな微笑み。
魔猫師匠は邪悪な顔を隠しつつ、うにゃん?
『にゃ、にゃんのことかな?』
「持ち出されたものですわね?」
聖女、魔猫の可愛さをレジストである。
その表情はにっこりだが、駄目なものは駄目ですのよと聖女のオーラをキラキラキラ。
「一緒に謝りに行きましょう?」
『ふむ、しかしほとんどの食料はちゃんと許可を得て貰ったものだよ?』
「ほとんどという事は全部ではないのでしょう?」
聖女、まったく引く気なし。
魔猫師匠は観念して転移門を形成。
『はぁ……そういえば君は、一応高潔な聖女で領主の娘だったね。分かった分かった、仕方ない、それじゃあ王宮に戻ろうか』
「もう師匠ったら! お待ちになって!」
迷宮内の魔物は女王の帰還と転移の波動を感じたのだろう――そしてすぐに察する。
また転移しどこかへ行くのだろうと。
迷宮女王と異界神を見送る列が、ずらっと並んでいた。
暗黒迷宮は魔猫師匠の魔力を受けた影響で、進化。エンペラー種のコボルトや死霊魔術師リッチなどが発生しているが聖女と魔猫は気にせずスルー。
二人はいつものように帝国エイシスの宮殿の結界を素通りして、転移した。
◇◇◇
転移
◇◇◇
出現したのは山脈帝国エイシスの王宮で間違いない。
けれど見慣れぬ場所である。
応接室に飛んだはずだったのだが。
『あれ? コーデリアくん、またレベルが上がった? 成長分の座標がずれちゃったみたいなんだけど』
「そういえば、訓練するからといろんな人に呼び出されまして――、一人一人対応するのも大変ですし、全員同時にお願いしますわと頼んだのですが、なぜか顔を真っ赤にしてお怒りになられまして」
『それを返り討ちにしたら、まーたレベルが上がっちゃったのか。まあ、君は元からレベルが上がりやすいタイプだったんだろうね、そこに経験値倍増のパンを食べちゃってるから倍々ゲームになってるのかな』
魔猫師匠がふむ、と肉球を顎に当て。
『と、ところでやりすぎてないよね?』
「ええ、全員同時に氷結状態にした後にちゃんと治療をしておきましたので。多少は霜焼けが残っているかもしれませんが、後遺症にはならないかと」
『うわ、その騒動で君――解凍マスタリーをマックスで習得したのか、相変わらず覚えるのが早いねえ。聖女の力なのか、君が純粋だから吸収がいいのか。ともあれおめでとう。また一つやれることが増えたね』
「ふふふ、師匠のおかげですわ」
雑談しながら聖女と魔猫は周囲を見渡し。
「それにしても、ここは――どこなのでしょう」
大規模な儀式魔術が持続されている空間。
床を這うのは濃い魔力光。
ヒカリゴケやフェアリーソウルのように輝く光が、まるで人間の動脈のように、ある一転へ向かって進んでいる。二人は顔を見合わせ、迷うことなく魔力の流れを追った。
光の道の終着点。
それはまるで眠ったように、死んでいた。
美しい顏の――。
騎士姿の、氷漬けの女性。
その遺骸。
魔力の供給を受け続けた氷が結晶化しているのだろう。
コーデリアは触れない距離を保ち、手を伸ばしていた――。
「綺麗な人……」
「誰だ――!」
聖女と魔猫が振り向く。
そこにいたのは――精悍な男。
魔術講師であり、聖女コーデリアに授業を滅茶苦茶にされた男、ベアルファルスであった。
立ち入ってはいけない場所だと悟ったのだろう。
聖女は素直に頭を下げていた。
「申し訳ありません、うちの師匠が宮殿から食べ物を持ってきてしまったようで謝りに……と、あら? その御顔はベアルファルス先生?」
「迷宮女王……」
「あら、わたくしその肩書を名乗りましたっけ?」
皇帝に禁じられていたので伏せていた筈だが。
「なるほど……確かにお前ならば誰も入れぬ筈のここに入る魔力があるか。すまない、大きな声を出してしまって――本当に驚いてしまってな」
「いえ、わたくしが悪いのですから」
「お聞きしても?」
「現皇帝ダイクン=イーグレット=エイシス十三世の母にして、先帝十二世の妻。かつては騎士団長にあった女傑。かつての戦争で俺が、殺した女だ――」
「先代帝のお后様……わたくしが知っている情報ですと病死した……と」
「まさか、外に向けて酷い内乱があったと情報を出すわけにはいかないからな」
情報操作――聖女は領主の娘でもあったので、その必要性は理解できていた。
「よろしかったのですか? わたくしに伝えてしまって」
「未来の皇后に隠す必要もないだろう」
「ふふ、先生までご冗談を。わたくし、統治に失敗したりはしませんわ。もう既に税収分の小麦に米に豆は確保してあるのですよ。それに金塊に、精霊銀に、黒鉄鉱に……」
冗談と判断したのか、鬼教師の顔が僅かに緩んだ。
「そういう冗談も言えるんだな、聖女様」
「わたくしの素性は陛下にお聞きになられたのですね」
「ああ、やつとは付き合いが長いからな」
「仲がよろしいのですね」
コーデリアの言葉に、草臥れた男は端整な顔立ちに苦い笑みを作るのみ。
「それにしても、王宮にこんな場所があっただなんて」
「まさか皇后の遺骸を野ざらしにするわけにもいかないしな。俺はあの内乱で……大きな失敗をした。先帝と彼女を前にし、氷系統の魔術を放ったことを今でも後悔しているよ。こうして、遺骸が残っちまったからな。消滅させていたのなら時と共に忘れることもできるだろうが、こうして凍ったままだと――どうしてもその綺麗な身体を維持してやりたくなる」
線の細い聖女が……眉を下げる。
「このままでは可哀そうですわね」
「ああ、だが俺が何度言っても――無駄だった。あの小僧はどうしてもと言い、母の遺骸の維持をし続けている。こうして魔力を注ぎ、動かぬ死体を保存し続け……もう、何年になるだろうな」
「ええ、ですから――可哀そうなので回復して差し上げたらどうですの?」
「死んだ人間は、蘇らねえよ」
「蘇生魔術をお試しにはならなかったのですか?」
「恐ろしい程の魔力を持ち、迷宮さえ生み出せちまう魔術師なのに――そこはまだ学生なんだな。時間が経過した遺骸の蘇生は――」
「え? できますわよ? 成功率が高いとは言いませんが」
しばし、空気が凍り付く中。
傍観していた魔猫師匠が言う。
『ふむ――これほど綺麗に保存された遺骸ならば、コーデリアなら可能であろうな』
「ネコが言葉を……っ、いや、それよりも!」
男は聖女の肩に動く方の手を置き。
「そんなことができるのか!?」
「ですから、可能性は高いとは言えませんが、わたくしは蘇生魔術の対象にはできますと先ほどから……。ねえ、師匠?」
『うむ、まあ費用がタダというわけではないがな』
その日、世界に奇跡が起こった。
聖女の慈悲の力を目の当たりにすることとなった。
山脈帝国エイシスの王宮は騒然となったのだ。
だがその裏で――。
一人、悲痛な面持ちで砂利を掴み、項垂れる者もいた。
その名はミーシャ。
世界で一番しあわせな姫である。